白石舞歌、基礎実習で感じる絶望
「お、おはようございます。実習2日目になります、う、うけしゅ大学、1年の白石です。
本日もよろしくお願いちまつ」
「『うけしゅ大学』って、受ける―。若いっていいわねー」
また噛んじゃった。この癖、どうにかならないかな。何だよ、うけしゅ大学って。
そりゃあ、受けるわ。自分に腹が立つ。
でも、田中主任、やっぱり当たりがキツイなあ。
やっぱ、私が悪かったのかなあ・・・・・・。私、どこで間違えたんだろう・・・・・・。
いかん、いかん。落ち込んでても仕方ない!
中村さん、昨夜は痛み、どうだっただろう。私はカンファ室でカルテを確認した。
「ああ、やっぱり昨夜、痛みがあったみたい。レスキュー、使ってる。
夜中に痛いのは、辛いよね・・・・・・」
痛いと眠れないし、眠れないと悪いことばっかり考えちゃうし。・・・・・・昨夜の私みたいに。
一昨日は、レスキューを使わずによく眠れたって言ってたから、昨日、何があったかな。
そういえば、リハビリ室に行ったとき、理学療法士さんが言ってたなあ。
「無理に動かすと、炎症が再燃しますし、ドクターから聴いていると思いますけど再断裂のリスクもあるから肩関節は、ご自分では動かさないでくださいね」
・・・・・・動かしちゃったのかなあ。
それとも、夜もアームスリングを着けて固定したままだって言ってたから、肩とか腰とかに負担がかかって、痛くなったとか?
分からん。
それなら、本人に訊いてみよう!
「渡来先生、患者さんのところへ、お話を聴きに行っても良いですか?」
「白石さんの患者さんの今日の担当看護師さんは、誰だっけ。
――あ、田中さんかあ・・・・・・。いいよ、僕から田中さんに声をかけておくよ」
正直、朝の件があるから田中主任と話す機会が減るのはありがたい。
渡来先生も、気にしてくれてるのかも。
「おはようございます、中村さん。今、お話し伺っても良いですか?」
「ああ、学生さん――白石さんだっけ。おはようございます。話ね。はい、どうぞ」
やっぱり中村さんは優しい。父とは同じ世代でも違う。ちゃんと、この人を看なくっちゃ。
「昨夜、痛かったですか?眠れましたか?」
「いやあ、リハビリ室で、『体幹と脚の運動は積極的に』って言われたからさ、消灯前にスクワットしてたんだ。
そん時に、肩が動いちゃったみたいでね。横になったらズキズキしてきて、急に動かしたから脚も腰も痛くなっちゃってさ。
痛み止めもらうまで悩んだけど、飲んでからは眠れたよ。
だけど、今朝、田中さんに『この程度で、鎮痛薬使ったのか』って言われちゃってさ・・・・・・」
痛いのは辛いし、眠れたのは良かった。でも、田中主任は、なんでそう言ったんだろう。
何か理由があるんだろうから、後で調べてみよう。
「ちょっと、学生さん!ベッドサイドに来るなら、ちゃんと受け持ちに声かけてって、言われてないの?!」
ひゃ、田中主任さんだ。
あれ?渡来先生が、伝えてくれるって言ってたのになあ。怒ってるみたい。どうしよう。
「バイタルは?測るんじゃないの?血圧計は?はあ?手ぶらで来たの?」
「えっと、とりあえず話を伺おうと思ったので・・・・・・」
「言い訳はいいから!早く持ってきなさいよ。効率が悪いわね」
患者さんの前で、怒られちゃった。夜間の鎮痛薬の使用についての質問も出来なかった。
ダメだなあ、私・・・・・・。
「そんなに落ち込まないで。・・・・・・大丈夫?」
田中さんにせかされて、私はバイタル測定グッズをカンファ室に取りに行った。
その時に、渡来先生は田中さんに伝えたよと言われた。
でも、私は「田中さんが怒ってて、バイタル測らせてくれるそうなんで、行ってきます」と伝えるのが精いっぱいだった。
あわてて戻ったから、聴診器から自分の心音なのか中村さんのコロトコフ音なのか、分からなくて、3回も測りなおしちゃった。
時間かかっちゃったし、何度もカフで圧をかけられて、痛くなかったかなあ。
田中さんは、私が手動で測定した後、自動血圧計を使って測った数値を携帯端末で読み込んだ。それから中村さんに声をかけて、一人で退室して行った。
そうして、取り残された私に中村さんが心配して声をかけてくれた。
「私、落ち込んでいるように見えますか?」
受け持ち患者さんに励まされるなんて、ダメだなあ。
「ちょっとね。でも、これが初めての病院実習なんでしょ?
