26.醤油が欲しい
昼食の片付けが終わってお茶の時間、奈緒さんとヨハン先生とテーブルを囲む。
ゴローは窓辺でウトウトしている。
そんなのどかなひとときに、私は盛大なため息をついた。
「はぁぁ、お醤油が欲しい…」
どうもカレーを食べてから、日本への渇望が出てきた気がする。
奈緒さんが驚く。
「え?お醤油ないんですか?買い忘れたとか?」
「違うの、ここ異世界だからお醤油ないみたい…
最初にお味噌作った時の、たまり醤油を大事に使ってるけど、限りがあるしね…
次のお味噌は仕込んだけど、まだできるまで時間がかかるし。
お醤油があれば、もっと料理の幅も広がるのになぁ」
「今でも改善されたと思うがのう。オショーユというのは調味料なのかの?」
ヨハン先生もお醤油は知らないみたいだ。
「醤油っていう、私達の国では日常的に使う調味料なんですよ。
そうか、お醤油ないんですねぇ。
ここにいるとつい異世界なの忘れそうになるんですけどね」
苦笑した奈緒さんはだいぶ砦に馴染んだみたいだ。
もう奈緒さんが来てから一ヶ月くらいになる。
奈緒さんはまだ身の振り方を考えているようだった。
奈緒さんがこちらに来てから八日後に、セドリックさんとの面談があった。
奈緒さんは、その時はまだ王都に行く決心がつかない、と砦に残ることを希望したのだ。
「ショーユは家庭では作らないものなのかの?」
「家庭では作らないですね。普通は買ってきます。
なので私は作り方がわからないんですよ」
そう、毎日使ってはいたが、さすがにお醤油は作ったことはない。
もちろん作り方さえ知らない。大豆を使うってことしかわからない。
「あ、私、なんとなくならわかりますよ。
前に工場見学に行ったことあります」
奈緒さんがさらりと言う。後光が差して見えた。
奈緒さんの説明によると、醤油の材料は大豆、炒った小麦を砕いたもの、麹、塩、水だった。
蒸した大豆に砕いた小麦と麹菌を混ぜて発酵させる。
そこに塩と水を混ぜて寝かせる。
これがもろみというそうだ。
もろみ醤油は聞いたことがあるな。
温度管理をしながらたまに攪拌。
熟成させたら絞って、それを煮て醤油ができる。
これだけ聞くと、なんだか簡単に作れそうだけど、温度管理とかが素人にはわからない。
とりあえず、覚書を作る。
奈緒さんは私よりも文字の習得が早くて、すでに読み書きもだいぶ出来るようになっていたが、今回は私が書いた。
「ほうほう、コウジが重要なんじゃな」
「お味噌の麹と、同じでいけるもんですかね?」
ヨハン先生と私が話していると、奈緒さんがちょっと考え込む。
「この覚書って、バルドさんって方に渡すんですよね?」
「うん、そのつもり。
で、どこか工房とか麹に詳しい人とかが作ってくれないかなーって」
「メイが作ったケチャップやソースも、今じゃ商品になっとるし、味噌も作るようになったからのう」
そうなのだ。あれから味噌も工房で試してみたいという申し出があり、各地で試作がされるようになったのだ。
この砦では、まだ味噌は仕込んでいる。
味噌玉を投げるのが楽しいから、と騎士さん達が嬉々として作業するのだ。
マヨネーズだけはまだ製品化はされず、料理人の間で作り方だけが広まっているそうだ。
卵を使うから、衛生管理が難しいらしい。
どちらも私が知識提供者になった。
「王都には、いろんな工房があるんですか?」
奈緒さんがヨハン先生に質問する。
「そうじゃのう、実際に作るのは王都だけではないじゃろうが、大きい工房の取りまとめをするところは、たいてい王都にあるじゃろう。薬の工房もあるぞ」
「薬の工房…」
奈緒さんが興味を示す。
「薬師もおる。すべての薬が工房で作られるわけでもないからの」
ヨハン先生がお茶を飲みながら続ける。
「この世界は砦だけではないのじゃ。
王都に行って見聞を広めるのも、一つの手だと思うぞ」
「そうですね、考えてみます」
奈緒さんもうなずいた。
補給部隊はその次の週にやってきた。
奈緒さんの様子を見たい、とセドリック管理官も一緒だ。
「おひさしぶりですね、お二人ともお元気そうで何よりです」
