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「ねぇ、りっちゃんっ。今度行きたい居酒屋あるんだけどいい?」

「いいよ?どこ?」

「安くて早くて美味いとこ」


 最近、こんな感じで、彩葉らしく話すことが増えてきた。彩葉が友達と話すような、気を遣ってない話し方。

 

 ふと彩葉の左手に目をやる。


 薬指にはちゃんと、結婚指輪がキラリと光っていた。


 俺たちはあのあと、大安の日に婚姻届を提出し、ちゃんと夫婦となった。


「行ったことのある居酒屋なの?」

「うん。前の職場の近くなんだけど、そこの唐揚げが食べたくなっちゃった」

「わかった。そしたら早速、明日はどう?彩葉も俺も、次の日休みだし」

「わーいっ。楽しみっ」


 また彩葉の左手を見た。


 俺たち…結婚したんだ。


 俺は彩葉が作ってくれた夕飯を食べながら、幸せを噛み締めていた。


 次の日。彩葉と待ち合わせをすると、早速居酒屋へと向かい、到着するとすぐに飲み物を注文した。


 ここの居酒屋は人気なようで、既に店内は賑わっていた。今日は彩葉が予約していてくれた。


「んで?唐揚げと、他にはなにがおすすめ?」

「んーとね、これと…これとこれと…あとこれ」


 彩葉はメニューに指を差しながら教えてくれた。俺は店員さんを呼ぶと、それらを全て注文した。

 彩葉はまだメニューを見ながら「これはね、味付けが──」、「こっちはね、すごくふわふわで──」…そんなことを言いながら、料理の説明をしてくれた。

 そんな説明を聞いていると、飲み物が届いた。


「「お疲れー」」


 2人でそう言いながら乾杯をすると、彩葉はいつも通り、今日の出来事を話してくれた。


 周りからは楽しそうな話し声や、店員さんの活気のある声が飛び交っている。

 彩葉が言っていたように、注文した料理が次々と運ばれてきた。


 本当に提供が早いな。


 早速、運ばれてきた料理を口にすると、安いのに美味かった。


 これならまた来たいな。


 彩葉と楽しく話していると、知らない男が彩葉に話しかけてきた。


「山口」


 誰だ?


「…キクチさん…」


 …キクチ…こいつが…


「…彼氏?」

「…夫です」

「へー…結婚しちゃったんだ…」


 ……結婚“しちゃった”…?


 キクチの体と顔は彩葉に向いてるのに、目線はチラチラと俺を見ていた。


 あー…なんか俺…やばいかも…


 さっきのたった一言で、腹が立ってしまった。思わず貧乏ゆすりをする。


 でもまぁ…挨拶…しておくか。


 俺はイスから立ち上がると、体をキクチに向けた。


「初めまして。彩葉の夫の長谷川です。以前は彩葉がお世話になっていたようで…」

「…どうも初めまして。キクチです」

「彩葉からキクチさんのお話はよく聞いていました」

「……そうですか。私はあなたの話を聞いたことがありません。いつからお付き合いを?」


 は?


「…いつからお付き合いを?」

「もう3年半くらいになりますかね」

「それはそれは。毎日一緒に働いていたのに、全く気づきませんでした」


 …こいつ…何か言いたげだな。


「彩葉はそういう話が苦手なので」

「そのようですね。私と2人きりで何度も飲みに行きました。それはご存知で?」


 ここで彩葉が口を挟んだ。


「キクチさん…なんでわざわざそんなことを言うんですか?」

「ん?彼氏…いや…今は夫か…なら普通嫌がるでしょ?」

「…別に…仕事の延長ですし」

「あれ?本当にそれだけだった?おかしいな」


 は?なんなんだよこいつ。


「あ、そっか。記憶がないんだっけ。僕とは本当にそれだけの関係だったのかな?」

「…え…?」

「あ、それと君、僕のことブロックしたでしょ」

「…」


 彩葉は怪訝な表情になった。


「…まぁいいや。今後記憶を取り戻しても、後悔のないようにね」

「さっきから何言って…」


「あ、キクチさん。もー何やってるんですか?席あっちですよ?」


 同僚か?女の人がキクチにそう声をかけた。


「あれ?彩葉ちゃん?」

「ナナミさん…」

「よかったぁ。元気になったんだね。連絡先知らなかったから、あれから様子がわからなくて心配してたんだ」


 2人はそんな感じで話し始めた。


 キクチは俺のことを、頭の先からつま先まで、舐めるようにして見てきた。


 しばらくすると、ナナミさんという人は、やっと俺が目に入ったらしく、挨拶をしてくれた。それから「もう、デートの邪魔しちゃだめですよ」なんて言いながら、キクチの腕を引っ張り連れ去った。


