18 もういいんだよ
ふと…タツヤくんのことを思い出していた。
本当にタツヤくんはいい子だな…
あの時タツヤくんは、本当に彩葉のことを心配していた。
タツヤくんとサキちゃんと、彩葉が飲みに行った時のことだ。俺は彩葉を迎えに行き、そこで初めて彩葉の友達と会った。
軽く挨拶を済ませたあと、タツヤくんは俺だけにこう教えてくれた。
「長谷川さんは彼氏なので、彩葉はちゃんと話しているかもしれないんですが…」
タツヤくんはこう切り出した。
「彩葉、“つきまとい”にあってるの、ご存知ですか?」
つきまとい…?
「…うん。知ってるよ」
「よかった…彩葉って秘密主義なとこあるでしょ?サキと違って、あんまり自分のことを話さないんです。もしかしたら長谷川さんに心配かけたくなくて、話してないかと思ってた」
「…でもそんなに詳しくは知らないんだ。相手はどんな人かわかってるの?」
「いえ…そこまではわからないらしくって…というか、気配を感じても、振り返るのが怖いみたいなんです」
怖い…
「今は一緒に住んでるんですよね?」
「そうだよ」
「引っ越したなら、もう大丈夫かもしれません。仕事も辞めたと言ってたし…それに今は長谷川さんもいますしね」
「それ、今の彩葉は知ってるの?」
「怖がらせたくないので話していません。だから今、こうやって長谷川さんに話してるんです」
“怖がらせたくなくて”…
タツヤくん…なんていい子なんだ…。
「教えてくれてありがとう」
「いえ。彩葉のこと、よろしくお願いします。自分の気持ちを言うのが苦手な子なので」
「うん。俺がちゃんと守るから」
あの時、タツヤくんとそんな会話をしていた。
つきまとい…か…
彩葉は怖い思いをしていたのか。
「りっちゃんっ。いいバイト見つけたっ」
やっぱり彩葉は働きたいのか…
心配だから家にいて欲しい。
「どんなの見つけたの?」
「お弁当屋さんの仕込み?食材切ったり、盛り付けしたり、多分そんな感じ」
それならいいかも。
「週2〜3日とかでも大丈夫なの?」
「一応そう書いてあったけど、あとは面接してみてって感じかな?」
「そっか。ならいいんじゃない?」
「じゃあ応募してみよっと」
裏仕事なら安心だな。この前言っていた、カフェみたいな接客業だと、彩葉に悪い虫がついてしまうんじゃないかと心配になるけど、そういう仕事ならそんな心配は少なくなる。
あとは従業員だ。従業員に男がいるかどうかだ。
でも…調理系なら意外と主婦が多いとかあるのかもしれない。できれば女しかいない職場で働いて欲しい。
本音はこのまま働かずに家にいて欲しい。
だけど…もうこれ以上、バイトのことを有耶無耶にすると、彩葉が疑問に思うだろうし、引き止める材料ももうない。
「受かるといいね」
「うんっ。面接頑張るっ」
彩葉の純粋なその笑顔を見て、俺は後ろめたさを少し感じた。
あれから彩葉は面接に行き、見事採用された。
彩葉はそれをとても喜んでいた。
「私ね?学生の時に、ファミレスのキッチンで働いてたことがあるから、その時の経験が役立つといいな」
「経験は何事にも役に立つよ」
「そう思う?」
「思うよ」
彩葉は楽しそうにしていた。
「あんまり無理しないでね?もし彩葉に合わない職場だったら、すぐに辞めていいからね?」
「今から頑張ろうとしてる人に、辞める話なんてしないでよね」
「ははっ。それもそうだね」
あー…彩葉は働くのか…嫌だな…
「りっちゃん?」
「…ん?」
「どうしたの?」
「どうもしないよ?」
俺たちは今、2人でソファに座っていた。
彩葉はおもむろに俺の上にまたがると、そっと抱きしめてくれた。
「りっちゃん…大好き…」
「…いきなりどうしたの?」
「記憶を失くす前の私は、そうしてたんでしょ?」
「……うん…そうだね。そうしてた。」
俺がそう言うと、彩葉はさっきよりも俺
を抱きしめた。
「好き…りっちゃん…」
「俺も好きだよ」
彩葉はきっと、俺の不安な気持ちを察してそうしてくれたんだろう。
彩葉のバイト初日。俺はずっとソワソワとしていた。
失敗せずに上手くやっているか、彩葉が嫌な思いをしてないか、従業員に…男はいるのか…
