人生に無駄はない
「あー。同じ整形外科病棟だけど、紀亜はⅡ期かー。残念。
一緒だったら楽しく乗り切れるかと思ったのに」
実習メンバーのほとんどが顔見知りなことに、ホッとするような、不安がよぎるような複雑な気持ちでプリントを眺めていたら、横に座っていた愛実んがため息をつきながら言った。
「私、ほとんど話したことない人ばっかりよ。ま、これを機に、人脈広げてくるわ。
同じ病棟だから実習が終わったら、病棟の雰囲気とか申し送るね」
それは本当にありがたい!
こういう切り替えの早さとか、前向きな発想は、愛実んのすごいところだなあと感心する。
Ⅰ期の愛実んが初めての病棟実習を終えてすぐ、学園祭当日を迎えた。
そして私は、なぜか、学部内で一番広い教室の壇上に居た。
「それでは、梅洲大学、看護学部学園祭恒例のトークセッション、『現役大学生が語る、合格体験アンド大学生活!』を、始めます。司会の2年、鈴木莉子です」
マイクを握った手には可愛いピンクのネイルチップ。明るい茶髪をきれいに巻いた鈴木先輩が言った。
「同じく司会を担当します、2年、高橋健太郎です。どうぞよろしくお願いいたします」
そう話したのは、縦にも横にも大きくて見るからに筋肉質な高橋先輩。
会場は、制服を着た高校生と保護者の方や一般の人で、それなりに埋まっている。
「高橋さんは、社会人経験を経て、看護学部に入学されたんですよね」
鈴木先輩の声掛けで、髙橋先輩が看護学部に入学した経緯を話し始めた。
驚くことに、高橋先輩は、文系の大学を出た後、消防士として働いた経験があるそうだ。
救急隊員やその先の救急救命士を目指すことも考えたけど、より広い範囲の人の健康にかかわれるような知識や技術を身に着けたいと思ったんだって。
「自分の場合、ほかの人から見たら『遠回り』と思われる道かもしれません。
ですが、経済学部へ行ったことも、消防学校で学んだことも、短い期間でしたが消防士として働いたことも、良い経験をさせてもらったと思うことにしています。
高校時代の恩師の口癖が、『人生に無駄はない』だったんです。
楽しい経験はもちろん、辛いことや嫌なことなんかも、その経験を糧にするか、傷にするかは自分次第なんだと実感するようになりました。
まだ、看護学部に入りなおして2年生ですが、これから経験出来ることにワクワクしています。
司会の自分が語りすぎましたね。すいません。
それでは、本日、フレッシュな受験体験を語ってくれる学生を紹介します」
髙橋先輩が私たちを紹介した後、最初にマイクを渡されたのは、真緒ッチだった。
「私は推薦入試で本校への入学が決まりました。
推薦の試験科目は、理数系から1科目の選択、それに加えて英語と小論文と面接で、一般入試とは受験に必要な対策が異なります。
だから、高校時代の先生からは、推薦で落ちた後に一般入試に切り替えるのは大変だと言われていました。それでも、早く進路を決めたくて、予備校の夏合宿にも行って受験対策をしました。
ラッキーなことに、12月に合格通知を頂いたので、親が冬期講習のために準備したお金で、推しのライブのために家族で北海道旅行に行けました!」
緊張した表情だった高校生と保護者の方が笑顔になった。
凄いなあ、真緒ッチ。一気に場を和ませちゃった。
「看護学生というと、実習などで忙しそうと思われると思いますが、まだ1年なのでバイトや推し活も楽しんでいます!」
そっか、去年の冬は真緒ッチ、北海道にきてたのか。
私は受験勉強で、ライブどころではなかったけど。
「推薦入試を受けるには、評定平均が必要になります。
ここに居らっしゃる制服を着た高校生の方たちがまだ、1、2年生なら、日々の勉強を頑張って成績を維持することをお勧めします。
既に3年生で、日程的にも間に合わない!という方は、次からお話しする二人の体験を聴いてください」
真緒ッチは、そう言ってマイクを尾崎さんに渡した。
「僕は……。ギリギリまで、ここに登壇することを迷っていました。
でも、事前に高橋先輩の話を聞いて、僕の経験も無駄じゃないと思ったので、お話しします」
尾崎さんは、真剣な顔で話し始めた。
「僕の家は、弁護士一家で、両親も二人の兄も弁護士なので、正直、もう、法曹界の人間はいらないという空気がありました。
それで、家族の誰かが病気になった際に備えて、医療者が居たら安心かと思ったんです」
この話……なろうと思えば弁護士も目指せた、ってことだから、普通に聞いたら嫌味なんだろうけど、彼の場合は正直な感想なんだろうなあ。
「漠然と、医療職者になりたいと思ったものの、医師がいいのか、看護師がいいのか、療法士がいいのか、迷いました。
とりあえず、一番、難関の医師を目指して勉強を始めましたが、看護も面白そうだと、看護学部の願書も出しました」
これって、これから看護学部を目指す人に聴かせていい話なんだろうか。
体験談話すにしても、人選ミスなんじゃないのかなあ?
