そばに居る、ということ
「あれ?指先冷たいね。もしかして、痺れてる?」
「痺れるまではいかねーけど、ちょっとキツい。あと、定規の角が当たって痛い。
プロへの道は険しいな、学生くん」
実習からの帰宅途中、ドラッグストアに寄って包帯を買った。
整形外科で使う、あまり伸びないヤツ。弾性包帯って言うんだって。最初に聞いたときは、「男性用の包帯」だと思ったよ。そんなはずないよね。
ただ、シーネは売ってないから、百均に行って幅広の30センチ定規も買ってきた。
今日の実習で見学させてもらったシーネ固定の包帯を巻く練習を、最初は秀ちゃんにお願いしようと思ったの。
だけど、秀ちゃんが晩ご飯作ってたから、お兄ちゃんが渋々、患者さん役を引き受けてくれた。
私だって、お兄ちゃんには頼みたくなかった。
兄妹だから気楽なのか、言い方、キツいんだもん。
いつもなら、アドバイスもらえたって前向きに考えられるのに、今日は無理だ。へこむ・・・・・・。
「メシ、出来たぞー。とりあえず、続きは後に回して、食おうぜ」
秀ちゃんの声がかかって、いそいそと食卓へ着くお兄ちゃん。
私も、外した包帯を巻きなおしていた手を止めて、食卓に向かった。
「今日のメインは、シシャモね。みそ汁は白子とジャガイモとワカメか。紀亜の好物ばっかりだな」
それだけじゃない。プチトマトの甘酢漬けもある。皮を取るの、面倒なのに。
「シシャモといえば、親父がいつも言ってたな。
紀亜が小さい頃、酒の肴でシシャモが出ると、膝に乗って来て、一番、腹パンの美味そうなヤツを取って齧ってたって」
うるさいなあ。そんなの覚えてないよ。・・・・・・うっすらしか。
後は、実家から送られてきたたくあん。
たくあんなんて東京でも普通に売ってるのに。何なら、東京の甘いたくあんの方が美味しいのに、私が実家でよく食べていたからと、お母さんが送ってくれる。
ああ、大事にされてるなあ。
お兄ちゃんも秀ちゃんも、本業で忙しいのに。
カナちゃんが実習指導で手が離せない分、ホワネスの新曲の楽器練習とか、来年以降の企画会議やらで忙しいのに。
こうやって、私に気を遣ってご飯作ったり、患者さん役までやってくれているのに。
山本さんが、切ない気持ちを話してくれたのに、私、何にも答えられなかった・・・・・・。
落ち込んでても、悩んでても、答えが出なくても、朝は来る。
どこかで聞いたことがある言葉だなあ。
あ、ホワネスのTrainingの歌詞か。
「何だか、相良さんも白石さんも、表情硬いね。昨日、眠れなかったみたいな顔してる。
白石さんは、田中主任の課題が終わらなかった?昼休み、手伝おうか?」
そうだった!私のモヤモヤより、舞りんだよ!
「晩ご飯と朝ご飯、食べられた?夜は?ちゃんと寝た?」
「ふっ!紀亜、あんた、本物よりお母さんぽいね。大丈夫だよ。
佐藤さんも、みんなもありがとう。今ので、ちょっと元気出た」
舞りんは、昨日の午後、ようやく捕まえた田中主任に声をかけたのに無視されたんだって。
学内のグループカンファでは、渡来先生が同席していたから気を遣ったのか、細かいことは話してくれなかったけど、帰るときにメンバーにだけ教えてくれた。
今日の朝の申し送り時のご挨拶、担当は舞りんの予定だったので、私や尾崎さんが交代を提案したけど、舞りんも意地になっているのか、「やる。やってやんよ!」と鼻息荒く病棟へ来た。
「お、おはようございます。実習2日目になります、う、うけしゅ大学、1年の白石です。
本日もよろしくお願いちまつ」
ああ、また嚙んじゃった。緊張した時の舞りんの癖なんだろうなあ。
・・・・・・違う。田中主任だ。
舞りんを睨んでた。舞りんが噛んだら笑ってる。ヒドイ。
他の看護師さんは微笑ましく見守っていて、田中さんに気付かない。
「『うけしゅ大学』って、受ける―。若いっていいわね」
「田中主任。言い方、気を付けて。
白石さん、お疲れ様。大丈夫よ。
じゃあ、スタッフは個別の申し送りを。学生さんはカンファ室で情報収集を始めて良いですよ」
田中主任に注意して、舞りんをフォローしてくれた伊藤補佐さん!神だわ!
