白石舞歌、基礎実習で感じる焦燥と慰撫
「次は・・・・・・中村さんのところへ行こうかな。受け持ちは、白石さんね」
いよいよ、患者さんと初対面だわ。
第一印象は大事だからね、ちゃんとしないと。ああ、緊張する!
「お、伊藤さん!
伊藤さんの予言通り、昨夜は痛みが少しマシだったから、久しぶりに横になれたよ。
あ、言ってた学生さん?俺の担当は誰かな?」
思ったよりもフレンドリーな人だ!あ、自己紹介しなくちゃ。
「は、初めまして。う、梅しゅ大学、看護学部の1年、白石舞歌です。よ、よろしくお願いします」
ああ、悪い癖が出た!緊張すると噛むのよね、私・・・・・・。
大学入試の面接練習でいっぱい練習したから、克服したと思ってたのに。
「はい、よろしく。中村です。
肩の筋・・・・・・なんて言うんだっけ?」
え?突然の質問?
「えっと、『腱板』のことですか?」
「そう、それ。腱板が切れちゃって、手術を受けた患者ですっ!よろしく!」
あ、自己紹介?健側の右手を出してくれてる。握手?手、出していいのかな?
「はい、握手。あ、伊藤さん、これセクハラって言われるヤツ?」
「ふふっ。学生の白石さんが嫌がっていなければセーフです。和ませてくださって、ありがとうございます」
あ、そういうこと?!私が緊張してたから?え?優しい?
いつも苦虫を噛み潰したみたいな顔をして、直ぐに怒鳴るお父さんとは違うんだなあ・・・・・・。
――当たり前か。
何だか、年齢と性別だけで苦手意識を持っていた自分が、急に恥ずかしくなった。
びっくりしたなあ。
受け持ち患者さんにあいさつした後、カンファ室に戻ったら、尾崎・・・・・・さんが、人が変わったみたいにフレンドリーになってて。まさか、あっちから謝られるとか、今朝は考えつかなかったもんね。
ま、何にせよ、グループの雰囲気が良くなったのは嬉しい。
そうして今、私は受け持ち患者さんの今日の担当看護師さんに声をかけるところだ。
「田中主任さん、今、お声をかけても良いですか?
7号室の中村さんの受け持ちをさせていただいています、白石です。本日の検温に同行させていただきたく、お願いします」
「はいはい。あ、じゃあ、バイタルチェック、してみる?」
え?初日は見学だけって言われてたけど、やらせてくれるんだ。田中主任、意外と優しいのかな?
「血圧、上が132、下が88、です」
「あ、そう」
中村さん、高血圧の薬を服用しているってカルテに書いてあったけど、ちょっと高めだなあ。
あれ、田中さん、測り直さないの?私が言った数字、そのままタブレットに入力してる。
「学生さんは、今でもアネロイド型の血圧計で測るんだね。臨床だと、もうほとんど使わないのにね」
うっすら笑いながら、田中さんが言う。
知ってるよ。
でも、学生だから基礎的なことをやらなきゃいけないって、わざわざ大学から借りて持ってきてる。
そんな風に言わなくてもいいじゃんね。
「昨夜は、痛みが減って、よく眠れたんだよ。
昨日の受け持ちの伊藤さんは、痛み止めは気にせず必要な時に使っていいけど、『そろそろ痛みが落ち着く頃だ』って言ってくれた通りでさあ、予言みたいだよね」
あ、中村さん、場を和まそうとしてくれてる。ホントに優しい人なんだなあ。
「へえ、そうですか。
学生さん。こんひ、じゃない、この人の夜間痛のメカニズム、わかる?」
え?患者さんのこと、「この人」って言った?それに突然、私に質問?
でも、ココは昨日の事前学習で調べたから、答えられる。
「あ、えっと、臥床することで血流量が増して・・・・・・」
「違うよ!それは術前の夜間痛でしょ?!アタシが訊いてるのは、術後の痛みよ。
まあ、1年じゃしょうがないか。ちゃんと勉強しといてね。後で聞くから」
そう言って、田中主任さんは私たちを置いて部屋を出て行ってしまった。
中村さんは、私と顔を合わせて、苦笑いしてる。
「ま、元気出しなよ。あの人、いっつもあんな感じなんだよね。
僕が伊藤さんを褒めたから機嫌が悪くなったんだと思うよ。田中さんが、伊藤さんをライバル視してるの、忘れてた。ごめんね」
いや!中村さんは悪くない!絶対!
