40 穏やかな日常
ある日、夜中にふと目が覚めた。
トイレ…
枕元に置いてあるスマホを手に取りライトをつける。
あれ?りっちゃんもトイレかな?
隣で寝ているはずの、りっちゃんの姿がなかった。
トイレに行ってみても、りっちゃんはいなかった。用を済ませると、仕事部屋の前に立ちノックをした。
「んー?入って来ても大丈夫だよ?」
りっちゃんはここにいたようだ。私はドアを開け、中に入った。
デスクの上には閉じられたノートPCと、ロックグラス、スマホが置かれていた。
「飲んでたの?」
「うん、眠れなくてね。明日休みだし、ちょっと飲んでたんだ。彩葉は?トイレで起きたの?」
「うん。何してたの?」
私がそう聞くと、りっちゃんはグラスを手に取り、ゆっくりと一口飲んだ。それからデスクに置いてあったスマホを手に取り、私に画面を見せた。
「…にゃんず…」
「そう。にゃんずの小さい頃を見てたの。今はもう、おっきくなったでしょ?こんなに小さくてかわいい頃もあったんだなって。ほら、きなこ最近デブってきてるから」
「確かに。きなこ、杏が残したのも食べちゃうんだもん。これからは監視の目をもっと光らせます」
私はそう言いながら、りっちゃんに向かって敬礼をした。
「ははっ。よろしくね。彩葉は明日、バイトでしょ?もう寝ないとじゃない?それとも眠くなくなっちゃった?」
「うん。ちょっと目が覚めちゃったかも」
りっちゃんは私の言葉を聞くと、グラスに入っていたものを一気に飲み干した。
「俺ももうベッドに行くから、先に行ってて?」
「りっちゃんは眠くなったの?」
「まだだけど、2人で話してたら眠くなるかもしれないでしょ?」
優しすぎる。別にそこまでしなくていいのに。
「いーよ。りっちゃんは明日休みなんだし、ゆっくり飲んでなよ」
「もう飲んだ。ほらベッドに行こう?」
「もしかして仕事してた?」
「してないよ?なんで?」
「ノートPCのランプがついてるから」
「……あー…少しだけ。ほらほら、ベッドに行きましょ」
りっちゃんに促され、ベッドに向かう。
しばらくすると、りっちゃんもベッドに入ってきた。
「本当にいいのに」
「いいからいいから。何聞きたい?桃太郎?シンデレラ?」
「え?」
「寝かしつけといえば“お話”でしょ?読み聞かせ?本はないけど」
「ははっ。なにそれ」
「それとも俺の武勇伝?聞きたい?」
「あるの?そんなの」
「んー…ないな。じゃあ白雪姫ね。ある日白雪姫…もとい、彩葉姫は森に──」
そんな感じで、本来の白雪姫の話とはかけ離れた創作の話をし始めた。毒林檎はなぜか魔女自身が食べ、7人の小人はただの背景。王子様と出会い、すぐに2人は恋に落ちる。それからなんの弊害もなく結婚して幸せに暮らす。白雪姫…彩葉姫は庭で花を愛で、王子はそんな彩葉姫のことを愛でる。
そんな話だった。
「つまんない」
「そう?幸せいっぱいのハッピーエンドだよ?」
「世の中そんなに上手くいきません」
「……それが…案外上手くいっちゃったりもするんだよなぁ。運がいいのか、なんなのか…」
「そうかな」
「……そうだよ。ほら、あの役者さん。子役デビューして以来、大人になっても第一線で活躍してて──」
そんな感じで話しているうちに、気がついたら私は眠っていた。
次の日、バイトをしているとりっちゃんが来た。今日は久しぶりにレジをしていた。だからたぶん、来たのかな?昨日伝えていたから。
「彩葉ちゃん、裏で仕事しないでレジ係してよ」
そう言ったのは常連のサイトウさんだった。
「いやいや、私は仕込みや調理が担当なので」
「レアキャラみたいでいいでしょ」
今度はワカナさんが笑いながらそう言った。
「もっと彩葉ちゃんに会いたいな」
サイトウさんはそんなことを言い、ワカナさんがそれを笑いながらあしらう。サイトウさんが来ると、いつもそんな感じだ。
「じゃあ俺が来た時だけ、顔を見せてよ。俺、彩葉ちゃんの笑顔見ると元気がでるから」
「ははっ。またそんなこと言っちゃって」
「いやいや。本当だよ?そうしてくれたら俺、もっとここに通っちゃう」
「そうじゃなくても来てくださいよ」
そういえばりっちゃんは……真剣にお弁当を選んでいるようだった。
レジが落ち着くと、りっちゃんはお弁当を手にして私のところに来た。
「彩葉は人気者だね」
「そんなことないよ。常連さんだけ、たまに挨拶してくれるんだ」
「…彩葉が知ってる常連さん…何人くらいいるの?」
「え…?10人…くらい?」
「へー…」
…りっちゃん?
