49 誰?
朝起きると、りっちゃんはすぐに私にこう言った。
「……何かあった?」
あった。ミオって誰。
「なんで?何もないよ?」
「俺わかるよ?彩葉の些細な変化」
やっぱり、りっちゃんの観察眼は鋭い。普段からきっと、よく私のことを見てるんだろうな…
こんな時はこの“手”で逃げるのがいいだろう。
「またね、夢を見たの。現実の夢。記憶の夢。
私が記憶の話をすると、りっちゃんは少し動揺する。本人はその動揺を必死に隠しているつもりだろうけど、今の私にはわかる。
「…なに?どんな夢?」
「大したことないよ。ただの日常」
「じゃあなんで、そんな不安そうにしてるの?」
「また…その夢に、りっちゃんが出てこなかったから…私、もしかしたら本当にりっちゃんだけを忘れちゃってるのかな?」
私が申し訳なさそうにそう言うと、りっちゃんは優しく抱きしめてくれた。
「いいんだよ。それでも俺はいい。俺は今、すっごく幸せ。彩葉がいて、にゃんずがいて…帰ってきたら電気がついてて、夕飯のいい匂いが漂ってきてさ?俺はそれがすごく幸せなんだよ?もう過去なんてどうでもいい。前にも言ったけど、俺たちさ、もう未来だけを見ていこうよ」
やっぱり…
これで納得してくれると思った。
りっちゃんの中ではまだ、私は記憶を失った可哀想な人。思い出せなくて苦しんでる妻。
あー……本当にりっちゃんは優しいな。気持ちいいほどに優しい。
私はそれに幸せを感じていた。
「りっちゃん…」
「ん?」
「今日迎えに行ってもいい?」
「なんで?急にどうしたの?」
「早くりっちゃんに会いたいから」
「もう…本当に彩葉は甘えん坊だね」
りっちゃんはそう言って、さっきよりも私のことを強く抱きしめた。
…なんて心地いいんだろう…
「好き…」
「うん。俺も好き」
「迎えに行ってもいい?」
「いいよ。そうしたら今日はどっかでごはん食べて行こうか」
「うんっ」
幸せだ。
りっちゃんを見送ると、私は考えていた。もちろんりっちゃんのことだ。
りっちゃんは当初、定期的に記憶が戻ったかの確認をしてきた。記憶のない当時の私はそれが当然だと思った。自分がその立場でも、きっと聞いてしまう。
でも…りっちゃんはある時こう言ったんだ。
“もう思い出さなくていいから”
それはきっと…私がりっちゃんを好きになったからだ。
今まで私にそうやって確認をしていたのは、おそらく……私に罪悪感を覚えさせるため…?
最初の頃の私は、りっちゃんからそう聞かれるたびに後ろめたさを感じていた。
早く思い出さないと…生活の面倒を見てもらってるんだから、ちゃんと思い出さないと…そう思って焦っていた。思い出すような記憶なんて、本当はひとつもないのに、りっちゃんはわざとそう言って、私の気持ちを揺らしていたんだ。
だからね…
今度は私がそれを利用させてもらうよ?一生ね。
りっちゃんに何か隙を突かれるたびに、私は記憶の話をする。私はりっちゃんほど頭の回転は良くないし、観察眼もない。不意打ちには弱いし咄嗟の嘘もつけない。
だから…私が困った時は、記憶喪失を利用するからね?今までのりっちゃんと同じように。
「あ、もう行かないと」
「やだ。もう少しだけぎゅっとしてて」
「もう…彩葉は困ったちゃんだね」
りっちゃんはそう言いながらも、ぎゅっと…私のことを抱きしめてくれた。本当に心地いい…
愛してる…
口に出して言ってみようか…?
