第40話 広がる翼
白竜を救ってから数日が過ぎた。
山は静かだった。
あの苦しげな咆哮はもう聞こえない。
代わりに鳥の鳴き声が戻ってきていた。
レイは岩の上に腰を下ろし、ぼんやり空を見上げる。
平和だった。
だからこそ嫌な予感がした。
「来るな」
言った瞬間だった。
背後から何かがぶつかってくる。
「おい!」
振り返る。
白い塊。
子竜だった。
当然のようにレイの隣へ座る。
「なんでだよ」
子竜は尻尾を振った。
「帰れ」
動かない。
「帰れって」
無視だった。
◇ ◇ ◇
「懐かれてるね」
ミアが笑う。
レイは露骨に嫌そうな顔をした。
「どこがだ」
「全部」
即答だった。
ダミアンも頷く。
「気に入られてる」
「やめろ」
レイが頭を抱える。
その横で子竜は満足そうだった。
完全に居座る気である。
少し離れた場所では親竜が静かに様子を見ていた。
以前のような警戒心はない。
黄金の瞳は穏やかだった。
ミアはその姿を見つめる。
胸の傷もかなり良くなっていた。
完全に消えたわけではない。
だが生きている。
それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
ダミアンは白竜のいる山を訪れていた。
しばらく無言で親竜を見上げる。
白竜もまた静かに見返した。
風が吹く。
白い鱗が陽光を反射した。
「このままだと、また狙われるかもしれない」
ダミアンが言う。
魔石を埋め込んだ者たち。
まだ正体は分からない。
だが一度やった者が二度とやらない保証もなかった。
白竜は静かに話を聞いている。
「拠点の近くに来るか」
親竜が首を傾げた。
「何かあったら助けられる」
ダミアンは続ける。
「向こうも」
「こっちも」
少しの沈黙。
やがて白竜はゆっくり立ち上がった。
そして。
小さく頷くように頭を下げた。
◇ ◇ ◇
数日後。
白竜親子はホワイトファルコン近郊の山へ住処を移した。
人里には近づかない。
人間同士の争いにも介入しない。
ホワイトファルコンに従うわけでもない。
ただ互いに困った時は、できる範囲で力を貸す。
命令する者と従う者ではない。
ペットでも、従魔でもない。
隣人だった。
◇ ◇ ◇
白竜を救ったからといって、全てが終わったわけではなかった。
壊された牛舎。
失われた家畜。
街道に残された荷車。
被害を受けた者たちにとって、白竜が魔石に操られていたかどうかは関係のない話でもある。
ダミアンたちは再び牧場を訪れた。
「白竜は助かった」
ダミアンが報告すると、牧場主の老人は複雑な顔をした。
「そうか」
喜んでいるわけでも、怒っているわけでもなかった。
「牛は戻らんがな」
「分かってる」
ダミアンは壊れた牛舎へ目を向けた。
「だから直す」
翌日から、ホワイトファルコンの者たちが修繕へ入った。
セドリックも領主として家畜と荷車の補償を進めた。
白竜が悪くないことと、被害がなかったことは同じではない。
どちらか一方だけを選ぶのではなく、両方と向き合う。
それがダミアンたちの出した答えだった。
◇ ◇ ◇
その頃からだった。
ホワイトファルコンを訪れる人が目に見えて増え始めたのは。
「あの白竜を助けたらしい」
そんな噂が広がった。
診療所を訪れる者。
工房へ仕事を依頼する者。
畑作りを学びたい者。
移住を希望する者。
少しずつ。
だが確実に増えていく。
リーシャは書類の束を見て苦笑した。
「また増えてる」
ミアも頷く。
「昨日より多い」
レイが顔をしかめる。
「仕事も増えてるじゃねえか」
「良いことじゃない」
ミアが言う。
「お前その台詞好きだな」
「事実だもの」
二人のやり取りに周囲が笑う。
以前なら考えられなかった光景だった。
呪い子が集まる場所ではない。
人が集まる場所になり始めていた。
◇ ◇ ◇
白竜親子が住処を移してから数日後。
王都へ向かう街道を、一台の馬車が走っていた。
セドリックは現地確認の報告書を閉じた。
白竜の胸から魔石が取り除かれたこと。
家畜への補償を領主側で進めること。
白竜親子が人里から離れた山へ移ったこと。
その三点が記されていた。
向かいではエレノアが窓の外を眺めていた。
「どう思いますか」
セドリックが尋ねる。
エレノアは少し考えた後に答える。
「噂以上でした」
エルザは腕を組んだまま頷く。
「少なくとも危険な集団ではありません」
セドリックも同意した。
白竜を倒す方が簡単だった。
それでも彼らは助ける道を選んだ。
その事実は大きい。
「ただ」
セドリックは言う。
「まだ判断は早いでしょう」
エレノアも頷いた。
ホワイトファルコン。
希望か。
脅威か。
あるいはまったく別の存在か。
見極めるには、まだ時間が必要だった。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
拠点へ戻ったレイは大きくため息を吐いた。
「疲れた……」
その瞬間。
白い影が飛びついてくる。
子竜だった。
「だから来るな!」
レイの声が夕暮れの拠点へ響いた。
子竜は気にせず、その隣へ寝転がる。
工房からは金属を打つ音が聞こえた。
診療所には、近隣の村から来た人々が並んでいる。
畑では、呪い子と移住者が肩を並べて土を耕していた。
門の前には新たな家族が立っていた。
ここで暮らしたいと、遠くの村からやって来た者たちだった。
ダミアンはその光景を眺めた。
最初は、自分たちの居場所が欲しかっただけだ。
追われた者が逃げ込める場所。
それだけでよかった。
だが今は違う。
呪い子だけではない。
居場所を失った人々が集まり始めている。
そして白竜親子さえ、この土地の近くに新たな居場所を見つけた。
守りたいものが増えた。
背負うものも増えた。
それでもダミアンは、悪くないと思った。
夕焼けの空を、二つの白い影が飛んでいく。
親竜と子竜だった。
広げられた翼が、拠点の上へ大きな影を落とす。
ダミアンは空を見上げた。
ホワイトファルコンの翼もまた、少しずつ広がり始めていた。




