34 時間稼ぎ
「俺今日、ユイナちゃんとデート」
「はいはい、よかったな。俺は毎日がデート」
「相変わらずだな。そんなに毎日“大好き”なの?そういうのって落ち着いてこない?」
落ち着く?一体なにが落ち着くっていうんだ?好きな気持ち?…が落ち着く?“加速”するの間違いだろ。
「なんで?好きな人と毎日一緒にいるのに、なんでそれが落ち着くんだ?」
「だって普通はだんだん落ち着いて、一緒にいるのが当たり前になって、恋より愛?になるだろ?」
俺は毎日大好きだし、毎日愛してる。
「愛してるけど、一緒にいることは当たり前じゃない。奇跡なんだ。明日どうなるかなんてわからないだろ?」
「…お前らそんな危うい関係なの?」
「…違う。事故に遭うとか…」
「あ…そっか…お前たち、あの電車に乗ってたんだもんな」
そんな話をしてから、俺は家へと帰った。
ああ…今日の夕飯はなんだろう。
楽しみだな。
「ただいまー」
「おかえり」
一瞬でわかった。彩葉の声色でわかった。
空気が…重い…
なにがあった…?
「りっちゃん、聞きたいことがある」
その一言で心臓が大きく跳ねた。
「とりあえず座って?」
俺は言われた通りにダイニングテーブルのイスに座った。
なんだ?聞きたいことって…
「今日、元上司に偶然会ったの」
元上司…
今日彩葉は、確かうちから3駅先の、お気に入りのパン屋さんに行くと言っていた。その時に会ったのか?
「それで?」
「…それで…私が退職したのは、入院してる時だって聞いて。その上司が直接対応をしたわけじゃないんだけと、婚約者だと名乗る男が会社に来て、私の仕事復帰が難しいから、退職手続きをしたって…それってりっちゃんのことだよね?ねぇ、どういうこと?」
…また想定外のことが起きてしまった。
いつもならこの時間、テーブルには料理が並べられているのに…
俺はそう思いながら、何もないテーブルを見つめた。
考えろ…考えろ考えろ考えろ。
──あ…そうだ…
「大事な話をしてる時にごめんね?今お客さんから電話がかかってきちゃったから出てもいい?」
「…いいよ」
ちょうど、手には仕事用のスマホを持っていた。家に向かいながら、お客さんと話していたからだ。
でも…さっきとは違い、そのスマホを握る手はしっとりとしていた。
俺は震えてもいないスマホを耳に当てると、電話をしてるフリをした。
「あ、先ほどはどうも。何か他に気になることでもございましたか?──」
そんなことを言いながら席を立ち、仕事部屋へと向かった。
考えろ。
何か思いつけ。
もっともらしい理由…自然な理由…
彩葉が納得する理由…
今日会った上司は誰だ?彩葉が愚痴ってた上司…あいつか?もしそうじゃなかったとしても、名前を出すことで、普段から彩葉は職場の話を俺にしていたと印象付けられる。
思い出せ、思い出せ…。
俺は「はい」とか「それでしたら──」なんて言いながら電話で話すフリを続け、頭の中をフル回転させていた。
彩葉の上司の名前を知ったのは、帰宅中の彩葉のあとをつけている時だ。その時彩葉は電話で上司の愚痴を言っていた。
…もう1年以上も前のことだ。思い出せない。
確か…“き”から始まった気がする。
き…き…き…
キムラ?じゃないし、キシダ…でもない。キタムラ…いや、3文字だった気がする。き…き…キクチ。そうだキクチだ。
あとは理由…
……よし、これにしよう。
俺は彩葉のところへ戻ると、イスに座った。
「ごめん、内見の相談だった」
「それで?」
彩葉の冷たい声が、部屋の中に響く。
「確かに、俺が退職手続きをした」
「なんで勝手に?」
「…彩葉が…すごく混乱してたから」
「だからって、別に退職じゃなくてもよくない?」
