5 信用
早速、長谷川さんが休みの日に、掃除道具の場所や、“これはここ用、こっちはあれ用”などと教えてくれた。
「でも別に毎日きっちりしなくていいからね?ホコリなんて少しくらい積もってても、別に死にはしないんだから」
長谷川さんは笑いながらそう言った。
「いやいや、そんな…私今、無職ですし…」
「ううん。あんなに仕事頑張ってたんだから、ゆっくりしな?」
「…なんでそんなに優しいんですか?」
私はずっと心の中で疑問に思っていたことを聞いてみた。
「ん?優しい?普通じゃない?」
「いや…」
「ははっ。そういえば前にもそんなことを言われたことがあったな」
「…私に?」
「そう。彩葉は今までどんな男と付き合ってきたの?」
どんなって…
私は今までの元彼を思い出していた。
「やっぱり今の無し。聞きたくない」
「え?」
「とにかく別に俺は優しくしてるつもりはない。彩葉のことが大事だからそうしてるだけ」
「長谷川さんの元カノはどんなタイプだったんですか?」
「んー?別に普通だよ?それよりさ、とにかくしばらくの間、無理は禁物だからね?」
元カノの話とかしたくないのかな?
サラッと流されてしまった。
長谷川さんが相手なら、女の人が手放さないと思うんだけどな…。
・優しい・気遣いできる・料理できる・家事もできる・仕事に真面目
これだけ揃ってる上に、顔立ちも整っている方だ。清潔感もある。
家にいて欲しいということは、金銭的にも別に困ってはいないのだろう。
…モラハラ…だとか、DV気質があるとか…?
いやでも、私がプロポーズを受けるくらいだから、少なくとも付き合っていた2年間の間は、そういうことはなかったんだろう。
まぁ男女の仲だ。今までの彼女とは、ただ単に性格の不一致だとか、そんな感じかもしれない。それに前にも休みが合わないうんぬん言っていたから、そういう些細なすれ違いで別れてしまったのかもしれないよな…。
それから私は、長谷川さんのことをよく観察するようになった。
ご飯の食べ方も普通にキレイ。くちゃくちゃ食べたり、お茶碗にご飯粒を残すこともない。
外食した時も、店員さんに対する姿はとてもスマートだった。偉そうにしたりしていない。
車で買い物に行った時も、私は長谷川さんのことを観察していた。ちょっとした渋滞に巻き込まれても、口が悪くなったり、イライラしている様子はなかった。
こんな試すようなことをするのは気が引けたけど、私はある日、何ひとつ家事をしなかった。
乾いた洗濯物も畳まず、掃除もしない。なんならコンビニで買った昼ごはんの残骸をテーブルの上に置いたまま、ソファに寝転んでいた。
でも…仕事から帰ってきた長谷川さんはそれを見て、怒るどころか私の心配をした。
「彩葉?どっか具合でも悪いの?」
その表情は、私のことをとても心配している様子だった。
「ううん。ただ何もする気にならなくて」
ただ私の怠惰を演出したかっただけなのに、彼の心配に拍車がかかった。
「何もする気になれなかったって?どうしたの?何か不安に思ってることがあるの?あるならちゃんと言って?」
そんな感じだった。
「違います。ただ単に怠けていただけです」
「そっか。それならいいんだ。そんな日もあるよね。明日もそんな感じだったら、無理して家事をすることないからね?」
見つからない。
この人の欠点が見つからない。
強いて言うなら心配性なところ、連絡が多いこと、洗い物の時に水を出しっぱにするところ、トイレの電気を消し忘れること、たまにテレビをつけたまま寝ること…と、そんな感じだ。
知りたい。
今までどんな理由で別れてきたのか。
でも前にその話は流れてしまったから、聞く勇気がなかった。
長谷川さんと住み始めて3週間が経った。
キャッシュカードもクレカも無事に再発行ができた。
私はすぐに残高を確認した。
60万ちょっと…。
これなら安いアパートになら住めるか。
でも新生活には色々入り用だ。
あ…その前にスマホ代を長谷川さんに返さないと。
それにここを出て行くにしても安定した仕事を探さなければならない。
でも…
出て行かなくてもいいんだよね…?
