閑話:深夜、男二人の密談
「紀亜は?もう、寝たの?」
秀悟が濡れた髪をガシガシと拭きながら風呂から出てきた。
「ああ。朝から動いていたみたいだし、料理も一手に引き受けてたからな。
自覚ないだろうけど疲れてそうだったから、寝かせた。
まあ、しばらくこっちにいるし、ゆっくり話す時間も作れるよ」
さっきまで、学生たちが集まっていたリビングは思ったよりも静かだったことに、自分の声が響いたことで気付いた。
紀亜が新しい環境の中で、上手くやっていけているのか、心配だった。
そんな心配をよそに、東京での女子大生生活を謳歌してるみたいだけどな。
学生たちの話に首を突っ込む気は、オレもこいつもなかった。
それでも秀悟が、彼氏をマザコン認定して別れ話の相談をする学生に、彼氏側の見解を説いたのは、紀亜と自分を重ねたのだと思う。
普段は無口で、人の恋バナなんかに乗ることなんてないヤツだから。
まあ、重ねたと言っても、こいつの場合はマザコンどころかひどい誤解なんだがな。
紀亜を害したオレのストーカーは、紀亜に接触するたびに、オレと秀悟がそいつに惚れているかのような妄想を吹き込んでいた。知った時には後の祭りだった。
当時、まだ高校生になりたての妹は、疑いながらもそれを信じちまった。
実際のストーカーは、俺らと交流があるはずもなかった。
そして、結果として紀亜に暴力をふるった犯罪者となり、オレにもホワネスにも今後一切かかわらないことを誓約して示談が成立した。示談金は、紀亜の名義で投資に回した。そのままの金を持っておくのも気持ち悪かったから。
本当なら、裁判にしてでも徹底的に反撃したかった。だが、紀亜自身が事件を公にしたがらなかった。
公にすることで、殴られたり、精神的に追い詰められたりした経験を何度も語ることになるし、何よりホワネスの活動にネガティブなイメージをつけたくないと言われて、矛を収めるしかなかった。
示談が成立した後も、紀亜の心に残った傷は、オレらが思っていた以上に深かった。
オレは家族だからマシだったけど、秀悟はあからさまに避けられていた。
東京の大学に進学、それも、音楽とは全く違う看護師を目指すという選択を、渋々ながらも了承したのは、秀悟を避ける紀亜が痛々しかったからという理由もある。
仕方なく、ホワネスメンバーの奏が居る大学で目を光らせるよう厳命し、セキュリティがしっかりした住居も用意した。
ついでに遮音性も高いところが見つかったので、ここで楽器の練習や楽曲作りができる。
紀亜の安全が確保できるだけでなく、ホワネスの東京進出もしやすくなるし、万々歳だ。
シスコンは事実だ。マザコンよりはマシなハズだ。
「いや。お前ら兄妹で話ができたんなら良いんだ。俺は、今の紀亜と何を話したらいいか分からん」
秀悟はそう言いながら、冷蔵庫から缶ビールを2本持って来た。
ココに来るときに買ってきたものの、学生たちが未成年だったことを思い出して、仕舞ったものだ。
「お、サンキュ。さすがに未成年の集まりで酒を飲むのは憚られたからな。
とはいえ、熱々の美味いギョーザ食いながら、麦茶って一種の拷問だったよ」
笑いながら1本、受け取り、秀悟のアンニュイな横顔を見ながら思った。
あー。
久しぶりに会ったとはいえ、紀亜は今ひとつよそよそしかったし、こいつもそれなりに傷ついているんだった。
「そういや、秀悟とこうやってサシでのんびり飲むなんて、あんまりないな」
プシュッとプルタブを空けて、考えてみると、こうやって修吾と話すのは大人になってからは本当に久しぶりだ。
高校2年で白血病が再発する直前にこいつが転校して来て以来だから、出会って14年か。
翌年、まだ治療は続いていたけど、二人でバンドを結成した。
家庭にあるのよりも大きくてうるさい、本気の空気清浄機のあるクリーンルームから、オレは秀悟と何度も電話やらPCのチャットやメールでやり取りをした。
おかげで、音楽だけじゃなく通信機器にも詳しくなった。PCの扱いにも。
それが、今の飯の種になっているんだから、人生は分からんもんだ。
病室に小型のキーボードを持ち込んで、イヤホンつけて作曲した。
最終的にはギターも持ち込んだ。オレの気が狂いそうだったから。
音楽に触れている間だけは、「生きている」って思えた。歌詞も曲調も攻めているものが多くて、まあ、思春期の黒歴史の一つだが、今のオレを形作る一部でもある。
当時のバンド名は、Strawberry Baroness。
