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魔女は、最初で最後の旅に出る  作者: イメヤシクサ
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第16話

 ラウルが相談に来た朝から三日後、エルシアは広場で旅芝居を見ていた。


 舞台では、旅人役の男が空の鞄を宝物だと言い張り、門番役の女が中身を一つずつ尋ねている。最後に男が「まだ入れていない」と白状すると、子どもたちの笑い声が落ち葉の上まで転がった。


 広場の木々は枝先から黄褐色に変わり、風が吹くたび、舞台の幕と枝が一緒に揺れた。焼き栗の煙、温めた果実酒の匂い、役者が踏み鳴らす板の音が、人垣の間を行き来している。寒さはまだマントの前を閉じるほどではないが、日陰に立つと指先が冷えた。


 隣でルルが丸い体を弾ませる。


「空っぽなら、軽い宝物」


「持ち運びには便利だね」


 一人と一匹は芝居の終わりまで見届け、果物売りの屋台へ寄った。エルシアは小ぶりのオレンジを二つと、赤い果実に薄く砂糖をかけた菓子を一包み買った。


 ベルフルール館へ戻ると、オレンジの皮をむき、砂糖がけの果実と一緒に皿へ並べる。ルルは砂糖がけの果実を一粒、体の表面に半分だけ沈めた。白い衣が霜のように消え、つやのなくなった果肉だけが皿へ転がり戻る。


「外は甘い。中は酸っぱい」


「甘いところだけ食べたね」


「甘いところはルル。酸っぱいところはエルシア」


「分け方を決める前に、相談してほしかったかな」


「いま相談する?」


 エルシアは砂糖の消えた赤い果肉をつまんだ。


「もう分け終わってるね」


 酸味に目を細めたところで、玄関の戸が三度叩かれた。


 戸外にはラウルと、都市警備隊の制服を着た若い隊員が立っていた。二人のマントには夜露の乾いた跡が残っている。


「捕らえました」


 広間へ通されるなり、ラウルはそう報告した。


 警備隊は、犯人が次に狙いそうな商家の保管室に、修繕跡に見せかけた印をつけた。床下の浅いところに空の壺を埋め、見回りの警備兵には、採石場で術が解けた事故について話させた。


 昨夜、警備兵たちは退路として残した床際から十分に離れ、明かりも普段どおりにして待った。床下で土を擦る音がしても近づかず、壺の辺りで音が途切れても声を上げなかったという。しばらくして、保管室の中央に薄く土が盛り上がり、それもすぐ消えた。犯人は地中で進む向きを変え、最後には、叩いた時の音を変えずに残した床際へ戻った。


「夜半を過ぎて、床の下から音がしました。壺を埋めた辺りで止まり、しばらくして、叩いた時の音を変えずに残した床際へ戻ってきた」


「地上へ出るまで待てましたか」


「はい。頭だけ出た時にも、腕が出た時にも動きませんでした。全身が床から出切ったところを、四人で取り押さえました。逮捕したのは我々です」


 隣の隊員が、誇らしそうに背を伸ばす。エルシアは小さく頷いた。


「約束を守ってくれたんですね。誰も地面の中まで追わなかった」


「追えば、こちらが埋まりますから」


「それも大事です」


 ラウルは二つの袋と、一通の封書を卓へ置いた。


 大きいほうは、都市警備隊の印がある革袋だった。逮捕につながる助言に対して支払われる正式な賞金で、受領記録も添えられている。


 若い隊員が記録帳を開く。支払いの理由、銀貨の数、受領者の名、逮捕を担当した警備隊員の名が同じページに並んでいた。エルシアは一行ずつ読み、金額と袋の中身が一致するのを確かめた。


 小さいほうは上等な布の袋で、都市参事会の治安担当者から預かった追加の礼金だという。封書は、その担当者が開く宴への招待状だった。


「正式な賞金は受け取ります。受領の記録にも署名します」


 エルシアは革袋だけを手元へ寄せた。


 深い青のインクを借り、自分の名を記す。若い隊員はその場で帳面を閉じ、革紐を結び直した。これで賞金は誰かの好意ではなく、都市警備隊が記録に残して支払った金になる。


「こちらの礼金と招待状は、お返しください」


「理由を伺っても?」


「私は弱点を伝えただけです。作戦を整えて逮捕したのは警備隊ですから。それに、公の仕事は公の記録の中で終わらせたいんです」


「宴もですか」


「食事が嫌なわけではありません。でも、受け取る理由のない礼金と同じ席には着けません」


 若い隊員の口元が、ほんの少し緩んだ。ラウルは驚いた様子もなく、布袋と封書をしまう。


「そうお伝えします。賞金のほうは、遠慮なく使ってください」


「まず、この館に相談してみます」


「館に?」


「直したいところが、いくつかありますから」


 二人を見送り、玄関の戸を閉める。その時、蝶番が長く、きい、と鳴った。


「一つ見つかった」


 足元のルルが戸を見上げる。


「館、賞金を使うの?」


「蝶番の油なら、銀貨一枚よりずっと安いよ」


 広間へ戻り、エルシアは正式な賞金を数えた。館の家賃、エルシアとルルの食費、冬の薪代を合わせても、この賞金だけで三か月は暮らせる。蝶番に油を差し、塀を少しずつ手入れする余裕もある。


「三か月、オレンジも買える?」


「毎日でなければ」


「毎日じゃない。甘い日だけ」


 それが何日に一度なのかは、あとで決めることにした。


 二日後の夜。


 油を差した玄関の蝶番は、もう鳴らなくなっていた。広間ではオイルランプが静かに燃え、エルシアは各地の風土をまとめた本を読んでいた。ルルは椅子の足元で薄く平たくなり、ページをめくる音に合わせてゆっくり揺れている。


「南の町では、秋でもオレンジが採れるんだって」


「甘い日が多い町?」


「たぶん、暖かい日が多い町だね」


 夜が深まり、通りを行く足音も絶えた頃だった。


 風は止まり、庭木の枝も動いていない。館の中で聞こえるのは、オイルランプの芯が燃えるかすかな音と、エルシアがページをめくる音だけだった。


 ざり、ざり、と塀の外で何かが擦れた。


 エルシアの指がページの端で止まる。ルルも揺れを止め、丸い形へ戻った。


 ごつん。


 今度は硬いものが塀へぶつかった。古い漆喰の粉が、窓の外で白く落ちる。


 一度では終わらなかった。間を置いて、もう一度、ごつん、と低い音が響く。戸や窓を叩く音ではない。何かが塀の高さを測るように、同じ場所に重みをかけていた。


 続いて頭上から、ぱきん、と乾いた音がした。屋根の石板が一枚割れ、欠片が庭へ滑り落ちる。


 エルシアは本を閉じ、オイルランプの火を小さくした。


 月明かりの中、塀の向こうから黒い輪郭がゆっくりとせり上がった。


 人のものとは思えないほど大きな頭部。その下はまだ塀に隠れ、全体の形も分からない。


 巨大な頭の影が、ベルフルール館の窓へ向きを変えた。

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