4 確認
長谷川さんは不動産勤務らしく、8:30には家を出て行った。
私はその隙に、前のアパートへと行ってみた。
そのアパートのドアポストには受け口がない。だからそこを押し上げると、部屋の中が見えてしまうのだ。
私はここに住んでいる時、それが嫌で目隠し用に、ドアポストの内側から、布を磁石で貼り付けていた。
そっとドアポストを押し上げる。
…中が丸見えだ。
それに…今見える景色からは家具どころか、生活感がまったく感じられないほど何もなかった。
私…本当に引っ越したんだ…。
長谷川さんの言う通りなんだ…。
だったら…信用していいのかな…いい人そうだしな。
家に帰ると私は、昨日長谷川さんから聞いていたドラマを観ることにした。
私が面白いと言っていたもの、観たいと思っていた作品を、長谷川さんはマイリストに入れておいてくれた。
その中から適当なドラマを選び、とりあえず流していた。
だめだ…
やっぱり内容がちっとも入ってこない。
私は途中で見るのをやめ、テレビを消した。
ここへ私が引っ越してきたのは本当。
彼は嘘をついてない。
彼の言っていることは本当。
本当に…?
いや…本当なんだろうな。
私は長い時間、ソファに座り考えていた。
気がついたら眠ってしまっていたようだった。
インターホンが鳴り、それで目が覚めた。
「びっくりしたぁ…」
外はもう暗くなっていた。
急いで電気をつけモニターを確認すると、長谷川さんだった。慌てて通話ボタンを押す。
「はい」
「よかった。いないのかと思ったよ」
モニターに映った長谷川さんは、一気に安心した表情になった。私は寝てしまっていたことを伝えた。
しばらくすると、鍵を開けて長谷川さんが入って来た。
「ただいま」
「おかえりなさい」
長谷川さんはそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
「俺焦っちゃったよ。彩葉がいなくなったかと思った」
「私には、ここしか居場所がないので」
あ、なんか嫌な言い方しちゃったな。
「うん…そうだね」
長谷川さんは、少し悲しそうな顔をした。
「あ、あの…なんで鍵持ってるのにインターホン鳴らしたんですか?」
「いきなり帰って来たら嫌かなって思って」
気遣いだ。
優しいな…。
「あ、そうそう。これ彩葉の荷物。昨日は色々あったから忘れてた」
長谷川さんはそう言いながら、寝室から私のカバンを持ってきた。
「え?」
「事故の時、電車の中で中身が散らばってたからできるだけ拾い集めたつもりなんだけど…ちゃんと全部揃ってるかな?」
…私…長谷川さんと一緒に電車に乗ってたのか…。
ってことは、どこかに出かけようとしてたのかな。
私はそんなことを考えながらカバンの中身を確認した。
よかった。
財布あった。
今度は財布の中を確認した。
あれ…?キャッシュカードがない。クレカも…これってやばいんじゃ…。
「あの…キャッシュカードとクレカ知りませんか?」
「あれ?ない?財布もカバンから飛び出てたから拾ったんだけど…中身までは確認しなかったな」
私はもう一度確認した。
キャッシュカードもクレカも持ち歩いてなかったのかな?
いや…私そんなことするかな…?
今、貯金いくらくらいあるんだろ…。
「カード止めた方がいいんじゃない?どさくさに紛れて盗みを働くような奴がいるから」
「あ…そうですね」
…。
スマホがないから連絡ができない。
長谷川さんもスマホが壊れたと言っていた。
不便だ。
不便すぎる。
とにかくスマホだ。
スマホが必要だ。
でもお金がない。
キャッシュカードもクレカもない。
最悪だ。
そうだ。住所変更。
私ちゃんと住所変更したのかな?
してないと、キャッシュカードもクレカも再発行できないよね?あれって家に届くんだよね?
私は急いで免許を確認した。
前の住所のままだ。今度は裏も確認した。備考欄には何も印字や記入はされていなかった。
「あの、私たちは一緒に住んでどれくらいなんですか?」
「まだ1ヵ月経ってないくらいかな」
だからか…。
だから私は、まだそういった手続きを済ませていなかったんだな。
「明日は休みだから一緒にスマホ買いに行こうか」
「でも私、お金ないです」
「そんなの気にしなくていいから」
正直…助かる…。
「ね?一緒に行こう?」
「はい。ありがとうございます。必ずお金はお返しします」
「そんなのいいって。俺の中ではまだ、彩葉は婚約者なんだ。困ってるなら助けてあげたい。そう思うのって普通でしょ?」
…私はいつか、この人の気持ちに応えることができるのだろうか…。
できることならそうなりたい。
…顔…結構タイプだし…。
それに私愛されてるっぽいし。
なんだか考えることが多すぎて、私のテンションは少しおかしくなっていた。
考えることから逃げたくなっていた。
「さ、ご飯食べよ?買ってきたから」
「ありがとうございます」
「彩葉の好きな、彩り御膳弁当」
…たまに自分へのご褒美で買っていたお弁当だ…。
「…なんでも知ってますね。私のこと」
「ははっ。なんでもはさすがに知らないよ。まだ2年くらいの付き合いだしね。でも知ってることも多いと思うよ?」
そっか…
長谷川さんは“まだ2年”と言っていたけど、2年も一緒にいれば大まかなことは大体わかるよね。
ご飯を食べ終わると、少し2人で話していた。
長谷川さんは今まで私と遊びに行った話を、色々としてくれた。
本当にひとつも覚えてないんだもんな。記憶喪失って怖いな。
私は長谷川の誕生日も血液型も、何歳なのかも何も知らない。だから私は色々と質問をした。
年は私より6個上だった。
色々聞いてもやっぱりピンとくるものは何もなかった。
いい時間になり寝ようかということになった。
「今日は私がソファで寝ます」
「いいって。彩葉はベッド使いな?」
「でも…それじゃあ私の気がすまないんです」
「まったく困った子だね。俺がそれでいいって言ってんだから気にしないでよ」
「…」
「だったら俺と一緒にベッドで寝る?」
それは絶対に嫌だ。
私は答えに迷い黙った。
「ね?それは嫌でしょ?俺は大丈夫だから。ほら、さっさとお布団に入って」
長谷川さんは私をベッドに促すと、布団を掛けてくれた。
それから私の頭をやさしく撫でると、「明日一緒にスマホ買いに行くからね?」と、柔らかい表情をし、「おやすみ」と言うと、寝室から出ていった。
…スキンシップが多い人だな…
普段から私たちはそんな感じだったのだろうか。
私は…どちらかというと、あまりベタベタとした関係は好まない。でも長谷川さんは頭を撫でたり、手を握ったりしてくる。
長谷川さんと付き合っていくなかで、私に心境の変化でもあったのかな?
