37 排除
「ねぇ、りっちゃんっ。今度行きたい居酒屋あるんだけどいい?」
「いいよ?どこ?」
「安くて早くて美味いとこ」
最近、こんな感じで、彩葉らしく話すことが増えてきた。彩葉が友達と話すような、気を遣ってない話し方。
ふと彩葉の左手に目をやる。
薬指にはちゃんと、結婚指輪がキラリと光っていた。
俺たちはあのあと、大安の日に婚姻届を提出し、ちゃんと夫婦となった。
「行ったことのある居酒屋なの?」
「うん。前の職場の近くなんだけど、そこの唐揚げが食べたくなっちゃった」
「わかった。そしたら早速、明日はどう?彩葉も俺も、次の日休みだし」
「わーいっ。楽しみっ」
また彩葉の左手を見た。
俺たち…結婚したんだ。
俺は彩葉が作ってくれた夕飯を食べながら、幸せを噛み締めていた。
次の日。彩葉と待ち合わせをすると、早速居酒屋へと向かい、到着するとすぐに飲み物を注文した。
ここの居酒屋は人気なようで、既に店内は賑わっていた。今日は彩葉が予約していてくれた。
「んで?唐揚げと、他にはなにがおすすめ?」
「んーとね、これと…これとこれと…あとこれ」
彩葉はメニューに指を差しながら教えてくれた。俺は店員さんを呼ぶと、それらを全て注文した。
彩葉はまだメニューを見ながら「これはね、味付けが──」、「こっちはね、すごくふわふわで──」…そんなことを言いながら、料理の説明をしてくれた。
そんな説明を聞いていると、飲み物が届いた。
「「お疲れー」」
2人でそう言いながら乾杯をすると、彩葉はいつも通り、今日の出来事を話してくれた。
周りからは楽しそうな話し声や、店員さんの活気のある声が飛び交っている。
彩葉が言っていたように、注文した料理が次々と運ばれてきた。
本当に提供が早いな。
早速、運ばれてきた料理を口にすると、安いのに美味かった。
これならまた来たいな。
彩葉と楽しく話していると、知らない男が彩葉に話しかけてきた。
「山口」
誰だ?
「…キクチさん…」
…キクチ…こいつが…
「…彼氏?」
「…夫です」
「へー…結婚しちゃったんだ…」
……結婚“しちゃった”…?
キクチの体と顔は彩葉に向いてるのに、目線はチラチラと俺を見ていた。
あー…なんか俺…やばいかも…
さっきのたった一言で、腹が立ってしまった。思わず貧乏ゆすりをする。
でもまぁ…挨拶…しておくか。
俺はイスから立ち上がると、体をキクチに向けた。
「初めまして。彩葉の夫の長谷川です。以前は彩葉がお世話になっていたようで…」
「…どうも初めまして。キクチです」
「彩葉からキクチさんのお話はよく聞いていました」
「……そうですか。私はあなたの話を聞いたことがありません。いつからお付き合いを?」
は?
