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整外病棟、田中主任の誤算


訳が分からないまま、吉田師長に連れてこられたのは、師長のデスクが置いてある小部屋。

この部屋にスタッフが呼び出されるときは、異動の通告か説教。

だけどアタシ、説教される覚えなんてないんですけど!



そう思っていたアタシに師長が読めと言って渡したのは、昨年度の管理職研修「学生および新人に『言ってはいけない』言葉」の資料だった。

その中で、最初に出てきた言葉が「やればできるじゃない」だった。


え?なんで?褒めてるのに。


「『やればできるじゃない』がダメな理由が分からない、って顔してるわね。

田中さんは褒めたつもりだろうけど、言われた側は、『以前はできていなかった』『サボっていた』という非難のニュアンスを受け取るのよ。

理由はほかにもあるわ。その資料、コピーだから持って帰って、よく読んで」


「こちらは、傷つける意図はなかったんですよ。私自身も、そうやって育ってきました。

こんなことぐらいで傷つくなんて、そんなに弱かったら社会に出られないじゃないですか」


「まあ、田中さんはそういう見解になるわよね。

でもね、厳しくするだけでは今の人たちは育たないし、育つ前に折れちゃうわ。

学生だけじゃなく、若手のスタッフもよ。


ナースの転職は、テレビでもCMする時代だからね。

いろんなハードルが下がってるから、上司や先輩がそういう教育を続けていれば、退職者は増える一方。離職率が高ければ、新卒も既卒も就職希望者が減るっていう負のスパイラルになるの」


師長はそう言うけど、だからって、なんでアタシが説教受けないといけないのよ!腹が立つ!






その後も、師長からのお小言は続いた。


スタッフからも指導に一貫性がなく、アタシが気分でキツく言うと不満が上がっているとか。

患者さんから、鎮痛薬使用に文句を言われたから我慢していたとか。


そんなこと、言ったかなあ。そんなつもりじゃなかったと思うけど。ホントにアタシのせいなのかなあ。


その上、「子育てしながらの病棟勤務は大変でしょ。外来が人員不足で異動の話があるの。ウチの病棟から出すとしたら、田中主任さんだから考えておいてね」だって。

考えたって、人事なんて、アタシの希望が通るわけないじゃん!


外来師長は桑原さんだったなあ。あの人、苦手なのよね。新人の頃に配属された消化器外科病棟で、当時は補佐だったか。

そうだよ、あの人、最初の子ども育てながら、認定看護師の学校に行ってたっけ。

そんな人の下でなんて、働けないよ。


それに、外来看護なんて医者を転がして働かせるだけでしょ。アタシがやりたい仕事じゃない。

お小言の合間に「田中主任は、採血やサーフロー挿入の技術が高いから」とか言ってたけど、採血室とか検査室での造影剤の血管確保とか、患者さんと関われないじゃん。






「あら、田中さん」

今日、病棟であったことをつらつら考えながら湊斗のお迎えに来たら、保育園の入り口で桑原師長に声をかけられた。外来への異動を聞かされた後だから、すっごく嫌な気持ちになる。



「相変わらず、考えてることが顔に出るわねぇ。

何?吉田師長から、外来への異動について聞いた?私も今日、人事担当の副部長から聞かされたところなのよ」


ヤバッ。これから上司になる人に、移動を嫌がってるとか思われたら、意地悪されるかな。


そんなことを考えながら歩いていると、電話が鳴った。

あれ、パパからだ。今日の外食のことかな。ファミレスじゃなくて、ちゃんとしたお店の予約が取れたとか!


『あ、ママ?今日なんだけど、仕事でトラブルが出ちゃってさ。これから埼玉まで行かなきゃいけなくなったんだ。終わるの、夜中になりそうだから、悪いけど‥‥‥』

「何よ!じゃあ、今日の外食行けないじゃない!!何でパパが行かなきゃいけないのよ!」


信じられない!楽しみにしてたのに!

