9 自分が知らない自分
そうだ。りっちゃんに飲みに行っていいか聞いてみないと。
前に連絡をしてから、サキとは頻繁にやり取りをして、飲みに行こうということになっていた。
今日からりっちゃんは休みだ。今は2人でソファに座り、お互いに猫のおもちゃをネットで探していた。
早速、飲みのこと聞いてみようかな。
「今度飲みに行ってきてもいい?」
「…誰と?」
「地元が一緒のサキ」
「あーサキちゃんか」
知ってるの?
「仲良いもんね」
「…サキに会ったことある?」
「ないけど、彩葉がよく話してくれてたから知ってるよ」
私…サキのこと、りっちゃんに話してたのか。
「迎えに行くよ」
え…
「飲む日と店が決まったら教えて?飲み終わる頃に迎えに行くから」
「別に大丈夫だよ?」
「なんで?いつものことなんだから遠慮しないでよ」
いつものこと…?
りっちゃんはいつも私を迎えに…?
「そうなの?」
「そうだよ?俺、心配性なの。だから迎えに行くよ」
心配性…
「それに彩葉はまだ記憶が戻ってないでしょ?だから余計に心配。サキちゃんと会って、また色々と混乱しちゃったり…なんてこともあるかもしれないしさ?」
そっか…そこまで考えてくれてたんだ。
「でも本当に大丈夫だよ?」
「彩葉が記憶喪失なこと、もう話したの?」
「うん」
「だったらたぶん、また大量の情報が彩葉に流れ込んでくると思うよ?」
大量の情報か…
確かにそうかもしれない。混乱したまま1人で帰るよりも、りっちゃんがそばにいてくれた方が安心するかも…
「…ありがと」
それに正直お酒が入った状態で帰るのはかったるいし、今までも帰りの電車の中で寝てしまって、乗り過ごしてしまうことが何回かあった。
だから迎えにきてくれるのはありがたい。
私は素直に甘えることにした。
この日はまたペットショップへ行き、ご飯や水の器、爪とぎ用のグッズなんかを追加で購入した。
買い物が終わり、車に向かって歩いていると、急にりっちゃんが私の腕を掴んで抱き寄せるようにした。
「あっぶな。なんだよあのバイク。あんなスピードで…」
りっちゃんは低い声でそう呟いた。
「急に引っ張っちゃってごめんね?大丈夫だった?」
私の心臓はバクバクとしていた。
それは急に引っ張られたこともあるけど、りっちゃんが片腕で、ガッチリと私のことを抱きしめていたからだ。
「…大丈夫…」
「ごめん。びっくりしちゃったよね?」
私はうなずいて返事をした。
「手、繋いでもいい?ここ道が狭いからちょっと危ない。また今みたいなバイクが来るかもしれないし」
私はその言葉にもうなずいた。
するとりっちゃんは私の手を握った。さっき抱き寄せたような力強さはない。
優しく、それでいてしっかりと包み込むように握った。
「彩葉の手、冷たすぎ。体の芯まで冷えちゃった?」
「ううん。大丈夫」
嘘でしょ…?
手を繋いでいるだけなのに、ドキドキとしていた。
いやいや…これはあれだ…
さっき急に抱き寄せられた余韻だ。今手を繋いでるからじゃない…と、思いたい。
それにしても…りっちゃんの手、あったかいな。
そう思ってると、りっちゃんが話しかけてきた。
「俺の手、あったかいでしょ?」
え…?エスパー…?
「今ちょうどそう思ってた…」
「ははっ。彩葉はね、寒い時期になるとすぐに手を繋いできてたんだよ?“あっためてー”って言いながら」
私が?そんな感じに甘えてたの?
手を繋ぐなんてことは今までの彼氏ともしてきたけど、私はそんな感じで甘えたことはない。
ベタベタしたり、イチャイチャするのが苦手だ。
それ…本当に私…?
「なんか…私っぽくない…」
「…」
りっちゃんはチラリと私を見ると黙ってしまった。
私が否定するようなことを言ったからかな?
りっちゃんの中では大切?な思い出なのに、本人からそう言われて、傷ついた…?それとも怒った?
「2年も経てば、変わるもんだよ?確かに彩葉はドライなところがあるよね。でもね、俺たち少しずつ関係を積み上げてきたの」
「…うん。ごめん」
「徐々に彩葉は素をだしてくれて、それで甘えてくれるようにもなったんだよ?」
「そうなの?」
「彩葉から初めて甘えられた時は嬉しかったな」
りっちゃんは懐かしむような表情をしていた。
「…どうやって甘えてきたの?」
「ん?知りたい?恥ずかしくなっちゃうんじゃないの?」
え?私なにをしたの?
