1 誰?
目覚めると…
そこは病室だった…。
あれ…?
なんで病院に…
私は体を起こした。
「いたた…」
頭が痛い。
私は頭を触った。
コブができてる…。
あれ?
私に何があったの?
…──
だめだ。なにも思い出せない。
そこへ私に気がついた看護師さんが声をかけてきた。
「具合はどう?」
「…」
「どこか痛いところとかある?」
「…たんこぶ…」
「今先生呼んでくるからね」
「はい…」
そのあとすぐに先生が来て、私は色々と質問された。名前、生年月日、年齢、家族構成、その他もろもろ…
「今は西暦何年ですか?」
先生にそう聞かれ私は答えた。
先生は少し難しい表情をした。
「山口さんは先ほど、ご自身の年齢を24歳と仰いましたが、今26歳です」
…え…?
先生は今の西暦を教えてくれた。
「…私…2年間も眠り続けてたんですか?」
「いいえ。山口さんは1週間前に運ばれて来ました」
1週間前…
どういうこと?
窓の方にチラリと目をやる。
私の気持ちとは裏腹に、青い空が広がっていて、とても気持ちがよさそうな日だった。
混乱している私に、先生はまたいくつかの質問をしてきた。それが終わると、先生はやっと説明をしてくれた。
「どうやら山口さんはここ最近の2年間の記憶を失ってしまったようです」
え…
うそ…
2年間の記憶を失った…?
ちょっと待ってよ…
さっきよりも余計混乱している私に、先生は容赦なく説明してきた。
1週間前、電車の事故があったと。私はその電車に乗っていたらしかった。
落雷を受けた木が線路に倒れ、電車に急ブレーキがかかり、私はそれで頭を強く打ったようだった。
うそ…
うそうそうそうそ…──
私は自分を24歳だと思ってたのに、一気に2歳も年を取ったような感覚になり、ひどくショックを受けた。
「先生、今長谷川さんと連絡が取れました。すぐに来るようです」
ハセガワさん…?
看護師さんは先生にそう伝えていた。
「長谷川さんのことは覚えていますか?」
私は首を横に振った。
誰…?
「…山口さんの婚約者です」
…婚約者…?
それからも先生は色々と話していたけど、もうその内容は頭の中に入ってこなかった。
気がついたら部屋には誰もいなくなっていた。
婚約者って…?
私、付き合ってる人がいたの?
だめだ。本当に何も思い出せない。
なんで…
なんでよ…
本当に2年間の記憶がすっぽりと抜けていた。
あ…
スマホ…
私は病室を探し回った。洋服以外、私の私物は何もなかった。
あれ?私の荷物は?スマホは?カバンは?
なんで何もないの?
そんなことをしていると、ドアがノックされた。
「はい」
私が返事をするとドアが開き、そこには…
──知らない男の人が立っていた。
「彩葉…」
誰…?
「俺が誰かわかる?」
私は何も言わずに、ただ首を横に振った。
その男の人は私のその反応を見て悲しそうな顔をした。
「律だよ。長谷川 律。忘れちゃった?覚えてない?」
私は頷いた。
この人が…私の婚約者…?
長谷川さんは私に近づくと、そっと手を握った。
「どう?俺のこと何か思い出さない?何か感じない?」
何も…感じない…。
でもその握られた手はとても温かく、長谷川さんが私のことを心の底から心配している気持ちが、伝わってきたように感じた。
「婚約者ってことは、私の家族とはもう会ったんですか?」
「ううん。これからその予定だった。彩葉は彼氏がいるってことも家族には言ってなかったよ。万が一別れた時に、そのことを報告するのが嫌だからって。だからちゃんと婚約をしてから報告したいって言ってたよ」
…その通りだ。
いかにも私の考えだ。
私は反対をする母をよそに、強引に秋田から上京してきた。
そんな感じで家を出たもんだから、せめて心配だけはさせないようにと、辛いことがあってもいつも平気なフリをしていた。
「…本当に…あなたは私の婚約者なんですか?」
「そうだよ?」
「…私の好きな食べ物は?」
私はとにかく確認がしたかった。
「たくさんあるよね?チョコレートケーキ、プリン、アイス、それから海鮮とか和食、洋食、エスニック系の料理も好きだよね?あとはえびグラタン」
…あってる…。
私はそれからも色々と質問をした。
誕生日、好きな色、私の実家は何県か。思いつく限りのことを質問した。
彼の答えは全て正解だった。
本当にこの人が私の婚約者…?
あー…
やっぱり何も思い出せない。
「ホクロ」
「え…?」
「左胸にホクロがあるでしょ?」
ある…。
「右太ももの内側にも」
ある。
それを知ってるってことは……
…だって普通に生活をしていて、そんなところにホクロがあるだなんてわからないよね?そんなことを知ってるってことは、つまりそういうことだよね?体の関係があったってことだよね?
