ルルル・ネフリ――もう一つの始まり
ワタシが生まれ育ったのは、世界の中央からは遠く離れた、広い水辺に面した土地だった。
アルクメリア地方・商港都市ローニア。
海なのか、巨大な湖なのか。
幼いワタシにはよく分からなかった。
ただ、見渡す限り広い水面があって、その水辺に沿うように街が広がっていた。
世界の端っこなんじゃないか、なんて思わせられるような場所。
坂道が多く、石造りの家々が段々に並ぶ。
細い路地の先に、急に水面が見えたりする。
朝になれば、港の方から荷車の音が響き、魚と湖と焼いたパンの匂いが風に混ざって流れてくる。
港町らしく、漁や船に関わる仕事で暮らす人が多かった。
パパも、そのあたりの仕事に関わっている人だった。
だが、この街の話題は水辺のことばかりではない。
近くには、洞窟の入口がいくつもあり、探索や採掘、資源回収で食べている人たちも多かった。
港と洞窟。
その両方で成り立っているような街だった。
そんな土地で、ワタシは育った。
ママはすごく穏やかな人だった。
声を荒げるところを、ほとんど全く見たことがない。
ワタシが転んだ時も、何かを壊してしまった時も、必要以上に騒がなかった。
「だいじょーぶだいじょーぶ。失敗は誰にでもあるからね~。
いくらでも失敗すればいいんだからね」
そう言って、いつも撫でてくれた。
感情が薄いわけではない。
ただ、どんなことが起きても一度受け止めてから微笑む人だった。
パパは、どちらかというと逆だった。
声が大きい。
身体も大きい。
笑う時も大きい。
ママが静かな陽だまりみたいな人なら、パパは家の中を明るく照らすような人だった。
家族が好き。
ママが好き。
ワタシのことも好き。
その気持ちを、恥ずかしがらずに全部外へ出す人だった。
ワタシの背が伸びたのは、たぶん、というか絶対パパ譲りだ。
幼いころから同年代より大きく、十を過ぎる頃には周囲の子どもより頭ひとつ分は抜けていた。
ただ、身体よりも周りから浮いていたのは、たぶん頭の方だった――。
ワタシは、子どもの年齢に対して賢すぎた。
賢い、というより、妙に分かってしまうことが多かった。といった方が正しいだろうか。
大人の言葉の裏。
道具の仕組み。
人の表情。
人が集まっている場の空気。
普通の子どもなら気にせず流してしまうようなものに、いちいち引っかかる。
それもそのはずだ。
この身体の中にいる自分は、ただの子どもではない。
この自我の年齢は、とっくに子どものそれを超えているのだから。
ある日。
近所の大人が家へ来ていた。
仕事で使っていた携帯用の照明魔品が、どうしても点かないらしい。
パパは手先が器用だったので、時々こうやって簡単な修理を頼まれていた。
「参ったな。こりゃ駄目だ。
外側の作りが壊れているわけじゃない。たぶん、組み込まれてる命式術の方に問題がある」
「……そうですか。もともと正規品として買った代物じゃなかったですし、素人が見よう見まねで術式を書いたものなのかもしれませんな」
「力になれずすまないな」
パパと客人が困ったように頭を掻く。
その様子を、ワタシは横で静かに見ていた。
そして、見ていて何となくわかった。
この魔品に刻まれた命式術の、どこがおかしいのか。
区切りが閉じていない。
呼び出す側と受ける側が噛み合っていない。
流れが途中でねじれて、命力が先へ通らなくなっている。
まだ言葉にできるほどしっかり理解していたわけじゃない。
ただ、パッと見て、違和感があった。
プログラムのコードを追って、エラーの原因箇所を探す。
そんな感覚に近かった。
「ここ、術式が間違ってるよ。ちょっと貸して、パパパ」
そう言って、ワタシは指を伸ばした。
そしてそのまま、不良品の魔品に組み込まれていた命式術へ手を加えた。
ほんの少しだけ。
足りない箇所を繋ぎ直すように。
それから、客人にもう一度魔品を渡す。
客人がおそるおそる力を込めると、部屋の中がふわっと明るくなった。
パパも、その客人も固まった。
少し離れたところで見ていたママだけが、困ったように笑っていた。
「……ルルル」
パパの声が、分かりやすいくらい揺れていた。
「お前……す、すごいな。どうやったんだよ」
普通に答えればよかったのかもしれない。
でも、その時の大人たちの顔を見て、ワタシは理解した。
――これは、普通じゃない。
子どもがすることではない。
子どもが言うことではない。
子どもが当たり前のようにできるものではない。
だから、ワタシは笑った。
「えー? なんとなくダヨー。タマタマタマタマ。
ワタシ、天才カモ!?」
わざと、ふざけた言い方をした。
「は、はは! そうか、たまたまか! いや、それでもすごいぞルルル!」
パパも、客人もぎこちなく笑う。
その返答はワタシへ向けたものというより、自分に言い聞かせることで、今起きたことを無理やり飲み込もうとしているようにも聞こえた。
「いや~、面白い偶然もあるもんだな!」
「ハハ」
空気が、少し緩んだ。
そこで、ワタシは学んだ。
普通に答えると、気味悪がられる。
でも、ふざけていれば笑ってもらえる。
賢すぎる子どもは異物になる。
けれど、変な子どもなら、まだ笑い話になる。
なら、ワタシは道化でいい。
だから少なくとも、この身体がある程度成長するまでは、わざと少し抜けた子どもを振る舞うことにした。
最初は、演技だったのだ。
賢すぎる子どもとして見られないため。
赤子の頃から続く、この正体不明の自我を悟られないため。
周囲から気味悪がられないための、ちょっとした防御。
「違うヨー」
「大丈夫ダッテ!」
「ちょっと知ってただけダヨー」
でも気づけば、それがワタシの喋り方になっていた。
自分のことをワタシと呼び始めたのがいつなのかも、もう分からない。
前の自分もそうだったのか。
この世界に来てからそうなったのか。
ルルルとしての自分と、ルルルではない誰かの境目も、少しずつ曖昧になっていった。
けれど、それは正直もうどうでもよくなっていた。
ワタシはルルルだった。
少なくとも、周りはそう呼んでいた。
だからワタシも、それに応えるようにした。
名前も思い出せない誰かよりも。
何をさがしていたのかも分からない過去よりも。
ここで笑ってくれる人たちの中で、ルルルとして生きることにした。




