第38話
淡い冬の陽射しが赤絹の穂先を照らす。
かつて第一王子妃だったセレナは、馬車の窓辺にかじりつくように立ち、緊張した面持ちで王宮の門を見つめていた。
その眼差しには、かつての栄光と期待がまだ宿っている。
──ここにあるのは、“側妃”という名ばかりの華やかさ。
王子妃としてのプライドは、もう――儚い幻となった。
玉座の間に通されると、照明が落とされた厳かな空気が辺りを満たしていた。
中央には五十歳の王・ヴァルシュテイン。その風貌は威厳に満ち、だがどこか慈愛も漂わせている。
「ようこそいらっしゃいました、セレナ妃殿下」
息を呑んだ彼女に、王はにこやかに手を差し伸べた。
「この国では“側妃”といえども、その存在は正妃に等しい。どうか、思うがままにこの館をお使いください」
その一言にセレナは一瞬、俯いた。
胸の奥でカチリと音が鳴った。
(……こんなにも、優しく迎えられるの?)
広間には豪勢な饗宴が準備され、宮女たちは控えめに微笑む。
彼女たちの所作は丁寧で、だがどこかフォーマルで、まるで尊敬がこめられているようだった。
セレナは胸に手を当てる。
(これは……歓迎? そう、歓迎してもらっている……)
しかしそれは屈辱でもあった。
“道具”として使われた私が、恩寵を受けている――
その矛盾が、胸を締めつける。
王宮の夜、長い廊下を歩くセレナに、女官長がそっと伴走した。
「妃殿下、いかがなさいましたか?」
セレナは一瞬、俯いて答える。
「どうして……私にここまで良くしてくださるのか、分からなくて」
「それは、アリアナ様のご意志です」
女官長は淡く微笑んで言った。
「セレナ様の祖国で評判の“神蛇の巫女”。彼女は我が国民からも敬愛されており、
アリアナ様から、妃殿下に尊敬を贈るよう、ご指示があったのです。陛下も口添えされたとか…」
セレナの心臓が、一拍高くなった。
(アリアナが……私に?)
胸の奥で、何かが引っかかるように疼いた。
その夜、豪奢な寝室に戻ったセレナは、紅絹の胸元をそっと撫でた。
胸に残る王宮の冷たさと、隣国の歓迎の温かさ。
その矛盾が、心に棘のように刺さる。
だが、その隙間に、小さな思いも宿っていた。
(……ありがとう)
どうしようもなく、心の奥で感じてしまった、屈辱にも似た感謝。
彼女はベッドに座り込み、涙を一筋流した。
──この国で与えられる敬意は、私が得るべきものではなかった。
しかし――
それでも私は今、生きている。
その温かさを、どこかで受け止めていたい気持ちもまた、確かにあった。
窓から見える夜空に、星が瞬く。
震える声でセレナは呟いた。
「アリアナ・リース……あなたに救われた。本当に……ありがとう。そして、ごめんなさい。」
それは屈辱でもあり、賛辞でもあり、そして――
敗北を認めた女の、刹那の祈りだった。
ただ一人、深い夜に、その名前を胸にしまい込んだ。




