28.寝込む日
「うーん、これなんだろう?」
葉っぱをひっぱって眺めている私の横で、フンフン、フンフン、とゴローが畑の草の匂いを嗅いでいる。
私は朝食の片付けが終わった後、畑の様子を見にきていた。
残念ながら、まだ畑のノートは見つからない。
「あの辺が生姜、こっちがニンニク、あっちがにんじんだよね」
仕方がないから、自分で畑のメモを作ろうと思ったのだ。
「メイ、なにしとるんじゃ?」
ヨハン先生が通りかかる。
薬草を干しにきたみたいで、手にはザルを持っていた。
「まだ畑のノートが見つからないんで、自分でわかるようにしようと思って」
「ああ、そうか、まだ見つからんのか。
たしか妻のルイーズは、この畑にカボチャ、レンコ、ゴボラ、大根、トマト、あと生姜とニンニクなんかを植えたらいい、とロイズに助言しとったのう。
まあ、ロイズが居らんくなってからだいぶ経つからの、いくつかは枯れてるかもしれん」
ヨハン先生が髭をさわりながら、思い出すように話してくれた。
そうか、この畑はロイズさんという人が育てていたのか。
先生の奥様の話は前にも聞いたことがあったが、畑との関わりは知らなかった。
「じゃあ…」
そう言って立ちあがろうとした時、目の前が一瞬白くなった。
ふら、とよろけたところで、ヨハン先生に支えられた。
「ゴロー、誰か呼んできておくれ。メイの一大事じゃ!」
ヨハン先生の大声と、わふ!と一声鳴いてゴローが走っていく姿。
私が覚えているのは、ここまでだ。
ゴローは一目散に食堂に走った。
ワン!ワン!と吠える
「どうしたんだ?ゴロー、珍しいな」
今日の食事当番のディーンが、驚いてゴローの様子を見に来る。
ゴローはディーンの上着をくわえて引っ張った。
「何かあったのか?
ハマスさん!何かあったみたいだ!ちょっと見に行ってくる!」
ディーンはハマスにそう言うとエプロンを外して、ゴローの後について行った。
畑には、メイを支えているヨハンが立っていた。
「ヨハン先生!どうしました⁈」
「おお!ディーン手伝っておくれ。
メイが熱を出しておる。
まずは医務室に運ぶんじゃ」
「わかりました。よっ…と」
メイの体をディーンに任せた後、ヨハンはゴローの頭を撫でた。
「お手柄じゃのう、ゴロー」
「団長!大変です!メイさんが倒れました!」
大声を出しながら、ディーンが鍛錬場に駆け込んできた。
いつも冷静なこの男にしては、珍しい事だ。
騎士達の鍛錬を監督していたガレスが、ディーンを振り返る。
「メイが⁈」
ディーンは少し息を切らせてガレスに告げる。
「ヨハン先生の指示で…医務室に運びました。
団長にも来て欲しいとのことです」
鍛錬場にいた騎士達が動きを止め、ざわめき出す。
「メイさんが?」
「そういや、朝も食欲ないって言ってたっす」
「え、え、大丈夫なのかなぁ?」
ガレスは騎士達に向けて、声を張る。
「おまえら、メイはきっと大丈夫だ!鍛錬を続けろ」
そしてディーンと医務室に向かって歩き出した。
残された騎士達も、メイが心配であることは変わりない。
誰かが口火を切った。
「メイさん、大丈夫なのかな」
「こっちきてから、ずっと休みなく動いてたもんな」
「そういや、そうだな」
「団長、すっ飛んで行ったな」
「俺達だって心配なんだから、団長はなおさらだろうよ」
しかし、とトマスが続けた。
「今までの疲労が出たのかもな。
ナオさんを見送って気が抜けたのかもしれん。
…異世界転移なんてことがあったのに、メイさんは強いと思うよ。
考えてもみろ、突然知らない世界に放り込まれるんだぞ。俺なら耐えられん」
「そうだよな…」
騎士達はそれぞれ、メイの境遇を我が身に置き換えてぞっとする。
何一つ知らない世界。
それはきっと、不安だけでなく恐怖もあっただろう。
しかしメイは転移翌日にはもう、普通の顔で皆の食事を作り始めたのだ。
ロイドがポツリと続ける。
「…あの頃のメイさん、なんかしてないと耐えられなかったんじゃないっすかね」
「ああ、ヒマだと考え込んでしまいそうだな。
それが嫌で動いてたのもあるかもな」
「元の性分もあるんだろうけど、俺なら出来ないな」
「そうだな…メイさんはすごいよ」
「治ったら、俺達もっとメイさんを労わろうな」
騎士達は、それぞれ思いを馳せながら、鍛錬を再開した。
「先生、メイの容体は⁈」
ノックをするのももどかしく、ガレスは医務室に大股で入る。
ヨハンは、聴診器でハマスを診察しているところだった。
「メイはベッドで寝ておる。大声は出さんようにな」
ハマスは診察が終わり、服を下ろす。
「今日の食事当番はハマスとディーンじゃな?