秀悟は母国に戻ればお貴族様だ。本名はヒューゴ リアム バークレイ。バンドでの呼び名はミドルネームを使っている。
母親が女男爵。その家の三男坊だ。
事情があって親戚の居る北海道の苺農家に身を寄せた際に、帰化した親戚に合わせて場暮秀悟と名乗っている。
コイツが生産する苺は、母国へ輸出して、人気があるそうだ。
奏がバンドに参入することになって、バンド名をWhite Strawberry Baronessに改名した頃から白苺も生産するようになり、母国でも喜ばれているとか。
秀悟としたら、オレに紀亜との関係をとやかく言われたくないだろうけど、こういう機会もなかなかないから、聴いてみるかなあ。
「で、久しぶりに会った紀亜はどうだった?」
「……話題、替えたい意図をわかって戻しやがったな。……はあ。逃がしてはくれないか。
どうもこうも、いつ会っても、可愛いとしか思わん」
コイツ、困った顔しながらのろけてきやがった。
「おまえ、何で紀亜なんだ?身内としたら、そりゃ、オレは妹だからめんこいと思うけど、客観的に見たら顔なんて十人並みだろ」
オレは煽るつもりでワザと紀亜の外見を下げた言い方をした。
「人類の顔なんて、眼が二つに鼻が一つ、口が一つで顔の左右に耳があるのは、万国共通だ。
だが、紀亜は可愛い。誰が何と言っても可愛いよ」
どうした!もう酔っぱらったのか?自分で振った話だが、飲まずには聴けない。
オレは、スカした髭の親父がトレードマークのウイスキーを、氷を入れたコップ2つに入れ、炭酸を注いだ。
「俺が紀亜に初めて会ったのはさ、お前が入院前に学校を休んだろ。そん時だ。
担任に言われて俺がプリント届けに行ったの覚えてるか?」
何となく覚えてる。
コイツは出会った当初、今以上に口下手で、今以上に外人っぽかったから、周りも遠巻きにしてた。
「担任もさ、考えたんじゃない?異分子みたいな俺をどうにかしなきゃ、って。で、クラスの人気者の相良理久くんに丸投げしたかったんだと思うよ」
まあ、確かに、適当なおっさんだったよな、担任。
休み始めた当初は、まだ、白血病の再発の診断には至っていなかったからな。
直ぐ学校に戻ってくると、誰もが思っていた。学校に戻ったオレが異分子の場暮くんのお世話することに期待したんだろう。
本当にいい加減な教師だった。でも面倒見が良かった。
だから俺も入退院を繰り返しながらも、なんとか3年で卒業できた。
「家の方向が一緒とはいえ、決して近所じゃねえのに。北海道なんて、5キロ、10キロはご近所だ!なんて言いやがって。
『なんで俺が』ってふてくされながら、お前ん家に行ったんだよ。そしたら、玄関から飛び出してきたのが紀亜だった。飛び出して来たって言うか、俺の腕の中に飛び込んできた」
何ソレ。その話、知らない。そこのところ、もうちょっと詳しく。
「紀亜は、『おにいちゃんは、りっくんの げんきをすいとる わるいやつを やっつけてくれる ゆうしゃさま ですか?!』ってさ」
秀悟の高い声、初めて聴いた。ガキの頃の紀亜の真似か。
ゆうしゃーー勇者な。
んー?昔からコイツはがっしりした体形だが、顔は整ってるから、王子様でも良いんじゃね?
それにしても、「りっくんの げんきをすいとる わるいやつ」とは?
「お前の病気のことだって、後から気付いた。幼いながらに気付くものがあったのかなと」
思い出してきた。オレは知らされてなかったけど、再発の可能性を聞かされてた親がオレにかかりっきりだった頃だから、寂しくて絵本とか空想の世界に入ってたのかもしれない。
秀悟は当時を思い出したのか、笑いながら話し続けた。
「小さな女の子の空想と言ったら王子様だからさ、『王子様じゃないの?』って訊いたんだ。
そしたら、『おうじさまは、りっくんだよ。だって、のーあは、おひめさまだから。ゆうしゃさまは、わるものを やっつけて、おひめさまと けっこんするんだよ』だってさ」
そうだった。
紀亜、ちいさい頃は「り」の発音が出来なくて、一人称が「のーあ」だった。バンドでの名前のNOHAは、ソコから来てる。
それにしても、出会って数分でプロポーズ。それも妹から!なんだか、いたたまれない。
「その時にな、紀亜の顔見て、『ああ、この子に出会うために、俺はこの国の、この土地に来たんだ。何なら生まれてきたのも、この子に出会うためだったんだ』と思っちまった」
「……お前、ちょろ過ぎないか?
そもそも、当時の紀亜は4歳か5歳だろ。お前、ロリコンだったのか?」
だとしたら、オレ、引く。そして変態の魔の手から妹を守らねばならん!