看護師さんは、すごいねえ。1年生から現場に出るんだもんね。
うちの息子は、大学3年でさ。インターンシップに行くようになって、ようやく将来の仕事について考え始めてるぐらいだからね。
そういう意味では、高校生で看護学部を目指した時にはもう、将来の職業を考えてるってことでしょ。
それだけでしっかりしているよ。すごいすごい」
優しいなあ、中村さん。
「中村さんみたいなお父さんだったら、息子さんも嬉しいですね、応援してもらえて」
「そうでもないよー。ウチの息子、反抗期、きつかったんだよ。
でもさ。その頃、僕、仕事が忙しくてさ。だから奥さんに任せっきりだったんだ。
気が付いたら、息子の反抗期は終わっていたけど、奥さんとの会話が全く続かないの。
いつの間にか、嫌われちゃったんだなって、最近、ようやく気付いたんだよ」
そうなの?こんなに優しそうなのに・・・・・・。
「家には居場所がないから、クリスマスも正月も、入院してた方が、ちょっと気楽かなって思ってるんだよ」
中村さん、そう言いながら淋しそうに笑った。
「父も、同じなのかなあ」
「えっ?」
「あ、私の父、海外赴任してるんですけどね、こっちに戻って来ても家に寄り付かないから、母の機嫌が悪くって。昨日もイライラしてたからケンカになっちゃったんですよ」
「そっかあ。でも、帰ってこなくてイライラするなんて、僕からしたら羨ましいよ。それだけ求められてるってことでしょ。
ウチの奥さんなんか、『入院?どーぞどーぞ』って感じ。定年退職したら熟年離婚、されちゃうかもなあ」
中村さんはそう言うけれど、昨日の面会時間にお会いした奥様は、とても中村さんを心配しているように見えた。
立ち位置が違うと見えるものや感じることは違うのかな?
ウチの両親もそうなのかな。
あの母が、イライラするのは、父と一緒に居たいからなんだろうか。
「これで、学内カンファを終了します。今日の書記、相良さんは後でカンファ記録を提出してくださいねー。それぞれの今日分の実習記録は、明日の朝までに提出ですよー。
あと半日だけど、行動計画もちゃんと立ててきてね。体調に気を付けて。今日はこれで終了。
あ、白石さんだけ、ちょっと残って。あとは解散でいいよー」
「はい・・・・・・」
田中主任さんに怒られた件かなあ。渡来先生にも怒られるのかなあ。
「舞りん、大丈夫だった?」
おお、びっくりした!
校舎を出ようとしたところで、紀亜に声をかけられた。ふと見ると、グループのみんなが居た。
学内カンファの後、渡来先生にこの2日間にあったことを訊かれた。
出来事をそのまま話してと言われたので正直に伝えてきた。告げ口みたいで、ちょっと気になったけど。
冬の日の入りは早いから、外は真っ暗で寒いのに、メンバーのみんな、私が出てくるまで待っていてくれた。
みんなが待ってるって分ってたら、図書室で調べ物せずに出てくればよかった。
「待っててくれて、ありがとう、紀亜もみんなも。ラウンジとはいえ、寒かったでしょ」
「いや、いったん帰ったんだよ、みんな。だけど、それぞれ気になって戻って来て、『今ココ』って感じだよ」
尾崎さんが場を和ませようとしたのか、明るく言った。
「田中主任の課題?どうされるんですか?」
「うん。結局、レポートに書いて渡そうかって話になった」
「え?!実習記録の他に、レポートも書くの?基礎実習なのに?!
病態のことなんて、2年生以降の実習でやることでしょ?!」
「大丈夫?手伝おうか?」
絹江さん、佐藤さん、紀亜。みんなが口々に心配してくれる。
ありがたいなあ。ホント、このグループで良かった。
「ありがとう。とりあえず、自分でやってみる。じゃないと、後悔しそうだから」
「そっか。頑張ってね。応援してる」
うん。――負けないんだから。何と勝負しているか、知らんけど。
「舞歌ちゃん!やっと帰ってきた。今日も遅いわね!」
「ただいま。ご飯は?」
「これからよ!」
「夕食ぐらい用意しておいてよ。お腹空いて帰ってくるんだから」
「だって‥‥‥何時に帰ってくるか分からないじゃない!」
この人はいつもそうだ。自分が怠けているのを人のせいにする。
「そんなんだから、あの人も帰って来にくいんじゃないの‥‥‥」
独り言のつもりでつぶやいた声は、思ったよりもリビングに響いた。
「『あの人』って、お父さんのこと?
・・・・・・何よ!お母さんが、お料理苦手なの知ってるくせに!だけど、お母さんだって頑張ってるのに!」
また、論旨のすり替えだ。まるで悲劇のヒロインだね。めんどくさいなあ。
「お母さんだって、お父さんの赴任に付いて行きたかったのに、あなたのために残ったんでしょ?!