もっと、文句を言おうとしていたのに、すごく急いでいる雰囲気のパパは、私の返事を待たずに電話を切った。

ゆるせない!鍵かけて、チェーンロックもして、家から閉め出してやる!



「大丈夫?辛そうに見えるわ」

そうだった‥‥‥この人が近くに居たんだった。

桑原師長はそう言うけれど、辛いんじゃない!腹が立ってるだけよ!


そう言いたいのに、喉に何かが張り付いて、声が出ない。

「はいはい。泣かない、泣かない」


桑原師長に保育園の玄関にある手洗い場のペーパータオルを渡された。

子どもみたいに背中をトントンされて、ようやく自分が泣いていることに気付いた。


恥ずかしいけれど、涙を止められなくて、何なら鼻水まで出てきた。



「ママ!‥‥‥たい?‥‥‥たいたい、飛んでけー!」


私を見つけた湊斗が玄関に座り込んで泣いている私を見て、抱き着いてきた。

いつもならまだ遊びたいから帰りたくないと寄ってこないのに、今日に限って湊斗は私の頭を撫でながら「痛いの、痛いの、飛んでいけー」のポーズをする。


可笑しくなって、泣き笑いになったところで桑原師長から声をかけられた。



「うちの子もピックアップしたし、湊斗クンの荷物も担任の先生から預かったよ。

さっきの様子じゃ、ご主人、今日は帰れないんでしょ。このままウチ来て、ご飯食べて帰んなさい」


そう言うと、桑原師長の息子さんが湊斗の手を取って歩き出した。

私は、湊斗の保育園の荷物を師長に持たせたまま、鼻水をすすりながらその後をついて行った。






「ごちそうさまでした。久しぶりに、人が作った食事を食べました。あ、お昼のコンビニ弁当は別として」

「私の手料理は、コンビニ弁当には勝てたわけね」

「あっ!そういう意味ではないんですよ。ホントに感謝してるんです!


湊斗も、こんなに長く食卓に座っていられることなかったから。お兄ちゃんたちにかまってもらえたお陰です。

食事の作り方も、すごく参考になりました。ありがとうございます」


「わかった、わかった。

田中さん、言葉のチョイスが時々致命的に下手よね。それで結構、損してるんじゃない?」

そうなのかなあ。言われてみるとそうかもしれない、という気がしてきた。



「ご主人にもさ。

さっき、聞こえちゃったけど、ドタキャンで怒られるのわかってるのに、仕事の合間に、SNSじゃなくてちゃんと電話かけてくるなんて、偉いじゃない」

え?そういうもの?


「田中さん、里帰り出産でしょ。出産後も、結構長い期間、実家に居たんじゃない?

それならさ、ご主人、まだ『お父さん』としてスタート切ったばっかりみたいなもんだよ。

子どもと一緒に、親も育っていくからね。お父さんだけじゃなく、お母さんもね」



そっかあ‥‥‥。

言われてみれば、そうかもしれないと思った。


パパに、ひどいこと言っちゃったかな。さっきの電話の対応のこと、ごめんねの連絡だけ入れとこうかな。

こっちは、これから私が上司になる人に、親子でご飯をごちそうになったことも。




「ホントに、大丈夫?ウチは泊って行っても大丈夫なのよ」

桑原師長はそう言ってくれたけど、これから上司になる人の家に、何の準備もしないまま泊まるなんて、無理。しかも子連れでなんて!