「…いつからお付き合いを?」
「もう3年半くらいになりますかね」
「それはそれは。毎日一緒に働いていたのに、全く気づきませんでした」
…こいつ…何か言いたげだな。
「彩葉はそういう話が苦手なので」
「そのようですね。私と2人きりで何度も飲みに行きました。それはご存知で?」
ここで彩葉が口を挟んだ。
「キクチさん…なんでわざわざそんなことを言うんですか?」
「ん?彼氏…いや…今は夫か…なら普通嫌がるでしょ?」
「…別に…仕事の延長ですし」
「あれ?本当にそれだけだった?おかしいな」
は?なんなんだよこいつ。
「あ、そっか。記憶がないんだっけ。僕とは本当にそれだけの関係だったのかな?」
「…え…?」
「あ、それと君、僕のことブロックしたでしょ」
「…」
彩葉は怪訝な表情になった。
「…まぁいいや。今後記憶を取り戻しても、後悔のないようにね」
「さっきから何言って…」
「あ、キクチさん。もー何やってるんですか?席あっちですよ?」
同僚か?女の人がキクチにそう声をかけた。
「あれ?彩葉ちゃん?」
「ナナミさん…」
「よかったぁ。元気になったんだね。連絡先知らなかったから、あれから様子がわからなくて心配してたんだ」
2人はそんな感じで話し始めた。
キクチは俺のことを、頭の先からつま先まで、舐めるようにして見てきた。
しばらくすると、ナナミさんという人は、やっと俺が目に入ったらしく、挨拶をしてくれた。それから「もう、デートの邪魔しちゃだめですよ」なんて言いながら、キクチの腕を引っ張り連れ去った。
彩葉は落ち込んでいるようにも、静かに苛ついているようにも見えた。
「大丈夫?」
「…なんか…ごめん。嫌な思いさせちゃって」
「俺は平気だよ。それより彩葉が心配」
「…あいつ…ホント嫌い」
「わかってるよ」
「…」
俺は本当にわかっていた。
さっきキクチは含みを持たせるようなことを彩葉に言ったけど、俺は知ってる。彩葉はキクチと、何かがあるような仲ではない。それはメッセージのやり取りを見てわかっていた。2人のやり取りは、これ以上ないほどに事務的だったからだ。
恐らく…キクチは彩葉のことが好きか、彩葉が自分のことを好きだと勘違いしていた…
でも、彩葉からはブロックされ、今日は俺と一緒にいるところを目撃してしまった。それが面白くなくて、わざと不穏な空気にした…と…
…たぶん…そんなところだろう。
俺はなんとか彩葉を落ち着かせようとした。「お店を変えようか」と提案したけど、まだテーブルには料理がたくさん残っているのを見て、彩葉はその提案を断った。
しばらくすると彩葉の機嫌は元に戻り、楽しそうにフォトウェディングの話をしていた。
俺たちは式をせず、写真を撮るだけにしようと話し合いで決まっていた。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
「はーい」
俺は席を立ち、トイレに向かった。
それにしてもキクチ…あいつは危険だ。この前キクチが彩葉に会った時は、そんな話はしていないと思う。たぶんあいつも、彩葉の記憶喪失に戸惑っただろうから。
でもさっきの様子…
たぶん俺に嫉妬したんだろうな。そんな感じがした。
トイレから出ると……キクチがいた。キクチはすぐに俺に話しかけてきた。
「本当に彩葉の彼氏だったんですか?」
は?
てめぇが“彩葉”だなんて言ってんじゃねーよ。さっきは“山口”って言ってただろうが。
キクチの口から、彩葉の名前を聞いただけで、俺は苛ついた。
「ええ。正真正銘、彼氏でした。だから今、彩葉の夫なんです。彩葉が記憶を失くす前から一緒に住んでましたよ」
「あれー?おっかしいな。彩葉、私と飲んでる時に一度だけ酔ったことがあるんですよ。その時にこう言ってました。“たまに、誰かにつけられている”って」
「……」
「“一人暮らしだから怖い”って」
……彩葉は、いつそれを言ったんだろう。
事故の直前に言っていたとしたら、矛盾が生まれる…。彩葉には“一緒に住んで1ヶ月くらい”と、当時伝えていたから。
それにこいつ…俺のことをその“つきまとい”だと疑ってんのか?
「ええ。彩葉がつきまとわれていたのは知っています」
「君と一緒に住んでたのに“一人暮らしだから”ってわざわざ言うかな?」
「キクチさんの記憶違いじゃないですか?もうあれから結構時間が経ってますし」
「いいや。事故の3日前にそう言ってました。ハッキリと覚えています。それにスマホのカレンダーに、最後にいつ彩葉と飲みに行ったか、記録してたんで」
クソ…
俺はキクチの勝ち誇ったような顔を見てさらに苛ついた。
どうせ…なにもできなかったくせに。彩葉に淡い恋心を抱きながらも、なにもできなかったくせに。
考えろ。自然な理由。もっともらしい理由…
「…ああ…それはたぶん…彩葉が荷物をまとめるために自宅に帰ることがあったから」
「はい?」
「いや、引っ越し代を節約するために、少しずつ自分たちで荷物を運んでたんです。だから彩葉は荷物をまとめるために、たまに自宅に帰ってたんですよ。それでそう言ったんじゃないですか?」
…少し喋りすぎたか?逆に怪しまれる?
