ルルル・ネフリ――孤独な転送先
転送先は、洞窟の奥にある廃れた遺構だった。
黒い石材。
ところどころに混じる赤い煉瓦のような壁。
建物というより、かつて建物だったものの残骸。
意識が戻った瞬間、鼻をついたのは湿った石の匂いだった。
暗い――。
天井の高い洞窟特有の、音の遠さがある。
自分の呼吸さえ、少し遅れて返ってくるようだった。
洞窟らしい静けさ。
水滴の音も、風の音もない。
……そう思った直後だった。
遠くから、鎖のような音がした。
じゃら。
じゃら。
じゃら。
鎖の音は、少しずつ近づいてくる。
「……状況は最悪、ダナ」
ワタシは立ち上がった。
徐々に大きくなっていく鎖の音。
その正体を確かめるため、逃げるのではなく、むしろこちらから音の方へ近づいていく。
足音を殺し、気配を抑える。
岩陰に身を隠しながら、絶対に気づかれないよう慎重に距離を詰めていく。
そして、そっと覗き込んだ先。
そこにいたのは――黒い鎧をまとった、二足歩行の妙獣だった。
胴から下は、大柄な人間に近い。
けれど、首から上がない。
頭があるべき場所からは、ぐにゃりとした細長い器官が伸びている。
それが、空気を探るように揺れていた。
片腕には鎖。
あれが音の正体だろう。
だがその先についているのは、鉄球でも刃物でもなかった。
人間の頭部に似た、丸い塊。
そこから、髪のような棘が全方向へびっしり生えている。
髪に見える。
けれど質感は髪ではない。
硬く、鋭く、触れれば皮膚を裂かれそうなものだった。
振首ギロスカル。
後に、そう呼ばれている妙獣だと知った。
しかしその時のワタシに分かったのは、ただひとつ。
――気持ち悪い。
それだけだった。
鎖が引きずられる。
じゃら。
じゃら。
じっと様子を窺っていた矢先。
その異形は、何の前触れもなく鉄球を振り回した。
「――マジカッ!?」
隠れていたはずだ。
見つかるはずのない位置から覗いていたはずだ。
なのに、そいつは正確にこちらを狙ってきていた。
ワタシは咄嗟に横へ跳ぶ。
頭球が遺構の壁に叩きつけられ、髪のような棘が石材を削った。
頭がない。
目もない。
それなのに、こちらの位置を捉えているのだ。
ならば、おそらくあの首元から伸びている器官だ。
視覚ではない何かで、こちらを探っている。
一度距離を取る。
体勢を立て直した後、魔法で氷の腕を生み出す。
振り抜いた氷の拳が、少し離れた位置からギロスカルを叩き飛ばした。
黒い鎧が鈍い音を立てて砕ける。
その中から、白く乾いた骨のようなものが散った。
――倒せた。
そう思い一安心したところで、今度は別の方向から鎖の音がした。
じゃら。
じゃら。
さらに別方向からも。
じゃら。
じゃら。
「……無限に湧くやつカヨ」
さっきは一体分の音しかなかった。
なのに、またいる。
しかも複数だ。
倒しても、この区域にいる限り湧き続ける。
こちらの生体反応に反応して、引き寄せられ、殺しにくる。
そういう仕組みだと、すぐに分かった。
戦っていても埒が明かない。
怒りも、悔しさも、裏切られた痛みも。
その時だけは全部邪魔だった。
生きる。
まず、生きる。
それだけを考えた。
ワタシは遺構を駆け抜けた――。
氷で足場を作り、壁を蹴り、鎖を避ける。
立ちはだかる個体は氷腕で殴り飛ばしながら、ひたすら進んだ。
そうして、どうにかギロスカルの湧出域を抜けることができた。
けれど、それで終わりではなかった。
洞窟そのものが広すぎる。
どこが出口なのか分からない。
地上へ続く道があるのかも分からない。
どれくらい洞窟を彷徨ったのか、よく覚えていない。
五日か。
一週間か。
もっとか。
水は洞窟内の滴りを拾って飲んだ。
食べ物は、途中で見つけた虫や、食用にできそうな小型の妙獣を焼いて食べた。
味は、そこまで悪くなかった。
足元は悪い。
明かりは乏しい。
眠れば妙獣の気配に起こされる。
それでも、ワタシは進んだ。
やがて、洞窟の雰囲気とは明らかに異なる場所を見つけた――。
さっきの黒い遺構とは違う。
木造遺構。
そう呼ぶのが一番近かった。
巨大な洞窟の中なのに、そこだけ床も壁も木でできている。
古びた廊下。
軋む床板。
腐った木の匂い。
そして、天井や壁には、ところどころ黒い糸のようなものが張り巡らされていた。
その黒い糸が何を意味するのか。
ワタシは、すぐに思い至る。
ここは、幼人蛛と呼ばれる、また別の妙獣の縄張りだった。
人間ほどの大きさの蜘蛛。
ただし、顔は人に近い。
人間の顔の配置を残したまま、表情だけが虫になったような気味悪さがある。
壁を這う。
天井を這う。
床を這う。
音もなく近づいてくる。
ワタシはそれを蹴り飛ばし、氷で潰し、時には逃げながら進んだ。
そして、出口へ続きそうな道を見つけた時。
その道を塞ぐように、その大型妙獣がいた。
『蛛面鬼』
特定指定妙獣にも登録されている個体。
幼人蛛をそのまま何倍にも膨らませたような姿。
人と蜘蛛が混ざったような、大型妙獣だった。
幼人蛛と同じく顔は蜘蛛ではなく、人に似ている。
六本の脚がある。
いや、脚ではない。
手だった。
人間の手。
指のある手が、虫の脚の角度で六本生え、壁と天井を掴んでいる。
顔は、笑っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見えた。
全部が混ざっていて、どれでもなかった。
「趣味の悪い見た目だとは思ってたケド、大きくなるとより気持ち悪ィナ!」
ワタシがそう吐くと、蛛面鬼は返事の代わりに毒を吐いた。
かわしきれなかった。
腕に少し浴びただけで、そこから痺れが走る。
呼吸が重くなる。
命力の流れが鈍る。
まずい。
そう判断して、一度退いた。
出口らしき道には、蛛面鬼がいる。
突破したい。
だが今の状態でまともにやり合えば、分が悪い。
ワタシは木造遺構の隅にあった小部屋へ身を潜めた。
妙獣の気配が薄い場所だった。
壁にもたれ、息を整える。
「……どうしたもんカナ」
少し休息をとりつつ、そう呟いた時だった。
幼人蛛が一匹、入口から部屋に入ってきた。
毒や疲労もあって、気づくのが遅れた。
そいつはワタシを見つけ、じっとこちらを凝視した。
そして、口を大きく開く。
鳴く気だ。
鳴いて巣主を……蛛面鬼を呼ぼうとする気なんだ。
「ヤバい――」
咄嗟に身を起こそうとした、その瞬間。
入口を、炎が走った。
幼人蛛が焼かれ、吹き飛ぶ。
続けて、足音。
そしてさっきまで幼人蛛がいた、小部屋の入り口には、一人の少女が立っていた。
薄暗い空間の中で、輝く菫色の髪がやけによく映えている。
手には、禍々しい魔杖。
見た目だけなら、完全に悪役だ。
いや、悪魔と言ってもいいかもしれない。
……助けてくれた相手に抱く感想ではないが。
「わっ、こんなとこに人いたんだ!?」