「どう?信じてもらえた?俺が彩葉の婚約者だってこと」
「…」
「1週間後に退院できるらしいから、一緒に帰ろう?」
「一緒に?」
「そう。俺たち一緒に住んでるから」
…もう…頭がパンクしそうだ。
私、この人と同棲してるの?
あの家は?あの狭いアパート。私が初めて一人暮らしを始めたあのアパート。
私の記憶だと、まだ一人暮らしを始めて半年ちょっとしか経っていない。
それからも彼は色々と教えてくれた。
私たちは付き合ってもうすぐ2年になるらしい。1ヶ月前に彼は私にプロポーズをし、私はそれを受け入れたらしかった。
「写真…何か写真はありますか?私たち2人が写ってる写真」
「…残念ながら今はない」
「今はって?」
「あの事故の時にスマホが壊れたんだ。それに彩葉は写真撮るの嫌がるでしょ?だからあったとしても少ないかな」
確かにそうだ。私は写真が苦手だ。
「彩葉のスマホも壊れてる。でももしかしたらバックアップに残ってるかもしれない」
彼はそう言いながら私のスマホを差し出した。
画面がバキバキに割れ、明らかに起動すらできない状態だった。
「とりあえずさ、敬語やめて?」
「え…」
「それから俺のこと、“りっちゃん”って呼んで?」
「いや…そんなの無理です」
「彩葉は俺のこと、今までそう呼んでたんだよ?それに退院したら帰る場所はひとつしかないんだから。それとも秋田に帰るつもり?」
そんなこと言われたって…
本当にこの人を信用してもいいの…?
あ…
仕事…
「私仕事…」
「本当に何も覚えてないんだね。事故に遭う前に退職してるよ」
え…なんで…?
「俺が家庭に入って欲しいって言ったら、納得してくれたんだよ?」
そんな…
…でも確かに私ならあり得るかもしれない。
私が働いている会社はほとんど残業はない。ホワイトな会社だ。なのに…私の運が悪かった。
直属の上司がよく私につっかかってきてとても面倒なヤツだった。
私はとにかくその上司と離れて仕事をしたかった。
なんならその会社を辞めたいとも思っていた。
「…本当に私、仕事辞めたんですか?」
「そうだよ。もう限界だって言ってた。上司が無理だって」
たった半年でそう思ってたんだから、本当に限界がきていてもおかしくなさそうだな。
「今は色々と混乱してるよね?とりあえずあんまり考えすぎないで?また明日も来るから」
「…はい…」
しばらくすると長谷川さんは帰っていった。
もう…わけがわからない。
友達に連絡しようにもスマホがこんなんじゃ連絡ができない。電話番号なんて覚えていない。
それに私のことだ。
きっと友達にも彼氏のことは話してないだろう。
彼氏ができても、すぐに別れるかもしれないと想定し、素直に話すことができない性格だ。
本当に長谷川さんの言うことを信用していいのだろうか…。
全く…何も思い出せない。
その夜、私はひとり静かに泣いていた。
この現実を受け入れられなかった。
誰にも頼れない。
今頼れるのは長谷川さんだけ…?
私は自分の性格を恨んだ。
なんで家族や友達に彼氏のことを話さなかったんだろう…。
何が秘密主義だ。
もし何かあった時に、周りから哀れみの目で見られたくないから…可哀想なヤツだって思われたくないから、私はなるべく私生活や本音を隠して生きてきた。
くだらないプライドだ。
こんなことになるんだったら、ちゃんと普段から隠さずに友達に話しておくんだった。
そうしておけば、すぐに長谷川さんの言うことも信用できたのに。
次の日。
私は病院内の公衆電話の前に立った。
お金は昨日、長谷川さんが千円札5枚と5千円札を一枚置いて行ってくれた。必要なものはこれで買ってと言っていた。
私は病院内のコンビニで飲み物を買うと、崩れた小銭で職場に電話をかけようとした。
あ…番号覚えてない…
受話器を元の場所に戻すと、その場でヘナヘナとしゃがみ込んだ。
「彩葉…?」
そう呼ばれて振り向くと、長谷川さんがいた。
「何してるの?」
私は何も答えなかった。
そんな私を長谷川さんは立ち上がらせ、そっと抱きしめた。
「まだ混乱してるよね?大丈夫だよ。俺がいるから」
「…」
「不安だよね?俺のことわからないんだもんね?」
「…」
「大丈夫だから。それでも俺は彩葉のことを大事にするから」
「…私…あなたのこと何も知らない…」
「それならこれから知っていけばいいよ。俺はまた必ず、彩葉を振り向かせてみせるから」
そんなこと言われたって…
「愛してるんだ。だから今すぐに答えを出さないで欲しい。俺のことを思い出さなくたっていい。また一から始めればいいだけなんだから。とにかく退院したら一緒に帰ろう?」
彼の腕はとても力強かった。
それに…とても温かかった…。
それだけで私は自分が愛されているような気がした。
ただ…私からしたら見知らぬ人。
“愛されているような気”がするのに、いきなり抱きしめられて少し“嫌悪”を感じた。
私は…本当にこの人に愛されている…?




