外見のメッセージ
「すっごい!良かったんだよ!東京・夏フェス!絹恵さんも一緒に行ったんだよ!
とにかく、ホワネスが最高だったんだ!4人がそろった演奏はもう神!
これまでのライブではラストの方で演奏する『残照』を1曲目に持ってくるなんて!
ホワネスが東京、いや、全国に進出するっていう本気度がわかるってものよ!
光のエフェクトもあってね、演出としてすごい効果でさ。光に包まれながら演奏する四柱の神々しいこと!」
相変わらずのホワネス強火担、真緒ちゃんは、バイト中にも関わらず、ランチを食べに来た私にも元気に声をかけてくれる。
「でも、顔とかモザイクがかかったみたいで、正体を明かさないのって、ファンとしてはどうなの?」
そう、ホワネスは、あの夏フェスでメンバー全員の素性を明らかにしない方針を明確に打ち出した。ネットでは賛否両論で、実際のタルトんとしてはどう思うか、気になっていたんだ。
「そりゃ、ファンとしたら、推しのことは何でも知りたい気持ちはあるけどさ。
でもね、推しも人間だし、生活もあるから何でも公開しなきゃいけないなんてことないと思うんだよ。
実際、有名になった芸能人が顔や名前から住所や家族を特定されて、盗撮されたり、ネットに曝されるなんてことも聞くしさ。
そんなことに巻き込まれでもして、ホワネスメンバーが心を病んで、解散やら脱退なんてするぐらいなら……。
そんなことになるぐらいなら!良いんですよ、正体を隠しても!
ホワネスがっ!ホワネスとして存在してくれているならばっ!」
真緒ッチは、話をしながらネガティブな想像をしたのか、両腕を自分でさすりながら熱く語ってくれた。
思った以上に、真緒ちゃんのホワネスへの愛が深かった。ありがたい。
「それで、その夏フェスにね演奏終わりにRickさんから、来年は全国のライブハウスを回るって発表があったの!楽しみが過ぎる!」
「ハイハイ、何度も聞いたよ……。だから、その資金を稼ぐために、君は今、アルバイトとして働いているんだよね。舞りんはあっちで、デリバリー注文の対応しているよ。
真緒ッチもお口チャックして、さっきお客さんが帰ったテーブルのお皿、片付けてきて」
「はーい」
真緒ちゃんの熱すぎる推し語りを軽くいなしたヨッシーは、私がスマホからモバイルオーダーしたハーブティーを淹れる作業を始めた。
夏フェスで、予定していた楽曲を演奏した後、お兄ちゃんはメンバーも知らなかった全国ツアーを発表した。
ホント、びっくりしたよ。事前に言っといて欲しかった。
フェスの翌日から、χημεία(ケメイア)の編曲やらそれぞれの楽器練習をはさんで録音とか、ほかのメンバー発案の新曲会議や全国ツアーに向けたコンセプト会議やらが目白押しで、私の夏休みは矢のように過ぎていった。
ホント、大学1年の夏休みの課題が少なくてラッキーだった。そうじゃなかったら詰んでたわあ……。
「紀ちゃん、ソレ、実習前課題の動画?」
「うん。家だとどうしても集中できないから。動画視聴して、満点取るまで確認テストって、辛くない?」
「確認テストなら、先輩から過去問、流れてきたよ?見る?」
何ですと?!
真緒ッチは、災害支援を学ぶサークルに入っていて、そこの先輩が教えてくれたんだって。
私は中学までは吹奏楽部に入っていたけど、高校からはホワネスの活動の方が忙しくて、もちろん大学でもサークル活動をしてこなかったツケがこんなところに!