私は、隣でハラハラしながら、尾崎さんの話を聴くしかなかった。
「結果として、医学部の試験日に体調を崩し不合格となり、看護学部からは合格をもらったので、こちらへ進学をしました。
先ほど、ここに登壇することを迷っていたとお話ししたのは、そういう経緯があったからです」
あ、尾崎さん自身も、人選ミスを疑ったのかな。
「入学してみると、当たり前ですが周囲は看護師を目指す人ばかりでした。だから、友人もしばらくできませんでした」
そういえば、入学式のころはツンツンしてたなあ、尾崎さん。医学部再受験するとかって言われてたよね。
いつ頃だったかなあ、同級生と話すようになったの。
「まだ1年足らずですが、学内での演習や、保育園実習などを行う中で、実習のメンバーで話し合ったり、一緒に勉強したりしました。
そういう経験をして、今は、結果として僕には看護の道の方が合っていたように感じます」
その後も、一般入試のための勉強方法などについて、尾崎さんは丁寧に語っていた。
人それぞれ、進路選択にも受験にもドラマがあって、「人生に無駄はないんだなあ」と考えていたら、私にマイクが回ってきた。
私の進路には、兄が大きく影響している。
兄の白血病が再発したのは、私が4歳のころ。
家の中から急にお兄ちゃんが居なくなってお母さんの帰りが遅くなった。
当時の私は、淋しかったけど、そういう気持ちをうまく伝えることができないことの方が辛かった。
兄のような大きい病気や障害のある子どもの兄弟姉妹を「きょうだい児」というそうだ。
きょうだい児だからと言って、幼い私が四六時中、兄の病気のことを考えているはずもなく、普段は、普通に過ごしていたけどね。淋しさは、私の中に澱みたいに残ってた。
――ずっと、自分でも気づかなかったけど。
入退院を繰り返していたお兄ちゃんが秀ちゃんと二人でバンドを結成したのは、私がまだ小学校へ上がる前だった。
最初は「Strawberry Baroness」として活動してた。私も時々、演奏に参加させてもらったりした。
ネットに配信したことで、カナちゃんがつながって、「White Strawberry Baroness」に改名した。
中学時代の私は、本格的にはホワネスに参加させてもらえなかったから、吹奏楽部で頑張った。強豪校じゃなかったから、全国大会に行くほどじゃなかったけど。
お兄ちゃんは、高校卒業後に就職も進学もしないで音楽の道に進んだ。
だから、お父さんからもお母さんからも、明確には言われなかったけど、「お前だけは堅実な道を選べ」というプレッシャーを感じた。
お兄ちゃんはさ、「お前も好きなことしたら良いんだよ」って、勝手なことを言っていた。
けれど、音楽で食べていけるなんて、才能と運を持った一握りの人だけだってわかっている。だから、私ぐらいは堅実に稼げる職業に就かなくちゃ、って考えた。
お母さんは時々、「看護師だったら、先生の話が理解できて、お兄ちゃんの世話がもっと上手にできるだろうに」って言っていた。それが、看護師を職業として考えたきっかけだった。
お菓子作りが好きだから、パティシエーー女性だとパティシエールか――それも選択肢として迷った。
将来の堅実な職業を考えてた高2の冬に、例のストーカー暴力事件があった。
当時、NOHAがRickの妹だとは明言していなくて、学校行事とライブハウスの大きさとかで私は参加したりしなかったりの状態だった。
素人に毛が生えたようなバンドだからさ、もちろんマネージャーなんかいなかった。
