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17/30

洗髪練習の午後


「あれ?佐藤さん、実習着で気合入ってるね」

「え?!あ、みんな私服だ!間違えた?

今週は、学内でも実習着だと思って、早めに登校して着替えちょったにゃあ!」

「あら、猫語ですか?」


尾崎さんのからかい交じりの言葉に反応した佐藤さん。

たしかに面白い言い回しだけど、絹恵さんが突っ込むとは珍しい。



今週から初めての病棟実習が始まるけど、今日は学内での直前オリエンテーションです。


Ⅰ期の実習前に受けた全体オリエンテーションの時に配られたプリントを見ると、今日の実習内容に「技術の練習」があるから実習着だと思うよね。

昨日、カナちゃんに言われなかったら、私も実習着だったかもしれない。



「佐藤さん、時々、言葉が関東と違うと思ってたけど、出身はどこなの?」

「え?!うちん、完璧な標準語やと思うちょったのに!高知の出やって、分かるが?」

舞りんの質問への佐藤さんの返答。


突っ込みどころがありすぎて、なんて答えたらいいか分からない。

そこ、尾崎さん!後ろ向いて肩ふるわせてるけど、笑ってる?それはダメだわ。


「高知のご出身なんですね。確かに、標準語ではありませんが、佐藤さんらしく可愛らしくていいと思いますよ」

絹恵さんが模範解答してくれた!




午前中は、Ⅱ期で実習へ行く学生たち全体に、教員から身だしなみや体調が悪いときの連絡先の確認があった。実習の2週間前からつけている自分の検温表もチェックされた。


「みんな、平熱ってどれくらい?私、35度台なんだよね」

佐藤さんがキッチリ標準語で舞りんに話しかけてる。

「低っ!私は、36度5分かな。平熱高いんだよ。絹恵さんも、低めだね」


舞りんたちの会話が続いていくけど、緊張しながら話す佐藤さんの標準語には誰も触れない。

みんな、優しいなあ。

それにしても、高知弁――土佐弁か。可愛かったのになあ。



私たちは、実習前から毎朝、検温しなくちゃいけない。熱があったら実習に行けないの。

実習は、欠席や遅刻、早退した場合は単位がもらえないので、日を改めて病棟へ行かなくちゃいけないんだって。


ようやく仲良くなった仲間と一緒だから、初めての病棟実習も乗り越えられそうなのに、一人で別日に実習に行くなんて、めちゃくちゃ怖い。

だけど、もし、熱があることを隠して病棟へ行って、万が一にも患者さんに感染させちゃったら、申し訳なさすぎる!

やっぱり、自分の体調管理、大事!




