2.あの日の私とゴロー
春だなぁ。
洗濯物を干しながら、気持ちのいい青い空を眺める。
こんな日に家にいるのはもったいない。
「ゴロー、散歩に行こうか」
足元にいたゴローがうれしそうな顔をしてしっぽをふる。
一人で暮らしていると独り言が多くなるというが、私はゴローに話しかけているから、独り言ではない。
いままではこの家に二人の子供がいたが、この春に就職して家を出ていった。
今、この家では私とゴローが暮らしている。
家事も一人分なので、時間はたくさんあるのだ。
ゴローの散歩支度をして、軍手と何枚かのビニール袋、水筒も持って家を出る。
行き先はいつもの神社の裏山。
きっと春の山菜が出ている時期だ。
「何かあるかなー、タラの芽とかコゴミがあるといいなぁ」
そんな期待をしながら、裏山へ入る。
ゴローはあちこちの匂いを嗅いでいる。
「ゴロー、こっちに行くよ」
歩いているとヨモギを見つけた。
その次はお目当てのタラの芽。
うれしくなって、さらに歩く。
気がつけば、辺りが暗くなっていた。
「やば!奥まで入りすぎたかも!ゴロー、そろそろ戻ろう」
声をかけたが、ゴローは木々の向こうをじっと見つめている。
なにか動物でもいたんだろうか?鹿?
耳をピンとそば立てて警戒しているようだ。
「ゴロー、帰ろう?」
そう声をかけた時、ガサガサっと大きい音がした。
何人かの人の声。
「え?なになに?不審者?」
ゴローが低く唸り、吠え出した。
「ゴロー、大丈夫だから!こっちおいで」
とリードを引き寄せた時、大きい人が現れた。
「いました!犬も一緒です!」
その声に、さらに大きい人が現れた。
背が高く、がっしりした身体つきで、顔には一筋の傷跡がある外国人。
ん?外国人?
「怪我はないか?助けに来た」
助け…?遭難したってことだろうか。
座り込んでいる私にその人が手を差し出した。
「ありがとうございます。あの、私、遭難したんでしょうか?」
その手を取って立ち上がり、お礼を言う。
この捜索隊の人はずいぶん日本語がうまい。
「あー、遭難ではないな。あなたの世界で言うと、異世界転移ってヤツだ」
「はい?あの、ドッキリかなんかですか?」
「ドッキリが何かは知らないが、とりあえずここは危険だからついてきてくれ。砦で保護する」
砦?異世界?頭の中が疑問符でいっぱいになるが、山の中にいても仕方がないのはわかる。
ゴローを見ると、もう唸りもせずに捜索隊らしき人を見ている。
「えーっと、じゃあお世話になります」
「ああ、この山は足場が悪いから、左右から支える。ハンスは右、ロイドは左についてやれ」
そう言うと、私より半歩前を歩いた。
足元の悪い場所では、振り返ってこちらの様子を確かめている。
大きな身体のわりに、歩調は私に合わせてくれているようだった。
捜索隊に囲まれるようにして山を降りる。
おかしい。神社の裏山にこんな場所はないはずだ。
しかも道もない。普通の山の中を歩いている。
じわじわ不安が込み上げて、ゴローのリードをギュッと握った。
三十分くらい歩いた頃だろうか、大きな建物が見えてきた。
「開門!」「団長が戻りました!」
中から大きな声がして、木でできた大きな門が開く。
どう見ても日本の建物ではない。
これはまるで、息子がやっていたゲームの世界みたいだ。
「あの、ここは…?」
隣を歩いていた若い男性に恐る恐るたずねてみる。
「北の山砦です。詳しいことは、後ほど団長から説明があります」
日が暮れた空の下、ランプのオレンジの光が辺りを照らす。
馬の鳴き声がどこからか聞こえてくる。
馬、いるんだ…。ゴロー大丈夫かな?
ゴローは私の横を歩いている。
耳は立てているが、唸ったりはせず、おとなしく目の前の古傷のある男性についていく。
それにしてもこの人は大きいな。百九十センチくらいはありそうだ。
「ついたぞ、こっちだ」
キョロキョロしてる間に、周りにいた男性達はどこかへ消えて行った。
団長と呼ばれていた古傷のある人に呼ばれ、私は建物に入った。
もちろんゴローも一緒に。
連れられて入った部屋は、なんだか学校の保健室に似ていた。
「医務官のヨハンじゃ。そこのイスにかけてくれるか?ちょっと診させてくれ。
どうだね?気分は悪くないかね?」
白ヤギみたいな髭のおじいちゃんが私の脈を見たり、目を覗き込んだり、ひととおり確認していく。
「ケガも無し、今のところ異常はなさそうじゃな。
そっちの犬も大丈夫そうじゃ。
もし、何かおかしいことがあったらすぐに言うんじゃぞ。」
「はい、ありがとうございます」
「団長、こちらは大丈夫じゃ」
ヨハン先生がドアの横で腕組みをして立っていた古傷のある男性に声をかける。
この人はどうやら団長らしい。
「じゃあ、部屋を移動するぞ。ついてきてくれ」
また団長さんに連れられて、今度は食堂のような部屋に入る。
「まあ座ってくれ」
お言葉に甘えて木のイスに座ると、さっきの若者とは別の若者が私にはカップに入った水をくれ、団長さんに紙とペンらしきものを渡す。
「ありがとうございます。あの、ここは日本ですよね?」
「残念だが、この世界にニホンという国はない。
ここはラウネリア王国の北の砦だ。
俺はここの団長をしているガレス・アルトベルクだ。
あなたの名前を教えてもらっても?」
「山下芽衣です。芽衣が名前、山下が苗字です」
「メイ・ヤマシタ…。メイ、と呼ばせてもらっていいか?」
団長さんの横で若者が紙に何かを書いている。