お腹すいたなあ。
今朝、お母さんとケンカしちゃったから、お弁当、持たずに来たんだよね。
売店で買おうと思ってたのに、そんな時間ないや。
何ならこれでダイエットできるかも、と一瞬よぎったけど、昨日、食事を抜いて倒れた佐藤さんを思い出した。
ダメだ。病棟実習中に倒れたりしたら、一人で追加実習になる。想像するだけで恐ろしい。
でも、午後に田中主任に訊かれたら答えなくちゃだし・・・・・・。
「舞りん、大丈夫?そろそろ、病棟に戻る時間になるけど、何か食べられた?
ゼリー飲料、買ってきたから、飲まない?」
神が居た!紀亜と同じグループで、本当に良かった!
「ありがとう!実は、今朝、母親とケンカして弁当、おいてきちゃったの。だから助かった。
ホント、ありがとうね」
「それは大変でしたね。私からはプロテインバーを差し上げます。
良かったら、明日から、お弁当お持ちしましょうか?」
絹恵さんも女神だった!ほんと、このグループで良かった。
よし、一緒に実習を終えるために、頑張るゾ!
そんな風に意気込んでいた時が私にもありました。
病棟に戻ってみたら、田中主任さんはお昼休憩中で、緊張が途切れてしまった。
だから、気持ちを切り替えて、中村さんがリハビリ室に行くというので、同行させてもらった。
理学療法士と作業療法士の違い、この前、授業でやったっけ。
えーっと、この方はPTって、自己紹介してたから理学療法士さんだわ。基本的動作の回復を支援する職種だよね。だから、運動療法なのか。白衣だけど、雰囲気は体操の先生みたいだなあ。
「学生さんも、見てるだけだと暇でしょ。中村さんと一緒に肩甲骨体操しましょう」
あ、やっぱり体操の先生だ。
「中村さんは、今日で術後4日目でしたっけ?炎症が少しずつ落ち着いてくるころですね。
でも、無理に動かすと、炎症が再燃しますし、ドクターから聴いていると思いますけど再断裂のリスクもあるから肩関節は、ご自分では動かさないでくださいね。
体幹と下肢の運動は、積極的にやっていいですよ。じゃ、今日はココまで。また明日!」
リハ室から病棟に戻って、中村さんをお部屋へ送ってからナースステーションに戻ったけど、やっぱり田中さんは見つからない。
「えーっと、白石さんだっけ。誰か探してる?困ってる?大丈夫?」
伊藤補佐さんが声をかけてくれた。やっぱり神!泣きそう。でも、泣いたらダメ。
「お声掛け、ありがとうございます。田中主任さんを探していました」
「ああ、彼女、緊急入院を受けることになって手を取られているのよ。今日の受け持ちだったわね。代わりに聞きましょうか?」
「午前中に質問されたんですけど、『後で聞く』と言われて。今日の実習終了の時間が近いので、どうしたら良いかと思って」
「田中主任が質問?そう。ちなみに、何について質問されたの?」
「中村さんの夜間痛のメカニズムについてです。私が答えようとしたのが、術前の痛みだと言われて、術後の夜間痛のメカニズムを調べておくようにと・・・・・・」
「あら、難しいこと訊かれたわね。調べられた?」
「昼休みに図書室へ行ったんですが、まだ、十分には・・・・・・」
十分に調べられてないから途中まででいいのか、もっと調べて明日以降に答えたらいいか、田中さんに相談したいんだよなあ。
「そっかあ、頑張ってるね。お昼、食べられなかったんじゃない?」
「グループメンバーが、ゼリー飲料とかを差し入れしてくれたので、大丈夫です」
「そう。いいグループね」
仲間を褒められて、すごくうれしい。
「お仕事中、失礼します。学生5名、本日の実習を終了させていただきます。ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
時間になって、メンバーがナースステーションで並んで挨拶していると、処置台の近くに立つ田中主任が見えた。
今日の実習が終わる時間だから、質問の回答を明日にして欲しいって伝えた方が良いよね。
「お仕事中、すみません。田中主任さん」
「・・・・・・」
え?睨まれた?