「俺も、自分を疑わなくもなかったけど、街中で他の子ども見てもなんとも思わん。今でもそうだ。
だけど、紀亜は別だ。何していても、お前が言うところの『めんこい』だ」
ふうん。紀亜のこと、そんな風に思っていたのか。
秀悟は、紀亜を精神的にも暴力でも害したストーカーには、オレと同じかそれ以上に怒りを持っていた。
だから事件の後、敏腕弁護士を雇って徹底抗戦の構えを見せた。
法廷闘争になれば、ホワネスも紀亜も無傷じゃいられないからと、紀亜が泣きながら諫めたことで、渋々だったが納得たんだった。
「現代日本ではさ、どんなに無礼を働かれても、首をはねるわけにいかないだろ。それなら、社会的に抹殺するしかないかなと思った」
茶化すこともできないくらい、この男の怒りが伝わってきた。
首をはねるって……そういやコイツは異国の貴族令息だった。
秀悟の思考が、ダークサイドに落ちる前に話題を替えよう。
「小腹が空いたな」
あれだけ食べたのに?と秀悟に呆れられながら、つまみになりそうなものを探した。
だが、冷蔵庫の中には、調理をしなければ食べられない物ばかりだった。
お、ちくわがある。これなら、そのままでも良い。小鉢に入ったツナマヨまであるから、キュウリに付けて食おう。野菜食わないと怒られるからな。
寝ている紀亜を起こさないためにも、何か静か食べられるものは無いかと、食料の入っていそうな棚も物色するとーーおっ!あるじゃないか、鮭とば。
乾きものだし、食べるのに音も出ないし、これなら食ってしまっても、紀亜に怒られることはないな。
アイツ、料理に使おうと思っていたものや、あいつの分のスイーツを食ったりすると、すげえ、怒るんだよ。
鮭とばを齧る。すると口の中に磯の香りと一緒に鮭のうまみがじんわりと沁みだしてくる。
これ、美味いヤツだ。ラッキー。
2杯目のハイボールをチビチビ飲みながら、鮭とばを堪能していると、秀悟がPCを立ち上げて、音量を絞って音楽をかけた。ホワネスの初期のころの曲だ。
「やっぱり、紀亜の声も歌い方も良いな。理久との相性もいい」
「そりゃ、兄妹だからな。オレも、やりやすいし」
ライブハウスとかでは、他のアーティストと即興コラボで演奏することもあった。
でも、阿吽の呼吸というか、紀亜とのセッションは、打ち合わせをしていなくても強弱とか高低とか俺の欲しいときに欲しい音をくれる。
「惜しいな、このまま歌わなくなるの」
オレが考えていたことが、そのまま秀悟の口から出てきた。オレも秀悟も紀亜のNOAHとしての復帰への期待と、紀亜のやりたいことを優先させたい気持ちで葛藤している。
オレは、秀悟のPCから流れる音を止めて、自分のスマホを操作した。
スマホから流れるのは、先日、紀亜と奏から送られた音源をリミックスした紀亜の歌声。
エアコンの吹き出し口から冷えた空気が流れる音しかしない静かなリビングに、夜空の星に幸せを願う澄んだ歌声が響く。
秀悟と二人、しみじみと聴き入っていると、幼い紀亜の歌声が流れる。
「これは、アレか……」と、秀悟が微妙な顔をする。
そう、入院中の俺を元気づけようと、紀亜が初めて作詞作曲した楽曲。
オレの宝物だけど、成長した紀亜からは、恥ずかしがってデータの消去を求められた楽曲だ。
もちろん消さない。今日、本人からの許可ももらったしな。この言葉のチョイスとか、俺にはない感性なんだよ。
「いいなぁ……。オレも紀亜に曲を作ってもらいたい」
そうだろう!羨ましいだろう!
「まずは、お前が曲作ったらどうだ?
実はラブソングの依頼が来てる。今なら、それなりのが作れるんじゃないか?」
オレはまたしても、秀悟を煽るように言った。
「『それなり』の楽曲なんて、表に出すつもりもないくせに、よく言うよ。
……まあ、今ならラブソングを聴きたい気持ちもわかるから、チャレンジしてみるよ」
「お、意外と乗り気。いいねぇ。
ただ、時間、作れんの?苺農家は一年中忙しいだろ?
ホワネスの東京進出に向けて、苺農家の仕事、縮小するのか?」
「いや、女男爵の逆鱗に触れるから、収穫量を減らすのはナシだな。
俺の労働時間を減らして、収穫量を維持するために、今回の上京で機械化の話を進めるつもりだ。
明日以降は、KAIROSと具体的に打ち合わせの予定を入れてる」
KAIROSって、紀亜の大学のある医療特区を作ったAI企業か。
秀悟も色々考えてるんだな。オレも、ホワネスのために出来ることをしていこう。
男二人でしみじみと杯を重ねながら、スマホからは、相変わらず紀亜の歌声が流れている。
「紀亜――楽曲提供だけでもしてくれないかな……」
俺が考えていたことが、また、そのまま秀悟の口から出てきた。ほんと、それな。




