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食べ物の恨みは恐ろしい?


ビターン、クルッ。ビターン、クルッ。


私は、今、機嫌が悪い。こういう時は、無心にパンを捏ねるに限る。

イライラをぶつけられるし、しっかり捏ねたパン生地は、ふっくら美味しくなるから。


今は!無心に!パンを!捏ね!ないと!やって!いられないっ!




昨夜、早めに就寝したので、気持ちよく目覚めた。なのにリビングは酒臭い。

お兄ちゃんも秀ちゃんも屍のように眠っている。でも、そこまでは許せた。想定内だから。


二日酔いを見越して、スープを作ってあげようと、お母さんが送ってくれた、とっておきの鮭とばを探すと、既に食べられてる!私のお気に入りの鮭とばが、無いなんて!



パン生地がいい感じに捏ねられてくれたので、丸めてフライパンに入れて蓋をして一次発酵をする。

パン捏ね、割と好きだからホームベーカリーはなくても良いけど、発酵機能がついたオーブンレンジ、欲しいなあ。


さて、発酵させている間に、パンの具材の準備をしようと冷蔵庫を開けた。

けれどーーない!

ちくわもツナマヨも!ちくわパンの口になっているのに、その材料がない!

地元のパン屋さんには、当たり前にあったのに、東京に来てどのパン屋さんに行ってもないから、レシピを調べてようやく食べられると思ったのに!


仕方ない。プレーンのパンにして、ポテサラでも挟もう。

あれ?キュウリもない。キュウリのないポテサラなんて……。

本当はポテサラに鮭とばも入れたかったのにぃ!くそぅ!食べ物の恨みは、根深いんだぞ!




――と、いうことで、私は今、リビングで正座した兄に説教中なのです。


ちなみに秀ちゃんは、スープの代わりに作った梅干し入りの白湯を飲み干して、出かけて行った。

ホワネスの全国進出に向けて、苺農園を機械化するための打ち合わせらしい。

その打ち合わせ相手が、私の大学がある医療特区を作ったKAIROSだって聞いてびっくりしたよ。


KAIROSは、AI技術を中核にした、検索や広告、クラウドなど幅広い事業を展開する巨大なテクノロジー企業で、テレビCMもやっている大きな会社だ。


この会社、実は絹恵さんのお祖父さんが創設した会社だということを、最近知った。

秀ちゃん、打ち合わせでお祖父さんに会ってたりするかしら。まあ、大きな企業だし、創設者なんて偉い人と打ち合わせなんて、そんな都合のいいこと、無いか。



「だから!悪かったって、言ってるしょ。俺にもその、ポテサラ挟んだパン、ちょうだい。

飲んだ翌日って、腹が減るんだよ。

紀亜が欲しがってたホームベーカリーでもオーブンレンジでも買ってやるからさ」


なんですと?!

……それならば、許してやらないこともない。

私もチョロいなあ。まあ、いつまでも怒っているのも疲れるからね。広い心で許してあげよう。

このパン、フライパンで焼いた割にはふっくらと仕上がったので美味しく食べて欲しいし。


「美味いな、これ。でも、なんでピーマンが入っているんだ?」

「それはね、キュウリを食べてしまった人が居るからだよ。緑が入らないと、何か物足りないんだもん。鮭とばもね、入れようと思ったんだよ。代わりにベーコン入れたけど」

「お、やぶ蛇か。すまん、すまん」

「ま、食べちゃったものは仕方ないよ。


ただ、パン作り、楽しいから、パン屋さんでバイトしたいんだ。学生のうちに社会経験も積んどきたいしさ」



大学の同級生は、みんなアルバイトしてる。

看護学生は、3年生になると実習が忙しくなるから、みんな、今のうちに稼ぐんだって言っている。


だけど私は、過保護な兄からアルバイトを禁止されてる。

大学生にもなって、お小遣いもらっているのもちょっと恥ずかしいし、服とかメイク用品とか、欲しいものはいっぱいあるから、以前から考えていたことをお兄ちゃんが反対しずらい今、思い切って言ってみた。

メイメイのバ先、つまりバイト先であるカフェ○○の近所にあるパン屋さんなら大丈夫だと思うんだよ。


「バイトなぁ……。バイトするなら、俺の仕事を手伝ってくれないか?

