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ときめき色のリボン屋さん ーー王女様はお店番中ーー  作者: 春凪とおる


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第十話 王都のリボン

リュシーと呼ばれてから、日々は少しずつ変わった。


パン屋の娘は「リュシーさん」と呼ぶ。

配達鞄の少女も「リュシー」と呼ぶ。


小さな男の子は「リボン屋さん」と呼ぶ。

誰も、王女様とは呼ばない。


最初は新鮮だった。

次に、くすぐったかった。


そしてある朝、リュシーはそれが少し寂しいことに気づいた。


王女リュシエラ。

その名は、朝の支度のたびに呼ばれていた。

食事の席で呼ばれ、授業の前に呼ばれ、舞踏の練習で呼ばれた。


長くて少し重たい名。

けれど、自分の名だった。


その日、店に来たのは王宮の文官だった。

もちろん正式な制服ではない。

地味な上着を着て、帽子を目深にかぶっている。

けれど、紙束の持ち方と靴音の控え方で、リュシーにはすぐわかった。


「いらっしゃいませ」


文官は深く頭を下げた。


「リュシエラ様」


その名を聞いた瞬間、胸がきゅっとなった。

懐かしさと、痛さが混ざったきゅっだった。


「ここでは、リュシーです」


文官はもう一度頭を下げた。


「失礼いたしました。リュシー様」

「様も、少しずつ外してください」

「努力いたします」


文官は小さな包みを差し出した。

中には、王妃の筆跡の手紙と、薄い菫色のリボンが入っていた。

リュシーは手紙を開いた。


【 リュシエラ。

  いいえ今はリュシーと呼ぶべきかもしれません。

  あなたが送ってくれる手紙を毎晩読んでいます。


  あなたが寂しくないと言えば嘘になるでしょう。

  わたしたちも同じです。

  

  けれども、王家は昔から知っています。

  古い魔法に呼ばれた者は、王宮の飾り台へ

  戻してはいけません。 】

  

リュシーの指が止まった。


飾り台。

王女宮の鏡。

衣装部屋。

祝宴。

肖像画。


美しくあること。

正しくあること。


王女らしくあること。

それらは愛でもあった。


でも、飾ることでもあった。

手紙は続いた。


【 あなたを捨てたのではありません。

  遠ざけたのでもありません。

  

  あなたは、王国を見る役目に呼ばれました。

  別の場所から。

  王宮の高い窓からでは見えないものを、

  町の扉の高さから見てください。

  

  あなたの留学先は、遠い国ではありません。

  王都です。 】


リュシーは手紙を抱きしめた。

泣きたくないのに、ぽろっと涙がこぼれた。

文官は静かに目を伏せている。


「父上は」

「毎朝、塔からこのあたりをご覧になっております」

「見えるのですか」

「店は見えません。けれど見ようとなさっています」


リュシーは泣きながら少し笑った。

父らしい。


「母上は」

「手紙を三度読まれます」

「三度も?」

「一度目は王妃として。二度目は母君として。

 三度目は、声に出して」


リュシーは、もう一度手紙を見た。

自分は捨てられたのではない。


でも、戻れるわけでもない。

この二つは、同時に本当なのだ。


「王宮では、わたしは留学中なのですね」

「はい」

「いつまで」


文官は答えなかった。

沈黙が答えだった。 


リュシーは窓の外を見た。

町の人が通りを歩いている。


パン屋の娘が粉のついた手で誰かに手を振っている。

時計職人が菓子店の前で足を止めている。


男の子が黄色いリボンを持って走っている。

この人たちのことを、王宮の窓からは知らなかった。


「わたしは、王女ではなくなるのですか」


文官は長い時間をかけて言った。


「公の場では、リュシエラ王女は留学中です。

 けれど古いしきたりの言葉で申しますと」

「申しますと」

「王女の名をほどき、町の名を結ぶ、となります」


リュシーは薄い菫色のリボンを手に取った。

王女宮でよく身につけていた色。

自分の瞳に映えると、侍女が何度も言ってくれた色。


「ほどくのね」


リュシーは鏡の前に立った。

髪に結んでいた細いリボンをほどく。


それから。

王妃から届いた菫色のリボンを手首に巻いた。

髪ではなく、手首に。


「これは、思い出として持ちます」


文官は頭を下げた。


「王妃様も、お喜びになるでしょう」

「文官さん」

「はい」

「王宮へ伝えてください」


リュシーは涙を拭いた。


「わたしの留学先は、とても忙しいです。

 リボンはよくほどけます。

 人の気持ちも、難しいです。

 でも、もう少し学びます」


文官の目元が少し赤くなった。


「必ず」


彼が帰ったあと、リュシーは開店の札を出した。


今日は休んでもよかった。

泣いたあとだし、胸はまだ痛い。

けれど、鈴が鳴るかもしれない。


誰かが話を聞いてほしいかもしれない。

そう思うと、扉を閉めたままにはできなかった。




夕方、最初の客が来た。

恋の相談ではなく、妹の誕生日にリボンを贈りたいという青年だった。


リュシーは椅子をすすめた。

「お話を、聞かせてください」


その声は少し鼻にかかっていたけれど、ちゃんと店番の声だった。


夜、手紙を書いた。


【 父上、母上。

  お手紙とリボンを受け取りました。

  

  寂しいです。

  でも、寂しいだけではありません。

  

  王女の名がほどけても、

  あなたたちの娘でなくなるわけではないと

  信じます。

  わたしは町のリュシーとして、

  王都に留学を続けます。 】


手紙が消えたあと、リュシーは手首の菫色を見た。

髪を飾るためではなく、手を支えるためのリボン。


王女リュシエラは、少しずつほどけていく。

けれど、ほどけた糸は消えない。


リュシーはそっと手首のリボンを押さえた。

その手で、明日の開店札を机の上に置いた。


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