でも、何かおせっかいな女の人が居るなと思うようになったころ、
「私は内緒だけどRickと付き合っている」、「Liamにも告白された」とか言われて。
純朴NOHAちゃんとしては、信じちゃったんですよ。もちろん嘘というか、妄想だったけど。
それで、ホワネスのステージと距離を置いて――本気で堅実な仕事を考えていたら、ある日突然、襲撃された。
救急車で連れていかれた病院の看護師さんは、みんなテキパキして、カッコよくて、そして優しかった。
お兄ちゃんの定期受診に付き合って受診した時に感じた、取り残された気持ちとは違って、私の心と身体の辛さに寄り添ってもらえた。
そうしてもらうことで初めて「ああ、私、きょうだい児として淋しかったし、辛かったんだ」と自覚した。
だから、言葉にしにくい気持ちを抱えた「きょうだい児」に、私だからこそ、何か出来ることがあるんじゃないかと思って、看護師を選んだ。
もちろん、私がホワネスのNOHAだということは内緒なので、このイベントですべての真実なんて語れない。
だから無難に、「兄が小児がんの体験者で、きょうだい児の経験から、看護師として誰かの役に立ちたいと思った」という内容を話した。
受験勉強は、高3の春から始めた。
遅れてのスタートだから、推薦なんて取れないし、過保護な兄はカナちゃんの居るこの大学しか許してくれないというので、必死に勉強したんだ。
そのあたりも、具体的なことは伏せて、「まずは、日々の授業の内容を理解して、志望校の過去問をひたすら頑張って!」と伝えた。
「相良さんって、壮絶な人生を歩んでいたんだねー」
へっ?!
無事に受験生セッションを終えて、壇上から降りてきた私に声をかけてくれたのは、次の実習で同じグループになった佐藤萌絵さんだった。
明るい笑顔と、「壮絶」という単語と、延ばされた語尾がアンバランスで、どう返事をしてよいか分からなくなって、私の身体は固まってしまった。
「だって、お兄さん、亡くされたんでしょ。大変だったね」
「お兄さんは、元気だよ。この前、みんなで一緒に餃子パーティしたし。
ちゃんと紀亜の話、聞いてた?どこでそんな話にすり替わってるのか、他人が聞いていても腹が立つよ」
唖然として、固まったままの私の代わりに返答してくれたのは舞りんだった。
「え?何で怒ってるの?『大変だったね』って、労ってあげようと思っただけなのに」
「悪気がない言葉であっても、傷付く人はいると思うよ」
舞りんが少し語気を落とした。
「労って『あげよう』って時点で、上から目線だしね」
「ハッ!そうだね。……相良さん、ごめんね。私、言葉のチョイス、間違えちゃうこと多くって。
家族にも『想像力が足りない』って言われるんだけど、今回のはお兄さんにも悪い想像だった。
ごめんね……」
佐藤さんの声は、最初に話しかけてくれた時よりもずっと小さくて、反省しているんだと伝わってきた。
「私の方こそ、不用意だったかも。
もう、兄も元気だし、家族の中では歴史の一つになっているんだ。
でも、高校時代に仲良くなった子に、兄の病気の話になったら、『何か、聞いちゃってごめん』みたいに謝られたことがあったの。
聞く側に準備がないと、びっくりされるんだって、忘れてた。だから、こちらこそごめん」
それから、「こちらこそごめん」合戦がはじまった佐藤さんと私に、
「屋台の焼きそばが売り切れるから、行くよ!」と背中を押してくれたのは舞りんだった。
屋台の焼きそばは、それなりの味だったけど、実習前に少しだけメンバーの距離が近づいた気がした。




