54 もしかして
帰りの電車の中で、またカメラの録画記録を確認していた。でも結局この日は、洗濯物をしまいに来ただけだった。
俺は毎日、帰りの電車の中でカメラの記録を確認し続けた。
あ……にゃんずたちが彩葉のあとをつけて部屋に入ってきた。かわいい。お、きなこ俺のノートPCの上に座りやがって。猫って高いとこ好きだよな。彩葉がそんなきなこに気づいた。
「ふふっ」
つい笑いが出てしまった。
彩葉は慌ててきなこを抱き上げると、床に下ろしていた。別に慌てなくてもいいのに。にゃんこの体重くらいで壊れるわけじゃないんだから。
ああ…やっぱり幸せだな。俺が欲しかった日常。あとは……仕事、辞めてくれないかな。せめて家でできるような仕事とか……
ある日、彩葉と出かけるために仕事部屋で着替えていた。あ…このトップスはだめだ。うっかりしていた。その服を脱ごうとした時、タイミング悪く彩葉が来た。ドアは開けっぱなしにしていた。
「あ、そのトップス、久しぶりに着てるの見た気がする」
…え?
「りっちゃん、それよく似合ってるよね。前から思ってた」
……。
「本当?」
「うん。似合ってる」
「じゃあ今日はこれを着ていこうかな」
そんなわけない。
記憶を失ってる彩葉が知ってるはずがない。
だってこの服、事故の日以来1回も着ていないんだから。もしこの服を着た俺を見たら、それが引き金になって思い出すかもしれないからと、着ないようにしてたんだ。
でも彩葉は、今はっきりと“似合ってるね”、“前から思ってた”と言っていた。
ということは、事故の日に俺を見てたんだ。恋人同士だとはとても思えない距離にいる、俺の姿を見てたんだ。
じゃあ…全部の記憶が戻ったのか…?
それとも事故の日だけ…?
どちらにしろ、彩葉と一緒に住んでから1度も着ていないんだから、このトップスの存在は知っていても、俺が着てるのを見るのは初めてじゃないとおかしい。
やっぱり……
記憶が戻ったんだ。
全部かはわからない。一部だけかもしれない。でも……思い出したことに変わりはない。
だとすると、なんで逃げ出さない?
逃げるタイミングを伺ってる?
俺がヤバいヤツだってわかって、慎重に逃げ道を探してる?
だけど……全ての真実を知った時、普通は恐れ慄くよな?家を解約され、仕事も退職させられ、婚約者だと嘘をつく男のことを“気持ち悪い”、“怖い”と思うはずだよな?
ならなんで?なんで彩葉はそうしない?
……やっぱり水面下で何か計画が立てられてる?
リビングに行くと、隣の寝室のドアが閉まっていた。彩葉も今、着替えているんだろう。
「彩葉、ちょっとスマホ貸して?」
「なんで?別にいいよ。テーブルの上にあると思う」
彩葉はそう言っていた。
ん?嫌がらないのか?
「ちょっと面白いゲームを見つけたから、そのアプリ入れてもいい?」
「いいよ。どんなアプリ?」
「パズルゲーム」
俺はダイニングテーブルのイスに座り、素早くゲームアプリをインストールした。
それから…
メッセージアプリを開いた。
まずはサキちゃんとのやり取りを見る。
普通の会話だ。しかも彩葉は少し惚気ていた。“仕事中のりっちゃんがね、すごくかっこよかったんだ“…。
なんだ?どういうことだ?もし何かあるなら、真っ先にサキちゃんに相談するはずだ。それともパスコードを共有しているから、他の方法で連絡を取り合ってる?SNSのDMとか?
俺はそっちも確認してみた。
ない。
次にまたメッセージアプリに戻り、タツヤくんとのやり取りを見た。
こっちも普通。母親は?最後に連絡を取ったのは2ヶ月以上も前だ。
「この服でいいかな?」
俺は彩葉を見た。
かわいい。
「すっごくかわいいよ。よく似合ってる」
「りっちゃんとリンクコーデしたくて、色合わせたんだ」
可愛く笑いながら、可愛いことを言っていた。
記憶が戻ったなら、こんなことを言うだろうか。こんなに可愛く笑うことができるのだろうか。
「本当だ。どっからどう見ても、仲良し夫婦だね。俺たち」
俺はわざとそう言った。彩葉の表情が変化するのか見たかった。
「うんっ。そうだねっ」
彩葉は無邪気に笑った。
顔が引き攣ったりはしていなかった。俺の正体を知っていたら、きっとあんな発言、気色悪く感じるだろう。なのに彩葉は笑った。
スマホを彩葉に返す。
なんだ?今一体、なにが起きてるんだ?
俺たちは家を出ると、車に乗り込んだ。
「彩葉、さっきこの服似合ってるって言ってくれたけど、前にズボンは何合わせてたか覚えてる?」
「んーなんだったかな。今日の…ではないもんな。あ、ベージュのやつだったかな」
正解。事故の日に着ていた服だ。そのズボンも事故以来履いていなかった。それは彩葉に見せたくなかったからじゃない。事故の時、転んだ拍子に何かに引っかかり、破れてしまったから捨てた。だから……彩葉がそのズボンを知ってるのはおかしい。
やっぱり記憶が戻ってる。そう仮定すると、俺の部屋を探るのはなんでだ?なにか証拠を探してる…?
その証拠を見つけたとして、どうすんだ?警察に行く?でもそんなふうには見えない。彩葉は自然体だ。
…あの日…サキちゃんと飲みに行くって言ってた日……
あの日から彩葉は変わった。甘えん坊になった。
え?どういうことだ?
「りっちゃん。何かあったの?」
「ん?なんで?」
「難しい顔してるよ?」
「ごめん。仕事のこと考えてた」
「デートなのに」
彩葉はそう言って拗ねていた。
あー…もう本当にかわいい。
「拗ねないで?彩葉ちゃん」
「…私のことだけ考えて?今は2人なんだから」
「いつもそうだよ。彩葉のことばっか考えてるよ」
「私もりっちゃんのこといっぱい考えてる」
それはどっちの意味?どうやって俺から逃げ出そうか考えてる?
「俺の何を考えてるの?」
「今頃電車かな?とか、もうお昼食べたかな?とか、早く帰ってこないかな…とか。1日中考えてるよ」
これが本当だったら相当嬉しい。
「りっちゃんは?」
「彩葉かわいい、好きだよ、愛してるーってずっと思ってる」
こんな重い男は嫌か?
「ははっ。なんか照れる。でも嬉しい」
彩葉の声色は、本当に嬉しそうだった。




