17 かわいいがあふれてる
「いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
俺は彩葉に軽いキスをしてから家を出た。
「はぁ…」
幸せだ…
思わずため息が出てしまうほどに、俺はそう思っていた。
彩葉から好きだと言われた時、胸がきゅうっとした。
やっと…その言葉が聞けた。
彩葉もだんだんと素を見せてくれるようになったし、体の調子も良さそうだ。
にゃんずたちにも好かれてるし、毎日楽しそうにしている。
それにしても杏のヤツ、結局彩葉に懐いたな。最初は俺だったのに…。ま、それもそっか。彩葉と一緒にいる時間のが長いもんな。それに、にゃんずたちと遊んでる彩葉は本当にかわいい。
それを見ているだけでも俺は幸せな気持ちになった。今思い出しただけでも、つい口元が緩んでしまう。
職場に着くと、ヤマダが話しかけてきた。
「朝からニヤニヤしやがって」
「家にはかわいいがあふれてるからな」
「俺にもその幸せ分けてくれよ」
「早く帰りたいな」
「彩葉ちゃんの友達、俺に紹介して?」
「今日のご飯はなんだろう…」
「それで今度4人で飲もうぜ」
「彩葉は今何してるかな」
「な?それ楽しそうだよな?4人で飲むの」
「次の休みはどこに連れて行こう」
「頼むっ。俺の話をちゃんと聞いてくれっ」
「ははっ」
「笑って誤魔化すなよ」
ヤマダはずっと彼女がいないらしい。
最初は気にしていなかったらしいけど、仲のいい数人の男友達が、次々に彼女ができ始めたらしく、焦りが出てきたようだ。
「なぁ頼むよ長谷川ぁ」
「今度彩葉に聞いてみるよ。でも彩葉は上京してきてるから、あんまり期待すんなよ?」
「今度じゃなんくて、今夜聞いてくれよ」
「覚えてたらな」
「あと俺にも優しくしゃべって?」
「なんなんだよ前から」
「だって、彩葉ちゃんといる時のお前、優しい感じだったんだもん」
だからなんだよ。
「俺も優しくされたい。俺、ガラスのハートだから」
「俺は優しいだろうが。お前のミスをフォローしてるだろ」
「でも毎回めっちゃ機嫌悪くなるじゃん」
「それはお前のミスが多いからだ」
「今度から優しく怒って?ね?りっちゃん」
「まずミスを減らせ。それからそう呼んでいいのは彩葉だけだから」
本当にこいつは…
とりあえず彩葉に聞いてみるか。
彩葉が俺の職場の人と仲良くなるのは嬉しいし。
彩葉の友達…
こっちにいるのはサキちゃんくらいだったはず…
他にもいるのかな?
そんなことを考えていたら、お客さんが来店してきた。
よし。今日も彩葉のために頑張ろう。
日が沈み、暗くなった。
時間を確認すると、閉店時間まであと10分だった。担当したお客さんはもう帰り、俺は書類の確認などをしていた。
早く帰りたい。
……。
時間が来た。よし、あとは明日の準備をして…
俺は急いで作業を進めた。
帰る時にまた、ヤマダが声をかけてきた。「彩葉ちゃんによろしく言っといてね。絶対だからね」と言っていた。
急いで電車に乗り、最寄駅で降りる。改札を出ると…
「りっちゃん」
声のする方を見てみると、彩葉がいた。
彩葉…会いたかった。
「どうしたの?」
「買い忘れたものがあったから、それを買うついでに迎えに来た」
「…俺を何回殺したら気が済むの?」
俺がそう言うと、彩葉はポカンとしていた。
「え?どゆこと?」
「俺、あと2回しかライフ残ってない」
「ははっ。何それ、ライフって。じゃあどっかで無限1upしてきて?」
「どこにあるの?」
俺はすぐに彩葉の手を握ると、2人でなんてことのない会話をしながら帰った。
別にヤマダのことを忘れていたわけではない。今はとにかく彩葉の話が聞きたかった。「今日きなこがねー?」、「杏がさぁ──」、そう言いながら楽しそうに今日の出来事を話してくれた。
俺もその日にあったことを話した。「こんなお客様さんが来たんだよ」、「いい物件を見つけたんだけど、欠点があってさ──」。
別にヤマダのことを忘れていたわけではない。
俺は家に着くまで、とにかく彩葉との会話を楽しんだ。
次の日、ヤマダは俺の顔を見るなり、ニコニコとしながら話しかけてきた。
「聞いてくれた?」
「何が?」
俺はなんのことかわかっていたけど、そう言った。
「彩葉ちゃんだよ。誰か紹介してくれって話」
「悪りぃ。忘れてた」
何度も言う。別に忘れていたわけじゃない。
ただ、彩葉とのおしゃべりで忙しくて、そんな時間が取れなかった。
「なんだよー。楽しみにしてたのに」
「そもそも紹介できる子がいるかもわかんないんだぞ?」
「いいのいいの。とりあえず数打ち当たれ?的な」
「お前最低だな」
「ちげーよ。とにかく俺には出会いが壊滅的にないだけだ」