 彩葉は落ち込んでいるようにも、静かに苛ついているようにも見えた。


「大丈夫?」

「…なんか…ごめん。嫌な思いさせちゃって」

「俺は平気だよ。それより彩葉が心配」

「…あいつ…ホント嫌い」

「わかってるよ」

「…」


 俺は本当にわかっていた。

 

 さっきキクチは含みを持たせるようなことを彩葉に言ったけど、俺は知ってる。彩葉はキクチと、何かがあるような仲ではない。それはメッセージのやり取りを見てわかっていた。2人のやり取りは、これ以上ないほどに事務的だったからだ。


 恐らく…キクチは彩葉のことが好きか、彩葉が自分のことを好きだと勘違いしていた…

 でも、彩葉からはブロックされ、今日は俺と一緒にいるところを目撃してしまった。それが面白くなくて、わざと不穏な空気にした…と…


 …たぶん…そんなところだろう。


 俺はなんとか彩葉を落ち着かせようとした。「お店を変えようか」と提案したけど、まだテーブルには料理がたくさん残っているのを見て、彩葉はその提案を断った。

 しばらくすると彩葉の機嫌は元に戻り、楽しそうにフォトウェディングの話をしていた。

 俺たちは式をせず、写真を撮るだけにしようと話し合いで決まっていた。


「ちょっとトイレに行ってくるね」

「はーい」


 俺は席を立ち、トイレに向かった。


 それにしてもキクチ…あいつは危険だ。この前キクチが彩葉に会った時は、そんな話はしていないと思う。たぶんあいつも、彩葉の記憶喪失に戸惑っただろうから。

 

 でもさっきの様子…

 

 たぶん俺に嫉妬したんだろうな。そんな感じがした。


 トイレから出ると……キクチがいた。キクチはすぐに俺に話しかけてきた。


「本当に彩葉の彼氏だったんですか?」


 は?


 てめぇが“彩葉”だなんて言ってんじゃねーよ。さっきは“山口”って言ってただろうが。


 キクチの口から、彩葉の名前を聞いただけで、俺は苛ついた。

 

「ええ。正真正銘、彼氏でした。だから今、彩葉の夫なんです。彩葉が記憶を失くす前から一緒に住んでましたよ」

「あれー?おっかしいな。彩葉、私と飲んでる時に一度だけ酔ったことがあるんですよ。その時にこう言ってました。“たまに、誰かにつけられている”って」

「……」

「“一人暮らしだから怖い”って」


 ……彩葉は、いつそれを言ったんだろう。

 事故の直前に言っていたとしたら、矛盾が生まれる…。彩葉には“一緒に住んで1ヶ月くらい”と、当時伝えていたから。


 それにこいつ…俺のことをその“つきまとい”だと疑ってんのか?


「ええ。彩葉がつきまとわれていたのは知っています」

「君と一緒に住んでたのに“一人暮らしだから”ってわざわざ言うかな?」

「キクチさんの記憶違いじゃないですか?もうあれから結構時間が経ってますし」

「いいや。事故の3日前にそう言ってました。ハッキリと覚えています。それにスマホのカレンダーに、最後にいつ彩葉と飲みに行ったか、記録してたんで」


 クソ…


 俺はキクチの勝ち誇ったような顔を見てさらに苛ついた。


 どうせ…なにもできなかったくせに。彩葉に淡い恋心を抱きながらも、なにもできなかったくせに。


 考えろ。自然な理由。もっともらしい理由…


「…ああ…それはたぶん…彩葉が荷物をまとめるために自宅に帰ることがあったから」

「はい?」

「いや、引っ越し代を節約するために、少しずつ自分たちで荷物を運んでたんです。だから彩葉は荷物をまとめるために、たまに自宅に帰ってたんですよ。それでそう言ったんじゃないですか?」


 …少し喋りすぎたか?逆に怪しまれる?

