↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2人の贖罪-世界+ ~命《いきる》を選んだその先は~  作者: 【表現者のツボミ】/ようかの夜
第2章 求める者と阻む者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/93

ルルル・ネフリ






 ――ワタシは誰なのだろう。



 そもそも、自分のことをワタシと呼んでいたのかさえわからない。


 ただ、今の自分にはそれが一番しっくりくるというだけ。






 ✦✧✦






 さがしていた。


 ずっと、何かをさがしていた――。



 夜だった。


 湿った土の匂いがしていた。

 木々の間を抜ける風が、濡れた葉を擦らせる音がした。

 遠くで水が落ちるような音も聞こえた。

 それが小川の音だったのか、崖下のどこかで雫が滴っていただけなのか、今となってはもう分からない。



 ただ、暗かった。


 人の気配がある場所からは、もうずいぶん離れていた。

 街灯なんてものはない。

 手に持った小さな明かりだけが、頼りなく足元を照らしていた。


 けれど、その明かりも徐々に弱くなっていく。

 残りがどれほど持つのかも分からなかった。



 いわくつきの場所――。


 そんな噂がある場所だった。



 誰もいないのに女の声が聞こえる。

 幽霊が出る。

 来たはずの道が消える。

 ここではない、まるで別の世界のような場所に繋がっている。


 そんな噂だけが、湿気みたいに溜まっている場所。



 馬鹿みたいな話だ。


 けれど、そんな風聞(ふうぶん)を信じていた人がいた。

 いや、信じていたというより、信じたかったのかもしれない。




「―――!」




 名前を呼んでいた、と思う。


 たしかに、誰かの名前を呼んでいたはずだった。



 けれど、その音だけがはっきりと思い出せない。


 喉の痛みは残っている。

 何度も何度も叫んだ感覚はある。

 胸の奥が焦げるような焦燥も、まだそこにあった気がする。


 なのに、名前が欠けている。


 まるで記憶の中で、その一音だけが黒く塗り潰されているみたいに。




「どこだよ……!」




 そう叫んでいた。




「返事しろよ!」




 返事はなかった。


 木々の影が揺れる。

 暗がりの奥で、何かが動いたように見える。


 近づいてみれば、ただの枝だった。

 揺れる草だった。

 風でずれた影だった。


 足元は悪い。


 ぬかるんだ土。

 苔の生えた石。

 落ち葉の下に隠れた段差。


 昼間なら簡単に避けられたはずのものが、夜の闇の中ではただの黒い穴に見える。



 こんな場所にずっといたら、頭がおかしくなってしまいそうだった。



 それでも、止まれなかった。


 早く見つけなければいけない。


 なぜそこまで必死だったのか。

 なぜ一人でこんな場所まで来たのか。

 なぜ、放っておけなかったのか。


 その理由はもう曖昧だ。


 けれど、奥の方に感情だけはまだ残っている。



 見つけなければ。


 手を、取ってあげなければ。


 まだ間にあうはずだ。



 そう思った。その時だった。


 足元が崩れた――。




「――っ!?」




 地面があると思って踏み出した場所に、地面がなかった。


 土が滑る。

 小石が跳ねる。

 バランスを崩した身体が、そのまま前に傾く。


 咄嗟に手を伸ばした。


 指先が細い枝を掴む。


 けれど、その枝はあまりにも頼りなく、簡単に折れた。



 世界が傾く。



 足が空を蹴る。


 ありもしない足場を探して、何度も虚しく宙を掻く。



 落ちていく。



 その事実だけが、遅れて頭に届く。


 肩が岩にぶつかる。


 痛い。


 けれど、そこを押さえる余裕なんてない。



 次に背中。

 次に膝。

 ついには、どこかで腕が嫌な方向に曲がった気がした。



 闇と岩肌と枝葉と夜空が、ぐちゃぐちゃに入れ替わる。


 何にぶつかっているのかも分からないまま、身体だけが斜面に削られていく。



 叫ぼうとした。


 けれど、声になる前に、全身が何か硬いものへと叩きつけられた。



 落下が止まった。



 世界も止まった。



