39 いつだって優しい
りっちゃんは…いつも優しい。
本当にこんな人が私の夫…なの…?
たまにそう思ってしまうほど、りっちゃんは優しかった。
私の記憶にいない人…
私の記憶がないのに優しくしてくれた人…
りっちゃんは…いつも私の気持ちを優先してくれる…
こんなに幸せなことってあるのだろうか…
愛されてる…
「彩葉?」
幸せ…
「いーろはっ」
「ん?」
「ボーっとしちゃって、何考えてたの?」
りっちゃんのこと。
「なんでもないよ」
「本当?もし何かあったら、ちゃんと相談するんだよ?」
やっぱり優しい。
今私たちはソファに座ってる。窓から差し込む日の光が、柔らかく部屋の中を初夏らしい陽気にしてくれていた。隣に座るりっちゃんは優しい笑顔で私を見つめている。
「本当に大丈夫。なにもないよ?」
「それならいいんだけど」
「心配性」
「そ。俺心配性なの。だから俺に心配かけないで?」
りっちゃんは本気か冗談かわからないことを言った。
「過保護」
「その通り。俺は彩葉のことが可愛くて仕方がないの」
「ははっ。もうそういうのいいってば」
恥ずかしくなる。
「なんで?彩葉もにゃんずたちのこと、可愛くて仕方がないでしょ?」
「…それはそうだけど…」
でも動物と人では違うでしょ。
「愛してるでしょ?」
…どっちのこと?りっちゃん?いや、会話の流れ的ににゃんずのことか。
「愛してるよ」
「俺のことは?」
にゃんずたちには普通に言えるのに、相手がりっちゃんとなると、なんでこんなに恥ずかしくなっちゃうんだろう。
「俺のことは?」
「もうっ。愛してるよっ。私がこういうの苦手だって知ってるでしょっ」
「あははっ。だってかわいいから」
本当にりっちゃんは、少女漫画に出てくるような“彼・夫”みたいな人だ。
こんな人が実在するだなんて思ってもみなかったよ。
「俺は一生、彩葉のことを愛し続けるから」
「…」
…それは…嬉しいけど…
そうやってはっきり言葉にされるとなんか…
その言葉が少し空気を重くしたように感じた。それはたぶん…りっちゃんが真面目な顔をしていたから…?
私はその空気に耐えられなくなり、笑って受け流した。
「ははっ。今までの彼女にもこんな感じだったの?」
「んー…」
そう唸って、りっちゃんは過去を思い出すかのように斜め上を見た。
「…ここまで想うのは…彩葉が初めてかな」
それを聞いて、私は嬉しい気持ちもあったけど、さっき感じた空気感を思い出し、少しだけ複雑な気持ちにもなった。
でも…
今までこんなふうに愛されたことはなかった。
今までこんなふうに人を好きになったことはなかった。
りっちゃんは、少しだけ愛が重い人なのかもしれない。心配性なのも、もしかしたら過去なにかあったからかもしれない。
毎日が穏やかで…りっちゃんも相変わらずずっと優しいままだし、にゃんずたちも元気に育ってる。
私は毎日、小さな幸せを感じていた。
仕事に行くりっちゃんを玄関で見送ると、その後家事をする。ある程度終わるとにゃんずたちと遊び、ドラマやアニメを見ながらお昼を食べる。
その後はスーパーに行き、食材を眺めながら夕飯のメニューを考える。
夕方になると洗濯物を取り込み畳む。そうしていると、きなこが邪魔をしてくる。杏は畳んだ洗濯物の上に乗る。そんなにゃんずたちを追い払いながら、なんとか畳み終わらせると、それらを片付ける。
次にキッチンに立ち、夕飯の支度をする。
私はこんな日々を送っていた。
りっちゃんが帰ってきて、2人でご飯を食べる。それからにゃんずたちと遊んでから、いつものようにソファに座った。
「なんで私のことを好きになったの?」
「どうしたの?いきなり」
「なんか気になっちゃって」
「一目惚れ」
「え?」
「彩葉は覚えてないだろうけど…あ、別に記憶喪失だからって意味じゃなくてね?日常の些細な出来事だからってことね」
「うん」
「電車の中でね、俺が落としたスマホを彩葉が拾ってくれたの。その時の彩葉の笑顔が、すごく可愛くってさ、たったそれだけで俺は恋に落ちた」
一目惚れ…
私はそういう経験がないからどんな感じなのかはわからないけど、なんだか胸の奥がくすぐったく感じた。
「ありがとう」
「え?」
「一目惚れしてくれてありがとう」
「ふふっ。それってどういう意味?」
…わかってるくせに。
りっちゃんはいつも、私に“言葉”を求める。
「教えない」
「教えてよ」
人差し指で、私の頬をつんつんしながらりっちゃんは聞いてきた。
「もうっ。言わなくてもわかるでしょ?」
「わかんない。ちゃんと教えて?」
りっちゃんは優しく微笑んだ。
「…私…今の生活がすごく好き…」
「うん。それで?」
「それで…」
「それで?」
「つまりはそういうことっ」
「んー?どういうこと?」
「きなこと杏がいて幸せ」
「えー?きなこと杏だけ?」
