58 なんでそんな顔…
あの時は怖くなった。
でも今になって思う。
本当にりっちゃんは知らなかったのだろうか。
私が“つきまとい”に遭っていたことを。
あの時…りっちゃんは時間稼ぎをしなかった。
私はすると思っていた。
だからそれが判断材料だったのに…
家事をひと通り終わらせると、私はソファに座り、ホットミルクティーを飲みながら考えていた。
あの時のりっちゃんは、すごく心配しているように見えた。だけど今思うと怪しくも思える。彼は何度も私を欺いてきた。私よりも何倍も上手な人なんだ。
結局…どっちだったんだろう。
──…バイトを…辞めさせたかった…?
りっちゃんは、私には家にいて欲しいと思ってる。だから今回、まだ“つきまとい”は解決してないと私に思い込ませて…それを理由にバイトを辞めさせた…?
これなら合点がいく。
……
まただ。また…優しいフリをして…
今までだってそうだったじゃん。
すごく心配そうな顔をして、「俺のこと覚えてない?」って言って、ありもしない思い出話を私に聞かせ…
それとあの時もだ。
りっちゃんは、私を心配する“フリ”をして、ちゃんといつでもスマホを持ち歩くように私に何度も言った。それはGPSで私の位置情報を把握しておきたかったから。
それに引っかかるのはそれだけじゃない。
最近、妙にりっちゃんは考え事をしている。いつも私ばかりを優しい表情で見ているのに、今はダイニングのイスに座っては、テーブルに頬杖をついて、一点を見つめてる。
絶対に、仕事のことを考えてるんじゃない。
だったら何をそんなに考えてるの?
…もしかして…記憶が戻ったことがバレた…?私は、自分でも気づかない間にヘマをしてしまったのだろうか。デスクの引き出しの時にヘマをしたように…。
もしバレてたらどうなる?
監禁される?
私は一生働けない?
それは絶対に嫌だ。
わからない。りっちゃんが何を考えているのかがわからない。わかれば先回りができるのに。
「にゃー」
「にゃにー?どうしたー?」
「にゃっ」
「んー?あそぶ?」
私はおもちゃを取り出すと、腕を振った。遊んでとせがんできたのは杏だった。たぶんすぐにきなこも来る。
ほら…やっぱり来た。
「きなこ、今杏が遊んでるんだから独り占めしないの」
バレてはないよね?だって…私の記憶が戻ったかどうかなんて確認しようがないもんね?私が戻ってないって言えば、りっちゃんはそれを信じるしかないよね?疑いはしたとしても……
だったら他にはどんなことが考えられる?
何をそんなに考え込んでるの?
女関係ではないだろうし、私はバイトを辞めたから、それ関係でもない。
だめだ…何ひとつ答えが出てこない。
ただ…わかったこともあった。
この前、私が“絶対に別れない”と言った時は、少し賭けだった。りっちゃんが重めの女が好きなことはわかっていた。でもそれが、どれほどまでのものか確かめるために、ああ言ってみたんだ。
結果…りっちゃんは少し驚いたあと、優しい顔になった。
喜んではいる…?
だけど思ってた反応とは違った。
ちょっとやりすぎたかな。
りっちゃんの理想のタイプはこんな感じかと思ったのに。私の言葉を聞いて、“うっとり”すると思ったのに。
やっぱり…最近のりっちゃんは、ちょっと変だ。
私からのプレゼントを受け取った時も、想像していた反応とは少し違った。喜んでくれてるのは伝わった。でも私が期待していたのは、やっぱり“うっとり”とした表情だった。
なのに…あの時のりっちゃんは、少し切なそうな顔をしながら優しく微笑み、私のことを見つめていた
なに?それはどういう感情?
そんなのまるで──
私のことが、愛おしくて…仕方がないというような……
そんな感じ。
違うでしょ?