ホワネスの楽曲作りに参加して欲しい。真面目な話。

パン屋みたいな社会経験は積めないけど、バイト代は少し多めに出せると思うぞ。お前自身が歌うかどうかは、ゆっくり考えてくれたらいいから」


そう来たかぁ……。


ぶっちゃけ、まだ、人前で歌うのは自信がない。ボイトレもしてないし、歌うための体力も筋力も落ちてる。

でも、実家に置いてきたはずのギターもキーボードも、なぜかこの部屋に入居したときに存在していた。お兄ちゃんが引っ越し荷物に追加したのはすぐに分かった。

だから、ほとんど毎日、楽器に触っている。

防音機能の付いた高級マンションは、近所の気配も分からないので、多少の音を出しても怒られないから。



実は、いくつか作ってあるんだよね、楽曲。

一人暮らしするようになって、ほとんどの日は楽しいんだけど、ちょっと寂しくなった時とか、勉強で煮詰まった時とか、楽器を弾いてると気分が変わるから。指慣らしのついでに楽曲も作っていた。

ホワネスとして演奏するなら、もう少し作り込まなきゃだめだけど。


「分かった。やってみる。ただし!看護学生としての勉強優先だからね!

あと、発酵機能付きのオーブンレンジは別で買ってもらうからね!」

「やった!勉強優先ね。オーケー、了解。オーブンも買ってやる。

とりあえず、次のアルバムに入れる曲な。レコーディングまで責任持てよ」


パン屋でバイトの野望は潰えたけど、嬉しそうな兄の顔を見ていたら、「まあ、いいか」と思えた。

やっぱりチョロいなぁ、私。


ああ、これで夏休みが潰れてしまうなあ。

――その前に、試験結果はどうだろう……。






餃子パーティから数日後、単位認定試験の結果が学内のポータルサイトに共有された。

私は、とりあえず追試は免れた!やったぁ!これで、明日から夏休みだー!


「みんなは、どうだった?」

中学や高校みたいに長期休み前の終業式は大学にはない。

休み中の注意とかはポータルサイトの書類を各自が確認するだけなので、みんなの様子が知りたくてカフェ○○に来てみた。案の定、みんな集まってた。



「もうさ、外国語なんて、翻訳アプリがあるんだから看護学部で外国語学ぶ意味が分からない!」

プリプリと怒りながら、お客さんが帰った後のテーブルを片付ける真緒ッチ。

どうやら、英語と第二外国語として選択したドイツ語を落としたらしい。


「そうは言っても、日本語の分からない外国の患者さんに、アプリ起動とか、待ってられないこともあるんじゃない?」と、私と同じ中国語を選択した舞りん。

中国語、漢字から何とか想像がついたからね、落とした人はいなかったらしい。


「いやぁ、俺も母親に騙されたよ。

今どき、カルテをドイツ語で書く医者なんていないって、授業が始まってから知ったもんね。ドイツ語、名詞が男性と女性で違うし、文法はややこしいし、第二外国語の選択の時点で失敗したね。真緒ッチは、語学だけだからまだいいよ。


僕なんて、『疾病の成り立ちと回復の促進』もだよ。あの科目、スライドにない内容が試験で出たじゃん。爺さん先生、モゴモゴしゃべるから眠くなるから、聞いてなかったところが出るんだもん」

と、うなだれるのは、訪問看護師をしているお母さんに薦められてドイツ語を選択したヨッシー。


「ホントそれ!私も『疾病の成り立ち』、落とした。バイト代が再試験代に消えていくわ……」

と、嘆くのは叔母の美琴さんに頼らずに自力で再試験費用を捻出することにしたメイメイ。


「私は『人体の構造と機能』。消化管の位置関係と、脳とホルモンの関係が覚えきらなかった」

うなだれる愛実ちゃんに激しく同意する。

みんな、ひとつか二つ、落としたらしい。フル単、つまり講義の単位を全て落とさずに取得したのは、私と舞りんだけだった。


びっくりしたのが、絹恵さんが「基盤臨床看護論」の再試験になったこと。


「どうやら、剽窃を疑われたようです」

「ひょうせつ?って、何のこと?」

「剽窃とは、他人の文章とかアイディアとかを無断で盗んでーーって、断りを入れて盗む人はいないでしょうけど、それを自分で作成したとして提出する行為です。

『基盤臨床看護論』は、記述問題が多かったでしょう?先生が想定していた文章と似ていたそうです。


でも、おじいさまが大学側に抗議して、剽窃をチェックするツールで確認してもらったんです。ですけど、結果が曖昧だから、再試験ということになりました」


絹恵さんは淡々と話すけど、何だかモヤモヤするなぁ。

本人が再試験に納得しているみたいだから、何も言えないけど。






「おじいさま、ただいま戻りました。お話しした通り、お友達と勉強させていただきます」

絹恵さんって、お家でも丁寧なんだなぁ。



再試験になった、絹恵さん、真緒ッチ、ヨッシーは一緒に勉強した方がサボりにくいし効率が良いってことになったみたい。

図書館だと、静かにしなくちゃいけないし、カフェ○○だとバイト時間じゃなくても働いちゃうし、ってことで、今日は絹恵さんのお家で勉強すると聞いて、私と舞りんも参加させてもらった。