「ああ、やっぱり昨夜、痛みがあったみたい。レスキュー、使ってる」
カンファ室へ移動した舞りんが、泣き出すんじゃないかと心配したけど、思ったよりも冷静だわ。
カルテから、昨晩の患者さんの情報を取り始めた。
レスキュー、つまり屯用薬の指示を使ったということは、夜間に痛みがあったということ。
田中主任からの質問も、夜間に起こる痛みのことだっけ。
「夜中に痛いのは、辛いよね・・・・・・」
ホント、そうだよね。
「かゆいところはないですか?」
「大丈夫。力加減も上手ね。気持ち良いわ、ありがとう」
私は今、看護師さんの見守りを受けて、山本さんの洗髪をしている。
山本さんの言葉は、お世辞や気遣いがすごく含まれているとはわかっていても、お礼を言われると素直にうれしい。
秀ちゃんに、患者さん役をやってもらった甲斐があるわ。
「あー。さっぱりした。汗をかいてないと思ったけど、髪を洗うとさっぱりするわね」
「このシャンプーとコンディショナー、すごく香りが良いですね。髪もツヤツヤになりましたし」
「そう?若い子に褒められると、嬉しいわね」
「髪、ずっと伸ばしてらっしゃるんですか?」
「そうね。もう少し伸びたら、ヘアドネして、その後はショートにしようと思っているの」
ヘアドネ、って何だろう。
「ヘアドネは、ヘアドネーションのことですよね」
私の疑問が顔に出ていたのか、看護師さんが間に入って質問してくれた。
「ああ、学生さんは知らない?病気とか事故で髪を失くした子ども達のために、髪を切って寄付するの。それには、長さが31センチ以上必要なの。
だけど、流石に年を取って来て、白髪が目立つようになったから、今回で最後にしようと思って」
私は、ドライヤーをしながら山本さんの話の続きを聴いた。
「今回、利き腕のケガして、しばらくは自分でシャンプーできないから、切っちゃおうかとも思ったんだけど、あとちょっとで31センチだから、最後だしと思って切らなかったの。
お手数かけて、相良さんにも、看護師さんにも申し訳ないんだけど」
知らなかった。
ヘアドネーションのことも、山本さんがそんな風に看護師や私に気を遣っていたなんて。
もちろん、そんなこと気にしないで欲しいって言ったけど、やっぱり山本さんは昨日みたいな淋しそうな顔で笑ってた。
その後、山本さんが昨日読んだ本の話から、子どもの頃に読んだ童話とか、お互いが小さい頃に流行った遊びの違いとか、話題が尽きることがなかった。
だけど、昨日みたいに、お母さんの話は出てこなくって、意図的に避けているのかなと思う。
とはいえ、その話が出ても、何も返せる気がしないから、それでいいのかな、とかグルグル考える。
でも、お話は楽しくて、時間はあっという間に過ぎていた。
「相良さん、そろそろ・・・・・・」
「今日のお迎えは、お仲間ね。じゃあまたね」
絹恵さんが、そっと声をかけてくれた。それを見て、山本さんも話を切り上げてくれた。
ダメだなあ・・・・・・。グループメンバーにも、患者さんにも気を遣わせちゃって。
「指の浮腫みが少しあるようですが、動かしている間に吸収されますから、出来る範囲でやっていきましょうね。
ただし、強い痛みを感じたら、その動きはやめてくださいね」
お昼休憩をはさんで、午後はリハビリ室で作業療法の見学をしている。
あれは、お手玉?どうやってリハに使うんだろう。
「学生さんは、お手玉、知らないかな?」
「存在は知っていますが、遊び方はよく分からないです」
「そっかあ。お手玉はね、本来はこうやって遊ぶんだよ」
作業療法士――病院内ではOTさんとよばれる専門職の人は、そう言って、お手玉3つを器用に投げてくるくると回し始めた。
すごい!ジャグリングみたい。
「だけど、今日はこういう使い方はしません。
では、山本さん。指を広げて、この山の中から、出来るだけ多くのお手玉を取ってください」
