12 変化
「明後日、職場の飲み会が入ったから、ご飯はいらないよ」
「わかった。楽しんできてね」
「…彩葉も来る?」
「え…?職場の飲み会でしょ?」
「いや、ヤマダのヤツがさ、彩葉のことを言いふらしてて、みんな彩葉に会いたい会いたい言ってるんだよ」
それを聞いて、また私の胸がきゅっとした。
「私は…遠慮するよ」
「そうだよね。緊張しちゃうよね」
「うん」
ソファで隣に座っているりっちゃんは、私の頭を優しく撫でた。
「ごめんごめん。ただね、彩葉の気分転換にもなるかなって思ってさ。彩葉は子猫を迎える準備のために、バイトを延期したでしょ?だからたまには俺以外の人と関わるのもいいかなって」
まただ…
またりっちゃんは私の気持ちを優先して…
「来て欲しい?」
「んー?どちらかというと、俺が行きたくない。彩葉のいる家に、すぐに帰りたい」
りっちゃんって、ホントこういうことサラッと言っちゃうんだよな。
こんなりっちゃんと一緒にいたから、私も“りっちゃん大好き”だなんて言うようになったのかな…?
カップルって、お互いに似てきたりするもんね。私も徐々にりっちゃん寄りになっていったのかな?それで自然と愛情表現ができるようになっていった…って感じなのかな?
「ねえ…彩葉」
「ん?」
「…ごめん。言いたくなっちゃったから言わせて?」
「うん」
なんだろう…
真剣ながらも、りっちゃんの表情がさっきよりもフッと柔らかくなった。
「大好き」
「…」
「…」
「…りっちゃん…」
「って、そんなのもう伝わってるか。ははっ」
りっちゃんは空気を変えたかったのか、そう言って笑っていた。
「明後日はお茶漬けで済ませたらだめだよ?」
急に話題が変わった。
「うん。ちゃんと作る」
「作らなくてもいいよ。1人だから面倒でしょ?デリバリーとかにしなよ」
「わかった。そうする」
この前から胸のざわつきが治らない。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
“付き合う”だけならまだしも、“婚約者”。
私の中ではどうもそれを重く感じてしまって、中々前に進むことができなかった。
私たちの間で付き合うことは、“結婚を前提に”がどうしても付きまとうからだ。それだけがどうしても重かった。
付き合うだけなら…別に…
私はそう思うようになっていた。
「いろはーただいまー。飲まされちゃったよー」
りっちゃんは今日、会社の飲み会だった。
りっちゃんは…酔っ払っていた。
「おかえり。お水飲む?」
「んーおねがーい」
私はソファに座るりっちゃんに、お水を持って行った。
「あんがと」
なんだかいつもと違って、りっちゃんが可愛く見えた。
「いろはーただいまー」
「…それさっきも聞いたよ?」
私は笑いながらそう言った。
「…そうだっけー?へへっ」
「楽しかったの?」
「んー?楽しくなんかないよー、彩葉がいないんだもん」
「でも今楽しそうだよ?」
「帰ってきたからだよー」
りっちゃんはそう言いながら私を抱き寄せた。
私は体勢を崩し、りっちゃんに体重を乗せる形になった。
「いろはーただいまー」
私はりっちゃんのことを抱きしめた。
「うん…おかえり、りっちゃん」
「いろはー」
「…」
「…いろは…」
「……」
「…すき…」
…。
「うん…」
「いろはすき…」
「…うん…」
私も…
好きかもしれない…
どうしよう…
「…いろは…」
「うん…」
「…しゃわーあびてくる」
「こんな状態で大丈夫?」
「だいじょーぶ」
りっちゃんはそう言うと、浴室へ向かった。
出てくるとすぐにソファへと横になり、眠ってしまった。
私はりっちゃんに毛布をかけると、ベッドへと行き、眠りについた。
スマホのアラームで目を覚ますと、目の前にりっちゃんがいた。
お互いに横向きで、向かい合うような体勢だった。
たぶん…りっちゃんは夜中にトイレにでも行って、無意識にベッドに来たんだろう。
寝顔…かわいいな。
私はりっちゃんに手を伸ばし、そっと頬に触れてみた。でもそれのせいで、りっちゃんは目を覚ましてしまった。
「…んー?彩葉?」
りっちゃんはそう言うと、私を抱き寄せ…
…気がつけば唇が重なっていた。
…サキの言葉で言うのなら…それは、濃厚なキスだった。
私は驚いて、りっちゃんの胸を押し返した。
「……ん?なに?やだ?」
寝ぼけてる…
りっちゃんはきっと、寝起きで記憶が混乱してるんだ…
…心臓が…壊れる…
「んー…いろは…もう少し寝よ?」
「…うん…」
「その前にもう1回ちゅー…」
りっちゃんはそう言うと軽いキスをし、それから私を抱きしめた。
私たちは…今まできっとこんな感じだったんだ…
こんな感じで過ごしてたんだ…。
私は再び眠ったりっちゃんの体に腕を回し、そっと抱きしめた。
目が覚めたのは私の方が先だった。
私たちはまだ抱きしめ合っていた。
あったかい…
安心する…
私はさらにりっちゃんに近づくようにした。
…りっちゃん…
りっちゃん…
しばらくそうしてから、私はそっとベッドから離れた。
カーテンを開けると、柔らかい光が部屋の中を暖かく照らした。
気持ちいい…
朝ごはんを用意していると、りっちゃんが起きてきた。