午後になると、グループごとに担当教官が来て、事前課題と引き換えに患者さんの情報の書かれたシートを渡された。


そう、事前課題もあったの。

実習病棟について、ネットや一般に公開されている情報から特色をまとめて、その病棟に入院する代表的な疾患を調べてまとめるというもの。


私が行くのは整形外科病棟だから骨折でいいや、なんて気楽に考えていたの、最初は。

だけど、骨折って、当たり前だけどどこの骨がどんな折れ方をするかで、治療や看護が違う。

そりゃそうだよね。足の骨と腕の骨では介助の仕方も必要な援助も変わるもんね。

そんな当たり前のこと、自分で調べてみないと分からなかった。



「脊柱管狭窄症かあ・・・・・・。

疾患から調べなおしだな。どうせなら、受け持ち患者の疾患を事前課題にしてくれればいいのに」


「それは学生の立場としての正直な意見だろうけど、現場は学生中心なわけじゃないからねー。

みんなの受け持ち患者さんは、今日の午前中に実習担当者と決めてきたからさ、事前課題には間に合わないわけ。

まあ、学びのチャンスをもらったと思って、脊柱管狭窄症についても、勉強しといてねー」


尾崎さんの不満に、渡来先生が教員らしいフォローをした。

午前中、病棟へ行っていたから白衣を着ているんだね。



「紀亜の患者さん、どんな人?私の患者さん、50代の男性だって。

・・・・・・苦手なんだよね、この年代の男の人」

ちょっと沈んだ舞りんに声をかけられた。


「私の患者さんは、60代の女性だね。

そういえば、舞りん、愛実ちゃんの実習話を聴いたときに、壮年期の男性が苦手、って言ってたね」

「うん・・・・・・。小、中、高校まで女子高だったから、学校の先生も女性かお爺ちゃんばっかりだったんだ。気が重いなあ」


「これを機会に、苦手意識が薄れるかもしれないよ」

「紀亜は楽観的だなあ・・・・・・。

でも、そう言われると、そんな気もしてきた。チョロいね、私」

そう言って照れる舞りん、可愛いなあ。




渡来先生から、私たちがもらった受け持ち患者さんの情報は、年代や性別の他は、現病歴、既往歴、ADL、生活背景、家族構成などだった。あ、ADLは日常生活動作といって、生活の中で何をどこまで出来るかってこと。


整形外科だと、痛みとか手術後の経過で動かしちゃダメな範囲や逆に痛みがあっても少しずつ動かさなきゃいけない部位とかあるからね。ADLは大事な情報なんだ。


患者さんの名前とか、病室番号、住所なんかは、個人情報だから病棟からの持ち出しは禁止だ。

実習記録や私たちが取るメモにも、個人情報は書いたらダメなんだって。

――もし落としたら個人情報の漏洩になるから・・・・・・いやもう、怖すぎる。



グループオリエンテーションの後は、個人ワークの時間になった。

疾患とかは帰ってもネットで調べられるし、せっかく学内にいるからと、私たちは実習室で洗髪の練習をすることにした。


「絹恵さんの患者さんは、大腿骨の頸部骨折なんだね。

ADLがベッド上の体位変換までだったら、洗髪は床上だけど、実習初日は術後10日以上経過してるから、リハビリも進んでるかもね」


「でも、床上の洗髪、自信がないので念のために練習しても良いですか?

「もちろんだよー!病室、大部屋かな。スペースと電源がないと洗髪車、使えないよね」


洗髪車っていうのは、タンクとシャワーがついた移動型洗面台みたいなもの。けっこう大きいし、音も出るから、使える場所が限られそう。


「じゃあ、ケリーパッド使う?実際に病棟で使うのは、ドライシャンプーかもしれないけど」

ケリーパッドはベッドの上に寝たまま髪を洗う時に使う、「C」の形の浮き輪みたいな枕と水受けがくっついた道具。オレンジ色のゴム製で、最初に見たときは何に使うのか謎だった。


ドライシャンプーは病院の売店でも売ってる、泡のシャンプー。ふき取りできるから水がいらない製品なんだ。災害の時にも役立つんだって。

入学前には全く知らなかったことも、解説できるようになったなあ。


「可能なら、両方の練習をしたいですけど、私だけで時間をとっても申し訳ないです。

ドライシャンプーなら、帰宅してお祖父さまにお願いできるので、ケリーパッドでの洗髪にお付き合いいただけませんか」


あ、そっか。家に帰って家族に練習台になってもらうって手があるのか。


「私、患者役やりたい!」

洗面台での洗髪なら、家に帰ってお兄ちゃんや秀ちゃんに付き合ってもらえる。

ベッド上でのシャンプーって、結構難しいんだよね。演習の時は、ベッドを濡らして減点されてしまったし。

患者役って、意外と勉強になるんだよ。



ベッドに横になってみると、周囲に立ってるみんなの顔が良く見える。

あれ?佐藤さんの顔色――こんなに白かったっけ?

隣の尾崎さんの顔が赤いから、余計に目立つのかなあ。あ、目が合った。


「な、何だよっ!やましいこと考えてたわけじゃないからなっ!