セドリックさんが、出迎えた私と奈緒さんに微笑みかける。相変わらずの紳士ぶりがステキだ。
私達もセドリックさんに挨拶をして、奈緒さんとセドリックさん、団長さんは応接室に行った。
私はバルドさんと貯蔵庫に向かう。
「どうだ嬢ちゃん、最近は何か作ったか?」
「ここでは作ってないんですが、相談させていただきたい物があるんです。後で聞いてください」
「そうか、じゃあまずは補給作業を済ませるか」
貯蔵庫に着いて、オスカー副団長と今日の食事当番のエディさん、マルクさん、ポールさんと補給部隊で搬入作業をした。
「で、見せたいものってなんだ?」
「これなんです。醤油、という調味料の作り方なんですが、もうあったりします?」
「どれどれ…大豆と小麦と麹、後は塩と水で作るのか。うーん、俺は知らないなぁ」
「そうですか…」
やっぱりないのか。
わかってはいたけど、ちょっとがっかりした。
「どこか工房で試しに作ってもらえたりしないかな、って思ったんですけどね。
あ、補給品って個人で購入したりできますか?」
「おう、あまりたくさんは事前に言ってもらわなきゃいかんが、少しなら大丈夫だぞ。
何が欲しいんだ?」
買えるんだ!それはうれしい。
「じゃあ、この醤油を自分でも試してみたいので、大豆と小麦と塩と麹を分けてください。
あと、砂糖も少しお願いします」
「おう、それなら今回、余裕がある物資だから大丈夫だ。払いは預かり金から差し引きでいいか?」
「はい、大丈夫です」
毎月のお給料からの預けた分と、ソース類の使用料が預かり金に入っている。
今、どのくらいあるのかわからないから、後で明細を見ないとだ。
その時、奈緒さんが食堂に戻ってきた。
セドリックさん達は、まだ応接室にいるそうだ。
「バルドさん、こちらナオ・エザキさんです。
奈緒さん、こちらがバルド補給官だよ」
「はじめまして、よろしくお願いします。
あ、それお醤油の覚書ですか?」
奈緒さんがにこやかに挨拶をし、バルドさんの手にもっている覚書を見た。
「おう、バルド・グランツだ。補給官をしてる。
いろいろ大変だろうが、がんばれよ」
バルドさんがニカっと笑う。
そこに、セドリックさんもやってきた。
「おつかれさまです。補給作業は終わりましたか?」
「おう、終わって今、嬢ちゃんからショーユの話を聞いてたとこだ」
「ショーユ、ですか」
「まあ、立ち話もなんですから、食堂へどうぞ。
今、お茶の用意をしますね」
私が厨房に戻ろうとすると、セドリックさんから声がかかる。
「じゃあお言葉に甘えて、砦コーヒーをお願いします」
セドリックさんは砦コーヒーが気に入ったらしく、砦に来ると必ず飲んでいる。
イメージ的に紅茶が似合いそうだから、こんなに気に入ってくれるとは思わなかった。
ちょっとうれしい誤算だ。
「わかりました、おかけになってお待ちくださいね」
窓際にいたゴローが、バルドさん達にしっぽを振りながら挨拶しに行った。
ゴローはセドリックさんにも、バルドさんにももう慣れている。
二人とも犬が好きだそうで、ゴローにも優しいのだ。
4人分のコーヒーを淹れようとしたところで、団長さんとヨハン先生も食堂に来た。
「メイ、悪いが俺達にも砦コーヒーを頼む」
「おつかれさまです。わかりました、二人分追加ですね」
「ああ、頼む」
私に笑いかけてから、団長さん達もバルドさん達に合流しに行った。
ほんと、団長さんはよく笑うようになったなぁ。
六人分のコーヒーを配膳してから、私も席に着く。
皆でお醤油の覚書を囲んでいたようだ。
セドリックさんが覚書を手に取って、じっくりと読んでいる。
「このショーユ、うちの領地で作ってみたいんですがどうでしょう?
うちの領地では魚醤というものを作っているんですよ。独特な風味があって、あまり広まっていないんですがね。
もしかしたら魚醤を作る職人なら何かわかるかもしれません」
「えっ!魚醤があるんですか⁈」
「ええ、メイさんご存知ですか?よろしければ今度お待ちしますよ」
食いついた私に、セドリックさんがうれしそうに笑う。
「私の国にも魚醤を使う料理はあったんです。使ってみたいです!」
「しょっつる、ですね!
