不可解な一撃
「――アイトくんのこと、お願い」
「ルピーナ!」
ブラドリーナが倒れてすぐ、止める間もなくルピナスは飛び出した。
魔杖を握り、ヴァルへ向かう。
ルルルは短く息を吐き、オレの前に立った。
「できるだけここから離れるナヨ」
「でも――」
「離れるなよ」
その声は、今まで聞いたことがないくらい硬かった。
ルルルは巨大な氷の腕を二本、オレの傍に残すように生み出す。
「なにか来たらワタシがこれで防ぐ。
オメェはとにかく生き残ることだけ考えてロ」
その頃、ルピナスはブラドリーナの傍で茫然としているオルディアンを庇うように、ヴァルの前へ出た。
オルディアンが顔を上げる。
その目は、信じられないものを見るような目だった。
さっきまで自分が、激しく敵意を向けていた相手。
ブラドリーナを襲おうとしていると思い込み、決めつけた派閥。
そのルピナスが、今、自分を守ろうと前に立っているのだから。
「……な、んで」
掠れた声で呟く。
全部を言葉にはしていない。
けれど、何を聞きたいのかは分かった。
「――なんで、自分を助けるのか?」
ルピナスは答えない。
ただ、まっすぐヴァルの方を向いて魔杖を構えた。
それを見て、ヴァルは肩を揺らして笑う。
「おいおい、さっきまでバチバチやりあってたくせに、急に仲良しごっこが始まるのかぁ?」
「喋るな」
冷たく言い放ったルピナスの杖の先には、炎が集まり始める。
「アンタは絶対、ここで止める」
「ケッ。熱烈な求愛だなぁ。欲情しちゃうぜぇ」
ヴァルが妖しい笑みを浮かべながら言う。
ゆっくりと歩きながら。
「さっきから言動が気持ち悪ぃんだよ! このゲス悪党がっ!」
「悪党だぁ? 面白くねぇ冗談だぜ」
そこで、ヴァルの笑みが少し薄くなった。
「質が悪いのはてめぇらの方だろ」
「はぁ?」
「だって恩寵持ちはいいよなぁ?」
ゆっくり歩きながら、ヴァルが問い詰めるように続けた。
「世改の書を手にする資格があるんだ。こちとら、仮に書を見つけたところで意味がねぇんだぜぇ?
できるのはせいぜい、てめぇらに書が渡らないように潰すことくらいだ」
その言葉を受けて、ルピナスの表情が険しくなる。
「不公平だと思わないかぁ? なぁ?」
「ルピナたちが何を求めて、どう行動しようが自由でしょ?」
ルピナスが強気に返す。
「それで誰かに迷惑をかけてないなら、何も問題はないはず」
「あぁ? 自由だぁ? 何言ってんだてめぇ」
ずっとニヤついていたヴァルの笑みが、そこで消えた。
表情が抜け落ちる。
その顔は、笑っている時よりもずっと怖かった。
「弱者が、人権をほざくんじゃねぇ」
その言葉が最後まで落ちた後、一拍置いてヴァルが踏み込む。
「――っ?」
速い。
これまでずっと舐めるようにゆっくり動いていたせいで、その速さが余計に異常に見えた。
ヴァルは一気にルピナスとの距離を詰める。
そのまま、首根っこを掴むように手を伸ばした。
ルピナスは咄嗟に風を起こし、自分の身体を横へ押し出す。
間一髪でかわした。
ヴァルの拳が空を切る。
そう見えた。
だが、その拳が通っただけで、空気が震えた。
――その直後。
攻撃を避けたはずのルピナスが、横から巨大な衝撃を受けたように吹き飛ばされた。
「がっ……!」
石床に叩きつけられながらも、ルピナスはすぐに杖を突いて体勢を戻す。
「人権を語れるのは強者だけだ」
ヴァルは、異様な確信に満ちた声音で続けた。
「いい奴でも、誠実な奴でも、ルールを守ってる奴でもねぇ。
強者だけが、世界を自由に生きられる――」
「るっさい……!」
ルピナスが歯を食いしばり、杖先を向ける。
そこから、炎の奔流がヴァルへ放たれた。
だが、ヴァルは高く飛んでかわす。
そのまま着地する前に、ルピナスへ襲い掛かろうと迫りくる。
「――それがぁ、この世の理なんだよ!」
着地と同時に、ヴァルはまた笑みを浮かべた。
しかし、ルピナスも止まらない。
ヴァルが降り立った瞬間、その足元の石床が隆起する。
