23 苛立ち
「来週の木曜日にね、サキと会おうって話になってるんだけど、いい?」
「いいよ。どこ行くの?」
「どこかはまだ決まってないんだけど、サキが買い物付き合って欲しいって」
「そっか。楽しんできてね」
変な奴に絡まれないといいけど…
それにしても今日もかわいいな、彩葉は。
生きてるだけでかわいい。
「明日はね、お弁当売る係なんだ。初めてだから緊張する。上手くレジとかできるかな…」
…明日はそうなのか…
そういえばこの前、レジを教わったと言ってたもんな。
明日は休みだから、ちょっと覗いてみようかな。確かあの弁当屋の向かいはカフェだったはず。
「彩葉ならきっと大丈夫だよ。落ち着いて操作すれば、レジもきっとできるから」
「そうだね。テンパらないように気をつけよっと」
次の日、彩葉の出勤を見送ると、俺はいつもとは違う格好をし、帽子を被り、メガネをかけた。
これならパッと見、俺だとは気づかないだろう。
彩葉の勤務先は近所だ。
開店時間に合わせて家を出ると、俺はカフェへと向かった。
夏の日差しが容赦なく照り付け、俺の苛立ちをさらに加速させた。
カフェに着くと、アイスコーヒーを頼み、窓側の席を確保した。少し距離はあるが、ちゃんと彩葉が見える。弁当屋の制服に身を包み、キャスケットのような帽子を被っていた。
かわいい…
俺はスマホを手に取ると、彩葉にカメラを向けズームした。
本当にかわいい。よく似合ってる。
しかし、最近のスマホは素晴らしいな。こんなにズームすることができる。少し画像は荒いが、彩葉の表情がはっきりとわかった。
写真撮っておこっと。
客が来た。男だ。
……はぁ…。
あんな満面な笑みで…
弁当を買い終わった30代の男は、ニコニコとしながら出てきた。
クソ…嬉しそうにしやがって。
それから続々と客がやってきた。時間を確認すると、昼時だった。彩葉はさっきと変わらず、ずっと笑顔で客の対応をしていた。
気がついたら俺は、貧乏ゆすりをしていた。
だめだ。苛立ちがさらに増幅していく。
たまらず俺は、そのカフェを出て、弁当屋の近くまで来た。
彩葉から見えない位置に立つと、近くにあった電柱に背中を預け、腕を組みながら出てくる男たちの反応を観察した。
…みんながみんなそうではない。でも…
「今日のレジの子、可愛かったな。新しく入った子かな?」
「そうかもね。今まで見たことない子だもんね」
「昼休憩の楽しみができたわー」
弁当を買い終わったサラリーマンふうの男たちが、そんなことを言っているのが耳に届いた。
クソ…
クソクソクソ…
彩葉のあの笑顔を、誰にも見せたくない。
でも…彩葉はあんなに頑張ってるんだ。バイトを辞めてくれだなんて、とてもじゃないけど言えない。もっともらしい理由も未だ思い浮かばない。
ピークが過ぎたようで、客の出入りが緩やかになった。
俺はメガネと帽子を取ると、今は着なくなった昔の半袖のシャツを抜ぎ、ただのTシャツ姿になった。それからそれを隠すように近くの植え込みに置いた。ひょこっと店の中をを覗き込むと、そんな俺に彩葉がすぐに気がついたから、俺は片手を上げながら店に入った。
「来ちゃった」
「りっちゃん…」
「制服よく似合ってるね」
「びっくりした。来るなら言ってよ。なんか恥ずかしい」
「ははっ。ごめんね。暇だったらからついね。あとお昼作るのも面倒でさ。ちょっと選ばせてね」
弁当なんてなんでもいい。俺は少しでも長く滞在するために、迷ってるフリをした。
そこへ、1人の男が来た。
「おっ。新人ちゃん?」
「えっと、いつもは作ってる方なんです」
「そうだったんだ。こんな可愛い子が作ってたんだね」
「いやいや、えっと、他にも作ってる人は何人かいて」
「はははっ。わかってるよ。でも君、売り子の方が合ってるんじゃない?看板娘になれるよ」
「そんなそんな…」
はぁ?看板娘だと?