なんか…変な気がする…
「帰りにまた迎えに来るね、暇だし」
他のお客さんのレジが終わったワカナさんがりっちゃんに話しかけていた。
「こんにちは。本当に仲良いですよね」
「こんにちは。仲良いですよ。まだ新婚ですしね」
りっちゃんは謙遜することなくそう言った。
「りっちゃん…」
私は制する意味を込めて、りっちゃんの名前を言った。
「ははっ。彩葉ちゃん、照れちゃってかわいい」
「ね。かわいいですよね」
また…そんなこと…
「ちょっとやめてよ、りっちゃん…」
「あははっ。ごめんごめん。つい、ね?」
しばらくそんな会話をしてから、りっちゃんは帰って行った。
「長谷川さん、優しそうな人だよね」
「まぁ…」
“りっちゃんと旅行にいく”とか、“この前飲みに行った”とかの話をするのは全然平気だけど、なんかりっちゃんの人柄を話すのは照れてしまって苦手だ。
「家でもあんな感じ?」
「あんな?」
「そ。家でもあんな感じに優しく笑いかけてるの?彩葉ちゃんに」
家でも…どこでもそんな感じだ。
「まぁ…そんな感じです」
「ありゃ相当、彩葉ちゃんのこと大好きだな」
「もうやめてくださいよ」
私がそう言っても、ワカナさんは私から根掘り葉掘り聞いてきた。
バイトが終わり、店を出るとりっちゃんが待っていてくれた。
「お疲れさん」
「わざわざ迎えに来なくてもいいのに」
「暇だから」
りっちゃんは私の手を握ると歩き出した。
「今日のお弁当どうだった?あれ新発売で、私もまだ食べてないんだ。美味しかった?何が好きだった?」
「…」
……あれ…?
「実はさ、手を滑らせちゃって、お弁当ひっくり返しちゃったんだ」
「えー?そうだったの?片付け大変だったんじゃない?」
「まぁね」
「なんだぁ。ワカナさん、感想聞きたがってたのに。残念だったね」
「今度さ、彩葉がバイトの時、また同じのを買ってきてくれない?」
「夜ご飯、お弁当でいいの?」
「いいよ。たまには彩葉も楽しなね?毎回ちゃんと手作りしなくていいんだよ?」
やっぱり優しいな。
SNSなんかを見ると、みんな結構ちゃんと何品も作ってるのを見かけるから、私もなんだかそうしないといけない気がして…
でも…りっちゃんが喜んでくれるから、できるだけちゃんと作りたいんだよな。
家に着くと、りっちゃんはキッチンに立ち、夕食の支度を始めた。私がバイトで、りっちゃんが休みの時はいつもそうしてくれる。
今日のご飯はえびのマカロニグラタンだった。優しい味付けが、心まで染み渡ってくるように感じた。
食後のあとはいつも通り、にゃんずたちと遊び、その後それぞれシャワーを浴びるとソファでくつろいだ。
いつも通りの1日。
穏やかで優しい日常。
私はそれがとても心地よかった。