「でも、紀亜なら、動画をちゃんと観たら答えられる問題ばかりだったよ。常識問題だし」
と、言ってくれるのは既に動画視聴どころか、確認テストの満点もクリアした舞りんだ。真面目なんだよね。
その、「ちゃんと動画を観る」ことが、今の私には難しいのだ。
家に居ると、つい、楽器を触っちゃうし、動画を観てても頭の中に楽曲のアイディアが浮かんでしまう。
それで、カフェ○○にやってきたというワケなのだ。
動画視聴は学籍番号でチェックされ、確認テストで満点という課題をクリアした後は、電子カルテのID申請書と契約書を提出しなくちゃいけない。
誓約書は、「カルテから個人情報を持ち出さない」とか、「守秘義務」とか、「受け持ち患者以外のカルテは見ません」とか、病院が定めた規定を守る約束をする書類なのだ。
カルテって、その人の病気のこととか、家庭環境のことも書いてあるはずだから、個人情報の塊だもんね。この書類にサインする時は、ちょっと気持ちが引き締まった。
テストと書類、来週の実習オリエンテーションの、どれか一つでも不足したら、実習に行かせてもらえなくなるから、必死になるというものよ。
「オリエンテーションは、来週だっけ。グループ分けもそこで発表なんだよね。
どんな人と一緒になるかで、実習の辛さが変わるって先輩が言ってた。気になるよね」
今回の実習は、初めて病棟で行う1週間の実習だ。
初日と最終日は学内実習なので、病棟へ行くのは正味3日間になる。
1グループは4、5人なんだって。
実習メンバー、知っている人と一緒だと心強いなあ。
だけど――看護学部の教員の顔したカナちゃんが言っていたことを思い出す。
「普段、仲が良い人とグループが一緒だからって、実習が楽になるわけじゃないんだよ。
仲が良いからこそ、気が抜けてふざけちゃったり、ほかのメンバーと情報共有しにくかったり、
デメリットもあるからさ。教員の方も、グループ分けは悩むんだ。
とは言え、まだ、1年の基礎実習だからね。紀亜なら見学のつもりで気楽に行ったらいいよ」
そう言われたからって、気楽になれるものでもないけどね。
「余裕の発言だけど、真緒ッチは、確認テストと書類、出したの?」
「ん?まだだよ」
ヨッシーの疑問にキョトンとした顔で答えるけど、締め切りが明日だと知って慌てている真緒ッチは、ちょっと気を引き締めた方が良いんじゃないだろうか。
「これから基礎看護学実習のガイダンスを始めます。
ここに居る人たちは、事前準備の動画視聴と確認テスト、申請書と誓約書の提出が期日内に行われた人たちです。このガイダンスをきちんと受けて、充実した実習にしましょう。
それでは、プリントを見てください」
説明をしてくれるのは、長瀬小春先生。
細身でおかっぱ頭に銀縁メガネをかけているので、とても真面目で、厳しそうに見える。偏見かもしれないけど。
「今回の実習は、入学後に学んだ基本的なコミュニケーション技術を用いて、看護の対象となる患者さんとかかわる中で、Life、つまり生命とか生活とか人生に、病気や障害がどのような影響をおよぼしていることを理解することが目的の一つです。
もう一つの目的は、医療現場の実際に触れて、看護職者の役割や求められる知識、技術、態度についてのイメージを具現化、んー、具体的に理解することです。そうして、看護学を学ぶ学生としての自覚を養うと同時に、多角的に対象を看る目を養うことも期待しています」
あれ?
長瀬先生は、配られたプリントをわかりやすい言葉で解説しながら教えてくれる。
「厳しそう」なんて、先入観を持って申し訳ない気持ちになる。
単純に今回の実習の目的を考えると、患者さんからお話を聞いて病棟看護師さんがどんなふうに働いているかを看護学生としてしっかり見てくれば良い、ってことかな?
そう考えると、気が楽になったかもしれない。
「それでは、スライドを見てください」
長瀬先生の声で、手元のプリントから壇上のスライドに目を向けると、一般的な大学生の男女のイラストがあった。この夏は暑かったし、短パンにサンダルの男性も、キャミワンピにサングラスの女性も、大学生として特に違和感のない服装だ。
「あのキャミワンピ、可愛いね。でも、どうぜ、『髪色が明るすぎる』とか言われんだよ。
折角、高校の制服と校則から解放されたのに、髪も染められないなんて。
髪色がどうだって、ちゃんと仕事すればいいじゃんね」
隣の愛実ちゃんの発言は、何となく理解できるけど、その声は思ったよりも教室内響いた。
「そうね。今、どこからか聞こえたけれど、金髪だろうが、カラーコンタクトでピンクの瞳になろうが、ちゃんと仕事すれば良いじゃないか、というのも一つの価値観だと思います。
けれど、皆さんが看護の対象者として出会う患者さんの多くは、高齢者とよばれる年代の方々です。その年代の方たちの価値観ではどうでしょうか。
皆さんにとっては『オシャレ』と思える外見が、残念ながら『不潔』とか『不謹慎』と感じられるかもしれません」
そっか……。
いくら私たちが『オシャレ』だからと言っても、体調が悪いから入院している患者さんに理解して受け入れてくれって言うのは、傲慢だし身勝手なのかもしれない。
「また、皆さんの実習服は、病院のナースとは異なりますが、患者さんやご家族から見ると、違いが分からないかもしれないことは、理解しておきましょう」
ということは、学生の身だしなみが整っていない場合、患者さんが「この病院の看護師はだらしがない」とか思われちゃうってことね。
学生のせいで、病院ナース全体の評判が悪くなったら、それ以降の実習は受け入れてもらえなくなるだろうし、そりゃ、先生たちもピリピリするか。
「今回の実習の目的の一つである『コミュニケーション』を、『会話』だと理解する人は多いかもしれませんが、『コミュニケーション』は、こちらが言葉を発する前から始まっています。
外見は、対象となる方に対してあなたたちの印象を伝える大事なメッセージの一つなんです。
だから、看護学生に対して『多くの人が望ましいと考える形』に外見を整えることは、エチケットであり、最低限のマナーです」
最近では、コンビニとかファミレスとか、いろんな場所で派手な髪色とかピアス沢山の外見で働く人を目にする機会が増えてきた。
だけど、私たちが実習先で対面するのは、身体のどこかに不調を抱える人で、派手な外見に嫌悪感を抱く人も一定数いると思われる高齢者や心の余裕がない人たちだ。
私たちが外見を整えることに反発を感じたのは、自分の個性を消すことだと思ったからかも。
考えてみると、看護師になるための実習で外見「だけ」褒められるのも、微妙だわ。
「目で見える範囲だけではなく、匂いにも注意が必要です。
メイクやハンドクリーム、衣類の柔軟剤など、健康な人にとっては好ましいとか、特に気にならない匂いでも、抗がん剤治療中などの患者さんにとっては、嘔気を誘発することもあります」
匂いまで、気を配らないといけないのかぁ……。
でもこうやって、丁寧に教えてもらえたら、出来そうな気がする。
愛実ちゃんも、隣で頷きながら長瀬先生の説明を聴いている。こんな風に説明されたら、大人に反発したい気持ちがあっても納得してしまうよね。
「少し話はそれますが、『アピアランスケア』という言葉を聞いたことがありますか?