それにしても、男の子ってなんでいつも何かと戦ってるんだろう。

仮想の敵にキックするつもりが兄弟にぶつかったとかで、直ぐケンカになるし。

でも、湊斗、楽しそうだったなあ。乗り物の玩具がいっぱいあったしね。車も電車も大好きなのは、男の子あるあるなんだなあ。




湊斗だけでもお風呂入れてもらえて助かっちゃった。

風邪ひかせないようにって、ブランケットももらえたし、ラッキー。

あ、ウチの近所にはないコンビニだ!ココのスイーツ、美味しいんだよね。

湊斗は抱っこ紐の中で眠ってるし、大丈夫だよね。ご褒美スイーツ買って帰ろうっと。






「ふえっ、ふえっー、ふぇーん!」

「・・・・・・おー、はいはい。どーした?」


帰宅して、眠そうにしていた湊斗をベッドに寝かしつけて、買ってきたシュークリーム食べ終えたところで、泣き出した。いつもの夜泣きにしては、時間が早いなあ。


シュークリームはあげないよ。虫歯になるし。あと1個はパパへのお詫びだからさ。



あれ?いつもより、熱い。どうして?

どうしよう‥‥‥まずは、体温計だ!



「38度4分‥‥‥」

やっぱり、コンビニに寄らずにまっすぐ帰れば良かったの?

こういう時、どうしたら良い?今、1時を回ったところだから、もちろん、街の小児科なんてやってない。

大学病院の救急外来?

熱だけで、行っていいの?でも、アタシだって、こんな熱、出したことない。どうしたら良い?

看護師だって、小児科なんか学生実習以来、行ってないから、どうしたらいいか分かんないよ!

実家のお母(おかあ)に電話するにしても、こんな時間じゃ寝てるし‥‥‥。



‥‥‥パパ?ダメ元で、電話してみようかな。



『‥‥‥はい』

「ゴメン、寝てた?」

『いや、まだ作業中で寝てない。どうした?何かあった?』


夕方、あんなにひどいこと言ったのに、優しい声に、また、泣きそうになる。

「湊斗が、熱が高くて、苦しそうで。どうしたら良いか分からないの‥‥‥。

看護師なのに、なんにも出来なくて‥‥‥」


『そっかあ。今、家?師長さんとか、近くに居ないのか‥‥‥。連絡先も知らないか。それ以前に、こんな時間だもんな。

大学病院に、電話だけでもかけてみたら?状況を話して、直ぐに受診した方が良いのか、朝まで待っていいのかが分かったら、良いんだろ」


パパ、天才!その案、採用!






大学病院へ電話をしたら、すっごく長い時間――もしかしたら、たったの数分だったのかもしれないけど、体感的にはとても長い時間待たされた。

ようやく、電話に出たのは救急外来の夜勤看護師だった。

湊斗の症状を丁寧に訊いてくれて、熱以外の症状がないことが分かると、朝まで様子を見るように言われた。

マジ?!この状態の赤ん坊と二人っきりとか、デスゲーム過ぎる!




吐かなければ、水分を与えても良いって言われたから、ミルクを作ったけど、ほとんど飲まない。

腋窩とソケイ部を保冷剤で冷やすけど、嫌がって直ぐに外されちゃう。

ずーッと抱っこでゆらゆらしてないと泣き出すから、アタシも眠れない。

明日、もう今日か。休みで良かった。この状態じゃ、絶対、インシデント起こすわ。



~落ち込んでても、悩んでても、答えが出なくても、朝は来る~

ホントそれナ。


サブスクに入っている音楽アプリから流れてきた曲に、同意する。

誰の曲だ?えーと、ホワイト・ストロベリー・バロネス?

ボーカルは男子なの?この高音で?あ、女の子も居るんだ。顔出ししてないんだね。


聴いたことなかったけど、結構、刺さるなあ。この人たちの歌詞。




その時、ガチャガチャって玄関から音がした。

「ただいまぁ。どう?湊斗は?眠ってるね。熱は?ちょっと下がったのかな?」


パパが帰ってきた!ああ、これでワンオペ育児から、解放される!



「あ、僕、これから出社。無理言って、いったん帰ってきたんだよ」

何だとー?!


まだ続くのかあ、ワンオペ育児‥‥‥。







お読みいただいて、ありがとうございます。今話で、1年次の実習がようやく終了です。


次回から、毎週日曜日更新となります。

楽しみにお待ちいただけたら、嬉しいです。

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