恋愛の方向
「その箱には触らないでー!!
大丈夫大丈夫大丈夫。あ、コレは私が運ぶから!紙とか本とかだから重たいし!」
私が段ボール箱を持ち上げようとしたら、狭い部屋の中に萌絵ちゃんの声が響いた。
あわててる?大事なモノなのかな。
「わかった。じゃあ、どれなら私が持って行っても大丈夫?」
今日は萌絵ちゃんが舞りんの家へお引越しする日。
オザが主導してくれて、みんなで考えた同居ルールがしっかりしていたからか、急に一人暮らしになった舞りんへのうしろめたさなのか、白石家のご両親からはスムーズに同居の了解が得られた。
「私に興味がないだけよ。自分たちさえ良ければいいのよ、あの人たち」
と、舞りんはヤサグレていたけど、ちゃんと心配してると思うんだけどなあ。
逆に、萌絵ちゃんのお母さんの方が心配して、急遽、上京して来られた。
舞りんに会って、白石家を見学して、舞りんのパパ、ママと電話でお話して、「家賃が安すぎる!」ってひと悶着あったけど、双方の保護者が合意して、同居が決定した。
とはいえ、直ぐに引っ越すにしても、白石家で萌絵ちゃんが暮らす部屋を片付けなくちゃいけなくて、私たちもお手伝いして、大掃除をした。
終わった後、みんなで銭湯へ行ったのは楽しかったなあ。
銭湯のお湯が真っ黒でびっくりしたけどね。
東京の銭湯はどこも真っ黒なのかと思ったら、この亀満に特徴的な温泉なんだって。
そもそも、東京にも温泉があることにも驚いた。
そして今日は、満を持して萌絵ちゃんのアパートからのお引越しなのだ。
でも、来て見てびっくり。これは確かに、耐震性に心配がありそう。建物の外壁に大きなヒビがいっぱい入ってる。上京した萌絵ちゃんママもこれは引っ越しが必要だと理解したみたい。
「お風呂場の方は片付いたよーっと!ああっ!」
大きな声に振り返ると、お風呂場を片付けていた真緒ッチが、さっき私が置いた段ボール箱にぶつかって転んでる。
「ああ!ゴメン!私が適当なところに置いちゃったからだね。大丈夫?ケガはない?」
「うん。私にケガはないけど、段ボールが‥‥‥」
真緒ッチの視線の先を見ると、元々、古くなっていた段ボール箱が潰れて、中身が出てしまっている。
マンガかな?それにしては何だか肌色が多いような気がする。
「ふぁああああああああ!見た?見てないよね?!見てないって言って!!」
突然、大声で私に詰め寄る萌絵ちゃんにびっくりする。
私は、「見てない」って言ってあげたいケド、あまり意味がなさそう。
「萌絵ちゃんは、BL好きなんだね」
あわてる萌絵ちゃんの後ろから、真緒ッチの冷静な声がした。
BLとはアレか。BoysがLoveい、お話ね。
ギギギギギ。
サビ着いたブリキのロボットみたいに、コマ送りで振り返った萌絵ちゃんが、つぶやいた。
「終わった‥‥‥。
これで、うちん夢に描いた東京ライフも終わりや。
高校時代とおんなじ、暗い引きこもり生活に逆戻りや。
所詮、うちのようなオタクが、こがな華やかな東京に来てはいかんかったがや‥‥‥」
萌絵ちゃんの地元の土佐弁がうっかり出てしまうほど動揺しているのは分かるけど、どうしてそこまで悲観するんだろう。
萌絵ちゃんの話を聴くと、高校入試の受験ストレスからBLの世界にハマったそうだ。
無事に高校に入った後、仲良くなった人に趣味として話したら翌日にはクラス中に知られていて、それからは孤独な高校生活を送ったんだって。
だから、地元を離れて東京での生活を選んだこと、舞りんとの同居を躊躇した理由が BL 好きがバレる可能性が高くなることだったと話してくれた。
「みんなあも、気持ち悪いって、思うろう‥‥‥?」
すっかり元気をなくして、土佐弁に戻ってしまった萌絵ちゃんだけど、集まった舞りんや絹恵さんも含めて、みんなの顔には嫌悪感はなかった。
「まあ、趣味の範囲なら良いんじゃない?別に、犯罪でもないんだし」
舞りんの言葉に、萌絵ちゃんは眼球が飛び出るほど目を見開いた。
「げに?みんなあも?気持ち悪いって思わんが?」
意味の分からない単語もあったけど、気持ち悪いとは思わなかったから、うなづいた。
「よかったぁ‥‥‥。一時は、コレで大学生活どころか、今日からの寝床も失うかと絶望したよ」
へなへなと座り込んだ萌絵ちゃんは、普段の活気を取り戻して箱の中から小冊子を取り出した。
「そしたらさ!コレ、私が描いたマンガなんだけど、同人誌として売っても良い?!」
ん?この絵は‥‥‥。
「お兄ちゃんと秀ちゃん?!」
「そう!この前の打ち上げの時に、紀亜を迎えに来てくれた時に天啓がひらめいたのよ!
