表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

好きなことは、仕事か趣味か


「なんだ。

そんな楽しいことがあったんなら、デートなんて行かずに、私もベッドメイクの自主練に残れば良かったよ」

と、ほっぺたを膨らませて拗ねた顔をしているのは、中西愛実ちゃん。


「そういわれても、ねぇ」

いや、かわいい顔だけれど、あんなバタバタな時間より、彼氏と一緒の方が楽しいに決まっているだろうに。




「センセー!さかあがりするから、補助してー」

お、愛実ちゃんが呼ばれて行っちゃった。


今日は、楽しみにしていた保育園実習なのだ。子どもは元気が一番だよね。

「紀亜ー!戦いごっこするぞー!お前、悪者な」

彼氏のような口調なのに、私の扱いがひどいのは桑原海翔くん。

入学式の日に出会った元気いっぱいの、ザ・男児!って感じの年長さん。もうすぐ6歳で、来年には小学生になるんだって。


戦いごっこって、何するか分からないけど、悪者?

なるほど、悪役!ヒールね。さしずめ悪役令嬢かしら。何すればいいんだろう。

とりあえず、追いかけちゃえ!


「おーほほほほほっ!お待ちなさーい!」

「わー!」


蜘蛛の子を散らすみたいに男子たちが走って逃げたので、一人ずつタッチして、全員を捕まえてやった。腰に手を当てて高笑いしてたら、悪役令嬢っぽいでしょ。


「紀亜!全力で走るなんて、大人げないぞ!」

「何を言う!大人だからこそ、本気で遊んでいるのだよ!

さあ、次の鬼はだーれだ?最後に捕まえた海翔くんだ!みんな、逃げるよー」


「何だとー!よーし、オレの実力を見せてやるー!」

きゃー!楽しーい!

やっぱり子どもに接するのは楽しいなぁ。

ナースじゃなくて、保育士を目指した方がよかったかなぁ。




「きゃあ!大丈夫?!」

あれ?私のとは違う「きゃあ」が聞こえてきた。どちらかというと不穏な感じ。


あちらには、同じ実習グループの星野芽衣さんと片山玲さんが居る。

悲鳴が聞こえたのは、すべり台の方かな。

さかあがりの補助を承った愛実ちゃんも近寄っている。


「どうしたのー?」


見ると、すべり台の下で座り込んでいる女の子に星野さんと片山さんが語りかけていた。

「大丈夫?痛い?歩ける?」

「ヒック……」


泣いている女の子は、頬と腕を擦りむいているように見えるけれど、ちょっと泣いてる?

そうしている間にも、他の子ども達がわらわらと集まってきちゃった。これだけの人数に囲まれたら、そりゃ、怖くなって泣くこともあるか。

こういう時って、どうしたら良いのかなぁ。


「園舎まで、運びましょうか」

「じゃ、私が!」

星野さんの声掛けに、片山さんが女の子を抱えて立ち上がり、安定した足取りで歩き始めた。女の子でも、年長さんってそれなりに大きいけど、何キロくらいあるんだろう。


「片山さんって、力持ちね」

そう呟いた愛実ちゃんも、私と同じ疑問を持ったみたい。




片山さん達が、保育士さんと園舎に戻ってしまったけど、園庭にはまだ子ども達がたくさんいる。

ケガした女の子のことは気になるけど、私と愛実ちゃんは残った子ども達と、保育士さんから声がかかるまで、遊ぶことにした。


「なあ。アイツ、どうしたんだ?」

海翔くんに声をかけられた。“あいつ”とは?

「アイツだよ!沙羅!」


ケガした女の子のことかな?ふと見ると海翔くんの耳が赤くなっていることに気付いた。

これは!小さな恋の物語ーー初恋の香りなんじゃないだろうか!!

「何、ニヤニヤしてんだよ!気持ち悪いなっ」

照れちゃってー。微笑ましいなぁ。




しばらくすると、私と愛実ちゃんが子ども達と園庭の砂場で、今度は静かに遊んでいたところに、保育士さんがお昼ごはんの声をかけてくれた。

「やったー!給食だー!今日はカレーなんだぜ!」とはしゃぐ子ども達を捕まえて、一緒に遊んだ玩具を片付けてから、手を洗って園舎に入った。






「どういうことですかっ?!沙羅がケガをしたって!」

私たちが園舎に入ったのとは別の玄関から、女の人が駆け込んできた。さっき、ケガをした女の子のお母さんかな。すごく怒ってる。


「先生方は何をしてたんですかっ!沙羅は?沙羅はどこですか!」

「ママ?」

沙羅ちゃんは、頬っぺたと腕にガーゼを貼られていて、見た目にはちょっと痛々しい感じだ。


「顔にケガなんて!女の子なのに!どうしてくれるんですか?!」

「いや、三宅さん、傷は大したことないんですよ。ただ、ちょうどいいサイズの絆創膏がなくて、消毒して、ガーゼを貼っているだけなんですよ」


保育士さんがお母さんをなだめるけど、お母さんはさらにヒートアップし始めた。

「大したことがないって、どうして言えるんですかっ!あなたは医者じゃないでしょ!