なのに、大学生にもなって、家のこともしないで!」
いやいや。あなた、パートもしていない専業主婦でしょ。
普段は私も、バイトの無い日は家事を手伝ってるでしょうが。
「今は実習中で余裕がないの!レポート山積みなんだよ!分からない?!」
「そんなに忙しいなら、辞めちゃえば良いじゃない」
またこれだ。いまだに、私が看護学部に進学したことを認めてないなんて!
「そもそも、『あなたのために、残った』なんて言いながら、食事もまともに作らないのに、よく言うね!
そんなに、あの人のことが気になるなら、海外でもどこでも付いて行けばいいじゃない。
嫌なら離婚すればいいし、『あなたのために』 とか言いながら、ウジウジしてるぐらいなら、動けばいいんだよ!
私のせいにしないで!!」
そう叫んで、私は自分の部屋へ入った。
言ってやった!胸がドキドキする。
売り言葉に買い言葉だけど、口から出た言葉はもう消せない。だけど、もう、どうでもいい。
「舞歌ちゃん、夕食は?」
少し経って、ドアの向こうから少し弱々しくなった母の声に、少しだけ罪悪感がよぎる。
「いらない‥‥‥」
どうせ、作る気ないんでしょ。
ああ、お腹すいたなあ。
昨日、絹恵さんからもらった、プロテインバーで凌ぐしかないか。
これから、田中主任の課題、やらなくちゃいけないのになあ。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピピピピピピピ‥‥‥
朝かあ‥‥‥。中途半端な時間に寝たから、眠いなあ。
腱板断裂の術後の夜間痛が起こるメカニズム。
術前との違いを理解していることが伝わるレポートって、難易度高いわあ‥‥‥。
PC に向かって、書いては消してを繰り返し、結局、真夜中すぎに諦めた。
だって、頭位挙上から臥床したら、肩の血流量は増加するじゃん。
心臓の上にあった肩が同じ高さになるんだもん。
術前は、断裂による炎症があるんでしょ?
手術で炎症部を綺麗にしても、手術するんだもん、術後数日は炎症あるじゃん。
炎症部に血流が増えたら、神経を圧迫するから痛くなるって。
臥床によって上腕骨頭が安定しなくなるから、って言うのは‥‥‥書いた書いた。
結局、質問された時に応えようとしたことと大差ないけど整理は出来た。
足りてないことも、多分ある。
だけど、これが私の今の精一杯。これで挑むしかないよね。
ああ、眠い。
とにかく、今日で病棟実習が終わる。明日の学内発表会のことは、また考えよう。
とりあえず、今日を乗り切ってやる。
「中村さん。おはようございます。朝のリハビリ、病棟内歩行ですか?頑張ってますね。
昨夜の痛みは大丈夫でしたか?」
「おはよう、白石さん。今日も若々しくていいねえ」
病棟に着くと、廊下歩行をしている中村さんに出会った。
夜間の疼痛について訊くと、何だか歯切れが悪い。
「いやあ。夜に痛み止め使うとさ、田中さんの機嫌が悪くなるんじゃないかと思ったら、使う気にならなくてね。
ま、でも朝が来たし、何とかなったよ」
え?
看護師の機嫌が悪くなるからって、患者さんが指示にある痛み止めを我慢しちゃうの?
何だか違うくない?
‥‥‥これじゃダメだ。
ちゃんと田中主任と話して、中村さんが我慢しなくて済むようにしなくちゃ!
今日の実習は午前だけで、昼前に病棟でカンファレンスを行う。
その時に田中主任に話をしようと思っていた。
だけど、カンファには伊藤補佐さんと師長さんだけの参加で田中主任は出席しないって、渡来先生から聞いた。
だから、無視されても、怒られても、田中主任さんにレポートを見てもらわなくちゃならない。
怖いけど、頑張るしかない。
「田中主任さん、お忙しいところ、失礼します。今、お時間、1、2分ほど頂いても良いでしょうか」
「‥‥‥何?」
「この後の学生カンファレンスに出席されないと聞いたので、初日に質問された件について、レポートを書いたので、見ていただけたらと」
田中主任さんに、書いてきたレポートを差し出した。
震えるな、私の手!
「え?ああ、そんなこと言ったわね。真面目ねえ。どれどれ」
自分が書いた文章を、目の前で読まれるって、すごく緊張する。
「‥‥‥ふうん。よく書けてるわね」
え?褒められた?アレで?
だって、病室で説明しようとしたことと大筋は変わってないのに。
私は、田中主任の言動に、混乱した。
だけど、次の一言で、絶望した。
「やればできるじゃない」
ああ‥‥‥やっぱり私は、ナースに向いていないんだ。




