45 どうすれば…
私は全てを思い出した。
でもその中にりっちゃんは1ミリもいなかった。
なんで…?どうして…?
そう思ったのは一瞬だけだった。
なぜそう思ったかというと…それは…
私の視界にりっちゃんがいたからだ。
私は長谷川律と会った記憶を持っていた。
ある日りっちゃん…否…長谷川律は電車の中でスマホを落とした。それは本当にうっかり手を滑らせて…という感じ。長谷川律の近くにいた私は、足元に滑ってきたそれを拾い、手渡したんだ。
その時のことをはっきりと覚えている。
なぜかというと…
それは私にとって長谷川律の顔がタイプだったからだ。
あの事故の時も、確かに長谷川律は私の記憶にいる。
あ…また会えた…
そう思ったからだ。
今日は休みなのに会えた…
そんなことを考えていると…──
電車がいきなり急ブレーキをかけた。
私は…それからの記憶がない。
でも今思い出した。
あの日、確かに長谷川律は同じ電車に乗っていた。だけど、彼氏でも婚約者でもない。
──ただの他人だ。
ならどうして…
どうして今こんなことに…
そこで私はあることも思い出した。
…つきまとい…
私は当時、誰かにあとをつけられていた。ストーカー…?そう思ったけど、郵便物が荒らされていたり、洗濯物が盗まれたりなんかはなかった。
ただ…あとをつけられてる。そう感じて、仕事の帰り道に、タツヤによく電話をしていたことを覚えている。
今思うと…もしかしてそれは長谷川律の仕業…?
長谷川律は、私のストーカーだった…?
…ちょっと待ってよ…
ってことはなに?
私は…私たちは…長谷川律が作り上げた“偽り”の関係で成り立ってたの?
“律だよ。長谷川 律。忘れちゃった?覚えてない?”
“左胸にホクロがあるでしょ?”
“1週間後に退院できるらしいから、一緒に帰ろう?俺たち一緒に住んでるから”
“彩葉…愛してる…”
“ここで毎日一緒に寝てたんだよ?”
こんな感じで、事故後、目を覚ました当初のことを思い出していた。
退院したあと、長谷川律に連れられ、このマンションに来て…
部屋のクローゼットには私の服があり、ベッドにはクタクタのくまのぬいぐるみ。キッチンには愛用していたコップ。洗面所には私が使っているメーカーの歯ブラシ…テレビ台には、私が集めていたキャラクターのソフビフィギュア…
確かにその部屋には“私”が染み付いていた。
それともやっぱり…私の記憶が捻じ曲がってる?
私たちは本当にお互いに恋に落ちて、連絡を取り合い、デートを重ねて婚約した…?
いやいやいや。
やっぱりおかしいよ、こんなの。
あー…頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ふと時計が目に入った。
18:30…
そろそろ夕飯の支度をしないと…
私はふらふらと立ち上がると、いつもの習慣でキッチンへと向かった。
私たちは…偽りの夫婦…?
偽物…?
そもそも私たちには…なにもなかった…?
お米を研ぎ、炊飯スイッチを押す。それから野菜を切る。
そこで私は強烈な吐き気を催した。
急いでトイレへと駆け込む。
無理だ。
このまま長谷川律に会うことはできない。
こんな混乱した状態で“いつも通り”を装えない。
本当は今すぐにでも“答え”を知りたい。でも…“私が記憶を取り戻したこと”、それからこの“違和感”を素直に長谷川律に言ってはいけないような気がする。
ひとりに…なりたい…
実家に帰る?
でもそれには理由が必要になる。嘘をつけばそれは簡単にバレてしまう。それは…連絡不精な私に代わり、長谷川律が、たまに私の母と連絡を取り合っているから。
ならどうすればいい?
サキ…サキに話を聞いてもらう?でもこんなこと…
違う。
今はただひとりになって、頭の中を整理したいんだ。誰かに話を聞いてもらいたいわけではない。
私はさっき切った野菜をタッパーに詰めると冷蔵庫にしまい、カバンを手に取ると家を出た。
どこに…
どこに行けばいい?
長谷川律にはなんて言えばいい?
