30 俺のシナリオ
俺は、彩葉が記憶を保持したまま目覚めた場合のシナリオも、ちゃんと考えていた。
あの時は確か、俺だけの記憶が消えてしまったパターンを、まずは考えてみたんだ。
彩葉が目を覚ましたら、先生がまず色々と本人に確認するだろう。それから俺に説明してくれたようなことをきっと彩葉にも伝える。ここまではいい。リアリティがある。
でも彩葉の裏アカを見る限り、きっと俺のことを不審がる。例え信じてくれたとしても、“別れてください”と言われるかもしれない。
いや…やっぱりそもそも信じないか…?
だから俺はそれを却下した。
ここは堅実にいくか…
事故の時に、俺がとった行動をそのまま伝えよう。彩葉のことは、スマホを拾ってくれた人と認識していたから、気を失っている彩葉に気づいて、病院まで付き添った。それで咄嗟に“婚約者”だと言ってしまった。そう伝えるか?
…いや…やっぱり気持ち悪いよな?婚約者だと言ってまで他人のことをこんなに心配するのって…
でももう、すでに病院の人にそう言っちゃったしなぁ…
俺はまた色々と考えた。
あ…
“婚約者”うんぬんは病院の手違いってことにしようか。あの日は事故のせいで患者も多かったし、なんとか誤魔化せるかもしれない。
うん。そうしよう。
だから彩葉が目を覚ました時に、俺に連絡がきたということにしよう。
それで…
彩葉のことは顔見知りだったからと言って心配して…
そこから始める…?
こんなんで始まるだろうか…
でもお見舞いに行ったり、気にかけたり…そうやっていればただの知り合いではなくなるよな?優しくされれば、そんな相手を簡単に無碍にはできないはずだ。
親身になって寄り添って、支えて…
それに同じ電車で事故に遭ったという共通点もあるから、心を開きやすいかもしれない。
でもやっぱり…
ああ…
…どうか彩葉が記憶を無くしていますように。
俺は毎日そう願っていた。
──…懐かしいな。あの時の俺は必死になって考えてたもんな。
俺は明け方の薄暗い中、隣で眠る彩葉を見た。
俺の…正真正銘の婚約者…
彩葉の様子を見ると、結婚はもう少し先になりそうだな。
それから俺はあの日のことも思い出していた。
病院から電話がかかってきた時のことだ。
あの日…電話に出て話を聞いた時、俺は嬉しくてたまらなかったんだ。
彩葉が目を覚ましたこと。
それから…
記憶を失っていること…
ああ…運は俺に味方した。
本気でそう思った。
しかも直近の約2年間の記憶がないと、看護師から教えてもらった。それも俺にとって好都合だった。
一瞬にして、シナリオが完成した。
彩葉が退院するまでの1週間、俺にはやることが山ほどあった。
そんなことを思い出しているうちに、俺はまた眠くなり目を閉じた。
「りっちゃん」
彩葉の声で目を覚ました。部屋の中は、もうすっかりと明るくなっている。
「私もう起きるけど、りっちゃんはまだ寝る?」
上体を起こした彩葉が俺を見て、そう聞いてきた。俺は彩葉の腕を掴むと、自分に引き寄せ抱きしめた。
「今日は2人とも休みだから…もう少しこのまま…」
「また眠くなっちゃうよ」
「んー?大丈夫。寝かせないから」
俺はそう言うと、彩葉に覆いかぶさり唇を重ねた。
「今回担当させていただきます、長谷川と申します」
彩葉からもらった名刺入れから名刺を出すと、俺はお客さんに手渡した。
彩葉からのプレゼント…今日の朝も可愛かったな。寝癖のついた彩葉の姿。
…いかんいかん。
仕事に集中集中。
今日も彩葉のために、頑張って働くぞ。
俺の頭の中には常に彩葉がいる。こうやってお客さんに色々と物件を紹介していながらも、今彩葉は何してるかな?にゃんずと遊んでるかな?そんな感じで考えていた。
仕事が終わると、ヤマダが声をかけてきた。
「お疲れーっす。今日飲み行かね?」
「行かねー」
「即答かよ」
「彩葉がご飯作って俺のこと待ってる」
「じゃあ明日は?」
「明日も彩葉がご飯作って俺のこと待ってる」
「…明後日」
「明後日も…以下同文」
「たまには彩葉ちゃんもご飯作るのお休みしたいんじゃない?」
確かに。
「それもそうだな。じゃあ明日は彩葉と外食することにするわ。ありがとな。気づかせてくれて」
俺がそう言うと、ヤマダは「だーかーらぁ、そうじゃなくってぇ」と、いいながらもどかしそうにしていた。
「ははっ。おもしろっ」
「じゃなくってぇ」
「なんだよ。ユイナちゃんのこと?」
「そっ。だから相談に乗って?」
「はぁ…」
「あ、今傷ついた。僕ちん今のため息に傷ついた」
「俺は一人称が“僕ちん”だなんてキモイやつと、飲みに行きたくはない」
「なぁなぁ。俺っちと飲みに行こ?」
「“俺っち”だなんて言う…以下同文」
ヤマダとは今までも何回か飲んだことはある。でも彩葉と一緒に住み始めてからは、めっきりと行かなくなっていた。
仕方ない。付き合いも必要だ。俺はヤマダに付き合うことにした。
「明日でいいか?」
「もちのろんです」
ヤマダとの会話が終わると、俺は急いで帰った。
「ただいまー」
「おかえり。今日もお疲れ様」
「彩葉もお疲れ様」
「ははっ。私今日休みだよ?」
「家事してるでしょ?それににゃんずたちの世話も」
「にゃんずはもう手がかからないよ」
…あとは…彩葉に結婚したいって思わせるだけ…
彩葉はいつ頃って考えてるのかな。俺はご飯を食べている時に聞いてみることにした。
プレッシャーに…ならないよな?普通のことだよな?