 

 でもキクチは何か考えているようで黙った。

 

 そこで俺はその隙を狙って畳み掛けるようにこう言った。


「彩葉は自分のことを“他人”にはあまり話しません。それに彩葉は酔ってたんでしょ?そんな酔っ払いの言うことを間に受けちゃだめですよ」


 するとキクチは悔しそうな顔をし、俺を睨んできた。

 

「…嘘だ…彩葉に彼氏はいなかった」

「そもそもあなた、ただの上司ですよね?」

「上司であり、友人のような関係です」


 んなわけあるか。


「はぁ、そうだったんですね」

「ええ。何回も2人で飲みに行きましたからね」


 あー苛つく。それだけだろ所詮。こいつにとっては彩葉との2人飲みが相当“鍵”になってるんだろうな。そんなに嬉しかったのか?


「彩葉はあなたに苦手意識を持ってましたよ?」


 もうすぐ我慢の限界だ。俺はわざとそう言ってみた。


 キクチはさっきよりも睨みつけるように俺を見た。


 この反応…やっぱり…


 いい感じの相手と、メッセージであんな業務的なやり取りはしない。彩葉の文面からも、淡々とした様子が伝わってきた。


 そもそもこんな奴のこと、彩葉は好きになるわけねーだろ。性格はなんだかネチッこそうだし。


「っ…でもっ…本当に彩葉は彼氏がいないって言ってたんだっ。だから僕はっ…僕は…」

「さっきも言いましたよね?彩葉は“そういう話はしない”と。秘密主義なんですよ、彼女は」

「……」

「もう二度と“俺の妻”に近づかないでくださいね?彩葉に変なストレスを与えたくないんで」

「…僕はただ…本当のことが知りたいんだ」


 しつこっ。


「だからさっきから言ってるじゃないですか。ちゃんと付き合ってたって。もう戻りますね。彩葉が寂しがっちゃうんで」

「…彼女はそういうタイプじゃないでしょ?」


 本当にしつこい。


「……あなたは“ただの上司”だったから知らないでしょうけど、彩葉はとても可愛く甘えてきますよ?それに今、俺たち新婚なんです。水を差すようなことをしないでもらえませんか?」

「彼女が甘える…?」


 キクチは全く想像ができないというような顔をしていた。そんなに彩葉はこいつに塩対応だったのか。


 俺はキクチに近づくと、耳元でこう囁いた。


「今日も帰ったら、彩葉のことをたっぷりと愛します。時間をかけて…何度も。俺の腕の中にいる時の彩葉は、とっても可愛く甘えてくるんですよ?」


 お前なんか俺の相手になんねーんだよ、このカスが。


「それでは失礼します」


 キクチから離れ、満面の笑みでそう言うと、俺は彩葉のところに戻った。


 あー…つい苛ついてあんなこと言っちゃった。


 あいつが彩葉で変な妄想しないといいけど。


 それにしても…すごく悔しそうな顔してたな。


「遅かったね」

「ん。混んでた」

「暇だった」

「ごめんね?」

「暇だった」

「だからごめん。寂しかったの?」

「…ちょっとね」


 彩葉は俺から目を逸らすと、少し照れていた。


 ほら。俺の言った通り。彩葉に寂しい思いをさせちゃったじゃねーか。キクチのクソ野郎が。


「帰ったら、たくさん愛してあげるね」

「もうっ。そういうこと外で言わないでよっ」


 彩葉はさっきよりも照れていた。


「ははっ。彩葉照れちゃってかわいっ」


 そんな感じで、このあとは変な空気にもならず、彩葉がキクチのことを気にするでもなく、2人で楽しく過ごすことができた。


 目の前では彩葉が可愛く笑っている。

 

 俺はそんな彩葉のことを見つめていた。


 あー…


 やっぱり…


 バイトを辞めさせたいな。社会との繋がりを断たせたい。もう誰ひとり、俺以外の男の目に触れることのないように……

 

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