32 あの時の1週間
それにしても…
この前は焦ったな。その焦りが悪い方向へと働いてしまった。予想外のことが起きると困る。彩葉と籍を入れるまでは、ちゃんと気を引き締めないと…。
風呂に浸かりながらそんなことを考えていた。するとドアの外から彩葉が話しかけてきた。
「りっちゃん、もうすぐ出る?」
「出るよー」
「じゃあご飯仕上げちゃうね」
「ありがとー」
いつもはシャワーで済ませるが、今日は急に気温が下がり寒かった。それで彩葉が気を利かせて、風呂の準備をしてくれていた。
風呂から上がるとご飯を食べ、それが終わるとにゃんずと遊ぶ。もうこの流れがルーティーン化していた。遊び終わると今度は2人でソファに座る。彩葉はスマホをいじっていた。
「ねぇ、これ見て?この爪研ぎ台可愛くない?」
彩葉はそう言ってスマホを手渡してきた。俺はそれを受け取ると、大きさや値段、口コミなんかを確認していた。
すると…画面上部にポップアップ通知がきた。
メッセージだ。
『タツヤ:今度ミツルとコウスケとアヤの4人でそっちに行くから飲み行こうかぜ。店はそ…』
すぐに次の通知もきた。
『タツヤ:ちなみにミツルに彩葉の婚約話をしたら、嘆いてたぞ?笑 サキには俺から連絡…』
『ミツル:久しぶりに会えるな。婚約のこと、タツヤから聞いて驚いたよ。飲む時に詳しく…』
『サキ:タツヤから連絡きた?店考えとけって言われたんだけど、いつもの居酒屋でいいよ…』
…ミツル…?
「メッセージがいっぱいきたよ」
俺はそう言いながら、彩葉にスマホを返した。
「本当だ。何事?」
彩葉はすぐにメッセージの確認をしていた。
聞いてもいいかな…
「あのさ、さっきちょっとメッセージを見ちゃったんだけど、ミツルって誰?」
「んー?高校の時の友達」
「その子はさ、彩葉のこと好きなの?」
「え?ないない。そんなんじゃない」
「でもタツヤくんのメッセージだと、“嘆いてた”って書かれてたよ?彩葉の婚約のこと」
「あー、たぶんからかってるんだと思う」
「なんで?」
「高校の時に、2ヶ月だけ付き合ってたの」
「ミツルくんと?」
「そう」
元彼…
「…元彼と会うの?」
「あははっ。ごめん。えっとね、付き合ってたって言ってもなんかノリだったんだ」
そう切り出すと、詳しく話してくれた。
彩葉には仲のいい男女のグループがいて、「お前らもう付き合っちゃえよ」と、ある日からかわれたようだった。「んじゃそうしちゃう?」みたいなノリで付き合ったそうだ。でも結局、お互いに“なんか違うよね”ってことになり、友達に戻ったと…。
「だから深い関係とかにはなってないよ?何回か手を繋いだ程度。それからは普通に友達」
「…他の元彼は?」
「ん?」
「まだ連絡とってたりする?」
「もう番号も知らないよ」
よかった…。
でも…“嘆いていた”。この言葉が引っかかった。ミツルくんの方は、彩葉のことが本当は好きだったんじゃないのか?でも男として意識してもらえず、関係が壊れるのを恐れて、彩葉に合わせていたんじゃ…
でもさすがに、もう未練なんてないよな…高校の時の話だし。
…いや。男って、そういうの引きずる奴もいるよな…
「より戻したらだめだからね?」
「ははっ。だからそういうんじゃないんだって、全然」
久しぶりの友達との再会に、あんまり水を差すのもな…
心配だけど、彩葉にはちゃんと楽しんできて欲しい。
「いってらっしゃい」
「いってきまーす」
俺は玄関で、バイトに行く彩葉を見送った。
今日は比較的暖かく、日が入れば窓を開けていても過ごしやすかった。コーヒーを用意し、ソファに座ると、なんとなくテレビをつけニュースを見ていた。
そんな時にテレビの前に置いてある、彩葉の好きなキャラクターの小さいソフビフィギュアが目に入り、俺は思い出していた。
──彩葉が目覚めた時のことを。
あの日、病院から電話がかかってくると、俺はまず彩葉のスマホを開き、自分の連絡先を登録した。それからすぐに、彩葉のスマホと自分のスマホをハンマーで叩き割った。
よし…これならもう、再起不能だろう。
俺はすぐに病院へ行くと彩葉に自分が婚約者だと伝え、壊れたスマホも手渡した。
