48 覚悟しててね
最近、りっちゃんの様子がおかしかった。それは不穏なものではない。なんだか少し照れているような感じだった。
今日は2人とも休みでお昼を食べ終わると、床でにゃんずたちと遊んでいた。
季節は秋に差しかかり、窓からは爽やかな風が吹き込み、レースのカーテンをヒラヒラと揺らしていた。
「あ、こら、きなこ。カーテンで遊んじゃだめ。今おもちゃで遊んでたでしょ?」
私はそう言いながら、きなこに近づいた。
「ほらもう…爪引っかかってんじゃん」
きなこは右手を上げながら、必死にその手をブンブンと振っていた。
「今取ってあげるから…」
「ははっ。きなこは大人になってもやんちゃだね」
「そうなの。杏は割と落ち着いたのに」
私はきなこの右手を掴むと、カーテンに食い込んでいる爪を優しく抜き取った。
それからりっちゃんの背中に近づき、おぶさるように抱きついた。
「…彩葉?」
「ん?」
「いきなりどうしたの?」
「だめ?」
「だめじゃないっ。全然だめじゃない」
りっちゃんの声色は少し照れているようだった。
「でも…本当にこの間からどうしちゃったの?」
「何が?」
「彩葉、あの日から変わったよ?何があったの?」
「好き」
前までは少し照れ臭く思いながら言っていたその言葉は、今ではスッと出るようになっていた。
「…俺も好き…」
私はりっちゃんの顔を覗き込むようにすると、そのままりっちゃんのほっぺにキスをした。
「もう…こんなに甘えん坊になっちゃって」
りっちゃんは呟くようにそう言った。
だって…
だってりっちゃんはこういう女の子が好みなんでしょ?
“りっちゃんって言って?”って言ったり、それからこんなことも言ってたな。
“あれはね、俺が1人でソファに座ってた時、お風呂上がりの彩葉が急に俺の上に座って、抱きしめてきたんだ。それから“りっちゃん大好き”って言ってくれたんだよ”
確かそんな感じだったと思う。
本当に感心しちゃうな。こんな話をでっちあげ、スラスラと話しちゃうんだもん。相当頭の回転が速いんだろうな。
それに、記憶が戻った時に気がついたことが、もうひとつあった。
それはワンピースだ。
クローゼットに掛かっているそのワンピースだけは、記憶が戻っても見覚えがなかった。
今まで忘れていた服も、記憶が戻れば、どれも馴染みのあるものだった。
でもたった1着…
それだけはどうしても思い出せなかった。
私が選びそうで結局は選ばないギリギリのライン。私からすると、少しだけ甘すぎるんだ。これはきっと、私の記憶喪失を利用して、りっちゃんが買ったものだ。
この辺を考察すると、りっちゃんはきっと、少女漫画のヒロインのような女の子が好みなんだ。甘えん坊で、でも照れる姿も可愛くて、焼きもちも焼いちゃう女の子らしい女の子。彼氏のことが大好きで、女の子らしい服を着る子…
だから私は今、“甘えん坊”を実践してみた。
「甘えられるのイヤ?」
「嫌じゃないよ」
嬉しい?
りっちゃん。
こういう女の子が好き?
「彩葉、俺仕事頑張るからね。給料が増えるようにもっともっと頑張る」
「…私もバイトしてるから、そんなに頑張らなくていいよ」
「ううん。頑張る。将来子どもができた時のためにも、頑張って稼がないと」
「だったら私もバイト増やすよ」
嫌だよね?りっちゃん。
私が働くことに、最初反対してたもんね?
だってあの時──
「あのね、来年からバイトしようと思って…」
私がそう言うと…
「彩葉って猫好き?」
りっちゃんはそうやって、急に猫の話を持ち出した。それで結局きなこと杏を迎えることになって、私は見事に半年間、バイトをせずに子猫のお世話をしていた。
りっちゃんは、私に働いて欲しくないんでしょ?家にいて欲しいんだよね?
「それはだめ。増やさなくていい。彩葉の負担が増えちゃうから」
……やっぱり。
優しいことを言っているようで、結局この人は私のことをこの家に留めておきたいだけなんだ。
りっちゃん。覚悟してね?
りっちゃんが私をこんなふうにしたんだからね?
こんな…愛の重い女に…
私は初めて人を愛した。その相手はストーカーで愛の重い男。
りっちゃんのせいなんだからね?
普通なら…そんな男の狂気に気付いたら、怖くなって逃げだすと思うよ?私も実際にそうだった。怖くて、ショックで…嫌悪を感じ、手がずっと震えていた。
だけど私は愛してしまった。
それは自分が思っている以上に。
ね?
だから覚悟しててね?りっちゃんはこれからもっともっと、私に溺れていくから。
ある夜…私はりっちゃんの寝ている間にスマホを盗み見た。今夜は職場のヤマダさんと飲みに行っていたから、いつもよりは眠りが深いはずだ。
画面をタッチすると、ロック画面は私の写真だった。きなこと杏と私が遊んでる時のだ。この時のことはよく覚えている。りっちゃんがしつこくスマホのカメラを向けていたから。
あ、パスコード。
えっと…イロハ722っと…
こうしてりっちゃんのスマホの中を見るのは初めてだった。
…ホーム画面は…フォトウェディングの時のものだった。
私…幸せそう…
この時は、ただただ純粋にりっちゃんのことが好きだったんだよな。
もう…そんな私には戻れない。
ただ愛しているのは本当だ。
少し、形は変わってしまってけど……
まずはメッセージアプリ。
え…?
こんなにやり取りしてるの…?私の母と…
1週間に1回は連絡取り合ってんじゃん。私なんて数ヶ月に1度なのに。
『彩葉は今日も元気です。バイトも楽しいみたいですよ』
『律くん、毎日お疲れ様。いつも彩葉の様子を教えてくれてありがとね』
こんな感じのものや…
『秋田の夏はどうですか?こちらはもう、危険的な暑さが連日続いています。お母さんもお父さんも、お身体に気をつけて過ごしてくださいね』
そんな感じで私の両親を労るメッセージもあった。
それを見て、大事にされていると感じ、とても気持ちがよかった。
他の人のも見てみる。
ヤマダさん、ヤマダさん以外の職場の人、うちにも来たことがある男友達、地元の友達、りっちゃんのご両親、それから…ミオ…
誰この女。
この女とのメッセージを開いてみる。
『急に電話しちゃってごめんねー?それにありがとね。時間を作ってくれて』
『別にいいよ。ミオが困ってるなら助けてやりたいし』
『それじゃあ21日の18時には行くから』
『あいよー』
…だれ?会うの?この女に。明日だよね?21日って。は?なんなの?6時に会うの?この女と…
肝心なことは電話で話していたらしく、これ以上の内容はわからなかった。
明日…私は休みだ……
行ってみようかな。
それから写真フォルダを覗いた。
私の写真ばっかり。寝顔まである。りっちゃんはこの写真フォルダも、別に私に見られてもいいって思ってるから、こんな写真が残ったままなんだよね…
この日はそこで、スマホを盗み見るのはやめた。
“ミオ”という女が気になりすぎて、それどころではなかった。




