17
ルディガーを見送り、アイヴァン様と二人きりになってしまった。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返り、背後には感じたことの無い威圧感……自然と体が強ばり振り返ることが出来ない。
初めてルディガーの有難みを知った。
だが、こうなったのも全て自分の責任。自分ケツは自分で拭くと決めたじゃない。ここで怯んでは駄目よ。
キュッと唇を噛み締め、勢いよく振り返ると同時に頭を深く下げた。
「アイヴァン様、短い間でしたが至福な時間を過ごさせていただきました」
「は?」
この関係を終わらせる言葉にくちびるが震える。
「貴方様との時間は本当に夢のようでございました。これからは別々の……」
泣かないと決めて来たのに、やっぱり無理。涙が込み上げてきて、言葉に詰まってしまう。
(最後の最後までみっともない…)
アイヴァン様に叱られ、呆れられ…どうしようもないな……出来ることなら今すぐ消えてなくなりたい。
卑屈になる言葉しか出てこず、顔を俯かせて涙を引かせようと必死。
「ちょっと待て!君は何を言っているんだ?」
急に肩を掴まれ、近距離で詰め寄られた。焦りと驚きで、声量が大きくなっている。
「え?なにって…婚約破棄するんですよね?」
「何故そんな話になってる!?」
「いや、私の醜態を考えれば当然かと…」
「はぁぁぁぁ~……」
盛大な溜息と共に頭を抱えてその場に崩れるようにしてしゃがみこんでしまった。
(あ、れ?)
この時点で何かがおかしいと察する事は出来たが、何がおかしいのかは分からない。
(え?あれ?)
目を白黒させ困惑していると、フワッと体が浮いた。アイヴァン様に抱き上げられたと頭が理解したのは、数秒経ってからだった。
「ア、アアアアアアアイヴァン様!?!?!!?!」
決して軽いとは言えない私を軽々と自分の頭より上に抱き上げ、驚く私を見上げてくる。
見つめる瞳は刺さるほどに真剣で、奥には怒りと悲しみを滲ませている。
「俺がいつ、婚約を破棄すると言った?」
「いや、でも…」
真っ直ぐに見つめられ、いたたまれなくて目を逸らしたいのに、それを許さないと言わんばかりに抱きしめてくる。
「君の唯一の欠点は、一人で突っ走るところだ。行動力がある事はいい事だが、時と場合によっては相手を傷付ける事もあると言うことを知りなさい」
「うっ…すみません……」
弁解の余地はなく、ただ素直に謝罪するしか出来ない。
「いい子だ」と子供をあやす様に頭を撫でられるが、いまいち現状が理解できない。
「不満そうだな」
「い、いえ!滅相もない!」
不満はない。あるとすれば戸惑いだけ。
アイヴァン様の言い方だと、婚約は破棄されない?えぇ?あれだけの醜態を晒しておいて?
(この方は神か仏か?)
ジッと見つめていると、アイヴァン様と目が合った。
「あぁ、付け加えておくと、私は君と婚約を解消する気はないぞ。例え、どんな醜態を見せられてもだ」
その顔に嘘はない。
(…あぁ、神だったわ)
まさかの発言に喜びをすっ飛ばして冷静になれた。
「どうした?君なら喜んでくれると思っていたんだが?」
腕の中で大人しい私を心配して顔を覗かせてくる。アイヴァン様にここまで言わせて喜ばないはずがない。
「ほん、とうに?……本当にまだ私は婚約者でいられるんですか?」
すでに答えは出ているが、何度でも確かめたくてアイヴァン様に訊き返した。すると、柔らかな笑みを浮かべ「あぁ」と一言……
「~~~~~ッ!」
涙で視界を滲ませながらアイヴァン様に抱き着いた。黙ったまま背中を撫でてくれる手はいつもよりも熱が籠っている気がした。
幸せを十分に感じているがそれだけでは飽き足らず、大きくて厚い胸板に顔を埋め、鼻を押し当て深呼吸……アイヴァン様の匂いを内側まで感じたい。
変態だと罵られても構わない。変態で結構。アイヴァン様本人がそれでいいと言っているんだもの。その期待に応えてあげなきゃ。と自分の都合のいいように解釈し、力一杯に抱きしめ顔を押し付けていると「…一つ確認なんだが」と声がかかった。
(流石に匂いを嗅ぐのはやりすぎだったか?)
少しの不安がよぎる。
「君は昨夜のことを覚えているのか?」
あ、違ったとあからさまにホッとした顔を見せた。
「えっと…すみません。実は殆ど覚えていないんです」
「そうか…」
正直に伝えると、眉を下げ複雑な笑いを見せた。その顔に引っかかりを感じるが、覚えていないものはどうしようもない。
(あぁ、でもすごくいい夢を見たな)
湯上りの火照ったアイヴァン様や、ちょっとだけ意地悪だったり積極的な一面も見ちゃって……思い出しただけでも顔がニヤついてしまう。
「なんだ?随分嬉しそうだな」
「えぇ、夢見が良くて」
「ほお?どんな夢だった?」
ニヤけ顔が気になったのか、関心を寄せてきた。
「えっと、何故か湯上りでお色気ムンムンのアイヴァン様が目の前にいて……」
「まあ、湯を浴びなければいけない状況だったからな」
「レスターに嫉妬までしてくれて……」
「婚約者がちょっかい出されて放っておけるような人間ではないもんでな」
「………それに、腕枕までしてもらって……」
「可愛くおねだりされたらしない訳にはいかないだろ?」
「……」
アイヴァン様と目が合うと、目を細めてほくそ笑んだ。
(一旦、深呼吸しようか……)
スゥと深く息を吸いこみ、冷静を装いながら話を纏めようと頭を捻った。
おかしいでしょ……アレが夢じゃないなんて事ある?
いや…落ち着くのよミーリアム。まだ決定じゃない。アイヴァン様が揶揄っている可能性だってあるじゃない。
腕を組み、眉間に皺を寄せながら考え込んでいると「クククッ」と子気味いい笑い声が聞こえた。
「君は酔うと泣き上戸になるからな。宥める為にこうして抱きしめたのも忘れたのか?」
夢の再現……いえ、昨夜を再現するように私の手を取り、躊躇なく唇を押し当ててきた。
「ヒュッ」と息を飲んだ所の話じゃない。素面でこの行為は刺激が強すぎる。
「思い出した?」
「……十二分に……」
顔を両手で覆いながら言い返した。