ハマスは問題なかった。ディーンの診察をした後、順に全員の健康チェックを行なう。
メイはおそらく疲労…今までの疲れが出たんじゃとは思うが、異世界由来の病の可能性もあるからの」
ヨハンがこの砦にいるのは、騎士達の健康を守るためもあるが、一番の役目は『来訪者が病を持ち込むのを防ぐこと』だった。
幸い、メイを含めた今までの来訪者が病を持ち込んだことはないが、もし病が持ち込まれたらまず砦の者が罹患する可能性が高い。
基本的に、来訪者はまず一週間は保護された拠点で過ごす。
その間に問題がなければ、半年間の教育期間として王都で健康状態もチェックされる。
メイの前に、この砦で保護された来訪者二人は、男所帯の環境を嫌がり、精神的にも不安定だったため、例外として早く王都に向かうことになったのであった。
「メイはもう界を渡ってから、八ヶ月は過ぎておるからの。
異世界の病ではないと思うが、念のためじゃ。
接触が多かったディーンとハマスも、今日の食事当番をやめて1日居室で過ごすように。
それと、メイはこれから団長宅に移した方がいいじゃろうなぁ。接触者も限るように。
とりあえずは、わしと団長で看病したらいいじゃろう」
ガレスには砦内に団長用の戸建てが与えられている。
確かにあの家なら、メイを安全に隔離できるだろう。
キッチンも浴室もあり、部屋も四つほどある。
しかし、ガレスは寝に帰るだけなので、浴室と寝室以外は使用していなかった。
「わかりました。部屋を掃除してきます。終わり次第、メイを迎えに来ます」
「ああ、前から考えとったんじゃ。これから夜の庭は冷えるからの。わしも妻と庭で過ごしたが、逢引には向かんよ」
ほっほっほ、とヨハンは笑った。
ガレスは空き部屋の窓をガラガラと開ける。
ゴローがフンフンと部屋のあちこちの匂いを嗅いでいた。
「まだ埃っぽいぞ」
ガレスはゴローに声をかけながら、家具に被せてあったシーツを順に外していった。
メイをこの家に迎えることは前から考えてはいた。
しかし、まだ婚約中の身であるため、言い出すタイミングを掴みかねていたのだ。
今回のことはいいきっかけかもしれない。
どうも自分はメイが絡むと判断がおかしくなるな、とガレスは一人苦笑した。
「…こんなもんか」
ガレスが部屋を掃除し終わった時には、ゴローは自分の居場所を定めたようだった。
「もうこの部屋に慣れてくれたのか。これからはここで暮らしてもらうぞ。メイも気に入ってくれたらいいんだが」
ゴローの頭を一つ撫でる。
「さあ、メイを迎えに行こう」
わふ、とゴローが答えるように鳴いた。
「ん…」
目が覚めると、私が知らない天井だった。
「…あれ…?」
ぼやけた頭で考える。
たしか…はたけにいて…
わふ、とゴローが顔を覗き込んできた。
ペロリと頬を舐められる。
「あれ?ゴロー、ここどこ…?」
私が寝泊まりしていた客室ではない。
その時、ガチャッと音がして、部屋に団長さんが入ってきた。
「目が覚めたか?」
ドアから入ってきた光が眩しくて、片手を上げて目元に影を作る。
「団長さん…?」
「ああ、具合はどうだ?メイは畑で倒れたんだ。
ヨハン先生が一緒にいたから、対処が早く出来てよかった」
カチャと団長さんが持ってきた水差しを枕元のサイドテーブルに置く。
「喉は乾いてないか?腹は?他に欲しいものがあれば、遠慮なく言うんだぞ」
珍しく団長さんがオタオタしているように見える。
「…ここは…?」
「ああ、ここは俺の家だ。客室だと差し障りがあったから、寝ている間に悪いが荷物も移させてもらった。
…声が掠れてるな、ほら、水は飲めそうか?」
団長さんに体を起こすのを手伝ってもらい、枕元のクッションに寄りかかる。
水をもらって飲むと、とても冷たくておいしかった。
団長さんは私からコップを受け取ると、もう片方の手で私のおでこを触る。
「まだ熱いな…ヨハン先生を呼んでくる。そのまま寝ててくれ」
そのまま団長さんは足早に部屋を出て行った。
きっとヨハン先生を呼びに行ってくれたのだろう。
掛け布団は私が客室で使っていたままのようで、なんとなく安心した。
今は何時なんだろう?
