患者さんと話す、ということ
「次は・・・・・・中村さんのところへ行こうかな。受け持ちは、白石さんね」
尾崎さんと佐藤さんを患者さんに紹介した伊藤補佐さんは、舞りんと絹恵さんと私を連れて移動した。
基礎実習2日目、病棟に来るのは初日。患者さんとのファーストコンタクト。
舞りんの緊張が伝わってくる。
「お、伊藤さん!
伊藤さんの予言通り、昨夜は痛みが少しマシだった。久しぶりに横になれたよ。
あ、言ってた学生さん?俺の担当は誰かな?」
舞りんの受け持ち患者さんは、腱板断裂って言ってたっけ。上肢が動かないようにアームスリングを着けてる。
あ、舞りんの自己紹介、珍しくかんでる。梅洲大学が梅酒大学になってるよ。
お父さん世代の男性、苦手だって言ってたからか、すごく緊張してる。大丈夫かな・・・・・・。
「おまたせ。ここからだと小林さんのお部屋が近いわ。受け持ちは河口さんね。こっちよ」
「小林さん、先日お話しした学生さんが・・・・・・」
「絹ちゃん?」
おや?患者さんがびっくりした顔で、伊藤補佐の紹介を遮った。絹恵さんの知り合いかな?
「初めまして。梅洲大学看護学部、1年の河口絹恵と申します。本日を含めて3日間、どうぞよろしくお願いします」
絹恵さんも驚いたみたいだけど、立て直して自己紹介してる。さすがだわ。
「正野、絹江・・・・・・ちゃん、な、はずがないわよね?」
患者さん、動揺してる?
「正野は祖母の旧姓です。私は同じく『きぬえ』ですけれど、『え』の文字が、祖母は江戸の江で、私はめぐむの恵、です。祖母をご存知でいらっしゃいますか?」
え!そうなの?私もびっくりだよ。
患者さんは、絹恵さんのお祖母さんの幼馴染だったみたい。
今の絹恵さんは、若い頃のお祖母さんにそっくりなんだって。
それにしても、お祖母さんのご友人が受け持ち患者さんなんて、世の中は狭いねえ。
「最後の学生さんは、相良さんね。患者さんの山本さんのお部屋は24号室か。行きましょう」
はい!いよいよ私も患者さんとご対面だわ。緊張する・・・・・・。
「おはようございます。梅洲大学看護学部1年、相良紀亜と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。1年生か。初々しいわね」
山本さんは、医学部図書館の司書さんだから、医学部の賢い学生を見慣れてるよね。
看護学部の1年生は、幼く感じられちゃったかな。ちゃんとしなくちゃだね。
「本がいっぱいですね。お仕事柄、本をたくさん読まれるんですね」
オーバーベッドテーブルや床頭台の上には、本がいっぱい置いてある。
医療に関連した小説やエッセイが多いかな。
「ああ、コレ?『積読本』を持ってきたのよ。こういう時じゃないと読めないから」
つんどく本とは、なんだろう?
「本って、出会いだから、表紙とか、題名とか気になると、つい、買っちゃうのよ。
でも、直ぐには読む時間がなくて。
いつか読もうと思って、積んで置いておくことになるから『積読本』って言うの。
学生さんは、どんな本を読むの?今どきの人は、紙の本じゃなくて、電子書籍かしら」
「実家に居た頃は、母が古本屋で買ってきた本を勧められたり、父が勤務先の図書館で除籍になって持ち帰った本を、読んでいました。
今は、確かに電子書籍が多いですね。読んでいる間に、分からない言葉を調べやすいですし」
そして、調べている間に、画像とか観て、動画に流れて、読書から離れちゃうんだけどね。
「お父さんは、司書なの?」
「はい。市立図書館ですが。小学生の夏休みは、学校の宿題の他に、図書館を利用した調べ学習の課題をやらされました。
おかげで、司書の仕事が書籍の整理だけじゃなくて、リファレンスサービスやイベント企画もあるんだって、知りました」
調べ学習する前は、図書館職員の仕事は涼しい図書館の中で本の貸し出し作業だけだと思ってた。
でも、利用者の調べたいことの資料とか情報を見つける手助けをするリファレンスサービスは、広い知識や新たな情報を仕入れていないとできない。結構、大変な仕事だ。
お父さんはそれを、私に分からせたかったのかな。
「おや、1年生でリファレンスサービスが分かっているって、すごいわね。どんなことを調べたの?」
山本さんはすごく聞き上手で、私は患者さんとお話しできていることだけで、嬉しくなった。
「お昼ごはんをお持ちしました。お名前をフルネームで教えてください。リストバンドも拝見します」
あ、伊藤補佐さんだ。
人によっては、アレルギーとかで食べられないものもあって、間違って配膳したら、命にかかわることもあるから厳重に確認するんだよね。
「山本さんは、お皿の下に滑り止めを入れますね。
フォークはこの位置で良いですか?紙パックのストローは、ご自分で出来ますか?」
配膳って、単に間違いなくその人に食事を配るだけじゃないのか。
患者さんの状態に合わせて、その人が自分の力で出来ることが出来るように整えることも含まれてるんだね。奥が深いなあ。
「相良さんは、そろそろカンファレンスルームへ戻りましょう。
山本さん、学生の相手をありがとうございます。午後もよろしくお願いします」
え?!もう、そんな時間?!
