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実習指導責任者、伊藤補佐の見解


「私が、『看護師に向いていない』ということです‥‥‥」


「白石さんっ!それは――」

「渡来先生」


安易に慰めてしまいそうな渡来先生の発言を遮って、目線で黙らせる。

そう。ココからは、私のターンだからね。ニッコリ笑顔もつけておく。


なによ。何でおびえた顔してるの、渡来先生。まあいいか。



「白石さん」

「‥‥‥はい」

「あなたが、なぜ、そう思ったのかを、具体的に教えてくれますか」



彼女は、考えながらゆっくりと話し始めた。


「私が担当した中村さんは、55歳の男性です。

草野球の練習中に、利き手側である左肩の痛みを自覚するようになりました。次第に夜間の痛みが強くなって受診され、腱板断裂の診断を受けました。


中村さんは、企業の営業部の部長さんで、年末年始がすごく忙しいそうです。

だから、その時期を過ぎて落ち着いたころに手術をしたかったけれど、夜間の痛みが強くて、眠れなくなったことで年内の手術を決断されたそうです」


中村さんは自分で車を運転することも多いって言っていたし、睡眠不足での運転はご自身も周囲の人も危険だから、妥当な判断だったと思うわ。

それにしても、入院前の経過は、カルテをさかのぼらないと把握できないのに、患者さんから聴取したにしても、良く情報を取っているわ、白石さん。


「そういう経過だったので、手術の後も夜間の疼痛が続いたことで、中村さんはとても落ち込んだそうです。『手術せずに、仕事していた方が部下に負担をかけなくて済んだのに』って。

私たちの実習初日に、ようやく鎮痛薬なしでもよく眠れたと、その日はとても嬉しそうでした」


確かに。初日に白石さんを紹介に行った時、テンション高かったわね。


「ですが、翌日からまた、夜間痛を出現させてしまいました」

あれ?何だか、中村さんの夜間痛の再燃が、白石さんの責任と思っているみたいな言い方ね。


「私は初日に、田中主任さんから夜間痛が出現するメカニズムについて質問されました。

私は、『臥床することで、局所の血流量が増して、肩関節内を圧迫するから』と答えようとしましたが、『それは、術前の痛みだ』と言われて、術後の痛みのメカニズムについて回答を求められました」


そうそう、初日に白石さんが言っていたわね。

それにしても、1年の基礎実習で求める知識レベルじゃないわね。この時期なら、こちらが解説してあげてもいいでしょうに。


‥‥‥っていうか、「答えようとした」って言ったわね、白石さん。

ということは、田中主任は、最後まで学生に発言させなかったんだわね。指導というには、中途半端だわね。


「昼休みに学内で調べ直してみたんですが、午後に戻ってきた時に田中主任さんにお会いできず、お会いしたとしてもちゃんと答えられなかったと思います。

実習初日に、こんなにつまずくなんて、私はナースに向いていないと思いました」


ああ‥‥‥。学生のレベルに合わない高度な質問が、不全感に繋がっちゃったのか。

初日の白石さんの様子に気付いたときに、話をしっかり聴いておけばよかったなあ。


「でも、その後も調べたのよね」

心が折れそうになりながら、学習を続けたって、それだけで偉いと思うけどなあ。


「はい‥‥‥。

術前の腱板断裂の夜間痛のメカニズムは、断裂した腱板が肩関節内で炎症を起こすことで、夜間に痛みが悪化することが分かりました。

手術直後は、炎症が続くことがあるので夜間痛を感じたのだと思いますが、数日、つまり実習初日の頃に炎症が治まったことで夜間痛が軽減したと考えます」


「よく調べて、ちゃんと考えていると思うわ」

少し足りない視点は、後から補足すればいいしね。

この時期は、文献のどこに何が書いてあるか、から考えなきゃ調べられないだろうから、時間がかかるはずだしね。


「ただ先ほど、白石さんは『翌日からまた、夜間痛が出現させてしまいました』と言っていましたね。

どうしてそう考えたの?」

白石さんは、また、考えながら話し始めた。


「リハ室で、療法士さんに言われていたんです。炎症が落ち着くころだけど、無理に動かすと炎症が再燃する、って」

「患者さんが、ご自身で動かしてしまうことは、白石さんの責任ではないと思うけど」


「はい。そこではなくて、患者さんが『この程度で、鎮痛薬使ったのか』って言われたことで、翌日に痛み止めを我慢されていたんです。

勉強したんですけど、その発言の意図がわからなくて。田中さんに質問も出来なくて。


中村さん、夜中に痛くて眠れない時、年末の忙しい時期に仕事を休んで職場やご家族に迷惑をかけていることを考えていたら余計眠れなかったって、言っていて。

すごく辛そうなのに、私、何もできなくて‥‥‥」


「それを、白石さんは、自分のせいだと思っているの?」

「‥‥‥私、だけのせいと、言うわけではないですけど・・・・・・。

何もできない自分が情けなくて。他の学生だったら、もっと上手く出来たんじゃないかとか、私は看護師に向いていないんだと‥‥‥」


白石さんは、患者さんの心身の苦痛を目の当たりにして不全感を抱いた、ってところね。


それでは、そろそろ解説をしましょうか。どこから行こうかな。まずは、一番気になっているところからかな。



「そっかあ。白石さんは、そう考えているんだね。教えてくれてありがとう。

では、臨床実習責任者の私から、いくつか解説をしてもいいかしら」


「まずは、患者さんの身体から話をしましょう。

腱板断裂に限らず、肩の痛みは夜に増す傾向があります。

白石さんは、血流に着目したようだけど、就寝時に体位が変わるわよね。その視点で考えたらどうかしら」


「‥‥‥起坐や立位では、上肢は下に下がる姿勢で固定しています。でも、臥床によって、腕の重みから解放されることで肩の位置が変わり、痛みが強くなる?ということですか?」