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りについていた。
次の日、早速スマホを買いに行った。
すぐに必要な所に電話をすると、カード類を止めてもらった。
あとは住所変更しないと再発行ができない。
私はそれら役所へ行って、それらも済ませた。
なんか…疲れたな。
精神的に疲れた。
長谷川さんは全部私に付き合ってくれた。
本当に優しいな。
こんな人が私の婚約者だなんて未だに信じられない。
家に帰るとすぐに長谷川さんは私の手を握った。
「今度はどっか遊びに行こうね」
それだけを言うと、すぐに手を離した。
「俺ちょっと仕事するから、何かあったら声かけて?あの部屋にいるから」
長谷川さんはドアを指差すと、その部屋へ入っていった。
仕事か。休みなのに大変だな。
1時間もすると、長谷川さんは部屋から出てきた。
「夜ご飯なに食べたい?」
「え?」
「夜ご飯。なにか食べたいのない?」
「いえ、特には…」
「そっか…んー…彩葉が好きなもの…」
長谷川さんはそう呟いていた。
「いいですいいですっ。長谷川さんが食べたいものにしましょ?私で作れるものなら、私が作りますから」
「いいのいいの。俺が作るから。タコライスにでもしようか」
私が好きな料理だ。
「それでいい?」
「いや、本当に長谷川さんが食べたいもので。一昨日、グラタン作ってもらいましたし」
「グラタンも、タコライスも俺好きだよ?」
「…なら…いいんですが…」
「今から作るからゆっくりしてて?まだまだ頭が混乱してるだろうし、今日は疲れたでしょ?」
本当に優しいな。
私は悪いと思いつつも素直に甘えることにした。
ご飯ができるまでの間、私はスマホをいじっていた。
ちゃんと…長谷川さんの連絡先が登録してある…。本当に付き合ってるんだ。それからバックアップの写真を見ていた。
…あ…。
ストレージがいっぱいで1年半前からバックアップが取れてない。
はぁ…私らしいや。
長谷川さんとの写真は…やっぱりないか…。
ご飯を食べ終わると、長谷川さんはソファでスマホを見ていた。
「あ、彩葉。ちょっとだけならあったよ」
そう言ってスマホを私に見せてくれた。
そこには水族館で水槽を眺めている私がいた。
スクロールされ次の写真が出てくると、今度は2人で写っている写真だった。
「2人の写真は少ないけど、2人でお出かけした時の彩葉の写真ならあるよ」
長谷川さんはまた何枚か見せてくれた。
「彩葉さ、カメラ向けると怒るから、ちょっと盗み撮りみたいになっちゃってるけど…
でもどうしても思い出に残したくて、出かけるとこっそり撮ってたんだ」
安易に想像できるな。
何枚か見せてもらった私の写真は、どれも楽しそうに笑っていた。
「俺たちさ、休みがなかなか合わなかったから、あんまり遊びに行けてなかったんだよね。仕事終わりにに飲みに行ったり、ご飯食べたり、ナイトシアターに行ったり…」
「そうだったんですね」
「うん。それで彩葉には家庭に入って欲しいって言ったんだ。働きたいならパート程度でいい。そうしたら、色々と遊びに行けるでしょ?」
そういう理由だったんだ…。
長谷川さんは私との時間を増やしたかったんだ。
「とにかく今はさ、しっかり休んで?体に痛みが出てたりしない?後々に痛むこともあるってネットで見たから心配なんだ」
「いえ、体はなんとも」
「よかった。しばらくは家事もしなくていいからね?俺が休みの日に一緒にしよう?掃除道具がどこにあるかとか、色々と説明するから」
本当に私のことを心配してくれているのが、すごく伝わってきた。
長谷川さんは私の手をそっと握った。
「ね?しばらくはゆっくりしてて?もし俺が仕事中に具合が悪くなったりしたら、すぐに連絡してくるんだよ?」
長谷川さんの眼差しは、真剣なものだった。
退院して3日目にして、長谷川さんとの関係性は、ぐっと真実味を帯びてきた。
それでも…
次の日私は、自分が働いていた会社を検索すると、電話をかけてみた。
「あ、あの…山口彩葉さんはいらっしゃいますか?」
『恐れ入りますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?』
「山口の親戚のイトウと申します。至急伝えたいことがありまして…」
『少々お待ちください。』
私は本当に自分が退職をしたのか気になり、確認してみることにした。
『お待たせ致しました。山口はすでに退職しております。』
…本当に…私退職したんだ…。
立ったまま電話をしていた私は、その場で崩れ落ちるかのように座り込んだ。