全員で見学してても効率悪いから、俺は洗面台行く。・・・・・・佐藤も付き合えよ」


「えっ?!うちが行くが?!まっこと急やき・・・・・・」

「お前、また、訛ってるぞ」

佐藤さん、尾崎さんに連れていかれちゃった。大丈夫かな。




「力加減はいかがですか?」

絹恵さんが、実際の患者さんに接しているみたいに、丁寧に訊いてくれた。

こういう時、美容院でも、つい、大丈夫ですって言っちゃうんだよね、私。

でも、今は練習中だから、正直に感想も要望も伝えた方が良いんだろうな。


「あのね、丁寧に扱ってもらっているのは分かるんだけど、物足りないというか。もうちょっとガシガシッて洗った方が、気持ちいいかも」

ああ、要望を伝えるって難しい。


「絹恵さん、紀亜。ちょっと代わってみてみても良い?」

おりょ?絹恵さんと舞りんが選手交代だ。

あ、気持ちいい!そこ!そこ!何この絶妙な力加減。


「はあー。すごく、気持ちいい」

「舞歌さん、コツを教えてください」

うんうん。私も知りたい。


「コツって言うほどでもないんだけどさ、自分で頭を洗ってても、なでてるだけだと気持ちよくないじゃない。指の腹を使って、少しだけ力を入れて、頭皮をマッサージするイメージかな」

なるほどなるほど。


「もう一度、代わってもらっても良いですか?」

もちのロンだよ!そのための練習だもん。



「やっぱり臥床したままだと、ドライヤー使っても、なかなか乾きませんね、髪」

流石というか、絹恵さんは舞りん直伝のシャンプーのコツを直ぐに掴んじゃった。


コンディショナーが入ったシャンプーだから、泡を丁寧に流したらおしまい。

ケリーパッドの下に敷いていたバスタオルで髪の水分を拭き取ってドライヤーの段階に入った。

だけど、これが、なかなか乾かない。


今は練習だし、舞りんや私も洗髪の練習したいから、起き上がって乾かすことになった。

人にやってもらうって、ちょっとセレブ気分。




「冷て!お前、手が冷たすぎるだろ。いきなり触ったらびっくりするじゃん」

尾崎さんの大きな声が、急に聞こえてきた。


「あっ!・・・・・・えっと」

「ごめんとか、言えないの?」

尾崎さん、イライラしてるなあ。そんなに矢継ぎ早に言わなくても良いのに。



あれ?佐藤さん、揺れてる?

――違う。ふらつくのを踏ん張ってるんだ!


「佐藤さ・・・・・・」

私が近寄って声をかけようとした時、佐藤さんがその場に倒れた。






それからは、ちょっとした騒ぎになった。

担当の渡来先生だけじゃなく、ほかの先生たちも飛んできて、意識のもうろうとした佐藤さんを車いすに乗せて保健室に運んで行った。




「尾崎!あんた、佐藤さんに悪いと思わないの?」

いつも、人に対して丁寧な舞りんが、ドライヤーで自分の髪を乾かしていた尾崎さんを呼び捨てにして、詰め寄ってる。


「俺のせいじゃないだろ!」

あ、尾崎さんも意固地になっちゃった。


「誰のせいということもないでしょうけど、尾崎が佐藤さんにストレスをかけたとは言えると思いますよ」

あれ?絹恵さんも「尾崎」呼び。いつも通りの静かで丁寧な口調なのに、怒りを感じる。

心なしか、実習室に残っている同級生が尾崎さんを見る目もちょっと冷たい。


「ちょっと冷たい手がぶつかったぐらいでギャーギャー言って、謝罪を強要したのは、尾崎じゃん!」

「誰だって、びっくりするだろ!こっちは洗髪台で下向いてるのに、いきなり首筋に冷たい手で触られたら!

『ごめん』って、言ってくれたら、それでよかったんだよ!」


まあ、尾崎さんの立場になると、びっくりしたのはなんとなくわかる。


思い返してみると佐藤さんは、実習室に来てから、ずっと体調が悪かったんじゃないかな。

顔色、悪かったし、ふらついていた。

首筋に触れようと思ったんじゃなくて、ふらついて触れてしまったのだとしたら・・・・・・。


そして、尾崎さんが佐藤さんの方言を笑っていたのは気づいていただろうし、とっさに土佐弁が出そうになったのを、標準語に直したくても、調子が悪くて思いつかなかったとしたら――?


舞りんと絹恵さんに詰め寄られた尾崎さんが、助けを求めて私に視線をよこした。

でも・・・・・・。


「私も、尾崎の味方は、今は出来ない」


尾崎さんが涙目になっているけど、今の私はちょっと、怒っている。



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