絆創膏がないって、備品の補充もこの園ではできていないんですか?!」

お母さんの言い分も分からなくもないけど、保育士さんが一方的に責められていて、何だか可哀そう。


「まあまあ、ちょっと落ち着いて、沙羅ちゃんママ」

「あなたは?」

あら、海翔くんのお母さん。梅洲大学病院の外来師長さんなんだよね。


「同じクラスの桑原海翔の母です。

沙羅ちゃん、おとなしいから、今まであまりケガするような事なかったんじゃないですか?


ウチの海翔みたいに、いっつも見えない敵と戦って擦り傷を作るようなガキと違うものね。

そうだとすると、ケガをしたって保育園から連絡が入ったら、親としても、びっくりしますよね」


桑原さんの話を聞いていた沙羅ちゃんママの表情が、ちょっとやわらいだ。

すごいなあ!沙羅ちゃんママ、あんなに怒っていたのに、するんと受け止めちゃった。


「お、母ちゃん!今日の迎え、早いな!でも、給食がカレーだからまだオレ、帰らないよ」

園庭から戻ってきた海翔くんが桑原さんを見つけて言った。彼はいつでも自由だなあ。


「今日は区民プールで泳ぎを教えてくれって言ってたじゃないの!

だから当直明けの睡眠不足のままで、迎えに来てやったのに!何てこと言うのよ。

母さん、カレーに負けるのかーー。ま、保育園のカレーは美味しいもんね、仕方ないか。


と、いうことで、時間が出来ましたので、沙羅ちゃんの傷を拝見しようかな」


「え?あなたが?」

眉間に皺を寄せた沙羅ちゃんママが言った。今まで、あんまり交流がなかったのかな?

保育園って、親同士も仲良しなイメージだけど、アレは我が地元が田舎だからこその良さなのだろうか。


「看護師なの、私。そこの大学病院の。傷を看るのも得意なのよ」

疑うような沙羅ちゃんママの表情に、居たたまれない気持ちになって、思わず声が出た。


「そうなんですよ!桑原さん、すごいナースなんです。傷の専門家で!

私も以前、手当をしてもらったんです。

ほら、ここ。私の傷もきれいに治りました!」


私はカモシカのような我が足を、ジャージをめくってお見せした。入学式の日の膝の傷、ホントにキレイに治ったのよね。


「あなたは?」

「看護学生さんですよ。実習の受け入れについては、以前から園のお便りでお知らせしていた通りですよ」

おや、奥の方から出てきたイケメンお兄さんは、朝にご挨拶した園長さんだ。


「言われてみると、そんなことが書いてありましたね」

「桑原さんが手当てをしてくださるんなら安心ですよ、お母さん。じゃ、処置はこちらの部屋へどうぞ」


あら、沙羅ちゃんママ、急に態度が軟化しましたね。イケメンだからでしょうか。やはり顔って大事なんですね。

沙羅ちゃん母娘と桑原さんは園長先生に続いて移動して行った。その時、私と目が合った桑原さんは華麗なウインクをくれた。お役に立ったのかな。




「さあ、学生さんたちも、子ども達と一緒にお昼にしましょう」

保育士さんの声掛けで、私たちは教室に入って机と椅子を移動した。


そこから、配膳して、食べて、片付けるって、単語にすると3つだけなのに、控えめに言って戦争だった。


まず、配膳するのに、ちゃんと並ばない。もっと月齢の小さい子のクラスは、先生が盛り付けたものを一人一人に配るみたいなんだけど、来年の小学校入学に向けて、給食当番も練習のために子ども達が日替わりで配膳係をしているんだって。


だから、やれ「自分のお皿に嫌いな野菜を入れるな」とか、「私のカレーが少ない」とか、アチコチで小さなもめごとが絶えず勃発する。


ようやく「いただきます!」とご挨拶ができて、さあ食べられるぞと安心したのもつかの間、お皿をひっくり返す子がいたり、お気に入りの服にカレーが飛んで涙目になる女の子がいたりと、全然、カレーを味わうどころではない。