ああ、そういう風に使うのか。だから、保育園のころに見たお手玉より小さいのね。
「ああ、思ったより、手が広がらないわね。痛いってほどじゃないけど、動かしにくいわ」
「強い痛みであれば、その動作はやめておきましょう。でも、全く痛みがない動きばかりだとリハビリにならないので、ストレッチを意識しながら、少しずつ動かしてください。
お、上手ですね。さっきより1個、掴んだお手玉が増えましたよ。その調子です」
OTさんてば、褒め上手!山本さんも嬉しそうに取り組んでる。
誰でも、褒められたらうれしいし、やる気も出るよね。
「で、紀亜は何してるんだ?」
「見て分からない?折り紙だよ」
今日の実習帰りも百均に寄った。
OTさんが日常の中でのリハビリとして提案してた中から、簡単に作れる折り紙を買ってきたんだ。
「それは分かるよ。何作ってんの?ってこと」
「季節柄、独楽かなと思って作り始めたんだけど、結構忘れてるね。お兄ちゃん、覚えてる?」
「今の時期なら、独楽よりサンタかリースじゃね?」
「いや、患者さんと一緒に作るから、ハサミとか糊を使う複雑なのは違うの!」
「日本人は、ホント、器用だな。それに賢い。
紙一枚から、立体を作るのは物理学に通じるし、正方形のカドとカドを合わせて直角二等辺三角形を成型するって、初歩の幾何学の教材にもなる」
「ダダの折り紙でそこまで考察できる、お前の脳みその方が賢いよ」
秀ちゃんは生粋の日本人じゃないから、発想が面白いね。
「オレも作ろーっと。ハサミと糊、どっかにあったよな。サンタ作るから赤色、残しといてな」
「俺も作りたい。紀亜、教えてよ。3枚使うの?色合わせで遊べるな」
そこからは、3人で黙々と折り紙を折った。
お兄ちゃんも秀ちゃんも、私が何か悩みがあると思っているだろうに、何にも訊かない。
時々、手順を質問したり、思い出話をしたり、明日のご飯の話をしたり。
他愛のない話をしても、黙っていても、心地いい。
いいなあ、こういうの。
何をしてくれなくても、そばに居てくれるだけで安心できて、癒されることってあるんだね。
私もそういう看護が出来たら良いなあ。
――舞りんにも、そんな風に思ってもらえたらなあ・・・・・・。
「これ、頂いていいのかしら?」
昨夜、量産した折り紙の中で、一番、丁寧に作った独楽を山本さんに贈ることにした。
実習前、患者さんや家族から「金品を受け取らない」って、散々言われたけど、学生が渡すのはダメって言われなかった。
それでも心配だから、渡来先生と伊藤補佐さんに確認してオッケーをもらったので、お渡ししています。
「赤と白と緑って、クリスマスカラーね。そうでしょ?」
実は、ホワネスのメンバーカラーですなんて言えないので、曖昧に頷いた。ちょっと焦った。
私のメンカラ、ピンクなんだけど、パーツは3つだから私以外の3人の色で作った。
確かにクリスマスカラーだわ。
山本さんに独楽の作り方を訊かれたから、一緒に作った。
手首を固定したまま、独楽を回す動作がリハビリになりそうって、喜んでもらえて嬉しくなった。
「田中主任さん、お忙しいところ、失礼します。今、お時間、1,2分ほど頂いても良いでしょうか」
ナースステーションに戻ってきたら、舞りんが田中主任さんに声をかけてた。
実習前に比べて、明らかに顔色の悪い舞りん。眠れてないのか、眼の下にクマもできてる。
「何?」
「この後のカンファレンスに、出席されないと聞いたので、初日に質問された件について、レポートしたので、見ていただけたらと」
「え?ああ、そんなこと言ったわね。真面目ねえ。
どれどれ。・・・・・・ふうん。よくかけてるわね」
その言葉を聞いた舞りんの表情がちょっと明るくなったように見えたけど、不器用に笑おうとしているようにも思えた。
だけど、次の田中主任の一言がナースステーションに響いて、舞りんも私たちも凍り付いた。
「やればできるじゃない」