でもキクチは何か考えているようで黙った。
そこで俺はその隙を狙って畳み掛けるようにこう言った。
「彩葉は自分のことを“他人”にはあまり話しません。それに彩葉は酔ってたんでしょ?そんな酔っ払いの言うことを間に受けちゃだめですよ」
するとキクチは悔しそうな顔をし、俺を睨んできた。
「…嘘だ…彩葉に彼氏はいなかった」
「そもそもあなた、ただの上司ですよね?」
「上司であり、友人のような関係です」
んなわけあるか。
「はぁ、そうだったんですね」
「ええ。何回も2人で飲みに行きましたからね」
あー苛つく。それだけだろ所詮。こいつにとっては彩葉との2人飲みが相当“鍵”になってるんだろうな。そんなに嬉しかったのか?
「彩葉はあなたに苦手意識を持ってましたよ?」
もうすぐ我慢の限界だ。俺はわざとそう言ってみた。
キクチはさっきよりも睨みつけるように俺を見た。
この反応…やっぱり…
いい感じの相手と、メッセージであんな業務的なやり取りはしない。彩葉の文面からも、淡々とした様子が伝わってきた。
そもそもこんな奴のこと、彩葉は好きになるわけねーだろ。性格はなんだかネチッこそうだし。
「っ…でもっ…本当に彩葉は彼氏がいないって言ってたんだっ。だから僕はっ…僕は…」
「さっきも言いましたよね?彩葉は“そういう話はしない”と。秘密主義なんですよ、彼女は」
「……」
「もう二度と“俺の妻”に近づかないでくださいね?彩葉に変なストレスを与えたくないんで」
「…僕はただ…本当のことが知りたいんだ」
しつこっ。
「だからさっきから言ってるじゃないですか。ちゃんと付き合ってたって。もう戻りますね。彩葉が寂しがっちゃうんで」
「…彼女はそういうタイプじゃないでしょ?」
本当にしつこい。
「……あなたは“ただの上司”だったから知らないでしょうけど、彩葉はとても可愛く甘えてきますよ?それに今、俺たち新婚なんです。水を差すようなことをしないでもらえませんか?」
「彼女が甘える…?」
キクチは全く想像ができないというような顔をしていた。そんなに彩葉はこいつに塩対応だったのか。
俺はキクチに近づくと、耳元でこう囁いた。
「今日も帰ったら、彩葉のことをたっぷりと愛します。時間をかけて…何度も。俺の腕の中にいる時の彩葉は、とっても可愛く甘えてくるんですよ?」
お前なんか俺の相手になんねーんだよ、このカスが。
「それでは失礼します」
キクチから離れ、満面の笑みでそう言うと、俺は彩葉のところに戻った。
あー…つい苛ついてあんなこと言っちゃった。
あいつが彩葉で変な妄想しないといいけど。
それにしても…すごく悔しそうな顔してたな。
「遅かったね」
「ん。混んでた」
「暇だった」
「ごめんね?」
「暇だった」
「だからごめん。寂しかったの?」
「…ちょっとね」
彩葉は俺から目を逸らすと、少し照れていた。
ほら。俺の言った通り。彩葉に寂しい思いをさせちゃったじゃねーか。キクチのクソ野郎が。
「帰ったら、たくさん愛してあげるね」
「もうっ。そういうこと外で言わないでよっ」
彩葉はさっきよりも照れていた。
「ははっ。彩葉照れちゃってかわいっ」
そんな感じで、このあとは変な空気にもならず、彩葉がキクチのことを気にするでもなく、2人で楽しく過ごすことができた。
目の前では彩葉が可愛く笑っている。
俺はそんな彩葉のことを見つめていた。
あー…
やっぱり…
バイトを辞めさせたいな。社会との繋がりを断たせたい。もう誰ひとり、俺以外の男の目に触れることのないように……