試験は通ったけど、ギリギリだったし、今後の授業や実習、その先の臨床で使う知識だからね、しっかり知識を定着させなくちゃ。

決して、資産家の河口家を見てみたいというミーハー心ではないですよ。

ちなみに愛実ちゃんは彼氏と一緒に勉強するんだって。リア充爆発しろ!とは思わないよ、決してね。




「おじいさまが、みなさんに挨拶をしたいと言っているので、良かったらどうぞ」


河口家は梅川沿いにある瀟洒な洋館だった。大企業の創業者だから、もっと豪華な日本家屋を想像していたと言ったら、梅川沿いの別の場所に本宅があって、そちらは豪華な日本家屋らしい。

この洋館は、河口賢之介氏の仕事の打ち合わせや、絹恵さんの勉強などに使っているらしい。勉強『部屋』ならぬ、勉強用の『家』とは、お金持ちってすごいなぁ。



「お、紀亜」

応接室に案内されると、秀ちゃんがいた。ホントに絹恵さんのお祖父さんと打ち合わせしてた!

というか、このBGMは……。


「ホワネスの初期の曲、Trainingですね!私も大好きなんです、この曲!」

やはりお気づきですね。ホワネス強火担の真緒ッチがノリノリで話し出す。


「おお、君が真緒ちゃんだね。絹恵と仲良くしてくれてありがとう。

絹恵から薦められて聴いているうちに、儂もタルトんになったんだよ。

まあ、ゆっくりしていきなさい。」


えっ?!

絹恵さんの様子から、すごく真面目で厳しいお祖父さんを想像していた。なのに、予想外の発言にびっくりして秀ちゃんの顔を見ると、苦笑いが返ってきた。


私たちは、我を忘れて推し語りをしそうな真緒ちゃんをなだめて、大きなダイニングテーブルのあるお部屋に移動した。再試験は、来週だから、勉強しなくっちゃですよ。推し語りはまた今度ね。



「私、おじいさまに恥をかかせないために、ちゃんとしなきゃいけないって、気負っていたみたいです。剽窃を疑うと、大学から連絡があった際におじいさまが話を聴いてくださったんです。


皆さんのこと、お話しする中で、ホワネスの曲も一緒に聴いてくれて、『学生生活を楽しんだらいい』って言われたんです。

楽しむ、ってどうしたら良いか分からなかったんですけど、おじいさまと一緒にホワネスを聴いていたら、こういうことかな、と思って。

なので、夏休みを皆さんと楽しむためにも、再試験、頑張ろうと思います」


両手の握りこぶしに力を入れて、何だか不思議な決意表明をする絹恵さんに感化されて、それからは、みんなも勉強に集中した。






帰宅した後に秀ちゃんから聞いた話だと、秀ちゃんがホワネスのメンバーであることを、バンドマスターであるお兄ちゃんに了解を得てから賢之介さんには伝えたそうだ。

というか、AIを苺農園に導入する理由として、説明せざるを得なかったんだって。


だけど、バンドの方針も理解してくれて、賢之介さんから絹恵さん達にホワネスの詳細を伝えることはないって約束をしてくれて、ホワネスのファンクラブにも入会してくれたそうだ。


それだけじゃなく、ホワネスの楽曲をKAIROSの企業CMに起用してくれることになった。その上、KAIROSが後援する今年の夏フェスの参加も後押ししてくれたらしい。

一日で、すごい方向に進展したなあ。



そういうことで、私は来年以降のCM用の楽曲作りと、夏フェスでのバック演奏をすることになり、もの凄く忙しいけど、充実した夏休みを過ごすことになった。

楽曲作りに煮詰まったときには、パン生地を捏ねて、兄に買ってもらった最新のオーブンレンジでパンを焼いた。

料理はストレス発散にもってこいだからね。


「なぁ、紀亜……俺、この夏、体重が3キロ増えたんだが、なんでだと思う?」


パンを作りすぎて兄の体重増加が止まらないが、知ったことではない。ざまあみろ。

食い意地が張っていると、そういうことになるのだ。鮭とばの恨みをパンで晴らしてやったぞ。


ちなみに、私や秀ちゃんは、フェスに向けて体力をつけるために毎日のランニングや筋トレを始めたので、体形はキープしている。



同級生たちも、みんな再試験に無事に合格して、バイトやら、運転免許の取得やら、夏フェス参戦(聴く側ね)やら、有意義な夏休みを過ごしているようだ。



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