第十三話 紅い視線
白い綿毛が山を覆ってから、生き物たちの気配は目に見えて減っていた。
四本足の牙の群れは尾根の奥へ消え、水辺へ下りても銀色の生き物は薄い。小さな四本足たちまで、風の音に怯えるように姿を隠している。
山が静かだった。
だが、その静けさは以前とは違う。
どこか落ち着かない。
風の奥に、常に二本足の匂いが混ざっているからだ。
煙の匂い。油の匂い。鉄の匂い。
そして、山には存在しないはずの乾いた匂い。
老いたオスと遭遇してから、その匂いは日に日に濃くなっていた。
我は木々の間を歩きながら鼻を鳴らす。
すると前方の木に、またあれがあった。
細い紐で幹へ括り付けられた、小さな黒い箱。
近づいた瞬間、箱の中央で赤い光が小さく灯る。
我は足を止めた。
丸い穴がこちらを向いている。
生き物の目のようだった。
だが、息遣いはない。体温もない。ただ、動かぬままこちらを見続けている。
最初に見つけた時は、二本足の置き忘れだと思った。
だが違った…。
箱を壊した山には、必ず後から二本足が増える。
長い筒を持った者たちが何匹も山へ入り、雪を踏み荒らしながら歩き回る。木々へ触れ、地面を見つめ、まるで何かを追うように匂いを残していく。
そして、その足跡は少しずつ我の縄張りへ近づいていた。
我は低く唸りながら箱へ顔を寄せた。
微かに、老いたオスと同じ匂いが混ざっている。
あの長い筒の匂い。
腹の奥が熱を持つ。
あの時、肩を裂かれた感覚が蘇った。
我は前脚を振り抜く。
箱は鈍い音を立てて砕け、硬い破片が白い綿毛の上へ散らばった。
それでも胸のざわつきは消えなかった。
その場を離れ、尾根を越え、沢を渡った。
だが、どこへ行っても同じ匂いがある。
木々へ括り付けられた黒い箱。
こちらを向く丸い穴。
近づけば灯る赤い光。
まるで山そのものが、我を見ているようだった。
気に入らぬ…。
山を見るのは我だけでいい。
匂いを辿り、獲物を探し、気配を読むのは山の主である我だけのはずだった。
それなのに今は違う。
二本足が山を覗いている。
岩陰の奥まで。
獣道の先まで。
我が眠る場所の近くまで。
知らぬ間に入り込み、姿を隠したままこちらを探している。
我は木の幹へ身体を擦りつけながら、ゆっくり周囲を見回した。
白い綿毛が静かに降っている。
風は弱い。
生き物の気配もない。
それなのに、見られている、背の毛が逆立つ。
不意に、遠くで乾いた音が響いた。
二本足らの声。
白い綿毛を踏み潰す足音。
二本足たちがまた山へ入ってきている。
我は木々の奥へ身を沈めた。
だが逃げながらも理解していた。
これは偶然ではない。
二本足は、我を探している。
あの赤い目を使いながら。
白い綿毛の向こう、木の幹へ括り付けられた黒い箱が、また静かに赤く光った。
それはまるで、山に増え続ける無数の目のようだった。