不貞腐れた声でりっちゃんはそう言った。
「…りっちゃんと、一緒にいられて幸せ…」
恥ずかしい…
こういう時、どうしても自分を客観視してしまって、恥ずかしくなってしまう。
それに、私そういうことを言うタイプじゃないし…なんとなく、日常会話の流れでってなら別なんだけど、今みたいにりっちゃんが、私から“言葉”を引き出そうとしてる時は…恥ずかしくなってしまうんだ。
「俺も彩葉と一緒にいられて幸せ。毎日幸せ。愛する彩葉と結婚ができて幸せ」
あーもう…りっちゃんはいつも、私が言ったことに対して、何倍にもして“言葉”を返してくる。
「もうわかったからっ」
「ははっ。照れちゃってかわいっ」
「もう…」
本当に私は…幸せ者だ。
バイトも順調だ。ここの人たちもいい人ばかりだ。嫌味を言う人もいないし、居心地のいい職場だ。
「彩葉ちゃん、今度温泉行くんだって?」
お弁当の準備をしている時に、店長の奥さんのワカナさんはそう聞いてきた。
「はい。近場なんですけどね。でも彼と旅行に行くの初めてなんで、すごく楽しみなんです」
「いいなぁ。私と主人も、お弁当屋を始めてから全然行けてないのー」
ワカナさんはそう言ってぼやいていた。
「ベテランのハシモトさんがいるから大丈夫じゃないですか?それにその時は私、出勤増やせますし、レジもしますよ?」
「そーよ、ワカナちゃん。あなたたち、夫婦で頑張りすぎよ」
ハシモトさんもそう言っていた。
「えー本当ですか?じゃあお言葉に甘えちゃおっかな。ねえ?コウジさん」
ワカナさんは店長にそう声をかけた。
「それもそうだな。ワカナちゃんには苦労ばっかかけてるから、たまには労わらないとな」
「もー何言ってんの。2人の夢だったんだから、別に苦労だなんて思ってないよ」
そんな感じで2人は会話を重ねていた。
なんかいい…。
お互いに想い合って、気遣いあって、でもそれがとても自然で…
私とりっちゃんは、周りから見たらどんなふうに見えるんだろう。私たちも店長夫婦みたいに見られてたらいいな。
…やっぱりこう思ってしまうのも、私の見栄っ張りな性格が関係してるのだろうか。
別に本人たちが幸せなら、周りからどう思われようが関係ないはずなのに…
「ワカナさんも彩葉ちゃんも、旦那から大事にされてて羨ましい。私なんてもうただの腐れ縁?になりつつあるもの」
今度はハシモトさんがぼやいていた。
「ハシモトさんはもう結婚生活長いじゃないですか。やっぱり長ければそれなりに落ち着くもんなんじゃないんですか?」
ワカナさんはそう返していた。するとハシモトさんは笑いながら話を続けた。
どうやら夫婦の会話も少なく、2人で出かけることも減ったようだ。お互いに干渉することもないから、ハシモトさんは友達と飲みに行ったり、趣味をしたりと、色々楽しんでいるらしかった。
「ははっ。ならいいじゃないですか」
「まぁね。でも、2人の話を聞いてると、少しだけ羨ましくなるのも本当なの。私にもそういう時代があったなって。でもみんながみんなそうなるわけじゃないのよ?私の友達なんて、未だにラブラブなんだから。私と同じ、60代なのに」
りっちゃんは…その頃どんな感じになるんだろう。
今はあんな感じで私に優しいけど、そのうちにそんなことなくなっちゃうのかな。年を重ねるたびに、少しずつ変わっていくのかな?
まぁ、普通はそうだよね。
仕事が終わり、自分の店で売ってるお惣菜を何品か買ってから家に帰った。最近、バイトの時はそうすることが増えた。それはりっちゃんからの提案だった。
“せっかく弁当屋で働いてるんだから、お惣菜買って帰って来なよ。その方が彩葉も楽でしょ?”
そう言ってくれたからだ。
本当に優しいな、りっちゃんは…
家に帰るとメインとサラダだけ用意しようと思い、キッチンに立った。
「にゃっ」
あ、その前ににゃんずのご飯か。きなこと杏が、私の足元に絡みついていた。
「ごめんね。今用意するかね」
「みゃ〜」
にゃんずのご飯を用意しながらも今日のことを思い出し、考えていた。
何年も経てば私も変わるのかな?どうなってるんだろう。
たまにハシモトさんは下世話な話もしていた。友達の中には旦那さんが浮気をした人がいるけど、もう年も年だし、今さら離婚して自活する気力もないから黙認している…だとか、逆に友達の方が不倫に手を出してしまった…だとか。
ハシモトさんは友達が多いようで、よくそんな話をしていた。
浮気…不倫…
店長はしなさそうだな。見ていてわかる。たまにワカナさんのことを優しく見ている時があるから。私たちの前で喧嘩をすることもあるけど、私はしっかりと、店長のワカナさんへの愛を感じていた。
りっちゃんは…りっちゃんはどうだろう。
今の段階だと浮気とかはしなさそうだな。
今日はりっちゃんに話したいことがたくさんある。
早く帰って来ないかな。