そんなの…俺が許さねーよ。
その男は弁当を買い終わると、ニコニコしながら「また来るね」と言い残し、帰っていった。
店の客は俺だけになった。
すると、もう1人レジにいた40代の女性が彩葉に小声で話しかけていた。
「彩葉ちゃんの彼氏?」
「はい」
「やだかっこいい。確か一緒に住んでるって言ってたよね?」
「はい」
「お店にまで来るなんて、ラブラブだねぇ」
小さい声だったけど、俺にははっきりと聞こえた。
俺は適当な弁当を手に取ると、レジに持っていき、その女性に挨拶をした。
「こんにちは。長谷川と申します。彩葉がいつもお世話になっております」
「いえいえ。こちらこそいつもお世話になっております。店主の妻のミズハラ ワカナと申します。彩葉ちゃんが入ってから、なんだか明るくなったんですよウチの店。ほら、うちおばちゃんばっかだから。あははっ」
ワカナさんは明るい人だった。
奥さんが店頭接客をし、旦那さんとアルバイトの人たちが奥で弁当を作ってるのか。
そのあとも少し世間話なんかをしてから、彩葉にレジをしてもらい、シャツや帽子を回収すると家へと帰った。
さっきの男たちの言葉が耳に残ってる。
苛立ちがなかなか鎮まらない。
まだ温かい弁当を手に取ると、俺はゴミ箱の中に叩きつけた。
それから家中のゴミ箱からゴミを集めると、1つにまとめ、マンション内のゴミ捨て場に持って行った。
結婚したい…
そうすれば少しは安心できるのに…
夕方になると、俺はご飯の支度をした。それが終わると彩葉を迎えに行った。
「お疲れ様」
「いつもと違うことしたから疲れたぁ」
「ははっ。そうだよね。よく頑張ったね」
俺はすぐに彩葉の手を握った。
「このまま販売の方をやるか、ワカナさんに聞かれて」
は?
「断っちゃった。1日中笑ってるのってしんどい。あの時カフェの募集に応募しなくてよかったよ」
…よかった…
新しい人が見つかるまでの辛抱だ。
そのくらい我慢しろ。こんなことくらいで気持ちを乱すな。冷静でいろ。
彩葉の手を握っているからか、やっと苛立ちが収まってきた。
「何が美味しかった?今日買ったお弁当の中で」
…俺は必死に弁当の内容を思い出した。
「付け合わせのポテトサラダ、結構好きな味付けだったな」
「あ、あれ私も好きー。美味しいよね。あとは?」
あとは…──
「タラの西京焼きかな。それと──」
確か…
「きんぴらと、卵焼き」
「うんうん。わかるわかる。私も今りっちゃんが言ったもの好き。特に出汁の効いた甘い卵焼き」
そんな味だったのか。
「ね。でもどれも美味しかったよ」
「じゃあ今度、お家でもあんな卵焼き作るね?」
「楽しみ」
今度はちゃんと食べないと…
それにしても…彩葉かわいい。やっと気持ちが落ち着いてきた。
やっぱり彩葉には、家にいて欲しいな…
今日は彩葉がサキちゃんと買い物に行っている日だ。楽しんでるといいな。飲みにも行くと言ってたけど、どの辺で飲むんだろう。
「この前行ってきたよ、水族館」
ヤマダが話しかけてきた。
「あんまり遅くならないといいけどな」
「すっげー楽しかった」
「遅くなるようなら迎えに行かないと」
「2人でさ、これこれ、見て?イルカのキーホルダー買っちった」
俺はそれを聞いて、キーケースを手に取り、彩葉からもらった、にゃんずのキーチェーンを見ていた。
「告白するのは、あと何回くらいデートしてからがいいかな?」
「かわいい」
「長谷川はどのタイミングで告白したの?」
「あとで連絡してみるか」
「なぁ、教えてくれよ」
「はぁ…そんくらい自分で考えろよ」
「わっかんねーんだよ。独り身を拗らせすぎて」
「そんなのお互いの空気感とか、雰囲気でなんとなくわかるだろ」
自分が欲しいと思う相手なら、どんな手を使ってでも手に入れる。俺はある時からそう決めたんだ。相手を愛するだけじゃだめなんだ。ちゃんと相手を理解しないと…
休憩時間になり、彩葉にメッセージを送ると、すぐに返ってきた。
『早い時間からやってる居酒屋に行くから、りっちゃんより早く帰るよ。夜ご飯はもう準備してきたから、帰ったら仕上げするだけになってる』
嬉しい。帰ったら彩葉はいるんだ。
『ありがとね。あんまり飲みすぎないでね』
『はーい』
俺はしばらくそのメッセージを眺めていた。
無機質でデジタルな文字なのに、この文章を彩葉が打ち込んだと思うだけで、それすらも愛おしく感じてしまった。
どんな顔でこの文字を打ち込んだんだろ…
こんな顔かな、あんな顔かな?
そう考えるだけで、気持ちがとても穏やかになった。