そういえば、ご挨拶したら、カンファルームに戻るように言われてたかも?!
みんなより遅れてカンファ室に戻ると、なぜか尾崎さんと佐藤さん、絹恵さんが笑顔で話してる。
舞りんも、ぶっきらぼうだけど、会話に加わっていて朝とは別のグループかと思うぐらい雰囲気がいい。
「あ、相良さん!おかえり。
あの、昨日は、態度が悪くてすみませんでした。
洗髪用具の片付けもしてくれたって、さっき聞いて。それも、ありがとうございました」
そう言って、深く頭を下げる尾崎さん。
どうした?午前中に何があったの?
誰かと入れ替わったのかと思うぐらいに、変わったね。
そうして、私たちはナースステーションでご挨拶して、お昼を食べに学部へ戻って来た。
「舞歌さん、だいぶ緊張していましたね」
そう、舞りんは自己紹介だけでも、あんなに緊張していたのに、患者さんとの会話中に田中主任さんが割り込んできて、質問攻めにあったんだって。
答えられなかったことは、「後で聞くから」と言われたそうだ。
この「後で」が、今日の午後なのか、明日なのか、最終カンファなのか分からないんだって。
だから、大学に戻って来て直ぐ、お昼も食べずに図書室に行っちゃった。
図書室だと、調べながら食べるわけにもいかないし、お腹、空かないかな。
昨日の佐藤さんがよぎって、心配になる。
残った私たちは、ラウンジでお昼を食べながら午前中の情報交換をすることにした。
というか、半日の出来事なのにしゃべることがいっぱいありすぎる。
尾崎さんの患者さんは、出身の山口県の方言が強くて、何を言っているのか分からない時に、佐藤さんが通訳をしてくれたんだって。
助けてくれた佐藤さんに感謝して、そこから、昨日の自身の態度を反省したって言ってた。
昨日は、佐藤さんの方言を笑ってたのに、今は方言話者にリスペクトって、ふり幅がすごいね。
その佐藤さんの患者さんは、変形性膝関節症の術後で、尾崎さんの患者さんと、仲良しなんだって。だから、通訳に入ったんだね。
午前中は、車いすでリハビリ室へ行って、テレビとかでよく見る平行棒につかまっての歩行練習を見学したそうだ。
病棟でも歩行器を使って歩くことを勧められているんだけど、痛みを怖がって嫌がっているから、午後は受け持ち看護師さんと一緒に、歩行練習の予定だって。
「河口さんの受け持ち患者さん、お祖母さんの幼馴染だったの?
そんな偶然、ある?!」
そうそう。びっくりするよね、佐藤さん。あ、標準語だ。
こうやって心の中だけでも反応するのは、失礼かも。気を付けようっと。
絹恵さんの患者さんは、大腿骨頸部骨折の術後で、今はベッド上でのリハビリがメインだ。
だから、肺炎とかの呼吸器合併症予防で、深呼吸の練習を、午後もするって言ってた。
座位になるだけでもリハビリになるから話し相手を、って看護師さんがアドバイスくれたって。
優しいなあ、そういうアドバイス。
ホント、ありがたいよね。田中補佐と比べちゃいけないんだろうけどさ。
舞りん、大丈夫かな。
もうすぐお昼休みが終わって、そろそろ病棟に戻らなきゃいけない時間になっちゃう。
そうだ!購買部でゼリー飲料でも買っておこう。アレなら、緊張して食欲がなくても短時間で摂取できるしね、うん。
お昼休みを終えた私たちは、差し入れのゼリー飲料2本を一気飲みした舞りんと一緒に、病棟へ戻ってきた。
やる気みなぎる舞りんをよそに、田中主任はお昼休憩中だった。午後の舞りんの健闘を祈る。
「お仕事中、失礼します。今、お声をかけても良いですか?」
私は、患者さんの洗髪に付き添ってくれる今日の清潔ケア担当の看護師さんに声をかけた。
今回の実習は、見学がメインだけど清潔ケアは病棟スタッフに確認してもらったらやっても良いことになっている。
でも、そのためには、看護師さんを捕まえなくちゃいけない。
何気にココが、一番難易度が高い気がする。
そもそも、忙しすぎるんだよ、看護さん。
ちっともジッとしてないし、誰が今日の清潔ケア担当なのか、分からないしさ。
で、今、ようやく見つけ出して声をかけたところ。
必要物品の確認をしてもらって、患者さんを洗面室に案内して、看護師さんと患者さんの了承をもらってから、実際のケアが出来る。ホント、道のりが長い。
「ああ、山本さんの受け持ち学生さんね。清潔ケア、今日は洗髪希望か。
その前に、シーネ固定の包帯交換するけど、見学する?