長谷川さんは婚約者なんだから。
長谷川さんとの生活は楽しかった。
というよりは、楽だった。
このまま一緒に居続ければ、好きになるかもしれない。私は次第にそう思うようになっていた。
そもそも私が忘れてしまっているだけで、婚約をするくらいなんだから、きっと相性はいいんだろう…。
もう…このままでもいいかもしれない。
キレイなマンションだし。
ひとり暮らしとなると、また必死に働いても安アパート…。そう考えると少しうんざりとした。
…私…嫌なヤツだな…。
やっぱり打算的だ。
そんなことを考えている私と一緒にいても、長谷川さんはきっと喜ばないだろう。
今私の目に映る長谷川さんはいい人だ。
私からすれば文句のつけどころのない人だ。
でもなんでだろう…
気持ちが動かない。
心が動かない。
私は本当にこの人のことをちゃんと好きだったんだろうか。
私のことだから、彼の“条件”だけを見てプロポーズを受けた可能性もある。
私はそんなヤツだ。将来を見据えて、そんなことをする可能性もある。
自分の性格をわかっているからこそ、余計に混乱していた。
私は長谷川さんのことを本当に好きだった?
それとも打算的に?
そんなことを考えていると、長谷川さんからメッセージがきた。今職場を出たようだ。だいたい家に着くのは1時間後くらい。長谷川さんは仕事が終わると、こうやって毎日連絡をくれる。私はそれに合わせて夜ご飯の準備を始めた。
しばらくすると長谷川さんは帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい。ご飯できてます」
「うん。いつもありがと」
長谷川さんは私の手を握りながらそう言った。
ご飯を食べ終わると、私は長谷川さんに封筒を差し出した。
「これ…」
「なに?」
「スマホ代です」
「いらないよ」
「だめですよ。高い買い物だから」
「そんなこと気にしなくていいんだよ」
「でも…」
「いいの」
長谷川さんはそう言うと私の頭を撫でた。
また…スキンシップ…
「彩葉?何度も言うけど、俺にとって彩葉は同居人でもなければ他人でもないの。恋人で婚約者で、俺の大切な人。彩葉からしたらまだ俺は“他人”かもしれない。でも俺の中では“身内”なんだよ?今後彩葉がここを離れる決断をしたとしても、その日が来るまでは、俺にとっては彩葉は大切な人なの」
「優しすぎるよ…」
「いいの。俺がそうしたいからしてるだけ。だから彩葉はそんなこと気にしないで?」
「…」
「まだ俺のこと他人だと思ってるよね?でもそれでいいよ。焦らなくていいから」
笑いながらそう言う長谷川さんが、なんだか健気に見えた。
「そんなふうに思わないですよ。感謝してます」
「それならさ、もう敬語やめない?」
「え…」
「感謝してるなら敬語やめてくれない?俺さ、彩葉が敬語で話すたびに、距離を感じて寂しい気持ちになるんだ」
そうだったんだ…
「…わかりました」
「ははっ。わかってないじゃん」
「…わかった」
「うん。そっちの方がいい。それに彩葉っぽい」
「私…っぽいですか…?」
「そうだよ?彩葉は俺には“素”を見せてくれたって前に言ったでしょ?」
「それって、本当ですか?」
「ほら、また敬語」
「…ごめんなさい」
「彩葉はね、俺の前では自然体だったよ?一緒にテレビを見ててもさ、女優さんが綺麗事を言うと、『うっそだぁ。そんなこと絶対にないってっ』って言いながら笑ったりしてたよ?」
うわぁ…すごく私っぽい。
それからも長谷川さんは、私との些細な思い出を楽しそうにしながら教えてくれた。
そんな話を聞いているうちに、その光景がリアルに頭の中に浮かんだ。
ああ…長谷川さんは、ちゃんと、私のそういうところも含めて好きになってくれたんだ。
そう思うと少しホッとした。
私はちゃんと長谷川さんに“素”を見せてたんだな。それなのに、私のことを好きになってくれた…
たったそれだけで、私はまた長谷川さんへの信憑性が増した。
長谷川さんのことを…信用できるかもしれない。
たった3週間一緒に過ごしただけで、私はそう思うようになってしまった。