田中主任は、私を無視してそのままどこかへ行ってしまった。
私、何か悪いことをしたんだろうか。
やっぱり、私が悪いのかなあ・・・・・・。
伊藤補佐に訊かれるまま、話したのは告げ口みたいに思われたんだろうか。
でも、嘘は言ってないし・・・・・・。
それとも、ちゃんと答えられなかったからかなあ。
最初の実習なのに、こんなにつまずく学生って、いるんだろうか。
やっぱり、私、ナースに向いてないのかな・・・・・・。
「ただいま」
「やっと帰ってきた!今、何時だと思ってるの!」
何時って、まだ7時を回ったぐらいだよ。学内カンファの後、図書室で続きを調べてただけなのに。
お母さん、機嫌悪いなあ。また、お父さん関連かな。
「聴いてよ!お父さん、クリスマス休暇は取らずに年末まで仕事するんですって!
あり得ないわよねっ!」
ああ、この人は相変わらず、自分のことばっかりだ。
私がお昼に何を食べたのかとか、実習でどれだけ疲れているのかとか、全く興味がないんだなあ。
「そんな風に、怒鳴られてばっかりだと、帰ってきたくも無くなるよ」
「何ですって?!」
ホント、こんな家、嫌だ。早く出ていきたい。
だから手に職をつけてちゃんと稼げる看護師を目指したのに。
実習、ちゃんとやらなくちゃいけないのに。
だけど、私は、ナースになれないかもしれない・・・・・・。
結局、私が父への愚痴に付き合わないと分かった母は、自室に閉じこもってしまった。
私は、母が作った煮物と思われる少し焦げた何かと冷凍のご飯、レトルトの味噌汁を、何とか咀嚼して胃に流し込んだ。
今日の実習レポートと明日の行動計画を書いて、中村さんの夜間痛のことや田中主任とのやり取りを考えていたら、ほとんど眠れなかった。
それでも行かなくちゃ。
みんな、ナースになるためにこんなに大変なこと乗り越えてるのかな。
大変なのは私だけなのかな。ダメだな、こんな事ばっかり考えてたら・・・・・・。
ちゃんと、やらなくちゃ。
「白石さん、表情硬いね。昨日、眠れなかったみたいな顔してる。田中主任の課題が終わらなかった?昼休み、手伝おうか?」
登校して直ぐ、ロッカールームを出たところで声をかけてくれた佐藤さんは、学内実習の時に方言が出てオドオドしていた様子とは別人みたいに明るい表情だった。
すごいなあ。私なんて・・・・・・。
「晩ご飯と朝ご飯、食べられた?夜は?ちゃんと寝た?」
紀亜も私の顔を覗き込みながら声をかけてくれる。この子は、本当に素直。
私のことを、心底心配しているのが表情でわかる。こういう人がナースだと、患者さんも安心できるよね。
「ふっ!紀亜、あんた、本物よりお母さんぽいね。大丈夫だよ。佐藤さんも、みんなもありがとう。今ので、ちょっと元気出た」
「でも、本当に朝ごはん、食べてきました?良かったら、お弁当、作ってきたので食べてくれませんか?」
「さすが、絹恵さん!じゃあそれ、お昼ごはんにして、今は紀亜特製ジャンボおにぎりをどーぞ!」
何これ、すんごい大きいおにぎり。大食い選手権か!
「今日の朝の申し送りの時の挨拶、白石さん担当だっただろ。辛かったら、俺、じゃない自分がやっても良いよ」
「そうだよ。私でも良いよ」
尾崎さんも、紀亜も、みんな何でそんなに優しいの?だから、ナースなの?
こういう人たちが、ナースに向いている人たちなんだろうなあ。
ダメだ、泣きそう。このままじゃ、ホント、ダメだわ。
「やる。やってやんよ!」
そう言って、私は紀亜がくれたジャンボおにぎりにかぶりついた。
すごっ!おにぎりの中には味付けした唐揚げと漬物が入ってる。塩加減が絶妙!
よし!エネルギー入れたし、頑張らなくちゃ!