今日からナースサイドで実施可能の指示がでたし、手浴もやっちゃうから」
何と素敵な提案!優しい!ありがたい!
人の手って、ほんの数日であんなに臭うようになるんだね。
そりゃあ、手浴も必要になるか。
看護師さんが、手首が動かないように支えながらお湯につけた時、山本さんから温泉に入った時みたいな声が漏れたのも納得だよ。
そして、皮膚が1枚や2枚、はがれたのかと思うぐらい垢が出た。山本さんもびっくりしてた。
途中でお湯を替えるというので手伝わせてもらったら、「学生さんが居てくれて、助かったよ」って。看護師さん!優しい!
擦れば擦るほど垢が出てくるけど、「今日はこれくらいにしておきましょう」って言って、優しく水分を拭き取った後、保湿剤を塗ってた。山本さんも、気持ち良さそうだ。
その後、シーネっていうギブスを縦半分に切ったような添え板に手のひらから前腕を乗せて、スルスルって、包帯で巻いてたけど、アレは難しそう。
今度、包帯を買って帰って、秀ちゃんかお兄ちゃんで練習させてもらおうかなあ。
手浴の後は、山本さんが疲れちゃったということで、洗髪は明日に延期になって、今は手指の運動をしながら、お話ししている。
昨日、看護師さんに洗髪してもらったし、冬だから汗もかかないから髪は気にならないんだって。
「やっぱり、看護師さんの方が丁寧ね、包帯交換。
ドクターは忙しいから仕方ないけどね。
手をお湯につけた時、すごく温かくて、指先が思っていたより冷えていたんだなって思ったわ。
保湿剤を塗ってもらった時は、気持ち良いだけじゃなくて、血液が流れていく感じがしたの。
気のせいか、手浴してもらった後の方が、指が動かしやすいわ」
やっぱり、看護師さんってすごいなあ。清潔ケアも、単にキレイにするだけじゃなくて、色んな意図があるんだろうなあ。後で、ちゃんと考えなくちゃ。
あれ?山本さん、ちょっと沈んでる?
「どうかされましたか?」
「ん?あ、ちょっとね。母のことを思い出してて。もっと何かしてあげられたんじゃないかって・・・・・・」
そういえば、山本さんは、数年前に同居していたお母さんを亡くして、一人暮らしだってカルテにあった。
山本さんの話では、お母さんのがんが見つかった時に、既に転移があったそうだ。
お仕事を休んで自宅介護をしてたけど、半年ほどで、あっという間にお看取りになったんだって。
でも、山本さんには兄弟はいないから、ほぼ一人で病気のお母さんを看ていたってことなんだよね。医療者じゃないのに。
それって、看護学生として考えても、すごいことなのに。
「後悔ばっかりよ。『アレしてあげればよかった、コレも出来たんじゃないか』って。
でも、時間薬とはよく言ったもので、ちょっとずつ『仕方ない』って思えるようになってきたわ」
そう言いながら、寂しそうに笑う山本さんが印象的だった。
その後も、ぽつりぽつりと、お母さんとの思い出を話してくれたんだけど、私は、ただ聴くだけしかできなかった。
「山本さん、学生実習をお引き受けいただき、ありがとうございます。担当教員の渡来と申します。
相良さん、そろそろ実習が終わる時間だから戻ろうか」
私の中では、正直、沈んだ山本さんに何を返したらいいのか分からなかったので、ほっとした気持ちと、このまま山本さんを置いていくことへの罪悪感みたいな気持ちや、またもや、迎えに来られるまで話し込んじゃったことを恥ずかしいと思う気持ちがごちゃ混ぜになっていた。
みんなが待つカンファ室へ移動しながら、渡来先生がそんな私の話を聴いてくれた。
カンファ室に着くと、渡来先生は私たちを待たせてナースステーションへ行った。私が聴いた話の共有と、後のフォローを伊藤補佐にお願いしたんだって。
そうして、私の病棟実習の初日が終了した。