「そうね、正解。

臥床によって、腕の重みが外れると、肩関節内のスペースが狭くなるわ。

特に、支えがない状態だと、肩関節の位置が不安定になりやすいの。

そうすると、腱板が骨に挟まれ、圧迫されることで痛みに繋がります。


体位調整だけですべてが解決するわけではないけれど、クッションなんかを使って、少しでも楽な体位を探ることは、看護が出来ることだわ」


白石さんも、私の話を聴きながらメモを取り始めた。


「では次に、中村さんの鎮痛薬の使用について、私の見解を説明するわね。

実習初日の夜の疼痛は、運動負荷による炎症の助長だと、白石さんはアセスメントしたわね。

田中さんも、たぶん、そう考えたのだと思うわ。長く臨床に居ると、そう判断する経験も積み重なるから。


ただ、その次の思考が白石さんと違ったのかな。


白石さんは、痛みは誰にとっても辛いものだから、指示にある鎮痛薬を積極的に使った方が良いだろう、という考え方よね。

別の考え方として、痛みがあることで過度の動作や負荷を避けるようになるので、鎮痛薬の使用をある程度、制限する考え方もあるの。


特に、中村さんの場合、高血圧があって、最近の腎機能の数値が少し上がってきているから、腎臓に負荷がかかる鎮痛薬の使用を躊躇することもあるわね」



学生全員、「そういう発想はなかった!」って顔してる。

まあ、1年のこの時期なら、仕方ないわ。展開図で考えるのは、2年の実習からだもの。


「ただ、鎮痛薬の使用を控えることは、弊害もあることを理解しておく必要があります。

夜は、一般的に暗いし静かだから、眠れないと思考はネガティブになりやすいわ。特に、入院中なんて身体の症状に敏感になっているから、白石さんが聴いたようにアレコレ考えて余計に不眠になるケースはよくあるの。


皆さんは、『結局、鎮痛薬を使った方が良いのか、悪いのか、どっちなんだ?!』って、顔をしているわね。


それは大事な疑問なんですよ。


この患者さんの痛みは、なぜ起こっているのか。

それを知るには、疼痛部位や程度、関連因子をアセスメントしなくちゃいけない。

その上で、継続指示を確認して、鎮痛薬の指示がなければ担当医師に確認することが、臨床での看護師の大事な役割の一つなの。


では、質問です。

今回のように、鎮痛薬を使用することが、患者さんの利益と不利益の両方の側面がある場合は、どうしたら良いでしょうか」


カンファの時間もそろそろ終わりに近づいているから、問いかけだけして解説をしようと思ったら、尾崎さんが手を上げた。



「看護スタッフ間で話し合う、というのはどうでしょうか」


「おお!素晴らしい!私と同意見ね。

ちなみに、尾崎さんは、なぜそう考えたの?」



「自分は、今回の実習中、グループメンバーにすごく助けられたんです。

患者さんが何を言っているか分からなかったときに通訳してくれたり、学内実習で使った物品を片付けてくれたり、資料を貸してくれたり。


自分、受験勉強とか、高校までの勉強って、一人でやるものだと思ってたんです。

だけど、今回の実習で、グループメンバーと話すことがすごく勉強になって、今回の件も、何とか白石さんの役に立てないかと考えたんです。


何にもできなかったけど、ちょっと申し訳ないけど今、こうして伊藤補佐さんの話を聴けているのは、すごく勉強になっていて。

だから、自分が看護師になった後、今回のようにどちらにしたら良いのかと迷うようなときは、先輩や他の看護師に相談するだろうな、って思ったんです」



「素晴らしいね。模範解答みたいよ。

そうね、看護はチームで仕事をしているから病棟でも事例カンファレンスをして『その患者さんにより良いこと』を限られた時間の中で話し合うことをしています。


今日のこのカンファレンスの時間も残り少なくなってきたけれど、皆さんの頑張りに敬意を表して、特別日本語講座を開こうかな」


そう言って、私はホワイトボードに向かって、『聞く』、『訊く』、『聴く』と並べて書いた。


「この3つ、意味の違いは分かる?」


あら?学生さんはともかく、なんで渡来先生まできょとんとしてるのよ。


「門構えの『聞く』は、音が耳に入ること。

言偏の『訊く』は、質問すること。

耳偏の『聴く』はね、十分に、耳を傾けて、眼を見開いて、心をこめて対象を理解しようとすること、だと思うのよ」


私は、ホワイトボードに『聴』の文字を分解しながら説明した。


「こう言うとね、看護師として大切なのは『聴く』だ!と思うでしょ。でも、どれも必要なのよ。

患者さんの状態をアセスメントする時、特に緊急を要する時は、悠長に『聴』いている場合じゃないから、その時は『訊く』になるしね。


大切なのは、その場や相手に合わせて『きくこと、伝えること』だと思うのですよ。


はい、これで、特別日本語講座を終わります。

ちょうど時間になったし、これで病棟カンファレンスを終わりましょうか。


最後に渡来先生からコメントをもらいましょうか」



ちょっとしゃべりすぎちゃったわね。素直で熱心な学生さん達だったから。

だから、最後の花は渡来先生に渡したのに、ちょっと不満そう。



「えー。この後、教員として話すのは非常にやりにくいですが、この実習で学んだことを、明日の午前中にまとめて、午後は発表会です。

伊藤さんも来てくれるんですね。はい。よろしくお願いいたします」



もちろん行くわよ!と言いたいけど、病棟の落ち着き方次第だわね。

後は、師長と田中さんの話し合いの行方次第ってのもあるか。

そっちを考えると気が重いけど、とりあえず、学生さん達の3日間の病棟実習は、これで終了した。




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