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夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。
それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。
青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
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パチパチと鳴る薪が焼ける音に目が覚めた。
何度もきいたことが有る音は懐かしく、そして懐かしいと思ったことに違和感を覚える。
(変ね……私はよく暖炉の前でうたたねをしていたから、薪の音は寝ている間もよく聞いていたはずなのに……)
違和感を振り切るように枕に頭を埋め、起き上がるためにシーツの感触を確かめようとしたところでさらに違和感を覚える。
枕が固い。
固いというか……横に突いた手に触れたのは、シーツの感触ではなく何か生暖かく固いものだった。
どうやら枕も隣にあるものも同じ材質でできているらしい。
そこまで考えて女は気付く。
(あれ? これって……)
「気付いたか?」
目を見開いた瞬間に目に映る褐色の肌。
そして耳元でささやくように聞こえた声に、ざっと血の気が引く。
「……あ、あ、あ」
「? どうした」
はくはくと声にならない声で叫べば、訝しげに声が返る。
低く、魅力的な声。こんな場面でなければうっとりと聞き惚れそうなそれは、すなわち真横に男が――そう、腕枕をして抱き付いている男がいることが示されていた。
咄嗟に動いた足に触るのは布の感触。
そろり、と自分の身に目を走らせれば辛うじて下着類はつけていた。薄く、それこそ体温はばっちり伝わるようなそんな姿恰好であったが。
「あ、あの、わたし、なんで……!」
「それは俺が訊きたい」
「ふぇ?」
まったく記憶がない状態に涙目になって顔を上げると、非常に困惑したような顔で男はこちらを見ていた。
そこに見えるのはどう見ても色気のある様な内容ではない。
裸に近い恰好で抱き付いているというのに、男はただ腕枕を動かさないようにしながらただこちらを気遣っているようだった。
「お前――いや、貴女は、雪の中に埋まっていたんだ」
「……へっ??」
「俺はここら一帯の見回りをしている騎士なのだが――雪がやんだのでいつも通り出てみれば、魔物も出るあんな雪山の見晴らしのいいところで、埋まっているらしき黒いものが見えてな。近づいてみればなんと人。あまりの薄着に凍り付いたような冷たさ。死にに来たのかとも思ったが、俺の目の前で死なれるのも寝覚めが悪いので悪いが連れて帰らせてもらったんだ」
「そ、それは大変ご迷惑を……」
雪の中に埋まっていた?
死にに来た?
不穏な単語は見えたものの、現在進行形で死にたいという気持ちは彼女にはない。
とりあえず人命救助されたらしいと把握した彼女は、とりあえずというように頭を下げた。
「すみません、何故埋まっていたのかは思い出せないのですが助けていただいてありがとうございます」
「どういたしまして?」
男も緊張していたのか、彼女の声に安心した様に笑う。
「とりあえずその姿ではまずいだろうから、着替えを持って来る。しばらくそのままでいてくれ」
「あ、はい……」
上にかかっていたらしき薄い毛布で彼女をくるむと、上半身裸の男がのんびりと寝具から降りる。
固いなと思っていたが、どうやら木でできているベッドに、薄い毛布が何重にも巻いてあるだけの物体のようだ。
近くに暖炉があるので寒くはないが、マットレスもないその質素さになんか貧乏くさいなぁ、と彼女は思う。
そんな彼女に気づかない彼は、これまた暖炉近くにかかっていた椅子からシャツと上着を取ると無造作に羽織った。
とたんに厚着に見える暖かそうな格好を見つつ、彼女は彼が出ていくのを見送ることにした。
ぱたん、としまった音にふと我に返る。
「―――ところで、ここどこなの」
記憶をたどるように人差し指を口元にあてる。
大分混乱していたが、男がいなくなり一人になって冷静になれる時間が取れた。
それを機に彼女は思い出そうと指先を噛む。
「私の名前は。―――うん、名前はリサ。歳――はどうでもいいか。乙女の秘密よ。それでここは?」
何か手がかりはないかとぐるりと辺りを見回す。
真新しいコンクリートでできた壁。いや、コンクリートというよりは土壁だろうか。
洞窟をくりぬいたような外見の壁に、一つだけ窓がついている。
窓からのぞくのは一面の白と日の光。
差し込む光は暖かく室内を照らしており、この部屋には照明らしきものがないことにも気づく。
燃えカスとなったらしきろうそくが寝台の傍には有り、光源はこれだけらしいと思う。
「――未開の地?」
いまどきガスどころか電気もない室内は珍しい。
自分が住んでいたのは山小屋だったが、ペンションに近い建物だったので当然電気ガスは存在していた。
中央のリビングにはどっしりと精巧に作られたソファと暖炉があったためいつもそこですごしてはいたが、こんな風にそれだけしかない部屋とは縁がない。
それどころか洞窟ともいえそうな外観は、今時のご時世ではついぞ見かけられない気もする。
そこまで考えて彼女は気付く。
あの10数年間暮らしていた場所は、もうないのだと。
「ああ……」
目覚めた時に感じた違和感。
暖炉のなくなった機械的な建物は寒々しく、何度も目覚めるたびにもう聞こえないことを違和感に思っていた。
それが今度は、薪のはぜる音が聞こえたことに違和感を感じるほどの月日が経っていたのだ。
そう思うと、不思議と笑えてきた。
「疲れてたのね、わたし」
ここがどこだかわからない。
それなのに、暖炉が見えるだけで安心する。
不安定な場所に立っているはずなのに、目覚めた時に男が横にいるなんて恐ろしいことが起こったというのに。
彼女は溜息をつくと、寒くなり始めた身体に毛布を巻き付けた。