それから病院を出ると、すぐに彩葉の家に行った。鍵は彩葉の鞄からすでに抜き取り持っていた。彩葉の家に着くと鍵を開け、中に入った。
ここが…彩葉の部屋…
俺は心を踊らせながら中へと入ったのを、今でもちゃんと覚えている。
中を見渡してみると、節約生活をしていたのか、そんなに余計なものはなかった。これなら案外すぐに済むかもしれない。
とりあえずゴミを片付けるか。俺はゴミ袋を探し見つけると、まず冷蔵庫の中身を全部捨てた。その時に彩葉が普段使っている調味料なんかを全て把握した。
使い古されたタオル類も、新生活にはもう必要ないよな。
あとは…
調理器具なんかも、うちにあるものと被っているものは捨てた。
次にクローゼットの中を確認し、それも全部袋に詰めた。これは捨てる用ではない。俺の家へ運ぶためだ。その他もスーパーの袋に化粧品類、下着、雑貨なんかも種類別に分け、次々と袋の中に入れていった。
…今日はこんなもんでいっか。
俺はゴミと彩葉の生活用品を車に乗せると家へ帰り、ゴミは自分のマンションのゴミ捨て場に捨てた。
それから寝室のクローゼットに入っている俺の服を全て出すと、彩葉の服をそこへ収めた。俺の服は全て仕事部屋のクローゼットへ移した。
彩葉の服で埋まったクローゼットを眺め、俺はうっとりとしていた。
これから…彩葉との生活が始まるんだ…
俺の心は満たされていた。
どんな生活が始まるんだろう。俺はもうそれが楽しみで楽しみで仕方がなかった。
あ…仕事辞めさせないと…
早速明日、彩葉の会社に電話してみよう。いや、直接行った方がいいか?やっぱり一度、電話をしてからの方がいいよな。
あー…もうやることが多すぎて大変だ。1週間…1週間で全てを片付けないと…
俺はまず、自分の上司に頼み込み、休みをもらった。婚約者の意識が戻ったけど、まだまだ安心できないと伝え、泣きついた。取り乱した演技をしたら簡単に上司を騙すことができ、同情を誘えた。
店の定休日を合わせれば、4連休だ。この4連休で大体のことを終わらせないと。
次の日、仕事用のスマホで彩葉の会社に電話をかけ、それから実際に行った。
彩葉の会社はそれほど大きくなく、俺が事情を説明すると、すんなりと退職手続きをすることができた。
同様に、アパートの管理会社にも伝え、退去手続きも済ませた。こっちも案外簡単に信じてもらえた。
それからまた彩葉の部屋に行き、片付けを進めた。家電は全部処分して…あとは家具か。とりあえずで購入したと思われる、ホームセンターなんかで売ってるような家具は処分。こだわりを持って買ったと思われるチェスト、可愛らしい棚なんかは、うちに運び込もう。そういった手配もすぐに済ませ、次の日に来てもらうことになった。
この時の俺はもう、頭の中は彩葉との生活でいっぱいだった。
あ、少しは食器も2人分揃えておかないとな。あとはシャンプー類、歯ブラシ…それから…
ああ…やることがまだまだ山ほどある。
帰ったら彩葉の家具を置くスペースの確保なんかもしないといけない。
俺は彩葉の部屋の片付けをある程度進めると、今度はショッピングビルへと向かった。
ビル内を歩いていると釘付けになったものがあった。
かわいい…これ絶対、彩葉に似合う。
それは1着のワンピースだった。これも買って帰ろう。俺はそれを手にすると、レジへ向かった。
あー楽しい。楽しすぎてスキップでもしてしまいそうだ。
必要なものを買い揃えると家に帰り、買ったワンピースのタグを外すと、彩葉のクローゼットに…の前に、1回洗濯しておくか。これじゃあ、新品だって丸わかりだ。
それから模様替えをしたり、彩葉の好きなキャラクターのソフビフィギュアをテレビの前に並べた。
…そう。
あの時は本当に楽しかった…。
これから始まることにワクワクしていたんだ。
今でも当時の高揚感が簡単に甦る。
あのふわふわとした感じ…
夕方になり、キッチンに立つとえびのマカロニグラタンを作った。
玄関から鍵の開く音が聞こえ、次にドアが開く音が聞こえた。
「ただいまー」
彩葉のかわいい声が、部屋の中に響いた。