りっちゃんの愛は歪んでる。嘘をついてまで、強引に手に入れようとするんだから。
あんな表情……
私は、りっちゃんの理想に近づくように演じて、いつまでも優しく接してもらえるように、いつまでも甘い蜜が吸えるように…そうやって計算してきたのに。
あんな顔されたら、なんか調子が狂う…
クリスマスはりっちゃんが、素敵なレストランに連れて行ってくれた。それからそのレストランが入っていたホテルに、そのまま泊まった。全部りっちゃんが、私に内緒で予約を取ってくれていた。
甘い…甘いクリスマスになった。
りっちゃんの仕事が休みに入り、年末年始は家でのんびりしようということになっていた。
「実家に帰ったりしなくていいの?」
「彩葉も帰らないって言ってたし、こうやって2人でのんびりするのもいいんじゃない?」
「うん…」
今はソファに2人で座っていた。
私はりっちゃんにもたれかかるように、寄りかかった。
「彩葉はさ、サッパリした子だと思ってたのに」
「え?」
「ベタベタするの、苦手って言ってたでしょ?そういうことするの私らしくないって。恥ずかしいって」
やっぱり何か疑ってる?
「りっちゃんだって、なんで今さらそんなこと言うの?」
「え?」
「ちょっと前までは喜んでくれてたのに」
「…今も喜んでるよ?」
「なにか…疑ってる?」
そんなことを聞くつもりはなかった。墓穴を掘るかもしれないから…
だけど、いつまでも出てこない答えに、モヤモヤを感じ続けているのが耐えられなくなって、ついそう言ってしまった。
「疑うってなにを?」
「わかんない。そんなのわかんないよっ。りっちゃん最近変なんだもんっ」
私はりっちゃんから離れ、ソファの端っこに両ひざを抱えて座り、俯いた。
「私のこと…どう思ってる?」
「彩葉…」
りっちゃんの心配そうな声が、部屋の中に響いた。
もう頭がぐちゃぐちゃだ。
りっちゃんは優しい。甘い。
なのになんで、こんなにも胸がざわつくんだろう。
私はどうしたい?何が不満?何が不安?
今のりっちゃんは、私が“好き”だとか“愛してる”と言うと、なんだか切なそうな顔をしながら優しく微笑む。
何を考えてるの?今度は何を企んでるの?
「どう思うって…愛してるよ?」
りっちゃんはそう言いながら、私の隣に座り、肩に腕を回してきた。
「ごめん。何か不安に思った?」
「サッパリした子の方がいいの?」
「ううん。今の彩葉のがいい」
「だったらなんで、さっきみたいなこと言うの?」
りっちゃんは包み込むように私のことを抱きしめた。
「…たぶん…幸せすぎるから…俺の…理想そのものだから…」
「だから?」
「怖い…」
幸せすぎて怖いってこと?この男がそんなふうに思うのだろうか…。
狂気的な底知れない愛情を持ったこの男が…
私は記憶が戻った時に、あることも思い出していた。
──それは……
私がりっちゃんに自分の気持ちを伝えた時のこと。
伝え方を間違え、先に“婚約はできない”と言ってしまった時に、りっちゃんは私の腕を掴み険しい顔をした。
私が痛いと言っても、その手の力は緩むことがなかった。
あの時のりっちゃんは、“不安になっただけ”と言っていたけど、確かに私は少し、恐怖を覚えたんだ。でも…りっちゃんの“不安になっただけ”の言葉をそのまま飲み込み、私は自分の気持ちを伝えた。
だから記憶が戻った時に、それを彼に知られれば、文字通りに力で、物理的に私のことを離さないんじゃないかと思った。
あの時のりっちゃんからは、そんなそんなことを思ってしまうほどの、狂気を感じたんだ。
そんな男が…幸せすぎて怖い?
そう思うのって、幸せが壊れるかもしれないって思って、怖くなるんだよね?
でもりっちゃんは違うでしょ?きっと縛りつけてでも…って思考の持ち主でしょ?
それで私は…そうならないように演技してるのに…
私もりっちゃんのことを抱きしめた。
この温もりを手放さないように…
そう考えて行動して…それで…
……私は一体…何が不満なの…?