アピアランスケアは、私の研究テーマでもあるんですが、男性でも女性でも、子どもでも高齢者でも、がんという疾患そのものやその治療によって、皮膚や爪の変化や脱毛、手術による創痕などの外見の変化を気にする方に対するケアです」
壇上のスライドには、調査結果の表が映された。
「これは少し前のデータですが、患者さんにがんの治療中の経験をした苦痛を確認したところ、上位20項目のうち、12項目が脱毛や手術痕、爪の変化やむくみなどの外見の変化についてが挙げられていました」
がんの治療といえば、ドラマなんかでよく見る、バケツ抱えてゲーゲー吐いているイメージだった。
でも、がん治療を経験した患者さんの辛さとしては、吐き気や嘔吐よりも髪の脱毛の方が上位なのにはびっくりした。
お兄ちゃんはどうだったっけ……。
髪が生えるまでは、帽子やらバンダナやらをかぶっていたかな。カツラはバレるから嫌だって、言っていた気がする。
「先ほども言ったように、外見は周囲へのメッセージに成り得ます。
脱毛を例にすると、脱毛そのものに加えて『がん患者だと、知らせたくない人にも伝わるのではないか』といった心理的な負担を感じる人がいます。
頭髪の脱毛なら、カツラの使用を思い浮かべる人は多いでしょう。
でも、私たちは、街中で『かぶっているなあ』と感じる方を目にすることがあるので、カツラをかぶっている人はみんな、バレてしまうと思っていませんか?」
そうそう。毎朝の通学時に、時々見かけるおじさんの中に『かぶっているなあ』と思う人がいるんだよね。
「でもね、実際には、気づかれずにカツラ、あえてウィッグと言いますが、ウィッグをかぶっている人はいるかもしれませんよ。今の私のように」
長瀬先生は、おもむろに銀縁メガネを外して、マンガに出てくる王冠を盗んだ怪盗が変装を解く時のように、ウィッグを外した。
そこにはベリーショートのグレイヘアが似合う切れ長の目の美人がいた。
これまでに聴いたガイダンスの内容が飛んでしまうぐらいびっくりした。ふと見ると、私の視線の端に、頭を抱えるカナちゃんがいた。
そして私は、長瀬先生の最初の印象の「真面目で、厳しそう」は、外見によるイメージで、ホントはいたずら好きのおちゃめな先生なんだと理解した。
「では、最後に、実習グループとそれぞれの実習先、日程表を配ります。
今回の実習は、3期に分けて実習先に行きます。実習以外の人は、学内講義の受講になります。
Ⅰ期の人はこの場に残ってね。それ以外の人は、帰っても良いけど、折角だから顔合わせだけしておくことを勧めます。以上です」
配られたプリントを見ると、私はⅡ期なので、実習は来月で整形外科に割り振られていた。
グループメンバーを見ると、尾崎康平、河口絹恵、相良紀亜、佐藤萌絵、白石舞歌、と学籍番号の近い名前が並んでいた。
佐藤さんは、初めましてだけどほとんど顔見知りのメンバーに、ちょっと安心するものの、「仲が良いからこそのデメリット」というカナちゃんの言葉が頭をよぎった。
作中で触れた「アピアランスケア」に関する内容は、厚生労働省の公開資料などを参考にしています。
実際の臨床では個別性が大きいため、一例として読んでいただけたら嬉しいです。




