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ときめき色のリボン屋さん ーー王女様はお店番中ーー  作者: 春凪とおる


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9/11

第九話 曇ったリボン

その客は、甘い香水の匂いをまとって入ってきた。


白い花と琥珀。

それから、新しい革を混ぜたような香りだった。


上等なのだろう。

夜会の広間なら、華やかに感じたかもしれない。


けれど、小さなリボン屋には強すぎる。

やわらかな布の匂いを押しのけて、砂糖を焦がしたように鼻についた。


上等な手袋。

磨かれた靴。

少し大きすぎる声。


若い貴族の男性だと、リュシエラにはすぐにわかった。


「ここが噂のリボン屋か」

彼は店内を見回し、値踏みするように笑った。


「恋の気持ちに反応するリボンがあるそうだね」

リュシエラはカウンターの内側で姿勢を正した。


「リボンをお探しですか」

「ああ。とびきり光るものがいい」


「どなたへの贈り物でしょう」

「まあ、いろいろだ」


棚の奥で、ときめき色のリボンは光らなかった。

リュシエラは静かに客を見た。


「大切な方が、いらっしゃるのですね」

「もちろん」


男性は軽く笑った。


「夜会で会った令嬢が、私に夢中でね。

 ほかにも二、三人。贈れば面白いだろう? 魔法のリボンが光れば、周りも信じる」


「何を信じるのです」

「私が愛されていると」


リュシエラの指先が冷たくなった。


「その方々のお気持ちは」

「気持ち?」


男性は面倒そうに肩をすくめた。

「女性は飾られるのが好きだろう。こちらが選んでやれば喜ぶ」


棚の奥で、ときめき色のリボンが、ふっと艶を失った。

白く霞んだように。


色の奥へ、薄い灰色がにじんでいく。

光が、布の中で迷っているようだった。


「まあ」


怒りはあった。

けれど、肩を落とさない。


声を荒げない。

相手をよく見る。


王宮で習った礼儀が、リュシエラを支えていた。

必要な言葉を、まっすぐ渡す。


「お客様」


男性はまだ笑っていた。


「そのリボンを見せてくれ。金なら払う」

「お売りできません」


「なぜ」

「この店のリボンは、誰かの気持ちを飾るためのものです」


リュシエラは言った。

「誰かを飾り物にするためのものではありません」


男性の顔から笑みが消えた。


「店番の娘が、私に説教を?」

「はい」


リュシエラは一歩も引かなかった。

「必要であれば、何度でも」


外で護衛騎士が動く気配がした。

リュシエラは片手を少し上げ、止めた。


これは剣の仕事ではない。

リボン屋の仕事だ。


男性は唇を歪めた。

「君は私を誰だと思っている」


リュシエラは、ほんの一瞬だけ迷った。


自分は誰か。

王女リュシエラなら、彼の家名を知り、父王に告げ、王宮で叱責することもできただろう。

けれど今、ここにいるのは、リボン屋のリュシーだ。


「お客様です」

リュシエラは言った。


「そして、今のままでは、この店のリボンを持つ資格のないお客様です」

男性は顔を赤くした。


「無礼な」

「いいえ」


リュシエラはカウンターから出て、扉のほうを示した。


「これは礼儀です。

 気持ちを軽く扱う方を、気持ちのリボンに近づけないための」


店の空気が澄んでいく。

曇っていたときめき色のリボンに、少しだけ光が戻った。


男性は何か言い返そうとした。

けれど結局、乱暴に扉を開けて出ていった。


鈴が大きく鳴った。

静けさが戻ると、リュシエラの膝が少し震えた。


「こわかった」


声に出すと、自分でも驚くほど小さな声だった。


外から若い護衛騎士が駆け込んできた。


「ご無事ですか」

「ええ」


「あの者を捕らえますか」

リュシエラは首を振った。


「必要ありません。今日は、リボンが彼を拒みました」

「しかし」


「もし次に誰かを傷つけるなら、そのときは大人たちに伝えます」

若い騎士は深く頭を下げた。


「リュシエラ様は」

「リュシーです」


言ってから、リュシエラは自分で驚いた。

騎士も驚いていた。


リュシエラは、棚の奥のリボンをそっと撫でた。


「ここでは、リュシーと呼んでください」


騎士は一瞬迷い、そして膝を折った。


「承知しました、リュシー様」

「様はいりません」


「それは、少し時間をください」

リュシエラは、ふっと笑った。


その夜、手紙を書こうとして、なかなか筆が進まなかった。


怒ったこと。

怖かったこと。


リボンが曇って見えたこと。

そして、自分が初めてリュシーと名乗ったこと。


【 父上、母上。

  今日は、気持ちを嘘で飾ろうとする人が来ました。

  

  わたしは怒りました。

  王女として習った礼儀が、町の店番であるわたしを支えました。


  王女ではなくなっても、わたしの中に残るものがあるようです。 】


手紙は光って消えた。

リュシエラ、いいえ、リュシーは窓を開けた。


夜風が入り、棚のリボンがかすかに揺れる。

ときめき色のリボンの光は、もう曇っていなかった。


ただ、少し疲れたように、静かな艶をまとっていた。


「守ります」

リュシーは言った。


「あなたが誰かの気持ちを守るなら、わたしはあなたを守ります」


リボンは答えない。

けれどその夜、店の鈴は一度も鳴らなかった。


まるで、店ごと深く息をついて眠ったようだった。


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