是非!お願い!ご本人たちに了解を取って欲しいの!」
さっきの萎れた様子とは打って変わって、ぐいぐいと押してくるけど、了承したくない。だって、そんな目で身内を観られるのは、正直、嫌だもん。
でも、高校時代にクラスメイトに傷つけられた話を聴いた後だし、拒絶しづらいなあ。
「駄目だよ。絶対に駄目っ!」
私が戸惑っていると、真緒ッチが明確に拒否してくれた。
「理久さんと秀悟さんだと?!理久×秀悟でも秀悟×理久でも、どっちも駄目!
――身内の紀亜の気持ちも考えてごらんよ!駄目に決まってるじゃん!」
途中、分からない言葉もあったけれど、私の気持ちを代弁してくれてありがたい。
真緒ッチから目をそらして私を見た萌絵ちゃんに、明確に頷く。
「本人たちに了解を取るまでもなく、私が嫌。
BL 好きの萌絵ちゃんの趣味を否定はしないけど、私の身内でお話を作って販売するのは違うと思う」
身元を公開していないとはいえ、ホワネス関連の問題もある。肖像権とかいろいろね。
真緒ッチに続く私の完全な拒否に、しばらくうつむいていた萌絵ちゃん。
ちょっとキツク言い過ぎたかな?
「‥‥‥じゃあ、オザとヨッシーだったら?」
――萌絵ちゃんの性格がちょっとわかってきた。この人、結構、打たれ強くてめげない。
「恋愛は、とてもセンシティブで個人的な感情です。特に BL といった、現在のこの国では一般的とは言い難い恋愛スタイルを実在の身近な人で創作するのは、相手の人との信頼関係を損なう危険性があることは、想像しましたか?佐藤萌絵さん」
「‥‥‥。
すみませんでした。今、頂いたお言葉を魂に刻んで、己の趣味道を模索したいと思います」
萌絵ちゃんは、ちょっと考えてから、ぐうの音も出ないほどの正論を伝えた絹恵さんに謝って、私たちに向き合った。
「友達とシェアハウスとか、しかも東京でなんて、すごく浮かれました。
出来れば、今の私の発言は、ご本人たちには内密にしていただけると、私の社会的な立ち位置が助かります。
友人関係も、継続していただけるよう、周囲の人の気持ちも考えるので、よろしくお願いしまっす!」
そう言って、上半身を90度に折った礼をした。
「何やってんの?段ボール、詰め終わった?軽トラ、借りてきたから持って行っていい箱、どれ?」
タイミングよく表れたヨッシーとオザに急かされて、私たちは慌ただしく引っ越し作業に戻った。
結局、萌絵ちゃんの荷物はヨッシーの運転する軽トラに全て乗ったけど、私たちが乗る場所はなかった。そもそも、荷台に人が乗っちゃいけないんだって。
だから、女子チームは徒歩で移動して、今度は荷物の搬入を手伝った。
夕食に誘われたけど、ホワネスメンバーが新曲の楽器練習をやってるから、そっちに合流したくて、今日は丁重にお断りをした。
それにしても、ヨッシーもオザも運転免許持ってるの、知らなかったなあ。
オザは大学受験後の春休み、ヨッシーは夏休みに教習所に通っていたらしい。
真緒ッチも実はヨッシーと一緒に免許を取りに行っていたらしくって、大学でも免許を持っている人がチラホラいるらしい。今日のメンバーでも合宿免許と教習所のどっちがいいか問題で盛り上がってた。
私はどうしようかな。
北海道へ戻るなら、免許がないと移動が大変だけど、東京ではそんなに使わないよね、車。