どうやら私に関しての記録をとるらしい。
「出身はニホン」
「はい、一応東京です」
それからは問われるままに自分のことを答える。
家族は双子の娘と息子で、この春に二人とも独立したこと。仕事は全国に支社のある会社の、小さな支社で事務全般をしていること。離婚して今は夫はいないこと。
離婚のことを、まだよく知らない人たちにくわしく説明するのもなんだか嫌で、離婚したことだけ伝えた。
元夫は子供たちが幼い頃に不倫をして出ていった。
もらえるものは一括できっちりもらったし、子供たちへの面会もなかったので、その後は元夫がどうしているかは知らない。
「聞かせてくれてありがとう。この書類は、君を保護したことを王都の来訪者部門に知らせるためのものだ。安心してくれ」
私のようにこの世界へ迷い込んだ者は、来訪者と呼ばれるらしい。
王都で半年ほど暮らしながら、この世界で生活するために必要なことを学び、その後は仕事も紹介してもらえるという。
「その保護施設は犬も一緒に行けますか?」
「来訪者と共に犬が来た、という前例がないからな。詳しくは王都に尋ねてみないとわからない」
「そんな…。ゴローと離れたくないです」
「王都に行くかどうかは、まだ決めなくてもかまわない。どうしたいか決まるまではここにいてくれていいぞ」
「ここで、ゴローとお世話になってもいいんですか?」
「ああ、かまわない。今日は疲れただろうから、客室の用意がしてある。もう休んでもらってもいいんだが、腹は減ってないか?」
言われてみたら、朝ごはんを食べたきりだったのを思い出した。
そして何より、ゴローに晩ご飯をあげてない事に気がついた。
「あの!犬のご飯ってありますか?この子にご飯をあげないと」
「その犬はふだん何を食ってるんだ?」
「野菜とお肉を煮たのをカリカリ…、犬のフードにかけてます」
「肉と野菜ならあるが…」
そう言って団長さんはちょっと考える。
「キッチンと材料を貸していただけるなら、自分で作ります」
「あぁ、かまわない。好きに使ってくれ。人間の食事はあるんだが、犬の分は想定してなかったからな」
「ありがとうございます!あの、山菜をとって来たので、それも処理していいですか?」
「山菜?ああ、好きにやってくれてかまわないぞ。ハンス、厨房の案内を」
「わかりました、こちらへどうぞ」
さっき水をくれた若者について厨房へ行くと、ゴローは私について来なかった。
振り返ると、団長さんの足元で寝そべっている。
団長さんも無理に触ろうとはせず、足元のゴローを一度見ただけだった。
ゴローが初対面の人間の足元で眠るなんて、珍しい。
「この鍋使ってください、あと、必要なものがあったら言ってください」
大きな厨房だった。鍋も小さいのを貸してくれたらしいが、それでも大きい。
肉とキャベツらしき葉っぱをもらい、ゴロー用に煮る。
山菜、どうしよう?本当は天ぷらが一番なんだけど…
「あの、天ぷらって好きですか?タラの芽の天ぷらとコゴミの天ぷら」
若者に聞いてみると「テンプラ?なんですか、それ」と言われてしまった。
「山菜に衣をつけて揚げたものなんですが…」
「揚げ物!いいですね、食べたいです!」
揚げ物と聞いた瞬間にハンスさんの目が輝いた。
やはり若者は揚げ物が好きみたいだ。
出来上がった天ぷらを団長さんの元へハンスさんが運んでくれる。
ゴローは団長さんの横で寝そべっていた。
ご飯をあげるといつものように完食した。
その姿を見て、やっと私も安心する。
「よかった…」
安心したら、なんだかどっと眠くなって来た。
ふと目を上げてみると、団長さん、ハンスさん、あとさっき山で横についてくれたロイドさんが無言で天ぷらを食べていた。
口に合わなかったかと思ったが、顔を見てみるとその逆らしい。
見ていた私に気づいたロイドさんが満面の笑みで言う。
「うまいっす!揚げ物なんて久しぶりに食べました!ありがとうございます」
「ああ、これはうまい。ありがとう」
団長さんにもお礼を言われる。
「こちらこそ、ゴローのご飯ありがとうございました。もう今日は寝ますね」
「ああ、今日はもう詳しい話はいい。明日にしよう」
団長さんはそう言って、私の顔をちらりと見た。
自分では平気なつもりだったけれど、たぶん疲れて見えたのだろう。
「ハンスに客室に案内させよう。ゆっくり休んでくれ」
私とゴローはハンスさんに案内されて客室に通された。
「この部屋を使ってください。この皿は犬の水用にどうぞ。夜中に何かあったら、さっきの食堂に今日の当番がいるんで来てください。あと、この棚に着替えとかタオルが入ってます。トイレはあちらです。
これからのことは明日また説明するんで、今日はゆっくり休んでください。じゃあ、おやすみなさい」
そう言ってハンスさんは戻って行った。
木で出来た部屋にはベッドが一つとイスとテーブル。
ずっと肩から下げていたバッグをテーブルに下ろして、スマホを見る。やはりというか当然というか、圏外だった。
信じたくはないが、本当に異世界なのかもしれない。
そう思うと、なんだか怖くなる。
でも、ここにいていいと団長さんは言ってくれた。
他の人たちもちゃんとしているように見えた。
もう、考えても仕方がない気がする。
「はー、寝よ寝よ!夢かもしれないし!ね、ゴロー」
ゴローはいつも家でしているように、ベッドの横で丸くなっていた。
私はゴローを撫でながら眠りについた。




