11 焦り
りっちゃんは、病院の時の1回と、退院した日の1回…最初のその2回だけ、私のことを急にを抱きしめてきたけど、それ以降はしなかった。
いつも声をかけ、両手を広げて私のことを待つ。無理強いせずに、そうやって私のことを気にかけてくれていた。
それにしても…この前のハグ…
私はりっちゃんのことが好き?
それともりっちゃんに男らしさを感じたから…?
いや…意識してるからだ…
私は家事をしながらそんなことを考えていた。
もし仕事をしてたら、そんなこをとぐるぐると考えずにすむのにな…
ふと窓の外に目をやる。
今日もいい天気だな。
あ…そういえば仕事。サキもタツヤも、私が仕事を楽しんでいたって言ってたな。
本当に…?
あんなに上司のことを嫌ってたのに。
私は当時のことを思い出した。
本当にあいつ…嫌いだったな。
やめやめ。私にとっては嫌な思い出しかない。
そんなことより、今日の夕食どうしよう。
徐々にりっちゃんの好みはわかってきたけど…うーん…和食にでもしようかな。あとでスーパーに行って決めよう。
“りっちゃんが他の女の人に取られてもいいの?”
ふと、サキから言われた言葉を思い出した。
他の人に取られる…?
私はそれを想像しようと思ったけど、うまく想像ができなかった。
だってりっちゃんは、いつも私だけを見ているから。
買い物に行っても、スーパーに行っても、他の女の人を目で追ったりしない。
私がすれ違った女の人を見て、「さっきの人キレイだったね」と言っても、「ん?そんな人いた?」と、返ってくる。
だからりっちゃんが、私以外の人に目を向けることが想像できなかった。
…なんかそういうのって…なんだっけ…
胡座をかく…
私今、そんな感じになってるのかな?
甘え、図にのる…
なんだ…やっぱり私って嫌なヤツだ。
りっちゃんの優しさに胡座をかいてるんだ。
この人は私のことが好き。私のことを愛してる。愛しているから優しい。
そうやって心のどこかで思ってるから、危機感がないんだ。
このまま“もう少し待って”なんて続けていたら、りっちゃんはそのうちに私から離れてしまう…?
そこまで考えて、ようやく想像することができた。
りっちゃんが私以外の人を抱きしめる姿。キスをする姿。愛してると言っている姿。
それを想像すると、胸がざわついた。
そんなの…
イヤ…かも…
りっちゃんが帰ってきて、一緒にご飯を食べている時に、私は気になったことを聞いてみた。
「私ってさ、仕事楽しそうにしてた?」
「なんで?急にどうしたの?」
「あのね、サキとタツヤが、私が仕事を楽しんでたって言ってたから」
私がそう言うと、りっちゃんはご飯を口に運び、それを飲み込むと教えてくれた。
「……それはさ…彩葉が2人に心配かけないようにそう言ったんじゃない?俺には仕事キツいって言ってたよ?でも確かに、仕事に慣れてきた彩葉は、前よりもスムーズにできることが増えたって、喜んではいたかな」
りっちゃんのその話を聞いて、私は納得した。
私ならそうしそうだな。
確かに2人にはたくさん仕事の愚痴を聞いてもらっていた。でも、仕事でできることが増えるたびにそれも報告していた。嬉しかったから。
サキは私が愚痴るたびに、「私がその上司のこと、通り魔してやろっか?」などと言って笑わせてくれた。だからサキに心配かけないように、愚痴ってスッキリしたあとは、とりわけ明るく努めていた。
2人が仕事を辞めたのを、もったいないだのなんだのと言っていたから、不思議に思ってたけど、蓋を開ければきっとそんなもんだろう。
「他には何か言われた?」
「え?」
「何か言われて不思議に思ったこととか、違和感を覚えるようなことはあった?」
他には…ライブの記憶がなくて、悔しいことくらいかな…。
私はそのことを話した。
「ははっ。そっかそっか。それは悔しいよね。あのライブ、彩葉楽しみにしてたもんね。あのあと彩葉ね、1週間くらい余韻に浸ってたんだよ?」