そういうことが気になって仕方がなかった。
家に帰ると、すぐにバイトの話を聞いた。すると彩葉は楽しそうにしながら色々と教えてくれた。
「…男はいた…?」
「んーとねえ、店長さんは男の人だった。奥さんとすごく仲がよくて、微笑ましいなって思ってたら、夕方頃にちょっとしたケンカしてて」
「それで?」
「なんかリアルな夫婦を見たって感じ?」
「ははっ。そっかそっか。それで?他に男はいた?」
「ううん。店長さんだけだよ」
よかった…。
「…男の人いたら心配?」
「俺は心配性だからね」
「あははっ。なんでそんなに心配?」
「彩葉がかわいいから」
俺が“かわいい”と言うと、前までの彩葉なら少し照れていたが、今では笑うようになった。
それは喜んで笑ってるわけではない。“もう、また言ってるよ”というような、少し呆れた笑いだ。
「今日ね、スーパーのお惣菜なの。久しぶりに働いたから、少し疲れちゃって…」
「いいよ。バイトの日は彩葉のところのお弁当買って帰ってきてもいいし」
「…ホント?」
「うん。無理して作ることないよ」
俺がそう言うと、彩葉は申し訳なさそうにしていた。
彩葉は早速テーブルの上に、温めたお惣菜を準備すると、2人で一緒に食べ始めた。
「あのね、前に話したユイナのこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
「来週から本当に来るみたい」
「おっ、じゃあ4人で飲める?」
「うん。ユイナも楽しみだって言ってた」
あいつ喜ぶだろうな。ヤマダのそんな喜ぶ姿が、簡単に頭の中に浮かんだ。
……うざいな。
「…ねえ…なんかさ、頭痛くなったりしたことない?」
「え?頭?低気圧の時は、たまに痛くなるけど」
「そうじゃなくて、記憶が戻りそうな時ってさ、ドラマとかだど頭痛くなってるじゃん?」
「…あー…ごめん…そういうのもないし、全く思い出せない」
彩葉は悲しそうな顔をした。
「ごめん。そうだよね。もしそうなってたら、彩葉はちゃんと教えてくれるもんね。決めた。もう二度と聞かない。だから彩葉も無理して思い出そうとしなくていいよ?」
「ごめん…」
「だからいいってば。今こうやって、一緒にいるんだしさ、それだけで十分」
「…りっちゃん…」
もういい。もう彩葉は罪悪感を抱えなくていい。そんな必要はない。
そのあとはいつも通り、床に座るとにゃんずたちと遊んだ。やっぱりこの光景かわいい…彩葉とにゃんずたち…俺はスマホを手に取ると、また写真を撮った。
「また写真撮ってるの?この前たくさん撮ったじゃん」
「んー?にゃんずたちを撮ってるよ」
「カメラが私に向いてるよ」
「んー?そんなことないよ?」
俺は彩葉ばかりを撮っていた。
…本当…かわいい…
今度ピックアップして、写真プリントしちゃおっと。
それにしても…
諦めなくてよかったな、彩葉のこと。
本当によかった。
彩葉が好きだと言ってくれてから、世界がガラリと変わったな…キラキラとして見えた…
まるで自分に羽が生えたかのように、ふわふわとした気分になった。
まぁ…それは今でも変わらないか。
そんなことを考えていると、彩葉が急ににゃんずたちと遊ぶのを辞めてしまった。それに彩葉の表情は暗かった。
「どうしたの?」
「りっちゃん…本当にごめんね?何も思い出せなくて…」
「もう今後、この話をするのはやめよ?俺は大丈夫だから」
もういいんだよ?彩葉。
これ以上思い出そうとしなくていい。
自分を責めなくていい。
彩葉はこうやって、俺のことを好きになってくれたんだから。
──…だから…本当にもういいんだよ?
「だって…りっちゃん辛いでしょ?」
そんなふうに言う彩葉を「大丈夫だから」とまた言いながら抱きしめた。
辛くなんかないよ。
だって…
そんな事実はないんだから。
俺たちは婚約関係でも、恋人同士でもなかったんだから。もちろん友達でもない。
彩葉は俺の名前すら知らなかったんだから。
だから…
思い出すもなにも、最初からそんなものはないんだ。
だからもういいんだよ?
苦しまなくたって。
彩葉をこうやって、手に入れることができたんだから…