長いこと眠っていた気がする。
窓から外を見ると、空はもうオレンジ色になっていた。
そろそろ夕食の時間だろうか。
厨房責任者なのに倒れるなんて申し訳ない。
それにしても私が熱を出すなんて、何年ぶりだろう?
確か、健と美奈が高校生の頃に、インフルエンザにかかった以来な気がする。
「おお、目が覚めたようじゃな」
ガチャ、とドアが空いてヨハン先生が入って来る。
「ヨハン先生…ありがとうございます」
「気にするでない。どれどれ、ちょっと診せておくれ」
ヨハン先生が聴診器を耳に当てる。
喉をまず見て、目を覗き込み、脈をとる。
こうしてヨハン先生に診察されるのは、異世界転移して来た時以来だ。
「ちょっと胸の音を聴かせてもらうぞ…ふむ、大丈夫じゃな」
ヨハン先生は聴診器を外しながら言う。
「疲労が溜まっておったんじゃろう。しばらくはここで養生するんじゃな。
もちろん仕事も休みじゃ。消化の良い食べ物を食べて、ゆっくり眠る、これが一番の薬じゃよ。
団長が看病してくれるから、存分に甘えたらいいぞ」
ほっほっほ、とヨハン先生が笑う。
よかった、変な病気ではないみたいだ。
「メイ、腹は減ってないか?何か食べたいものはないか?朝も食べてないんだろう?」
団長さんにまた聞かれる。
あー、そうだ、そう言われたら朝もなんだか食欲がなかったんだ。
「作って来るから、なんでも言ってくれ」
どうやら団長さんは、私に何か食べさせないと落ち着かないらしい。
「…じゃあ、卵のお粥が食べたいです…お米のお粥に卵を入れたやつ…」
「卵の粥だな?わかった、作って来る!」
団長さんは勢いよく部屋を出て行く…
と思ったら、部屋を出ずに戻って来た。
「すまん、どうやって作るのか教えてくれ」
「団長、メイさん大丈夫ですか?」
「メイさんの具合は?」
厨房にガレスが戻ると、夕食をとっていた団員達に囲まれた。
「疲れが出たようだ。皆、ヨハン先生のチェックは受けたか?」
「はい、全員問題ありませんでした」
副団長のオスカーが答える。
「そうか、ならよかった。
メイも目覚めて、ヨハン先生の診察を受けたから、もう心配はいらない。
回復するまで、しばらくメイは休暇にするから、皆そのつもりでいてくれ」
団員達も心配していたのだろう。
メイが目覚めたと聞いて、安堵の表情になる。
「オスカー」
「はい、団長はメイさんについててあげてください。慣れたとはいえ、異世界で寝込むのは心細いはずですよ。今は急ぎの仕事もありませんし、団長の決裁印が必要なものだけ処理してもらえれば、あとは任せてください」
オスカーが笑って答える。
思えば、オスカーとはもう二十年の付き合いになる。
俺の考えなどお見通しなのだろう。
「悪いな、助かる」
「で、団長もメシっすか?」
ディーンの代わりに食事当番になったロイドに聞かれる。
「ああ、メイが『卵の粥を食べたい』と言うからな。材料を取りに来た」
「こっちで作りますか?」
「いや、材料だけもらってあっちで作る。基本的な調味料と卵、それと炊いた米はあるか?」
「あー、今日は米炊いてないっす」
「じゃあ、炊く前の米を持って行く」
ハマスの代わりに食事当番に入ったエルンが、カゴに必要なものを入れてくれた。
二人に礼を言って俺は団長宅に戻る。
この家のキッチンには一通りの台所用魔道具が揃っている。
調理には問題ない。