「おはよ。…彩葉…俺…」
りっちゃんは気まずそうに話しかけてきた。
「…俺…ごめん…たぶん寝ぼけてベッドに──」
「あははっ。大丈夫だよ」
「変なことされなかった?俺に…」
変なこと…は、されてない。
ただ少し触れ合っただけ…
「大丈夫だよ?」
「そっか。それならいいんだ。なんか…幸せな夢を見たから…」
「幸せな夢?」
「うん…彩葉とキスした夢。記憶かな?」
…。
「なんて、そんなこと聞かされても、彩葉からしたら気持ち悪いだけだよね。ははっ。ごめんごめん、変なこと言っちゃって」
「…したよ」
「え…?」
「キス…したよ」
「…うそ…」
りっちゃんは困ったように眉を寄せた。
「ごめん」
「大丈夫だよ」
「…本当に…?」
「ははっ。大丈夫だから」
キスのひとつやふたつ…子どもじゃないんだから。
「…嫌じゃ…なかったの?」
…嫌じゃなかった。
「…うん…」
りっちゃんはフリーズをしたように、しばらく私を見つめたまま動かなかった。
「…ハグ…していい?」
私はその言葉を聞いて、りっちゃんのことを抱きしめた。りっちゃんもすぐに私のことを抱きしめた。
窓から降り注ぐ太陽の光はやっぱり柔らかく、私たちのことを優しく包み込んでくれた。
子猫をお迎えする日が来た。
お昼前に車に乗り込むと、ヤマダさんの実家へと向かった。
「いよいよだね」
「そうだね。彩葉、これから忙しくなるよ?子猫だからやんちゃだよ?」
「そだね。壁で爪研ぎしちゃったらどうしよう?」
「ははっ。それはもう諦めるしかないね。ソファで爪研ぎする子もいるから、それも覚悟しておかないと」
「…私、ちゃんと見張れるか心配」
「ムリムリッ。見張っててもあいつらは隙を狙ってやっちゃうんだから、そうなっても彩葉は気にしちゃだめだよ?」
「…」
「いいんだよ?ペット可のマンションだし、そうするのはあいつらの習性なんだから」
やっぱり好き…かも…
「そんなことより、うちに来てちゃんとご飯を食べるかだよなー。緊張してご飯が食べられないのはかわいそうだもんな」
独り言のように、りっちゃんはそう呟いていた。
言いたい。伝えたい。
りっちゃんに“好き”だと伝えたい。
でも…
やっぱり“婚約”というのが重くのしかかる。
ライトな付き合いから始めたい。
でも私たちはそれがない…たぶん…
「車酔いしちゃった?」
「え?」
「いや、やたら静かだからさ。もう少しで着くからね?体調、大丈夫そ?」
「全然平気だよ?」
「手」
「…?」
「俺の手握って?」
私は言われた通りにした。
「つっかまぁえたー」
「…」
りっちゃんはあからさまに、明るくそう言った。かと思えば急に真剣な声で…
「彩葉…なにを考えてるのか知らないけど、元気だして?」
「…」
「…ね…?」
本当に…この人はどこまでも優しい…。
…好き…
そんなことを考えていると、ヤマダさんの実家に着いた。
「「おじゃまします」」
私たちは声を揃えてそう言うと、家に上がった。
ヤマダさんのお母さんから、簡単なお祝いの言葉をもらい、お互いに挨拶をすませた。
それからにゃんこたちに会わせてもらった。
りっちゃんはヤマダさんと話していた。
ふふっ。この前見た時よりも大きくなってる。
「おっ、きなこも杏も元気そうだね」
ヤマダさんと話終わったりっちゃんが隣に来た。
りっちゃん近い…
それだけで意識してしまった。
「いや…元気すぎるな…」
呟くように、りっちゃんはそう言った。
「うん。めっちゃやんちゃ」
「ははっ。そうだね。彩葉これから忙しくなっちゃうね」
そこにヤマダさんも近づいてきた。
「お前、彼女ちゃんにはそんな優しく話しかけんだな。俺にもそうして?」
「やだよ、気持ち悪りーな」
「ねえ、俺にも優しくして?」
「いやだっつってんだろ。離れろ」
ヤマダさんは、りっちゃんの肩に腕を回しながらそんなことを言っていた。
りっちゃんって私以外にはこんな感じなんだ。
前にここに来た時も思ったけど、職場ではこんな感じで軽口を叩いて、ふざけたりもしてるんだろうな。意外だ。
まだまだ知らないことがたくさんあるな。
りっちゃんの新たな一面を知ることができて、なんだか嬉しかった。
「彩葉?なに笑ってるの?」
「ふふっ。2人が面白いから」
私がそう言うと、ヤマダさんが私たちの会話に割って入ってきた。
「なになに?俺たち面白かった?」
「はい。こういうりっちゃんを見るのは初めてだったので」
ヤマダさんはそれを聞くと、「なんだよお前。彩葉ちゃんの前で格好つけてんのか?」といい、りっちゃんはそれに対して「別にそんなんじゃねーよ。どっちも素の俺だ」と言っていた。
そんな感じでまた2人の会話を聞いていると、インターホンが鳴った。
きっとお寿司が届いたんだ。
その後、みんなで会話を楽しみながら、お寿司をご馳走になった。
ヤマダさんのお母さんは私たちに「お似合いの2人だね」とか「彩葉ちゃん、息子に誰か紹介してくれない?」などと冗談を交えながら楽しそうにしていた。
最初は“お祝い“というのが気がかりになり、ご馳走になるのは少し憂鬱だったけど、楽しく過ごすことができて安心した。
それはきっと、私の気持ちの変化がそうさせたんだろう。