鋭い岩の牙が突き上がった。
ヴァルはそれを避けるために、再び瞬時に上へ跳ねる。
そこを狙って、ルピナスが魔法を重ねた――。
炎の奔流。
風の旋回。
雷の閃撃。
三方向から、別々の魔法がヴァルを挟み込むように襲いかかる。
空中にいる以上、普通なら軌道は変えられない。
必中。
そう思った――。
けれど、ヴァルは空中で身体を捻った。
まるで、踊るように。
片手を下へ、片足を上へ流し、攻撃の交点に掌を置く。
――そして、その掌から炎を噴かせた。
爆ぜるような炎の反動。
それを利用して、ヴァルの身体が空中で軌道を変える。
3つの魔法は、虚しく交差した――。
「くっそっ!」
「ケッ」
ヴァルが、余裕を見せつけるように口元を歪めた。
その瞬間。
巨大な氷腕が、彼の死角から振るわれた。
ルルルだ――。
氷の拳がヴァルを捉え、そのまま石壁の方へ叩き飛ばす。
ルピナスの攻撃が逸らされた隙を、ルルルが埋めた。
ルピナスが崩せなければ、ルルルが拾う。
ルルルが作った隙に、ルピナスが次を狙う。
先のブラドリーナとオルディアンにも負けない、息の合った共闘だった。
「おいおい」
だが、ヴァルがそれで崩れるとは思えなかった。
そして実際、そうだった。
石壁へ押し込まれたヴァルは氷腕を砕きながらゆっくりと戻ってくる。
一方で、ルピナスの息は荒くなり始めている。
「っ、はぁ……はぁ……」
膝が一瞬だけ揺れた。
倒れかけたのを、強引に堪えたように見えた。
顔色も、少し悪い。
嫌な違和感だけが、胸に残った。
「――まだまだ終わってネエゾ!」
ルルルもそれに気づいたのか、あえて声を張った。
ヴァルの注意を、自分の方へ引きつけるために。
「遠いところから鬱陶しいなぁ」
ヴァルが、ルルルの方を向く。
「遠隔からチマチマやってくりゃ安全圏だとでも思ってんのかぁ?」
そう言って、彼は静かに懐に手を入れた。
小さな刃の柄が、ちらりと見えた。
さっきブラドリーナの血を啜った刃と、同じナイフだろう。
ルルルはそれを見て、咄嗟に前へ出ようとした。
「――ルピナス先!」
ルピナスを狙うと思ったのだろう。
その瞬間だった。
ルピナスの方に飛び出したルルルの身体が、突然止まった。
「……え?」
本人ですら理解できていないような声だった。
そして、遅れて現実が追いつく。
ルルルの腹部から、血が噴いた――。
何も触れていない。
誰も届いていない。
なのに、まるで何かに深く刺されたみたいにルルルの服が赤く染まっていく。
動きが止まる。
それに合わせて、ルルルの操作下にあった氷腕の動きも鈍った。
オレの傍に残してくれていた二本の巨腕も、きしむように揺れた。
宙に留まろうとして、けれど力を失っていくように。
「ルルル……?」
その名前を呼ぶ声は、自分でもわかるくらい震えていた。
ルルルが片膝をつく。
腹を押さえる指の隙間から、血が溢れていく。
――まただ。
笑い合えた誰かが。
大切な存在になった誰かが、また目の前で壊されていく。
村の光景が、頭の奥でちらついた。
消えた日常。
命を落としていく人たち。
何もすることができなかった自分。
また、同じことが起きている。
ルルルの血が石床に落ちていくのを見るたび、喉が塞がっていくようだった。
「――ルルルっ!」
叫んだ声は、自分でも驚くほど頼りなかった。
またオレは、見ているだけ。
どうする。
どうしたらいい。
何をすればいい。
――分からない。
ルルルが失われるかもしれない。
その考えだけが、頭の中で膨れ上がっていく。
ヴァルは笑っていた。
凶面に、愉し気な色を浮かべて。
「だから言っただろ」
彼はゆっくりと、こちらを見た。
いや、オレの方を見たような気がした。
「――俺の前じゃ、安全圏なんてねぇんだよ」
ルルルの身体が傾く。
そして、そのまま石床へ倒れた。
ルルルの意識が切れたのに合わせるように、宙に浮かんでいた氷腕も力を失う。
どさり、と。
重い音を立て、巨大な氷腕が地に落ちた――。