 全身の感覚が、遠のいていくような感覚。


 視界の端に、赤いものが広がっている。


 最初は、それが何なのか分からなかった。

 だが少し遅れて、自分の血だと理解する。


 理解した瞬間、痛みが一気に押し寄せた。




「ぁ……ッ…!」




 息ができない。

 身体が動かない。

 意識だけが、暗闇の底でかろうじて繋がっている。


 何もできず、流れ出す自らの血をただ眺める。



 赤い筋が地面を伝い、それが地面に刻まれた謎の模様に触れたのが見えた。


 見たことのない紋様だった。


 魔法陣。

 そんな言葉が頭をよぎる。



 複雑な線。

 円のような図形。

 記号のような文字のような、読めそうで読めない何か。



 自分の血がそれに触れたのと同時に、紋様が呼応するように光ったように見えた。



 意味が分からなかった。


 だがそれが何なのかを考える前に、ワタシの意識はそこで途切れた。



 さがしていた名前を、もう一度呼ぼうとした。



 けれど、それはもう声にはなってくれなかった――。






 ✦✧✦






 次に目を開けた時、ワタシは赤子だった。



 最初は、意味が分からなかった。




「……?」




 視界がぼやけている。

 天井らしきものが見える。

 誰かの顔らしい影が、ぼんやりと近づいてくる。


 身体が、思った通りに動かない。


 手を動かそうとしても、指は短く、力も入らない。

 喉から声を出そうとしたら、言葉ではなく情けない泣き声だけが出た。



 なんなんだこれ。



 そう思った。


 赤子の身体の中で、赤子ではない何かが、そう思っていた。


 明らかにおかしい。

 普通に考えれば、理解できる状況ではない。


 けど、どこかで聞いたことがあった。


 身近にいた人が、好んで見ていた物語。

 なんとなく横で眺めていた、ファンタジーだとか異世界だとか、そういう話。


 記憶は曖昧だった。

 けれど、その概念だけは残っていた。


 これは、いわゆる“転生”と呼ばれるものなのだと。

 そう理解するまでに、あまり時間はかからなかった。




「あ、目が覚めたのね~。ルルル」




 女の人の声がした。


 柔らかい声だった。


 大きくもなく、急いてもいない。

 ただ聞いているだけで、こちらの呼吸まで穏やかになるような声音。

 焦りも、騒がしさもない。


 この人が、母親らしい。




「おお、起きたか。ルルル、ほら、パパパだぞー!」




 今度は大きな顔と、大きな声が覗き込んできた。


 図体のでかい男だった。

 目尻に笑い皺があり、口元がだらしないくらい緩んでいる。


 大きな手が、こちらへそっと伸びてくる。



「べろべろべろ~」



 何をしてるんだ、この人は。


 そう思ったけど、口から出たのは泣き声だった、

 父親らしきその人は、なぜかものすごくうれしそうに笑った。



「おお、元気だなぁ。いいぞいいぞ。いっぱい泣いて泣きまくれ、泣き散らかせ。

 でっかくなれよ~」



 隣で母親も小さく笑う。



「この子、あなたに似たら本当に大きくなるかもしれないわね」

「身長抜かれちゃったりしたらちょっとへこむかもな~。

 でも、元気に大きく育ってくれるのはいいことだ!」

「この子が大きくなりたいって思うかは分からないけどね~」


「思うさ。な、――ルルル」



 そう言って、父親がまた顔をぐいっと近づけてくる。



 ルルル。



 それが、この身体のワタシに与えられた名前らしかった。


 でも、この身体の中にいるワタシは、本当にルルルなのだろうか。

 ワタシではないワタシの意識が、確実にある。



 ワタシはいったい誰なんだろう。



 ルルルなのか。

 それとも、別の誰かなのか



 名前も、顔も、住んでいた場所も、どんな声で話していたのかも、ほとんど思い出せない。

 ただ、何か大事なことをしていた気がする。


 何かを。

 ……誰かを。

 さがしていた、気がする。


 でも、それが何だったのかはもう分からない。



 胸の奥に、空洞のようなものだけが残っていた。



 そこに何が入っていたのか分からないまま、ワタシは『ルルル・ネフリ』としての人生を生き始めた――。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。