聞くのが急に怖くなってしまった。
「どうする?聞く?」
怖いもの見たさ、というか怖いもの聞きたさで私は聞いてみることにした。
「あれはね、俺が1人でソファに座ってた時、お風呂上がりの彩葉が急に俺の上に座って、抱きしめてきたんだ。それから“りっちゃん大好き”って言ってくれたんだよ」
…私そんなことしてたの?
聞いただけで耳が熱くなるのを感じた。それほど恥ずかしかった。
「あははっ。顔が赤くなってるよ?ね?恥ずかしくてなっちゃったでしょ?」
「すっごく恥ずかしい…」
「もっとあるけど聞く?」
「いや…もういい…です…」
「あとはねー彩葉が──」
「だめだめっ。もう勘弁してっ」
私は繋いでる手を、ぶんぶんと振り回した。
するとりっちゃんは楽しそうに笑っていた。
そんな話をしているうちに、車についた。
私の頭の中は、まだパニックだった。
一体私に何があったの?
なんで私そんなんなっちゃってんの?
まるでラブラブ描写多めの、少女漫画のヒロインみたいじゃん。
それに“大好き”って言ったの?この私が?
私は愛情表現が苦手なのに。
「ほらね?」
「え?」
「今の話聞いて混乱したでしょ?」
混乱したけど、“ほらね?”ってなに?
「だからサキちゃんとの飲みの日、迎えに行くって言ったんだよ。まぁ、毎回迎えには行ってたけどね」
あー…その話か…
りっちゃんはエンジンをかけると、ゆっくりと車を走らせた。
「でも今混乱したのは、内容が内容だったから…」
「ははっ。それもそっか。彩葉はサキちゃんに、俺のことを話してなかったら、そんな話題にはならないか」
「うん。でももうりっちゃんのことは話したから、色々と質問攻めに合うと思う」
りっちゃんは驚いた顔をして、一瞬私の顔を見た。
「…俺のこと話したの?」
「うん。じゃないと色々説明がつかないし」
「そっか」
「だめだった?」
「その逆だよ。すっごく嬉しい。彩葉は俺に友達を紹介してくれないから」
だよね…
罪悪感が一気に押し寄せてきた。
りっちゃんはそんなつもりはないんだろうけど、たまに漏らす本音を聞くたびに、私は胸がきゅっとしていた。
「婚約者がいるって言ったの?」
「うん。そうだよ」
りっちゃんはやっぱり嬉しそうにしていた。
「じゃあさ、店の前まで迎えに行ってもいい?」
「え?」
「いやほら…って言っても覚えてないか…いつもね、近くの駐車場で待ってたからさ」
そっか。私が秘密主義だから…
「うん。いいよ」
私がそう言うと、りっちゃんはそっと私の右手を握ってきた。
「まだ冷たい」
「うん…」
「あっためてあげる」
「ありがと」
少しずつ…少しずつ距離が縮まっていく…
大晦日。
今日は家で飲もうかということになった。
ソファの方のテーブルに、買ってきたものを広げると、2人で乾杯をした。年末の特番を見ながら、色々と話した。
しばらくすると、2人ともお酒が回り、テレビ関係なしに話していた。
あれ…?
すごく楽しい…
何この空気感…
最初、この部屋に来た時は、居心地が悪くて仕方がなかった。
でも今は…
なんとなくりっちゃんを見てみると、りっちゃんも楽しそうにしていた。
「ん?どうしたの?」
柔らかく微笑みながらりっちゃんがそう聞いてきた。
「なにが?」
「今俺のこと見てたでしょ?」
「見てた。りっちゃん、楽しそうだなって」
「彩葉も楽しそうだよ」
りっちゃんはそう言い終わっても、私のことを見つめ続けた。
「なに?」
「んー?」
「なんでずっと見てるの?」
「…彩葉、かわいいなって思って」
……。
私は恥ずかしくなり、両手で顔を覆った。
するとりっちゃんは私の腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。それから反対側の手で私の頭を抱き寄せると、唇を重ねてきた。
咄嗟のことで、私はなにも反応できなかった。
りっちゃんはすぐに私から離れた。
「ごめん。ちょっと酔ってるかも。彩葉がかわいすぎて我慢できなかった」
…りっちゃんからしたら、私は婚約者だもんね。そういうスキンシップ取りたいよね…。
私が何も言わないでいると、りっちゃんはまた優しく微笑んだ。
「本当にごめん」
「ううん」
「…なにか思い出したりしなかった?」
「え?」
「キスして…なにか思い出さなかった?」
「ううん。ごめん」
「そっか…」
テレビから賑やかな音が流れているのに、呟くようにそう言った、りっちゃんの渇いた声がはっきりと聞こえた。