そもそも、こんなに車も車線も多いところで、事故らないで運転できる自信もない。
そう考えると、大学を卒業して、どこで働くのかなあ、私‥‥‥。
働くって、看護師なのか、ホワネスなのか、考えなくちゃいけない時が来るんだなあ。
ちょっと他人事みたい。まだ、もうちょっと先だしね。
「あ、紀亜!」
「おお、玲ちゃん!どうしたの?楽器持って」
考え事をしながら梅川緑道を歩いていたら、おしゃれなフルートのケースを肩にかけて大学方面に歩く玲ちゃんに出会った。
「これがフルートケースだって、よくわかったね。
これから、病院ホールで演奏するクリスマスコンサートの練習なの。ほとんどが病院のドクターとナースだから、夕方からなんだ」
「そういえば、夏にコンクールの練習してたね。どうだった?」
「ウチみたいな弱小校は記念参加みたいなもんだよ。でも、渡来先生が顧問の先生のピンチヒッターで指導してくれて、結構、良い演奏できたんだ。
指導を継続して欲しかったんだけどさ、博士論文が佳境だからって断られちゃった。
クリスマスコンサートも誘ったんだけどさ、時間があれば聴きに行くって。でも、絶対来ないでしょ。
あーあ。フラれちゃったなあ」
えっ?玲ちゃん、もしかして、渡来先生が好きなの?恋愛的に?
――という疑問は、淋しそうな玲ちゃんの横顔を見たら、口にはできなかった。
「差し入れ、買ってきたよー。
お金はお兄ちゃんからですが、労力は私でーす!ありがたーく食べてくれたまえ!」
「お、コレ、紀亜んとこの大学病院近くの唐揚げ弁当だ!ココの美味いよな。
下味がしっかりしてるところは北海道の鳥ザンギに近いけど、この白い粉がまぶされてサクサクしてるの、ホント美味いよなー」
鳥ザンギとは、北海道の唐揚げのこと。全国的な言い方ではないのは東京に来て知った。
買ってきたお弁当は、大きめの唐揚げの他に、シュウマイが入っていたり、焼き鮭だったり、焼き鳥だったり、そぼろが乗っていたりとバリエーションがあるんだよね。
私は、副菜のタケノコと甘く煮たジャガイモが結構楽しみだったりする。
「重かったでしょ。言ってくれたら、僕も手伝ったのに」
「いやいや、渡来先生と私がお弁当をたくさん持って歩いてるの、学生や病院ナースに見つかったら、何て説明したらいいか、分からないよ」
「それもそうだね。看護学部は女子が多いからさ、毎年、男性教員には結構キビシイ指導が入るんだよ。アカハラで訴えられても困るしね」
アカハラは、アカデミックハラスメントか。
「18歳で成人とはいえ、学生だからさ。恋愛関係にならないようにコッチも気を付けなくちゃいけないわけよ。大人は大変なんだよー」
「それで玲ちゃんのお誘いを断ったんだね」
カナちゃんは、頬張ったそぼろとご飯を飲み込んでからニヤリと笑って言った。
「だって、僕には篠崎澪っていう恋人が居るからね」
「澪さんって、トラベルナースなんだよね。今、どこに居るの?」
「知らない。ここ2か月ぐらい連絡取ってないから。僕も忙しかったし、多分、ネットがつながらないところに行ってるんじゃない?」
2か月連絡が取れなくても、信頼している恋人関係って、羨ましいような気もするけど、私には無理かなあ。