一度しょっつる鍋を食べたことあります」
奈緒さんもしょっつるを知っていたようだ。
それから、醤油の知識提供者をどうするか?
という話になった。
これはもちろん奈緒さんだ。
私は奈緒さんの知識を書いただけ、に過ぎない。
セドリックさんは醤油の試作について、奈緒さんの許可も得た。
ちゃんと知識提供の手続きもしてくれるそうだ。
「それで、メイさんにお話しするのが遅くなっちゃったんですが」
奈緒さんが改まって言う。
「私、王都で教育を受けることにしました」
そうか、奈緒さんは決心がついたんだ。
この世界で前に進んでいくことを。
「そっか、わかった。寂しくなるけど、がんばってね」
本当に寂しい。
奈緒さんが来てくれてからの毎日を思い出す。
ここの砦の人達はやさしいけれど、日本のことは知らない。
奈緒さんと日本の話が出来たのは、私にとっても慰めになっていたのだ。
けれど、奈緒さんがせっかく決めたのに水を差したくなくて、それだけ言うのが精一杯だった。
奈緒さんの出発は十日後だという。
「送別会をしようと思うから、メイには準備を頼みたい」
団長さんからも、そう頼まれた。
たくさんごちそうを作って、盛大に送り出してあげなきゃね。
その日、夕食の片付けと翌朝の仕込みを終わらせてから、私はいつもより早く自室に戻った。
バルドさんとセドリックさん達は、明日の朝食後に出立するという。
なんとなく落ち着かなくて、ランプに火を灯して庭に出る。
寝ていたゴローは眠いらしく、着いては来なかった。
ベンチに座って空を見上げた。
満点の星空に、月が美しく輝いている。
この国にも緩やかに四季があるようだが、ここは北の山の中なので、夏の暑さとは無縁だった。
今は秋の中頃。日中は良いが、夜になると冷える。
冬の支度も先月から始めている。
大量だった川魚も、魔獣の肉も保存食にした。
今は日本で言うと、十一月の中頃くらいだろうか?
そんな事を考えていると、食堂からの賑やかな声がかすかに聞こえてきた。
きっと今日も騎士さん達が集まって話したり、カードゲームをしたりしているのだろう。
今夜は、補給部隊の人もいるかもしれない。
いつもは私も混ざったり、眺めたりしていたが、今はなんとなく、一人になりたかった。
夜空の月だけは、日本と変わらないように見える。
「こんなところで、どうしたんだ?」
ランプの灯りが見えたのか、団長さんが歩み寄ってくる。
「ナオさんがいなくなるのを聞いて、寂しくなったか?」
団長さんはそう言いながら私の横に座った。
「そうですね…」
私は、顔の横に垂れてきた髪を耳に掛ける。
ずいぶん髪も伸びたなぁ。
「奈緒さんには申し訳ないんですが、楽しかったんですよ。たわいない話をしたり、カレーを作ったり。
最初は日本の話はしないようにしてたんですけど、奈緒さんが自分から日本の話をしてくれて。
今は何が流行ってるとか、お互いに知ってる街がどう変わったか、とか」
「そうか」
「でも、奈緒さんがこの世界で生きていくことに、前向きになってくれたのは、良いことだと思います」
団長さんがそっと私の手を握る。
暖かい大きい手だ。
私がこの人と生きていくことを選んだように、奈緒さんもこれからの生き方を決めていくのだろう。
奈緒さんのこれからが、幸せであって欲しいと思った。
「そうだな…
そういや、昼間は忘れてたんだが」
「はい?」
「カレーのことは報告しなくていいのか?」
「あ」
しまった、お醤油のことで頭がいっぱいだった!
そうだ、カレー作ったんだ。
スパイスの配合は奈緒さんから聞いてある。
「あー、忘れてた…
バルドさん、まだ起きてますよね?」
「ああ、まだ食堂でみんなと飲んでるぞ」
「じゃあ、今から戻って、覚書を書いて渡します」
ふむ、と団長さんが考える。
「食堂に一緒に戻って、メイが説明しながら、俺が覚書を書こう。
怒られるなら一緒に怒られよう」
団長さんがいたずらっぽい顔で笑う。
私たちは立ち上がって、明るい光に満ちた食堂に戻って行った。