そうそう、その感覚。ライブに行くと、いつもそうなるんだよね。
テーブルに置いてある、りっちゃんのスマホが鳴った。
「ごめん、ちょっと出てもいい?」
「いいよ」
私がそう返事をすると、りっちゃんはその場で電話に出た。
「おう、どうした?」
やっぱり、私と話す時とは違うな。
「え?いいよ別に。まだあれだし………そう、そういうこと。…え?…そうなの?」
りっちゃんは私を見ると、電話口の相手に「ちょっと待ってて」と言い、話しかけてきた。
「電話の相手ヤマダなんだけどさ、ヤマダのお母さんが、俺たちの婚約のお祝いに、お寿司取るから一緒にどうかって言ってるんだけど…」
そこでりっちゃんはスマホを下ろし、小声でこう言った。
「知らない人たちだし、彩葉きっと居心地悪いでしょ?」
私は何度も頷いた。
それに私たちは、そんなお祝いをしてもらうような関係ではない。
りっちゃんはスマホを耳に戻すと話し始めた。
「やっぱり悪いから遠慮するよ。……え?…いや、そんなこと言われても、お前がいけないんだろうが」
なんの話だろう。
テレビもなにもつけていないから、りっちゃんの話し声だけが部屋に響く。何を言っているかはわからないけど、りっちゃんのスマホからは少しだけヤマダさんの声が漏れていた。
しばらくすると、りっちゃんはまたスマホを下ろし、私に小声で話してきた。
どうやら実家で1人暮らしをしているヤマダさんのお母さんが、たまには賑やかな雰囲気で食事をしたがっているらしかった。
ヤマダさんは子猫の貰い手は、婚約中のカップルだとお母さんに伝えると、おめでたいことだから、一緒にお寿司を食べようと誘ってきたようだ。
ヤマダさんのお母さん、寂しいのかな…?
「りっちゃん、お寿司食べるのってお昼だよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあせっかくだからご馳走になろっか」
「いいの?」
「うん」
私はりっちゃんにそう伝えた。
「彩葉がご馳走になるって。……ああ、そうだよ。彩葉は優しい子なんだ。だいたい、お前が普段からお袋さんに寂しい思いをさせていなければ──」
りっちゃんはそんなことをヤマダさんに言っていた。
それにしてもりっちゃん…職場の人に、あんなにサラッと私のことを優しいとか言っちゃうんだ
…前に子猫を見せてもらいに行った時も、私のこと可愛い子って言ってたし…
私と違って、そういうのが平気な人なんだ。
「食事中に電話ごめんね。でもあいつすごく喜んでたよ?これでちょっとは親孝行できるって」
りっちゃんは笑いながらそう言っていた。
「でも本当によかったの?」
「うん。別にいいよ?」
「ありがとね。こっちの都合に付き合ってくれて」
私もりっちゃんに付き合わせてる。何ヶ月も…
「ん?どうしたの?やっぱり無理してた?」
「ううん。大丈夫だよ」
ここにきて、私の中でも焦りが出始めた。
このままじゃだめだ。
早く答えを出さないと。
私はずっと、事故の被害者は私だと思っていた。
でも…
被害者は私だけじゃない。
りっちゃんも…
「彩葉?」
「…」
私は──
「彩葉?どうしたの?」
りっちゃんの優しさに甘えて…
「彩葉?」
りっちゃんのことを試すようなことをしたり…
そんなことを考えていると、目の前に座っていたはずのりっちゃんが、ふわっと私を抱きしめた。
「どうしたの?何考えてるの?なんでそんな苦しそうな顔してるの?」
「…」
「彩葉?」
「…ごめんなさい…」
「なにが?」
「私…りっちゃんに酷いことしてる…」
「なんでそう思うの?俺は別にそんなふうに感じてないよ?」
「だって…りっちゃん辛いよね?」
「…俺は大丈夫だよ。だからそんなふうに思わないで?」
「でもりっちゃん…」
「ううん。俺は平気だから。彩葉は悪くないから。事故のせいなんだから仕方がないことなんだよ?だから大丈夫だよ?自分を責めないで?」
私は、りっちゃんの優しさにすがるように、強く抱きしめ返した。




