第39話 白い竜
翌朝。
空が白み始める頃には、準備は終わっていた。
ミアが作った器具は長い銀色の棒のような形をしている。
先端には複雑な機構が組み込まれていた。
レイは器具を見ながら眉をひそめる。
「見た目は地味だな」
「うるさい」
ミアは即答した。
「こういうのは見た目じゃないの」
「ちゃんと動くんだろうな」
「動かなかったら私が困る」
レイは苦笑した。
少しだけ空気が和らぐ。
だが緊張は消えない。
失敗できない。
誰もが分かっていた。
◇ ◇ ◇
洞窟へ近付くと、白竜の咆哮が響いた。
昨日より酷い。
山全体が揺れている。
急がなければならない。
四人は足を速めた。
やがて巣が見える。
白竜はまだ立っていた。
だが限界だった。
黒い光が全身を走る。
呼吸は荒い。
瞳は黄金と黒を何度も行き来していた。
子竜は不安そうに親の周りを歩いている。
「間に合えよ……」
ミアが呟く。
◇ ◇ ◇
その時だった。
白竜の瞳が完全に黒く染まる。
咆哮。
轟音。
大地が震えた。
巨大な翼が振るわれる。
周囲の木々が吹き飛ぶ。
「来るぞ!」
レイが叫ぶ。
白竜が突進した。
理性はほとんど残っていない。
だが向かった先はダミアンたちだった。
子竜ではない。
最後に残った本能で、子供から離れようとしていた。
「まだ分かってる!」
ダミアンが叫ぶ。
風が吹く。
突進の軌道が僅かに逸れる。
その隙にレイが飛び出した。
「うおおおおお!」
怪力の呪い。
全身全霊で前脚を押さえ込む。
地面が砕ける。
腕が悲鳴を上げる。
だが離さない。
「ミア!」
「分かってる!」
◇ ◇ ◇
ゲンジも動く。
刀を抜く。
斬るためではない。
守るためだった。
白竜の尾が振られる。
ゲンジが飛び込む。
金属音。
刀を滑らせ、軌道を逸らす。
岩が砕け散る。
続けて爪が振り下ろされる。
ゲンジは正面から受けず、流した。
致命傷にならないように。
暴走した白竜を傷付けないように。
「まだだ」
汗が流れる。
「まだ倒れるな」
白竜へ向けた言葉だった。
◇ ◇ ◇
ダミアンは風を操る。
攻撃ではない。
支援だ。
視界を確保する。
仲間の足場を作る。
そして何より。
白竜へ声を届ける。
「聞こえるか」
風が白い鱗を撫でる。
「もう少しだ」
白竜の瞳が揺れる。
一瞬だけ黄金が戻る。
だが黒い光が押し返す。
魔石が暴れている。
「ミア!」
ダミアンが叫ぶ。
「今だ!」
◇ ◇ ◇
ミアは走った。
器具を抱えたまま。
白竜へ向かって。
恐怖はあった。
失敗するかもしれない。
死ぬかもしれない。
それでも止まらない。
目の前ではレイが踏ん張っている。
ゲンジが支えている。
ダミアンが道を作っている。
だから進めた。
「お願い……!」
胸の傷へ辿り着く。
器具を固定する。
震える手で機構を操作した。
反応しない。
もう一度。
歯車が回る。
内部機構が動き始めた。
「動いた!」
分離器の歯車が回転する。
体内で開いていた固定具が、少しずつ閉じ始めた。
だが次の瞬間、黒い光が白竜の胸から噴き出した。
「きゃっ!」
衝撃に弾かれ、ミアの身体が宙へ浮く。
ダミアンの風が背中を受け止めた。
ミアは地面へ転がりながらも、分離器から目を離さなかった。
「壊れたのか?」
レイが叫ぶ。
「違う!」
分離器はまだ白竜の胸に刺さっている。
だが歯車が途中で止まっていた。
魔石から伸びた黒い光が、器具の内部へ絡みついている。
「魔石が固定具を押し広げてる!」
閉じようとする分離器と、それを拒む魔石。
二つの力が白竜の体内でぶつかっていた。
白竜が咆哮する。
前脚が持ち上がり、レイの身体が地面から離れた。
「ぐっ……!」
「レイ!」
「こっちはいい!」
レイは歯を食いしばった。
腕が震えている。
足元の岩が砕けていく。
「早くやれ!」
反対側ではゲンジの刀に亀裂が走っていた。
白竜の尾を何度も受け流し、刃が限界を迎えている。
それでもゲンジは退かなかった。
「長くはもたんぞ」
ミアは分離器へ駆け戻った。
歯車は動かない。
このまま力を加えれば、器具ごと白竜の胸を傷付ける。
作り直す時間はない。
ミアは分離器の側面を開いた。
「何をしている?」
ダミアンが尋ねる。
「手で動かす」
「危険じゃないのか」
「危険だよ」
ミアは内部へ手を入れた。
黒い光が指に触れる。
焼けるような痛みが走った。
それでも離さない。
「でも、このままの方が危険だから!」
固まった歯車を、一つずつ動かす。
指先から血が流れた。
白竜が暴れるたび、器具がミアの腕を引き裂こうとする。
「ミア!」
レイの声が聞こえる。
「大丈夫!」
本当は大丈夫ではない。
怖い。
痛い。
逃げたい。
それでも、目の前に白竜がいる。
自分が作った装置に苦しめられている。
「あの時は、何に使うか知らなかった」
歯車を一つ動かす。
「考えようともしなかった」
もう一つ。
「でも今は知ってる!」
最後の歯車へ指を掛ける。
「あなたが生きようとしてることも!」
子竜が親を呼ぶように鳴いた。
黒く濁っていた白竜の瞳に、一瞬だけ黄金の光が戻る。
その瞬間、暴れていた巨体が止まった。
ほんの一瞬だった。
だが、それで十分だった。
「今度は助けるから!」
ミアが最後の歯車を回した。
体内の固定具が完全に閉じる。
小さな金属音が鳴った。
魔石が肉体との結合を失う。
黒い結晶が地面へ落ちた。
◇ ◇ ◇
静寂。
誰も動かない。
黒い魔石は脈動を止めていた。
白竜の身体から力が抜ける。
巨大な体がゆっくり崩れ落ちた。
ミアの心臓が止まりそうになる。
「白竜!」
次の瞬間。
黄金の瞳が開いた。
黒ではない。
濁りもない。
透き通った金色だった。
子竜が駆け寄る。
親竜へ身体を擦り付ける。
白竜は小さく鼻を鳴らした。
そして。
子竜の頭を優しく舐める。
ミアはその場に座り込んだ。
全身の力が抜ける。
レイも大きく息を吐いた。
「終わったか……」
ゲンジが刀を納める。
ダミアンは白竜を見る。
もう暴走の気配はない。
白竜は静かにミアを見ていた。
やがてゆっくりと頭を下げる。
感謝なのか。
それとも別の意味なのか。
分からない。
それでも伝わった。
救えたのだと。
◇ ◇ ◇
朝日が山を照らしていた。
白い鱗が光を反射する。
昨日までの苦しそうな姿はない。
ただ一頭の白い竜がいた。
穏やかな顔で子供を見守る親竜が。
ミアは涙を拭いながら笑った。
「良かった……」
その言葉に、誰も異論はなかった。