それは本当のようだった。
俺はそんなヤマダにマッチングアプリを提案したら、それは“最終手段”だと言っていた。
別に今時めずらしくないんだから、とりあえず使ってみればいいのに。
俺は休憩になるとスマホの写真を眺めた。
彩葉とにゃんずたちの写真。昨日なんとか彩葉を説得し、写真を撮らせてもらった。
俺が何枚も撮っているうちに、彩葉も慣れてきたのか、最後の方はカメラ目線のものも撮らせてくれた。
その笑顔は少しぎこちなくはにかんでいる感じだった。
…かわいい…
でも俺のお気に入りの1枚はこれだけではなかった。
彩葉がきなこを見つめている優しい笑顔。そこへ杏が、まるで自分も構ってというかのように、彩葉のことを見つめている写真だ。
だめだ。ニヤけてしまう。
ついつい口元が緩んでしまう。
くぅぅうっ。たまらんっ。
俺は早速、それをロック画面の壁紙に設定した。これで時間を確認するたびに、この写真が目に入る。
もっと彩葉の写真、撮りたいな。
仕事が終わり家に帰るとお互いに、今日の出来事を報告しあった。
…しょうがないからヤマダの話をしてやるか。
「彩葉、ヤマダがね、誰か紹介して欲しいんだって。誰か紹介できそうな人いる?」
「あー、前にヤマダさんのお母さんも、冗談でそんなこと言ってたね」
「そうそう。だからもし紹介できそうな人がいればなって」
彩葉は何か考えているようだった。
「今度ね、ユイナって子がこっちに上京してくるの。親戚が武蔵野市に住んでて、お世話になるんだって。んでね、こっちで仕事探すって」
「なんでこんな時期に?」
「彼氏と別れて、地元にいたくないって言ってた」
「そんな理由で?」
「うん」
それから彩葉はその子のことを教えてくれた。
性格云々が合うかはわからないけど、ユイナって子は、ヤマダの顔が好きな系統かもと言っていた。
「でもわからないよ?勢いでそう言ってただけかもしれないし」
「サキちゃんは?」
「サキは…好きな人がいるから」
「そっか」
それなら仕方ないな。
とりあえずヤマダには“いなかった”と言っておこう。こっちに来るかどうかもわからないのなら、期待をさせない方がアイツのためだ。
俺と彩葉は驚くほど順調に、関係を築いていった。
俺は日に日に…
彩葉への想いが強くなっていった。
暇さえあれば彩葉の写真ばかり見ていた。
…これかわいい。あ、これも…これもこれもかわいい。これなんか杏の表情もいいな。彩葉に負けない可愛さがある。これもいい。こっちはテーマパークに行った時のだ。かわいいなぁ。ハンバーガー食べてるのもかわいい。ジュース飲んでるのもかわいい。
俺のスマホの中には、彩葉の写真が大量にあった。
「まだ5月なのに暑いね」
洗濯を干してる彩葉が話しかけてきた。
「ね。夏が怖いよ」
「本当それ。お昼はさっぱりしたのにしようか」
「俺が作るよ」
「いいの?」
「いいよ」
彩葉は「ありがとう」と言うと、嬉しそうにしていた。彩葉は俺が作る料理を、いつも美味しいと言ってくれていた。
昼になりキッチンに立つと、早速調理を始めた。出来上がると、彩葉といっしょに“いただきます”をした。
俺は彩葉の反応を見たくて、こっそりと見ていた。きっといつもみたいに可愛く笑いながら美味しいと言ってくれるはず…
…。
「ぷっ…」
彩葉を見て俺は思わず吹き出してしまった。
「えっ?なに?」
「っ…ははっ…あははっ」
それから耐えきれずに笑ってしまった。
「なになに?私なんか変なことした?」
「ははっ…ちょっ…ごめっ…」
俺は肩を震わせながら笑っていた。
「ちょっとっ、なんで笑ってるのっ」
彩葉は少し拗ねるようにそう言った。
だめだ…ツボった…かわいすぎるっ。
「りっちゃんっ」
「ごめんっ…ちょっと今っ、しゃべれなっ…ははっ」
俺はなんとか自分を落ち着かせた。
「ごめん」
「なんで笑ったの?」
「彩葉、今何食べてるの?」
「…何って…りっちゃんが作ってくれた冷やしうどんだけど」
「今彩葉ね?ふーふーしながら食べてたよ?」
「え…?うそだぁ。そんなことしてないっ」
「してたの。熱くないのにふーふーしてたの。…ははっ。だめだっ。かわいすぎてかわいすぎるっ」
「もーっ。そういうこともあるでしょっ?笑いすぎだよ。それに笑いのツボ浅すぎっ」
俺にからかわれて、少しだけ怒る彩葉はやっぱりかわいかった。俺はそれを見てまた笑ってしまった。
「もう…ふふっ。笑うのっやめてよっ…ははっ」
「彩葉も笑ってんじゃんっ」
「りっちゃんが笑ってるからっ、ふふっ…うつっちゃったのっ、あははっ」
「はははっ。ちょっ…彩葉笑うのやめてっ」
「だってっ、熱くないのにっ…ふっ…ふーふーって…」
ああ…なんだこれ…
まるで夢のようだ…




