59 混乱と不安
休み中、私たちは少しぎこちなかった。
正確に言うと、りっちゃんが私にすごく気を遣っていた。
私はりっちゃんから離れるつもりはない。
でもりっちゃんは“幸せすぎて怖い”と言う。
なんで?なにが彼をそうさせた?
必ず何かキッカケがあったはずだ。
そうじゃないとこんなのおかしい。
「彩葉、明日で休みが終わるから、今日の夜はどこか食べに行こうか」
りっちゃんは洗い物をしながら、優しく私に笑いかけそう言った。
この笑顔は本物だろうか。
…それとも私にお伺いを立てているのだろうか。
そんなの……りっちゃんらしくない。
「彩葉?」
「うん。食べに行く。りっちゃんは何食べたい?」
私は笑顔を作り、返事をした。
「彩葉は何食べたい?何かない?」
「んー…もんじゃ?りっちゃんもんじゃ作れる?」
「うん。彩葉のために作っちゃう」
「ふふっ。楽しみだなぁ」
やっぱり優しいのはいつも通り。
──…わかった…
この違和感…
前よりも空気感が柔らかいんだ。りっちゃんは前から優しかったけど、なんか優しさが自然…?になった感じ…
記憶が戻ってから私は、りっちゃんの“優しさ”は、ここに私を留めるための手段のひとつ…全ての“優しさ”がそうだとは言わないけど、今思えば計算されたようにも感じていた。
それが今では全くない。
愛情からくる優しさ…?
この男が…?
でもそう思うと、少しだけ納得ができた。
……だけど……
本当にそうだろうか。
もし愛情だけなら、あの執着はどこへ行ったのだろう。もう…残ってはいないのだろうか。
「りっちゃん」
「んー?」
「もし私が別れたいって言ったらどうする?」
「別れない」
即答だった。
だとしたら、まだ執着心は残ってる…?
「なーんて…やっぱり彩葉は俺と別れたいって思ったことがあるんだね…」
私は…なんてことを聞いてしまったんだろう。彼の警戒心を上げてしまった。
ただ…あの狂気じみた思考が変わったのか、確認してみたくなってしまったんだ。
こんなにも穏やかな空気感だったから。
私はりっちゃんの元に駆け寄ると、シンクの掃除をしていたりっちゃんの背中に抱きついた。
「ない。そう思ったこと、一度もない」
「本当かなー?」
「本当っ」
りっちゃんは手を洗い、その手をタオルで拭いた。それから私の腕の中でくるりと半転すると、私を抱きしめた。
「なんかずっと、彩葉不安がってるよね?俺がそうさせてる?」
「そう。りっちゃんのせい」
りっちゃんが、なんだか変わってしまったように感じて不安になる。
何を考えてるかわからないから不安になる。
「俺が考え事してたから?」
「そう」
「大丈夫だよ。彩葉が心配するようなことは、何もないよ」
「….…私をちゃんと捕まえてて」
「今捕まえてるよ?」
「この先もずっと」
「うん。捕まえてるよ、ずっと」
そうだ……
私は彼の…この苦しいほどに重い愛が…いつの間にかに心地よくなってしまっていたんだ。
幸せすぎて怖いだなんて言わないで欲しい。
その幸せが崩れてしまいそうなら、私をちゃんと捕まえてて欲しい。私は決して逃げないから。ずっとりっちゃんのそばにいるから。
「もう彩葉は、本当に甘えん坊なんだから」
「りっちゃんがそうさせたっ」
「そうだね」
「ちゃんと責任とって」
「うん。取るよ」
これじゃあ、私の方が歪んでる。
ずるいよりっちゃん。私をこんなふうにしておいて、自分だけ穏やかな愛を振り撒こうとして…
りっちゃんがそんなんだと、私のあの時感じた嫌悪や悲しみ、恐怖感は、どこにぶつければいいの?
あれがあったから、今度は私がって…私が欺いてやろうと思ってたのに…
私は…りっちゃんからの異常なほどに重い愛が欲しいのに…
まだ私は、頭と心が別々なのに…
私はりっちゃんの胸を叩いた。
「ずるい」
「ん?なにが?」
「ばか」
「何がずるい?」
「りっちゃんが…やさしいから…」
「うん。俺にとっては普通のことだよ。いつでもそうしたい」
「ばか」
「ばかって言われても、俺はそうする」
私を諭すようにりっちゃんはそう言った。
気がつけば私は泣いていた。
なんの涙かはわからない。
りっちゃんの優しさに触れて?それともりっちゃんが少し変わってしまったから?
りっちゃんは私の涙が落ち着くまで、抱きしめ続けてくれた。
少し心配そうな顔をしたりっちゃんの顔は、やっぱ優しさも含んでいた。
「もう落ち着いた?」
「うん」
私はそう言いながらも、りっちゃんの背中に回していた手で服を握り込んだ。
いい時間になり、私たちは支度を済ませると車に乗り込んだ。
「もんじゃなんて久しぶりだな。彩葉もじゃない?」
「うん。サキとはいつも居酒屋だから」
「美味しいの作るからね」
「うん。早く食べたいな」
車の中では、こんな感じで楽しく話していた。
「引っ越したらさ、またバイト探そうかな」
私がそう言うと、りっちゃんは黙った。
…まだ…前のりっちゃんは……
執着心の強いりっちゃんは残ってる?
「それは…引っ越してからまた考えよ?猫は家につくって言うし。にゃんずたちが落ち着くまではさ」
りっちゃんのその言葉に、少しだけ安堵した。
「そんなにバイトしたいの?」
「りっちゃんのプレゼントは、自分が稼いだお金で買いたい」
「ははっ。そっか。嬉しい理由だな」
あ…今、本当に嬉しそうだった…
「どんなバイトがいいと思う?」
「んー…俺心配性だから男がいるのは嫌だな。あと、できるだけ家から近いとこ…それから、接客業も嫌」
嬉しい。
でもなんでこんなにはっきりと教えてくれるんだろう。
「わかった。そうする」
「……今の聞いてどう思った?」
「え?」
「重い奴だって思った?窮屈に感じた?」
「ううん。思わないよ」
むしろそれを欲してる。
「そっか。ならよかった」
もしかして…なにか探ってる?
だけどりっちゃんの表情は、やっぱり嬉しそうだった。
お店に着き、注文をする。
それが届くと、早速りっちゃんは焼き始めた。
「すごいっ。上手っ」
「ははっ。そっかな?」
「うんっ。あとでお好み焼きも食べようね?」
「そうだね。それも俺が焼くからね」
ずっと変わらない優しさ。優しさの種類は変わった気がするけど、りっちゃんは私が病院で目を覚ましてからずっと優しかった。
りっちゃんからいつか、“もう終わりにしよう”だなんて言われないように、頑張らないと。
りっちゃんの望む私でい続けて、この先もずっと手放されないように──