私は家から離れると、震える手でスマホ眺めた。メッセージ…とにかく長谷川律にメッセージを送らないと…
怪しまれないように…
自然に…
今日は帰らないという理由を送らないと。
サキ…を理由にしてしまおうか。でも2人は連絡先をお互いに知っている。それならまずはサキに…
私はサキに電話をかけた。
お願い…出て…
『もしもーし』
「よかった…サキ、何も聞かずに私に付き合って?」
『は?え?なに?どゆこと?』
「お願いっ。今夜は私と一緒にいることにしてっ」
『それは別にいいけど、何があったの?』
「…今は…言えない」
『…わかった。でもあんた大丈夫?すごく動揺してるみたいだけど』
やっぱり…
こんな状態で長谷川律には会えない。電話越しでも動揺していることが簡単にバレてしまうんだから。
「大丈夫。こんなことに付き合わせてごめんね?」
『いいよ。私にできることなら何でも言ってね』
サキの優しい声が心に染みた。
電話を切ると、私は電車に乗った。それからメッセージアプリを開き、長谷川律にメッセージを打ち込んだ。
『急で申し訳ないんだけど、サキがどうしても仕事の愚痴を聞いて欲しいって言うから、飲みに行って来るね。今日はそのままサキの家に泊まることになると思う。本当に急でごめんね。ご飯は炊いてるけど、おかずはないから買って帰ってね』
これで納得してくれるといいけど…
私は、まだ震えている指で“送信”ボタンをタッチした。
適当な駅で降りると、ネットカフェへと向かった。個室に入り、頭の中を必死に整理させる。
えっと…私は…
その時──
スマホが震えた。
電話だ。長谷川律だ。
私は個室から出て、店からも出ると、通話ボタンをタッチした。
「もしもし」
『彩葉?もうサキちゃんとは合流したの?』
「急でごめんね?」
『サキちゃんとは合流したの?』
胸がザワザワとする。なんでそんなに気になるの?
…合流したと言えば、“じゃあ代わって?”と、言われかねない。
「ううん。まだ」
『どこにいるの?』
前まではそんな会話、なんとも思わなかった。
でも今は…
「駅の近く…」
『本当に?』
「なんで?」
『全然周りが騒がしくないから。駅なら結構賑やかでしょ?』
…鋭い…
「実は、サキから残業になったって連絡があったから、ネットカフェで時間潰してたの」
『ははっ。そっか。だから周りが静かなんだね。夜だから心配しちゃったよ。でもネットカフェなら安心した。あんまり飲みすぎないようにね』
「うん。気をつけるよ」
そうやって電話は終わった。
私はまた個室に戻った。
なに…?この違和感…
なんであんなに私の居場所を…
もしかして…
いや…まさかね…
そう思いながら私はスマホを確認した。スマホのアプリを。
…これ…
初期設定で元々入っていたアプリの中で、使わないものを私はひとつにまとめていた。その1番最後のページに、見覚えのないアプリがあった。私はそれをスクショをし、余分な部分を切り取ると画像検索をした。
…やっぱり…
GPSアプリだ。
私はずっと…
その時、長谷川律とのこんな会話を思い出した。あれは、私が長谷川律のことを駅まで迎えに行った時のことだ。
「スマホは持ってきてる?」
「え?」
「スマホ」
「家に忘れちゃったんだ」
「だめだよ。特に夜は。もし変なやつにでも遭遇した時に、連絡手段がないのは怖いでしょ?」
確かにそう言っていた。それから別の日にも──
「もう、迎えにくるなら教えてくれればいいのに」
「ふふっ。びっくりさせたくて」
「…スマホは?」
「え?」
「スマホ持ってないんじゃない?」
「…あ…なんでわかったの?」
「そのワンピース、ポケットついてないし、カバンもなし。手にはキーケースだけ」
「はははっ。探偵さんみたいっ」
こんなことを言っていたこともあった。
あれは観察眼が鋭かったからじゃないんだ。私の位置情報が自宅のままだったからなんだ。
長谷川律は、私を心配する“フリ”をして、ちゃんといつでもスマホを持ち歩くように仕向けていたんだ。
それで…私の位置情報を…
それに気がつい最近た時、ゾッとした。
空調が整っているはずのこの場所で、背筋が凍るような感覚に陥った。