「彩葉、いつ頃籍入れたい?」
「あ…まだそこまでは…」
やっぱり…
でもここで焦ったらだめだ。ヘマだけは絶対にしたらいけない。婚約破棄だなんてことにはならないようにしないと。
俺は…
ちゃんと彩葉から愛されてから結婚したい。彩葉から“愛してる”という言葉を聞いてから…結婚したい…
愛されたい…彩葉に…
「…とりあえず…1年以内を目標にする?お互い、両親への挨拶もしないとだし」
「そうだね。できればゆっくりがいいな」
ゆっくり…か…。
思わず、ため息を吐きそうになるのを我慢し、話題を切り替えた。
「そうそう。明日ヤマダと飲みに行くことになった。ユイナちゃんのことで相談したいんだって」
「わかった。楽しんできてね」
「で?ユイナちゃんはどうなの?」
「ヤマダさんのこと?」
「そう」
「ふふっ。好感触」
「おっ、そうなんだ。ヤマダには黙っておこっと」
「はははっ。りっちゃんってヤマダさんにはいじわるだよね?」
「おう。あいつうるさいからな」
「でも仲良し」
「懐かれてるだけだよ」
きなこが彩葉の膝の上に乗った。
「あ、こら。今ご飯食べてるからだめ。あとで遊んであげるから」
「みゃー」
「そんな可愛い声出してもだめ。ほら降ろすよ」
「にゃんっ」
「だからそんな…可愛い声出さないでよー。降ろせなくなっちゃうじゃん」
「みゃ〜」
彩葉ときなこはそんな会話をしていた。
あー…きっと俺が仕事中も、彩葉はにゃんずたちとこうやって過ごしてるんだ。
もう本当にうちには、かわいいが溢れてる。
次の日仕事が終わると、俺はヤマダと居酒屋に向かった。
「律くん、聞いてくれよ」
テーブルにつき、注文を終えると、ヤマダが早々に話を切り出した。
「その呼び方やめろ」
「りっくん」
「…」
「とにかく聞いてくれよ」
「早く話せよ」
“相談したい”と言っていたはずなのに、ヤマダは結局惚気ていた。こう言ったらこう返ってきた…だとか、今度どこどこでデートするんだ…とか。
「なんだよ、惚気を聞いて欲しかったのかよ」
「いや、それもあるんだけどさ…もうそろそろいいかな?」
「なにが」
「告白」
「勝手にしろよ」
でもヤマダは慎重だった。
「なんでそんなに躊躇してんだ?」
「…楽しいんだ。今のこの感じがすごく楽しい。だから告白して、もしダメだったらって思うと怖いんだよ」
…わかる…この幸せが壊れたらと思うと、すごく怖いよな。ヤマダは俺が思っていたよりも、ユイナちゃんに本気のようだ。
「伝えろ」
「え?」
「ちゃんと真摯に気持ちを伝えろ。おちゃらけたり、ノリで伝えるな。ちゃんと真面目に、告白しろ」
「それで上手くいくかな?」
「それはユイナちゃんの気持ち次第だろ」
それからも色々と話した。俺も彩葉やにゃんずたちの話をした。
なんだかんだでその時間は、楽しいものになった。