食べるスピードも子どもによって違うから、おしゃべりに夢中でなかなか食べない子に声をかけたり、時々は口元までスプーンを運んであげたりしている。

それを笑顔でこなす、保育士さん。ホント、尊敬する。

子ども好き、ってだけじゃ職業にはできないなあ。



私たちも、「学生センセー」と呼ばれて質問攻めにされて、なかなか食べられない。

子ども達がようやく食べ終わった頃に、私たち学生も保育士さん達もかき込むように食べ終えた。


ごちそうさまのご挨拶から食器の後片付けをして、机と椅子を片付けて軽くお掃除をしたら、今度はお昼寝の準備。

子ども達に順番に歯磨きさせて、お布団を敷く。子どもの昼寝用だから、布団も小さいんだよ。

子ども達は、自分の布団を引っ張り出して、パジャマに着替えて「ひとりで出来るんだよ」とドヤ顔するあたりは、可愛らしい。


「学生センセーはこっち!」

「え、私の方だよー。トントンしてー」

寝かしつけに、およばれして、謎のモテ期到来!と思ったら、私も眠くなってきた。子ども達の規則正しい寝息で眠りに誘われる……。




「……生さん。学生さん」

ささやく声で、保育士さんに起こされて、自分が眠っていたことに気が付いた。

子ども達が眠っている間に、別の部屋で実習のまとめの会をするんだった。

私たちは、子ども達を起こさないように静かに移動した。



実習の振り返り会では、学生それぞれが今日の感想を述べて、園長先生や保育士さんから講評をもらうことになっている。


その場で、ケガをした沙羅ちゃんについても教えてもらった。

星野さんたちの話だと、沙羅ちゃんは、私が男子と悪役令嬢ごっこで走り回っているの見て、参加しようと思ったのか、走り出したらしい。

ところが転んでしまい、びっくりした片山さんが声を掛けたら泣き出して動かなくなったんだって。


沙羅ちゃん一家は、この春にこの地域に引っ越して来たそうで、年長さんになってからの転園だから沙羅ちゃんが園やお友達に慣れられるかとお母さんは神経質になっていたみたい。

普段は、擦り傷ぐらいでは、保護者の職場へ連絡を入れることはないけど、沙羅ちゃんの変化は逐一、連絡をして欲しいとの強い要望があったそうだ。


結局、桑原さんが入学式の日に私にしてくれたように、傷をきれいに洗ってドレッシング材を貼ってくれたそうだ。ドレッシング材のおかげで痛みも感じなくなった沙羅ちゃんを見て、お母さんも安心したらしい。今日は給食を食べずに帰ったんだって。

ちなみに桑原親子は、海翔くんが給食を食べ終わるのを待って、お昼寝前に帰っていった。午前中、あんなに走り回ったのに区民プールで泳ぐなんて、男児の体力、恐るべしだわ。


そうして、私たちの保育園実習は終了した。

実習後は、そのまま帰宅して良いことになっているんだけど、何となくそのまま帰る気がしなくてファミレスに寄ることにした。






「疲れたね。そして、びっくりしたね」

「そう!片山さん、沙羅ちゃん抱えて園舎に戻ったじゃない。すごい力持ちなんだね」

えっ?愛実ちゃんが気になるのはそこなの?確かにそれもびっくりしたけれども。


「私、中高と吹部ーー吹奏楽部だったの。コンクールとか演奏会の時は楽器を運ばなきゃいけないから、自然と力がついたんだ。楽器を吹くのも結構体力勝負だしね」

「なんの楽器だったの?」

星野さんが質問した。


「フルート。

私、本当は音大に行きたかったの。フルート、ずっとやりたくて。でも、親に『将来の職が安定していないから』って、音大なら学費は出さないって言われて……。


すごく考えたんだ、進路。“好きなこと”を、仕事にするのか趣味にするのかって。

今日も、子どもって接したことないから苦手でさ、沙羅ちゃんが転んだ時も、どうしたら良いか分からなくて、私が大きな声を出しちゃったから、何だか大ごとになっちゃって。失敗したなあって思ってる」


「それ!考えたよね。『好きなことを、仕事にするのか趣味にするのか』は、みんな悩むんじゃない?私は、パティシエとナースで迷った。星野さんは?」

「ウチは、家族のほとんどが医療者だから、ほかの選択肢はあんまり考えなかった。でも、ミコちゃんーー叔母がね、楽しそうに仕事に行くから、看護師も良いかなっ、て」


おや、星野さんてば、美琴さんへの当たりがキツイから仲が悪いのかと思ったらそうでもないのね。ちょっと安心した。美琴さんは、私と舞りんの憧れだからね。

私がぼんやりと考え事をしている間に、保育園実習の話から話題は変わっていた。


「夏休みはどうするの?」

愛実ちゃんの質問に片山さんが答えた。


「私は高校の吹部の練習に顔を出そうと思っていたけど、その前に単位認定試験じゃない?

試験に落ちたら、再試験ってお金がかかるんでしょ?ウチの親、再試験のお金なんて出してくれないから、少ないバイト代から出すこと考えると、落とせないから必死だよ」

「あー、再試験ね。試験を落とすと再試験のために登校しなくちゃいけないから、夏休みが減っちゃうんだよね。その上、お金まで取られるってヒドイよね」


え、そうなの?二人の会話にびっくりした。


大学の夏休みは丸々2か月もあるから、久しぶりに地元北海道へ帰ろうと思っていたのに!

これは頑張って試験勉強しなくっちゃ!と心に誓った。

初めての学外実習の緊張からの解放感どころじゃなくなった。


だって、私の帰郷が短くなったら、あのシスコン兄は、がっかりを通り越して上京しかねないから。

私の快適シティライフを死守するためにも、試験を落とすわけにはいかない!と、私は試験に向けて気合を入れることにした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