「彩葉。あの時ね、俺すごく怖かった。彩葉が目覚めなくて。それに目覚めても記憶喪失。俺も動揺してたの。動揺しながらも色々考えた。それで今後の彩葉のことを考えてそうした」
俺は彩葉の同情を誘うように、わざと“怖かった”、“動揺した”のワードを入れた。
眉間に皺を寄せていた彩葉の表情が少しゆるんだ。でも…
「私、仕事楽しんでたみたい」
「今日会ったのはキクチさん?」
「そうだけど」
やっぱり…。
「彩葉はキクチさん、好きじゃなかったでしょ?」
「それはそうだけど、サキからも、タツヤからも私は楽しそうに仕事してたって言われてたし…」
そこも引っかかってるのか。
前は納得してくれたのに、キクチからもそう言われて、疑惑になったんだろうな。
…考えろ…もっともらしい理由を…
「それには理由があるんだよ」
「なに?」
「その前に、結婚したら家庭に入る話をしてたって話は覚えてる?」
「…覚えてる。でも…仕事が楽しいなら──」
「彩葉は俺と婚約してから仕事が楽しくなったんだよ?」
「どういうこと?」
俺は説明した。“結婚が視野に入り始めた彩葉は、これでいつでも辞められると思うと、肩の力が抜けた”と言っていたと。そうしたら、“前よりも仕事が楽しくなった”と言ってたんだよと伝えた。
…ま、嘘だけど。
すると彩葉は「確かに…これがずっと続くと思うと、うんざりしてたから…」とポツリと呟いていた。
「それに他にも理由はある。彩葉は“2年間の記憶を失ってる”んだよ?その間に覚えた仕事も忘れちゃってるよね?」
「…そっか…」
「病院の先生はいつ記憶が戻るかはわからないって言ってたんだよ?そんな状態で仕事復帰するなら、もう退職しちゃった方がいいと思ったんだ。休職中にしてたら、彩葉が色々焦るんじゃないかって…早く記憶を戻さなきゃって、早く復帰しなきゃって…それをストレスに感じるんじゃないかと思ったんだよ」
「…りっちゃん…色々と考えてくれてたんだね」
…俺は心の中で、ホッと胸を撫で下ろした。
どうやら信じてもらえたようだ。
「ごめん。言うべきだったよね。とにかく彩葉には、もうあれ以上負担をかけたくなかったんだ。本当にすごく混乱してたから」
「…ううん。ありがとう。確かにこんな状態の私が仕事復帰しても、役立たずだっただろうな」
よかった。納得してくれた。
──それにしても…焦った…
全身に冷や汗をかいてしまい、気持ち悪かった。
彩葉が夕食の支度をすると言ったから、俺はシャワーを浴びに行った。
危なかった。まさか偶然、元上司に会うだなんて想定してなかったから…
これからもこういうことがあるのか?あの事故の日から数日間、彩葉のスマホを見た時に、交友関係、仕事関係者なんかは大体把握しているつもりだけど、また想定外のことがあるかもしれない。でも毎回、電話がきたから──は使えない。
とにかく時間稼ぎの方法をいくつか考えておかないと…
体調不良、急ぎの仕事…他に何かいい言い訳はないだろうか。
シャワーを浴び終えると、いつもの彩葉に戻っていた。テーブルには料理が並べられていた。
「今日は簡単なものになっちゃってごめんね」
「大丈夫だよ。キクチさんから話を聞いて不安だったよね」
「不安…だった。自分では判断できないことだから」
「そうだよね。また何かあったら、今日みたいにちゃんと聞いてね」
「うん。ありがとう」
2人で声を揃え“いただきます”をすると、彩葉はいつものように今日の出来事を話していた。
日常だ。俺が愛する日常が戻ってきた。
彩葉は今、目の前で可愛く笑っている。さっきの表情とは全く別だ。声色も温かくなった。
やっぱり“一緒にいてあたりまえ”だなんてことはない。俺にとってこの毎日は奇跡なんだ。俺はこれを、一生守っていかないと…。