まずは鍋で米を洗い、水から米を煮る、とメイは言ってたな…
考えてみると、もう十五年、自分で料理を作っていなかったことに気がつく。
役職付きは食事当番が免除だ。
去年の今頃は、まさか自分に愛する者が出来るなんて思ってもみなかった。
まして、その相手ために、この家で料理をするなんて思いもよらないことだった。
そんなことを考えながら鍋の様子を見ると、米が煮える前に水が無くなりそうであわてて水を足した。
「そろそろ煮えたか…?」
米を少し、小皿に取って硬さを見る。
うん、こんなもので良い気がするが、…もうちょっとやわらかい方がいいかもしれない。
米が煮えたら、少し塩とタマリショーユを入れて卵を入れる、と言ってたな…
卵を器に割り入れる。小さい卵の殻が入ってしまった。
フォークで取ろうとするが、なかなか取れない。
やっと取れた時には、粥はだいぶ水が減っていた。
あわてて火を止めて、卵を粥に入れて混ぜる。
「こんなもんか?」
再び味見をしようとして「あちっ!」と思わず声が出た。
思ったよりも粥が熱い。
小皿をうっかり落としてしまったが、木の皿だったので音が出るだけで済んだ。
わふ、とゴローが咎めるように俺を見た。
…良い匂いがする…
ウトウトしていた私は、目を覚ます。
その途端、ガチャンと音がした。
なんだろう、ゴローが何か落としたかな?
首を動かして見たが、ゴローはいなかった。
ガチャ、とドアが空いて、良い匂いと団長さん、ゴローが部屋に入ってくる。
「卵の粥を作ってみた。食べてみてくれ」
「団長さんが作ってくれたの…?」
あー、と団長さんが頬をポリポリと掻く。
「十五年ぶりに料理をしたからな、美味くないかもしれないんだが…」
団長さんがお粥をよそって手渡してくれる。
懐かしい卵粥の匂いがする。
「ううん、おいしそう…ありがとう」
お礼を言うと団長さんがニコリと笑った。
「口調、その方がいいな。これからは俺にも普通にしゃべってくれ」
「えっ!それはちょっと…」
「若い奴らがメイと普通に話してるのが、うらやましかったんだ。そうだな、二人でいる時くらいは普通で頼む」
そんなにうらやましかったのか…
そこまで言われたら、普通にしゃべろう。
「わかった、じゃあ普通にしゃべるね」
「ああ」ますます団長さんの機嫌が良くなった。
「自分で食べられるか?食べさせようか?」
「それはカンベンしてください…」
そんなことされたら、よけいに熱が上がるわ!
たまにこの人、とんでもないこと言い出すなぁ。
お粥はちょっと柔らかすぎたけど、おいしかった。
しっかり食べた私を見て、団長さんがニコニコしている。
なんか、なんだか恥ずかしい!
恋愛偏差値が低い私には、甘々な団長さんにまだ免疫がないのだ。
「この家って、兵舎の横にある大きな家です…かな?」
私ががんばって普通に話そうとしているのがわかるのか、団長さんが微笑んで私の頭を撫でる。
「ああ、そんなに大きい家じゃないぞ。治ったら家の中を見てくれ。メイの好きに変えてくれていいからな」
そうか、これからはこの家で、団長さんとゴローと暮らすのか。
「俺は緊急に夜中呼び出されることもあるから、寝室は別にある。このまま、この部屋をメイの部屋にしたらいい」
団長さんの話す声を聞いていたら、また眠くなってきた。
「眠くなったか?ゆっくり休め。おやすみ」
それが最後で、私は安心して眠りに落ちた。