「愛してる」
「……」
…私を包み込むりっちゃんの両腕に力が入った。
「なんでそんなに可愛くなっちゃったの?」
「可愛いの?」
「すっっっごくかわいいっ。最近、俺ドキドキしてばっかだよ。夫婦なのにおかしいよね?なんか…どんどん彩葉のこと、好きになってる」
私がしようとしてることは、間違ってなかったんだ。りっちゃんはやっぱり…こういう女が好きなんだ。
「ふふっ。もう何言ってんの」
「だって…彩葉が…」
「今日も頑張ってね。デート楽しみにしてるからね」
私がそう言うと、りっちゃんは私から少し離れて顔をじっと見た。
「うん。休憩の時にでもいい店探しておくね。ご飯屋さんがいい?居酒屋がいい?」
「んー…居酒屋っ」
満面の笑みでそう言った。
するとりっちゃんは鼻と口元を右手で覆った。
「鼻血でる」
「ははっ。なんか久しぶりに聞いたきがする」
「かわいすぎるっ」
「ふふっ」
「じゃあ美味しそうな居酒屋探しておくね」
「ありがとっ」
一見すれば、ただのラブラブ夫婦。でも蓋を開けてみれば互いに探り合う関係。そこに愛はある。ちゃんとある。だけど純愛とは程遠い愛だ。
夕方になりメイクをし、ヘアセットをするとクローゼットを開けた。
おそらくりっちゃんが買ったであろうワンピースをカバンにしまうと、私は捨ててもいい服を身に纏った。
家を出ると、まず100円ショップに向かい、500円で売られていたキャップと、100円で売られていた伊達メガネを購入し、それを身につけた。
それからりっちゃんの職場近くのショッピングビルに向かうと、その中にあるカフェに入った。時間はまだ17時だった。そこでアイスココアを頼み写真を撮る。飲み終わるとビル内にあるコインロッカーへと向かった。それからりっちゃんにメッセージを送った。
『少し早く着いたから、〇〇のカフェでゆっくり待ってるね』
そのメッセージと共に、さっき撮ったココアの写真を添付した。
りっちゃんは仕事中だから、きっとすぐにはメッセージを見れないだろう。
それからスマホとカバンをロッカーにしまった。ここのロッカーはカフェの真上にある。GPSだと建物の何階にいるかまでわからない。だから今、りっちゃんが私の位置情報を確認したとしても、私はカフェにいると思い込むだろう。
私はビルから出ると、りっちゃんの職場を少し遠くから見張った。
腕時計を確認する。17時50分…
ミオという女は来るのだろうか。りっちゃんが仕事をしていることはわかっていた。だって、お互いにGPSアプリをいれているから。
……
あ…りっちゃん…
りっちゃんが店の外に出てきて、周りを確認するかのようにキョロキョロとしていた。
すると、どこからともなく「りつーっ。待っててくれたの?」そう言うと女の声と共に、ロングヘアの芋臭い女が現れた。
誰?その女。
りっちゃんは、その女と仲が良さそうに話していた。
「だってお前、昔から方向音痴じゃん。道産子がいきなりこっちにくるだなんて、難易度高すぎだろ」
道産子…りっちゃんの地元の人…?
「スマホがあるんだから、このくらい大丈夫ですーっ」
りっちゃんに向かって、ほっぺを膨らましながら拗ねるその姿が、なんだか純粋そのもので、芋臭いながらも可愛く見えた。
女の子らしい仕草、可愛らしい反応、ふわふわのワンピース…
これって…りっちゃんの理想通りの女の子なんじゃ…
りっちゃんは笑いながら自分の職場へと、その“ミオ”という女を連れて行った。
私はそれを確認すると、すぐにまたロッカーへと向かい荷物を取り出した。それからトイレへと向かいワンピースに着替えると、さっきまで着ていた服と、キャップ、伊達メガネをゴミ箱に捨て、メイク直しをした。
なに?ミオって女。地元の友達?
りっちゃん…私に接している時とは違った。ヤマダさんとかに接するようにしていた。
すごく…仲が良さそうに見えた…。
友達?幼馴染?…それとも…元カノ…?
なんで“ミオ”はりっちゃんに頼った?りっちゃんが不動産屋さんで働いているから?ってことは上京をする…?と、考えるのが妥当だろう。
あの子が上京してきたとして、りっちゃんはミオに…頻繁に会うようなことになるのだろうか…
そんなのは絶対にだめ。
絶対…だめ……




